セラリス・オブ・カラーリー ―赤箱世界冒険譚―   作:ぶーく・ぶくぶく

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町の外で、まず走る

 

 スレスホールドの外へ出て二日目。

 

 ミハイルは、自分が冒険者というものを少し勘違いしていたのだと理解し始めていた。

 

「走って!」

 

 街道脇の草地に、セラリスの声が飛ぶ。

 

「もう走ってます!」

 

「それは走ってるんじゃなくて、鎧に運ばれてる!」

 

「意味分かりませんよ!」

 

「足を上げて! 転ぶよ!」

 

 直後。

 

「うわっ!」

 

 ガシャン、と派手な音を立ててミハイルが草地へ転がった。

 

 プレートメイル。

 

 盾。

 

 腰の剣。

 

 背中にはバックパック。

 

 食料。

 

 ロープ。

 

 水袋。

 

 その他、実際に冒険へ出る時とほぼ同じ荷物。

 

 全部を身につけた状態で走らされている。

 

「はい、起きて」

 

「ちょ、ちょっと待って……」

 

「敵は待ってくれないよ」

 

「セラリスさんが一番待ってくれない!」

 

「元気あるじゃない」

 

 少し離れた場所では、ヴァレリアが膝に手をついていた。

 

「もう……無理……です……」

 

「まだ午前中」

 

「プレートメイルが……こんなに……重いなんて……」

 

「だから町の中で慣らしてから外に来たでしょう」

 

「町では……走ってません……」

 

「今日は走る日だから」

 

「そんな日があるんですか……?」

 

「今作った」

 

 ダリヤだけはレザーアーマーなので二人より遥かに軽快だった。

 

 もっとも。

 

「ダリヤ、止まって」

 

「え?」

 

「そのまま横へ飛んで」

 

「こう?」

 

 跳ぶ。

 

「反対」

 

 跳ぶ。

 

「後ろ」

 

「えっ」

 

「後ろへ飛ぶ」

 

 ダリヤが慌てて一歩飛び退く。

 

 着地。

 

 少しふらつく。

 

「今の距離、覚えて」

 

「距離?」

 

「そう」

 

 セラリスは三人を集めた。

 

 自分は萌黄色の旅装。

 

 クローク。

 

 普通のバックパック。

 

 外見だけなら、三人よりずっと軽装に見える。

 

「走る速さだけ確認してるんじゃないよ」

 

 セラリスは地面に一本線を引いた。

 

「とっさに飛び降りる」

 

 少し離れた位置に、もう一本。

 

「横へ飛び退く」

 

 さらに一本。

 

「後ろへ下がる。しゃがむ。転んでから起き上がる。盾を構えたまま向きを変える」

 

 三人の顔を見る。

 

「自分がどのくらい動けるのか分かってないと死ぬからね」

 

 ミハイルが黙った。

 

「たとえば?」

 

「床が崩れた」

 

 セラリスは即答した。

 

「向こうまで一歩半。でも鎧を着て荷物を背負った君が、本当に一歩半を跳べる?」

 

「……」

 

「罠が飛んできた。横へ避ける場所が三フィートしかない。盾を持ったまま入れる?」

 

「……分かりません」

 

「でしょう?」

 

 今度はヴァレリアを見る。

 

「階段で敵が来た。後ろへ下がろうとしたら、プレートの裾を踏んだ」

 

「転びます」

 

「転んだ後、何秒で立てる?」

 

「……分かりません」

 

「だから確認する」

 

 次にダリヤ。

 

「君は軽い。でもバックパック背負って十フィート棒まで持ったら?」

 

「邪魔」

 

「そう。ダンジョンでは『軽装だから動ける』じゃなくて、実際の装備でどこまで動けるかが大事」

 

 セラリスは手を叩いた。

 

「じゃあ、もう一周」

 

 三人から一斉に呻き声が上がった。

 

 

 

     /*/

 

 

 

 三日目。

 

 走る。

 

 止まる。

 

 伏せる。

 

 起きる。

 

 跳ぶ。

 

 盾を構える。

 

 方向転換。

 

 坂を登る。

 

 坂を下る。

 

 浅い溝を飛び越える。

 

 荷物を背負ったまま地面へ伏せ、また立つ。

 

 ミハイルは初日より明らかに転ばなくなった。

 

 ヴァレリアも、プレートを着たまま一定の速度で歩ける時間が伸びた。

 

 ダリヤは自分の身体より、むしろ道具が動きを邪魔することを学び始めている。

 

「十フィート棒、横向きに持って走らない」

 

「分かってる!」

 

「昨日、木に引っかけたでしょう」

 

「一回だけ!」

 

「一回で崖から落ちることもあるよ」

 

「はい……」

 

 

 

     /*/

 

 

 

 四日目。

 

 セラリスは三人を草地へ連れ出すと、荷物を置かせた。

 

 ミハイルが期待した顔になる。

 

「今日は走らないんですか?」

 

「今日は別」

 

 セラリスは一本の練習剣を拾った。

 

 刃のない木剣。

 

 魔法の剣ではない。

 

 ソーンウォッチは腕輪の中に入れたままだった。

 

 魔法も使わない。

 

 クロークの力も使わない。

 

 指輪も使わない。

 

「稽古する」

 

 ミハイルの顔が輝いた。

 

「剣ですか!」

 

「剣」

 

「俺から?」

 

「いいよ」

 

 ヴァレリアとダリヤも興味津々で見る。

 

 ここ数日、セラリスはほとんど指示しかしていない。

 

 三人から見れば、黒髪金眼の若いエルフ娘だ。

 

 知識はある。

 

 旅慣れている。

 

 でも。

 

 実際にどれほど戦えるのか。

 

 それはまだ見せていなかった。

 

 セラリスは木剣を片手に持った。

 

「来て」

 

「本気で?」

 

「本気で」

 

 ミハイルが木剣を構えた。

 

 農作業で鍛えた身体。

 

 力はある。

 

 若い。

 

 勢いもある。

 

「行きます!」

 

 踏み込んだ。

 

 一撃。

 

 セラリスが半歩動く。

 

 それだけだった。

 

 ミハイルの剣が空を切る。

 

「え?」

 

 手首を軽く叩かれた。

 

「痛っ!」

 

 剣が落ちる。

 

「拾って」

 

「……はい」

 

 二度目。

 

 ミハイルは慎重に入った。

 

 今度はフェイント。

 

 横薙ぎ。

 

 セラリスは剣先で流す。

 

 足を払う。

 

「うわっ!」

 

 転倒。

 

「立って」

 

「はい!」

 

 三度目。

 

 四度目。

 

 五度目。

 

 一度も届かない。

 

 セラリスは速すぎるわけではなかった。

 

 少なくとも、ミハイルにはそう見えた。

 

 派手な動きもない。

 

 飛び回らない。

 

 ただ。

 

 攻撃する場所に、もういない。

 

 こちらが動く前に、次に何をするか知られているようだった。

 

「なんで……」

 

 息を切らせながらミハイルが言う。

 

「俺が振る前に分かるんですか?」

 

「肩」

 

「肩?」

 

「あと腰。踏み込む前に動いてる」

 

「そんなの見えるんですか?」

 

「見る」

 

 セラリスは木剣を肩へ乗せた。

 

「だから稽古するの」

 

 今度はヴァレリア。

 

「私も?」

 

「もちろん」

 

「メイスしか……」

 

「今日は木剣でいい」

 

 結果。

 

 三十秒も持たなかった。

 

「きゃっ!」

 

 木剣を弾かれ。

 

 盾を回され。

 

 気づけば喉元へ木剣の先を突きつけられている。

 

「盾は?」

 

「構えてました!」

 

「持ってただけ」

 

「違うんですか?」

 

「全然違う」

 

 次はダリヤ。

 

「私は逃げてもいい?」

 

「いいよ」

 

「本当に?」

 

「シーフなんだから、勝つ必要ないでしょう」

 

 ダリヤはにやっと笑った。

 

 開始と同時に後ろへ飛んだ。

 

 横へ。

 

 さらに回り込む。

 

「お」

 

 セラリスが少し感心した。

 

「正面から来ないのはいい」

 

「でしょ!」

 

 次の瞬間。

 

「あっ」

 

 足元へ木剣が差し込まれた。

 

 転ぶ。

 

「でも後ろばっかり見ない」

 

「ずるい!」

 

「敵はずるいよ」

 

 

 

     /*/

 

 

 

 それからが本番だった。

 

 三人対一人。

 

「三人で?」

 

 ミハイルが息を呑む。

 

「そう」

 

「セラリスさん一人?」

 

「そう」

 

「武器は木剣だけ?」

 

「そう」

 

 ヴァレリアが心配そうにした。

 

「危なくないですか?」

 

「私が?」

 

 三人が黙った。

 

「来なさい」

 

 来た。

 

 ミハイルが正面。

 

 ヴァレリアが盾を構えて横。

 

 ダリヤが後方へ回る。

 

 今まで教えたことを、ちゃんと使おうとしている。

 

「いいね」

 

 セラリスは笑った。

 

 そして。

 

 十五秒後。

 

「いたたた……」

 

 ミハイルが地面に転がっていた。

 

「もう無理……」

 

 ヴァレリアは盾を抱えたまま座り込んでいた。

 

「なんで後ろ見てたのに当たるの……」

 

 ダリヤが草の上で仰向けになっていた。

 

「もう一回」

 

 三人が一斉に顔を上げた。

 

「まだやるんですか!?」

 

「これから」

 

「今までのは!?」

 

「準備運動」

 

「嘘だ!」

 

 

 

     /*/

 

 

 

 夕方。

 

 三人は並んで草地に転がっていた。

 

 もう起き上がる気力もない。

 

 ミハイルは腕を広げたまま空を見ている。

 

「足が……動かない……」

 

「私……明日……起きられるでしょうか……」

 

「腕まで重い……」

 

 セラリスだけが立っていた。

 

 さすがに少し汗はかいている。

 

 だが呼吸はほとんど乱れていない。

 

 木剣を肩に乗せて三人を見る。

 

「今日はここまで」

 

「やっと……」

 

 ミハイルが呟いた。

 

 しばらくして。

 

「セラリスさん」

 

「何?」

 

「強かったんですね……」

 

 セラリスは眉を上げた。

 

「今まで何だと思ってたの?」

 

「いや、その……」

 

 萌黄色の服。

 

 黒いポニーテール。

 

 金色の瞳。

 

 リュートを弾いて歌うエルフの娘。

 

 少なくとも、三人をまとめて剣一本で地面へ転がすようには見えない。

 

 ダリヤが代わりに言った。

 

「吟遊詩人みたいな人」

 

「吟遊詩人みたいな格好はしてるね」

 

「剣士には見えない」

 

「それでいいの」

 

 セラリスは木剣を地面へ置いた。

 

「覚えておきなさい」

 

 三人が見る。

 

「見た目で相手の強さを決めないこと」

 

 声から冗談が消えた。

 

「若いから弱いとは限らない。老人だから弱いとも限らない。細いから力がないとも限らない。旅人に見えるから戦えないとも限らない」

 

 セラリス自身が、その最高の実例だった。

 

「敵が剣を一本しか持ってないからって、他に武器がないとも限らない」

 

 腕輪をちらりと見る。

 

 三人はまだ、その意味を知らない。

 

「魔法使いに見えなくても魔法を使うかもしれない。丸腰に見えても違うかもしれない」

 

 ミハイルがゆっくり起き上がろうとして。

 

「痛っ」

 

 また寝転がった。

 

「……身に染みました」

 

「よろしい」

 

 セラリスは笑った。

 

「明日は?」

 

 ヴァレリアが恐る恐る尋ねる。

 

「同じ」

 

 三人が絶望した。

 

「ただし今日より装備を増やす」

 

「えっ」

 

「実戦では軽装で稽古してくれないから」

 

「セラリスさん」

 

「何?」

 

「鬼ですか?」

 

「違うよ」

 

 セラリスは普通の顔で答えた。

 

「生きて帰ってほしいだけ」

 

 その言葉には冗談がなかった。

 

 三人とも、それ以上は文句を言わなかった。

 

 翌朝。

 

 筋肉痛でぎこちなく歩く三人を見て、セラリスは満足そうに頷いた。

 

「じゃあ今日も走ろうか」

 

「休ませて!」

 

 スレスホールド郊外に、三人分の悲鳴が響いた。

 

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