セラリス・オブ・カラーリー ―赤箱世界冒険譚― 作:ぶーく・ぶくぶく
それからしばらくのあいだ、ミスタメアについてシャーレーン・ハラランのもとへ届く報告は、奇妙な意味で平穏だった。
盗賊が出たという話ではない。
怪物が村を襲ったという話でもない。
むしろ、そういう報告なら彼にとっては分かりやすかった。
兵を出す。
冒険者を雇う。
必要なら自分が赴く。
領主として取るべき手段はいくらでもある。
ところがミスタメアから届く報告は、そのどれにも当てはまらなかった。
「ブロークンシールド氏族?」
「はい、閣下」
ある日の午後、シャーレーンは報告書から顔を上げた。
「氏族、と云ったか」
「本人たちはそう名乗っております」
「何人いる」
報告に来た家臣が、少しだけ答えにくそうな顔をした。
「現在確認できておりますだけで、およそ百名ほど」
シャーレーンは黙った。
「……百?」
「はい」
「コボルドが?」
「はい」
「ミスタメアに?」
「はい」
念を押すたびに返事は同じだった。
シャーレーンはもう一度報告書を見た。
間違いではない。
最初は数人だったはずなのだ。
冒険者たちと一緒に暮らしている妙なコボルドがいる、という程度の話だった。
それが畑を耕し始めた。
陶器を焼いた。
商人と取引した。
税務官が税を取りに行き、例の領民問題が起きた。
そして大公府が法的な扱いについて検討を始めている間に、いつの間にか仲間が増えたらしい。
「どうして百人にもなった」
「話が広がったようです」
「どんな話だ」
「ミスタメアでは人間に襲われない、と」
シャーレーンの眉がわずかに動いた。
「それだけか」
「それと、働けば食べられる、と」
「……なるほど」
「陶器を作れば売れる。畑を耕せば作物を取られない。冒険者も、いきなり剣を抜かない、と」
最後の一つだけは、やや基準が低いような気もした。
だが、コボルドの側からすれば、それはかなり重要なことなのかもしれなかった。
「それで、ブロークンシールド氏族という一団がまとまって来たのか」
「はい。最初は十数人でした。そのあと家族が来まして」
「家族」
「はい」
「子供も?」
「おります」
シャーレーンは椅子へ深く座り直した。
討伐対象の群れが増えた、という話なら簡単だった。
だが彼らは武装して城へ立て籠もっているわけではない。
畑を広げているのである。
壺を焼いているのである。
子供までいる。
「問題は起こしているのか」
「今のところ、大きなものは」
「大きくないものは?」
「畑の境界で揉めたことが一度。あと、陶器を積んだ荷車をどちらが先に使うかで喧嘩が」
「人間相手か?」
「いえ、コボルド同士です」
「……そうか」
それなら、どこの村でも起きる。
*
さらに困った報告が来たのは、その数週間後だった。
「今度はゴブリン?」
「はい」
シャーレーンは、もう驚かなかった。
驚かない自分に少し驚いた。
「何人だ」
「最初は七人でした」
「最初は、という云い方をするな」
「現在は二十三人おります」
シャーレーンは目を閉じた。
「なぜ増えた」
「仲間を呼びました」
「なぜ最初の七人がいる」
「若い冒険者が連れて帰りました」
目を開けた。
「……何をしに行った冒険者だ」
「ゴブリン退治です」
しばらく、室内に沈黙が落ちた。
シャーレーンはゆっくりと云った。
「もう一度」
「ゴブリン退治に行きました」
「それで?」
「交渉になりまして」
「なぜだ」
「詳しい経緯までは」
「討伐に行って、交渉して、連れて帰ったのか」
「はい」
「そして住みついた」
「はい」
「畑を耕している?」
「はい」
シャーレーンは額を押さえた。
自分は今、何の報告を聞いているのだろう。
*
だが、本当に頭が痛くなったのは、その次だった。
「オーガも?」
「はい」
「何人」
「三人です」
「三人ならまだ……いや、何がまだなのだ」
自分で云って、自分で分からなくなった。
「彼らも討伐に行った冒険者が?」
「はい」
「なぜ連れて帰った」
「一人がかなり怪我をしていたらしく、戦わずに済むなら働く、と」
「それを冒険者が信じたのか」
「セラリス・オブ・カラーリー殿が確認したそうです」
その名前が出た。
シャーレーンはため息をついた。
「それで今は?」
「畑の開墾を」
「オーガが?」
「はい。かなり役に立つそうです」
「それはそうだろう」
人間数人分の力がある。
木の根を引き抜き、大石を動かし、荒れ地を起こす仕事なら、確かに向いている。
「人を食ったりは」
「しておりません」
「家畜は」
「代金を払って買っています」
「代金を」
「働いた分の賃金がありますので」
シャーレーンはしばらく天井を見た。
「……そうか」
*
こうして、ミスタメアという土地は、領主の知らぬ間に少しずつ妙な場所になっていった。
城跡がある。
冒険者が住んでいる。
若い冒険者の訓練所がある。
畑がある。
窯がある。
コボルドが百人ほどいる。
ゴブリンもいる。
オーガもいる。
もちろん人間もいる。
エルフもいる。
その中心には、セラリス・オブ・カラーリーという、何を考えているのか今ひとつ分からないエルフがいる。
不思議なのは、それで治安が悪化していないことだった。
むしろ、以前より街道周辺は安全になっている。
理由を聞けば簡単である。
若い冒険者の訓練場があるので、周辺をうろつく盗賊や怪物が減った。
コボルドは住処を守るために周囲へ目を配る。
ゴブリンも畑を荒らされては困る。
オーガまで住んでいるので、半端な盗賊なら近寄りたがらない。
結果として、
「何も問題はありません」
という報告が来る。
何も問題はない。
それこそが、シャーレーンには問題だった。
*
彼は領主である。
領地の一部で何が起きているのか、責任を持たねばならない。
だが、ミスタメアで起きていることは、すでに普通の村の扱いでは済まなくなっていた。
コボルドを領民としてどう扱うか。
ゴブリンは。
オーガは。
婚姻はどうする。
土地の所有は。
相続は。
犯罪が起きた場合、誰の法で裁く。
村役人を置くのか。
置くなら誰を。
教会はどう関わる。
そもそも教区民として数えるのか。
税は同じなのか。
兵役は。
武器の携行は。
市場で人間と同じ商人資格を認めるのか。
ひとつ答えると、次が出てくる。
そして一番厄介なのは、彼らが今のところ善良に暮らしているので、追い払う理由がまったくないことだった。
「……これはもう、村ではないな」
シャーレーンは呟いた。
まだ人口だけなら小さい。
だが、制度的には、これまでの村とはまるで違う。
多種族が一つの土地に住み、働き、商売をし、若者を受け入れている。
放っておけば、おそらくもっと増える。
ブロークンシールド氏族の百人が来たのなら、次の百人が来ない理由はない。
ゴブリンも同じだ。
オーガだって、ここなら殺されずに働けると知れば、増えるかもしれない。
シャーレーンは、嫌な予感がした。
これは終わらない。
*
そして彼は、ついに大公府へ赴いた。
「ミスタメアについて?」
ステファン大公が訊いた。
「はい」
シャーレーンは向かいの椅子へ腰を下ろした。
大公は、すでにあの土地の名前を知っていた。
コボルドの領民資格を巡る一件以来である。
「今度は何が起きた」
ステファンの声には、ほんの少しだけ警戒があった。
シャーレーンはそれを責められなかった。
「コボルドが増えました」
「……何人に」
「およそ百」
ステファンの眉が上がった。
「百?」
「ブロークンシールド氏族という集団が移住してきました」
「移住」
「はい」
「襲撃ではなく?」
「移住です」
「畑を?」
「耕しております」
ステファンはしばらく黙った。
「陶器も?」
「焼いております」
「そうか」
何かを諦めたような返事だった。
シャーレーンは続けた。
「それと、ゴブリンもおります」
「……」
「二十人余り」
「なぜ」
「討伐に出た若い冒険者が交渉して連れて帰りました」
ステファンがゆっくり瞬きをした。
「討伐とは」
「本来、倒しに行ったという意味です」
「それは分かっている」
「私も分かっております」
二人はしばらく見つめ合った。
「それで今は?」
「農耕を」
「……そうか」
「オーガも三人」
ステファンは片手で顔を覆った。
「まだあるのか」
「今のところは、それだけです」
「今のところ、と云うな」
「私もそう云いたいところです」
*
ひとしきり報告を終えたあと、シャーレーンは本題へ入った。
「大公閣下」
「なんだ」
「ひとつお願いがあります」
「聞こう」
シャーレーンは一度、言葉を選んだ。
それから、極めて真面目な顔で云った。
「ミスタメアを、私の領地から切り離しませんか」
ステファンが顔を上げた。
「……何?」
「誰か別の者に任せていただきたい」
「シャーレーン」
「誤解なさらないでください。彼らを追い出してほしいと云っているのではありません」
「ではなぜだ」
「私の手に余り始めています」
それは、シャーレーンほどの人物からすれば、かなり率直な言葉だった。
「普通の領地経営ならば、もちろん引き受けます。人間の村が増えようと、エルフが移住しようと、ドワーフの職人が来ようと、それは領主として処理できます」
「うむ」
「しかし、ミスタメアは違います」
シャーレーンは指を折った。
「コボルドを正式な領民としてどう扱うか。ゴブリンを同じように認めるか。オーガはどうするか。それぞれの土地利用、課税、裁判、武器、商取引。それを一つずつ決めなければなりません」
ステファンは黙って聞いていた。
「しかも」
シャーレーンは少しだけ疲れたように続けた。
「彼らは何も悪いことをしていないのです」
「それは良いことではないか」
「良いことです。だから困るのです」
ステファンが目を細めた。
「追い払う理由がない。討伐する理由もない。むしろ働いている。税も払う。街道の治安まで良くなった」
「……うむ」
「ですから、正式に扱わねばならない」
シャーレーンは静かに云った。
「これはもう、私の領地の片隅にある妙な集落、という段階ではないと思います」
*
ステファンはしばらく何も云わなかった。
「では、誰に任せる」
やがて訊いた。
「そこなのですが」
シャーレーンは一瞬だけ口元を緩めた。
「原因を作った本人がいるではありませんか」
ステファンの顔がわずかに変わった。
「セラリス・オブ・カラーリーか」
「はい」
その名を、ステファンももう覚えていた。
最初に聞いたのは、コボルドから税を取るなら領民として認めるのか、という問いとともにだった。
「冒険者に領地を任せろと?」
「今すぐ領主にせよとは申しません」
「では」
「特別な管理者としてでもよいでしょう」
シャーレーンは云った。
「彼女があそこにおります。コボルドは彼女を信頼している。ゴブリンも、オーガも、彼女のいる場所だから住みついているのでしょう」
「責任も負わせる、と」
「そういうことです」
シャーレーンは少し身を乗り出した。
「いずれにせよ、あの土地で何か起きるたびに、私がスレスホールドから『これはコボルドの場合はどうする』『ゴブリンの場合はどうする』と大公府へ問い合わせるより、現地に一人、裁量を持った者を置く方がよい」
ステファンは考え込んだ。
「しかし、そのエルフに統治ができるのか」
「分かりません」
「……分からないのか」
「はい」
シャーレーンはあっさり認めた。
「ただ、今のところ、彼女が統治しようともしていないのに、あの場所は成立しております」
ステファンは黙った。
それは、奇妙だが重い事実だった。
セラリスはおそらく、領地経営などしているつもりはない。
若者を鍛え。
畑を作り。
窯を作り。
住みついた者を追い出さなかった。
ただそれだけだ。
その結果、百人のコボルドが集まり、ゴブリンが住み、オーガが畑を耕している。
「本人に任せたら、さらに増えるのではないか」
ステファンがぽつりと云った。
シャーレーンはしばらく答えなかった。
「……おそらく」
「止めたいのか」
「いいえ」
「なら、なぜそんな顔をする」
「どこまで増えるのか、私にも分からないからです」
ステファンは、思わず笑った。
シャーレーンも、少し遅れて笑った。
*
「考えよう」
最後にステファンは云った。
「いきなり領地を切り離すかどうかは別として、ミスタメアには何らかの特別な扱いが必要だという点は認める」
「ありがとうございます」
「セラリス本人とも一度話をする必要があるな」
「そうしていただければ」
「どんな人物なのだ」
シャーレーンは少し考えた。
「悪い人物ではありません」
「それは分かっている」
「常識がないわけでもありません」
「なら安心ではないか」
「ただ」
「ただ?」
「普通ならば『コボルドだから』で止まるところを、あの者はそこで止まらないのです」
ステファンは何も云わなかった。
「コボルドでも畑を耕すなら農民。器を焼けば陶工。商売をすれば商人。税を払えば領民。たぶん彼女の中では、それだけなのです」
「……なるほど」
「その単純さが、時々こちらには難しい」
ステファンは、机の上に置かれた報告書を見た。
コボルド、約百名。
ゴブリン、二十三名。
オーガ、三名。
その他、冒険者。
農地。
窯。
訓練所。
数字だけを見れば、小さな集落にすぎない。
だが、その中で起きていることは、カラメイコスのどこにも前例がなかった。
「ミスタメア、か」
ステファンは静かに呟いた。
「どうやら、放っておいて普通の村になる場所ではなさそうだな」
「ですから申し上げております」
シャーレーンは、珍しく即座に答えた。
「私の領地から切り離して、誰か別の者に任せませんか」
その声には、責任逃れというよりも、長く考えた末にようやく口にした領主の切実さがあった。
そしてステファンは、この時になって初めて、ミスタメアを一つの特殊な統治単位として考え始めたのである。