セラリス・オブ・カラーリー ―赤箱世界冒険譚― 作:ぶーく・ぶくぶく
スレスホールドで、シャーレーン・ハララン男爵の名による正式な布告が出されてからというもの、ミスタメア城を目指す冒険者の数は確かに減っていた。少なくとも、書かれている文章を最後まで読み、それが自分自身の生死に関わる警告なのだと理解出来る程度にはまともな判断力を持つ者については、そうだった。
布告の内容そのものは簡潔であり、役所の文章にありがちな回りくどさこそ多少はあったものの、意味を取り違える余地はほとんどなかった。ミスタメア城周辺を縄張りとするグリーンドラゴン、ヴァルザリオンは、現在のところカラメイコス大公国の臣民に対して敵対行動を取っておらず、街道を襲うこともなければ、農家の牛や羊を勝手に奪うこともなく、周辺住民とのあいだに定められた取り決めにも従っている。従って、財宝を目的として一方的にこれを襲撃することを禁じ、その警告を無視した結果として生じた死傷、装備の喪失、その他いかなる損害についても、ハララン男爵家もカラメイコス大公国も責任を負わない。
要するに、襲うなということである。
普通の者なら、それで充分だった。そもそもドラゴンというものは、酒場で酔った勢いに任せて「ちょっと倒してくる」と口にして、そのまま翌朝出掛けられるような相手ではない。ましてミスタメアの緑竜については、若い個体でありながら既に何頭もの同族と争い、そのうち幾頭かを打ち負かし、場合によっては臣従までさせているという噂が広がっている。その話には当然ながら酒場で増えた尾鰭も混じっていたが、すべてが嘘というわけでもないところが始末に悪かった。
しかも、その竜には戦い方を教えるエルフの師がいる。
人間の冒険者がどのように盾を並べ、僧侶を後ろへ置き、魔法使いが射線を取り、盗賊が正面から目を逸らされた隙に横へ回るのかを知っている竜が、スレスホールドからわずか数マイルの山中に住んでいるのである。命を惜しむ者なら、それ以上何を説明されなくとも充分だった。
ところが、冒険者と呼ばれる者たちの中には、いつの時代にも、そういう警告を最後まで読んだうえで、なお「だから何だ」と考える者が一定数存在する。
それが勇気なのか、愚かさなのか、あるいは混沌というものがたまたま人間の姿を取り、剣を腰に吊るして歩いているだけなのか、セラリスには時々、本気でよく分からなかった。
そして困ったことに、そういう者たちは妙に両極端だった。
一方には、まだ本物の戦いを数えるほどしか経験していない若者たちがいる。酒場で《若き緑竜王ヴァルザリオン》の歌を聞き、竜の巣には黄金が山と積まれているというくだりで目を輝かせ、自分たちなら出来ると思い込む者たちである。竜殺し、英雄、一生遊んで暮らせる財宝。吟遊詩人の口から響けばいかにも胸躍るそうした言葉は、経験の浅い者にとって、時に剣より鋭く理性を切り落とす。
そしてもう一方には、本当に強い者たちがいた。何年も冒険を続け、数多くの魔物を倒し、地下遺跡へ潜っては生きて戻り、普通の兵士なら一生触れることもないような魔法の剣や鎧、指輪、護符、杖、薬を幾つも持つようになった者たちである。
そういう者は、ヴァルザリオンの噂を聞いて恐れる代わりに、面白い、と思う。
そこが、なお悪かった。
/*/
「また来たぞ」
ある日の午後、ヴァルザリオンは妙に機嫌の良い顔でそう言った。
セラリスはその時、ミスタメア城の地下から続く洞窟の奥で、彼が集めた財宝の一角を眺めていたのだが、以前ここへ来た時より明らかに物が増えていることにはすぐ気がついていた。金貨や銀貨だけではない。磨きのよい剣、表面から微かな魔力を感じる盾、細い鎖へ吊された護符、青い石の嵌まった指輪、魔法文字の刻まれた杖、それに色の違う液体を詰めた幾つもの小瓶まで、ヴァルザリオンなりの基準で種類を分けて積み重ねられている。
「……誰が来たの?」
「人間だ」
「何人?」
「五人」
「強かった?」
ヴァルザリオンは少し考え、それから何でもないことのように答えた。
「前の奴らよりは」
その言い方だけで、セラリスにはおおよそのところが分かった。
「帰った人は?」
「二人」
「逃げた?」
「一人は逃げた。もう一人は戦えなくなったので、そのまま帰した」
セラリスは少しだけ肩の力を抜いた。
最近のヴァルザリオンは、以前に比べればずいぶんと「殺す必要のない相手を殺さない」という考えを覚えてきている。ただし、それをもって慈悲深くなったなどと評するのは、たぶん本人に対しても不正確だった。
その方が合理的だと覚えただけなのだ。
戦えなくなった者を一人でも生かして帰せば、その者は自分がどれほど強かったかを町で話す。それを聞いた者のうち、命を惜しむ者は来なくなる。それでもなお挑みに来るなら、それはよほど愚かな者か、それとも本当に強い者である可能性が高い。
そして後者なら。
「これを持っていた」
ヴァルザリオンが前脚の爪先で一振りの剣をセラリスの方へ押した。
拾い上げてみると、鞘から抜く前から魔力が感じられた。弱いものではない。セラリスは刃をわずかに引き抜き、洞窟の光へ透かしてから、感心したように眉を上げた。
「かなり良いね、これ」
「そうだろう」
「嬉しそうだね」
「良い戦いだった。それに良い剣も手に入った」
ヴァルザリオンは満足そうだった。
セラリスは何ともいえない顔で剣を鞘へ戻した。
「シャーレーンが、君を襲っちゃ駄目だって布告を出したんだけど」
「俺は襲っていない」
「うん」
「向こうから来る」
「うん」
「俺を殺して財宝を奪うと言う」
「うん」
「だから戦う」
セラリスはしばらく黙ってから、大きく息を吐いた。
「……そこは、何も間違ってないんだよねえ」
それが一番困る。
わざわざミスタメアまでやって来て、「お前を殺して宝を奪う」と宣言する冒険者に対し、ヴァルザリオンが「では戦おう」と応じる。そのこと自体を責めるのは、どう考えても無理がある。
しかもセラリスには、少しどころではなく心当たりがあった。
スペキュラムの酒場で、ほんの軽い気持ちで《若き緑竜王ヴァルザリオン》などという歌を広めてしまったのである。ちょっと面白い歌を作ろう、評判になったら楽しい、その程度のことでしかなかったはずなのだが、それがいったい何人の冒険者をこの山まで呼び寄せたのか、今となってはあまり考えたくなかった。
腰に下げたソーンウォッチが、いかにも面白そうに口を挟んだ。
「自業自得だな」
「うるさい」
「私は何も歌っていない」
「ほんとに便利ね、その立場」
「事実だからな」
「黙ってて」
/*/
もっとも、ヴァルザリオン本人にとって、この状況はあまりにも都合が良かった。
経験の浅い者が来れば、人間の小集団との戦い方を試すことが出来る。盾を並べる者、離れて弓を射る者、後ろから呪文を唱える魔法使い、傷ついた仲間を癒す僧侶、正面で注意を引いている間に横や背後へ回り込もうとする盗賊。ドラゴン同士で爪と牙とブレスをぶつけ合っているだけでは決して分からない戦い方を、彼は実戦の中で次々と覚えていた。
そして、強い者が来れば、なおよかった。
強い冒険者は、強い装備を持っている。
魔法の剣。
魔法の鎧。
身を守る指輪。
不可視化や飛行に使う薬。
特殊な魔力を持つ杖。
高価な宝石。
長年の冒険の中で一つずつ手に入れてきたそれらを、彼らはわざわざ自分の身体へ身につけ、山を越え、洞窟の奥にいるヴァルザリオンのところまで持ってくる。
竜から見れば、それは自分を殺しに来る敵であると同時に、魔法の品を詰め込んで自分から歩いてくる宝箱でもあった。
セラリスがその事実に気づいた日は、かなり長いあいだ何も言えなかった。
「……ヴァル」
「何だ」
「魔法の探求って」
「終わっているぞ」
セラリスは勢いよく振り返った。
「いつ?」
「だいぶ前だ」
「聞いてない!」
「聞かれなかった」
「そういう大事なことは自分から言って!」
ヴァルザリオンは、本気でなぜ叱られているのか分からないらしい顔をしている。その背後には、戦利品として得た魔法の武具がいくつも積み上がっていた。
「お前の歌のおかげだ」
「言わないで」
「強い人間ほど、良い物を持ってくる」
「言わないでって!」
「非常に助かっている」
セラリスは両手で顔を覆った。
スペキュラムで作った歌が冒険者をミスタメアへ呼び、その冒険者たちがヴァルザリオンへ人間との実戦経験を与え、そのうえ良質な魔法の品まで運んでくる。その結果として、ヴァルザリオンが《昇華》に向けて進めていた探求の一つが、彼女の予想より遥かに早く達成されていたのである。
「……私、ものすごく手伝ってない?」
「手伝っているな」
「認めないでよ」
「なぜだ」
「自覚したくないから!」
ヴァルザリオンはますます分からないという顔をした。
/*/
しかし、魔法の品が揃ったからといって、ヴァルザリオンが満足したわけではなかった。
財宝は、まだ足りない。
少なくとも本人はそう考えている。
そして《力の探求》についても、途中でやめるつもりなどなかった。
山の向こう。
深い森林。
荒野の洞窟。
人間が滅多に踏み込まない谷間。
そういう場所には、ヴァルザリオンと同じように自分の縄張りを持ち、何十年、何百年とかけて財宝を抱え込んでいる竜がいる。
彼はその竜たちを探し、挑み、勝てば財宝の一部を差し出させ、場合によっては自分へ臣従させた。
問題は、そのあとだった。
「持てない」
ある時ヴァルザリオンが当然のように言ったので、セラリスは最初、何のことか分からなかった。
「何が?」
「財宝だ」
「ああ」
言われてみれば当然だった。
竜は巨大であり、一度に運べる重量そのものは人間などとは比べものにならない。だが、だからといって金貨の箱を幾つも背中へ括りつけ、壺や鎧や武器をぶら下げたまま山を越えて飛ぶようには出来ていない。
そこで、人を雇うことになった。
コボルド。
それから、新人冒険者たち。
彼らを竜同士の戦いへ参加させるわけではない。戦闘中は安全な場所へ退避させ、勝負がついたあとで呼び寄せる。箱を持ち、袋へ詰め、背負子へ積み、荷車が使える場所なら荷車へ載せ、道がなくなればそこから先は人力で運ぶ。
そして、いつしかスレスホールド周辺では、
「ヴァルの財宝運び」
という仕事が、半ば普通の依頼のように扱われるようになっていた。
もちろん普通ではない。
どう考えても普通ではないのだが、人間というものは同じことが三度、四度と繰り返されると、かなり奇妙な出来事でさえ日常として受け入れるようになる。
「今度どこ?」
赤い腕章を巻いたコボルドが尋ねる。
「西だ」
「遠い?」
「二日」
「荷車使える?」
「途中から道がない」
「じゃあ背負子、多めにいるな」
その横では、同行する新人冒険者たちが、
「今度は何色のドラゴンだ?」
「青らしいぞ」
「ブレス見られるかな」
「近くで見ようとするなよ」
などと話している。
セラリスは、そんな光景を見るたびに、自分がいったい何を作ってしまったのだろうと思うことがあった。
とはいえ、少なくとも彼らは危険について事前に説明され、きちんと報酬を受け取り、戦闘中には安全な場所まで退避する。もしヴァルザリオンが負けたなら、財宝も、荷車も、背負子も、何もかも捨てて逃げる。命より大切な荷物などないということだけは、セラリスが繰り返し言い聞かせていた。
そして実際、戻ってきた新人たちは多くのものを学んだ。
山道の歩き方。
荷物の重量。
足場の悪い斜面での移動。
傷ついた仲間の運び方。
怪物というものが、冒険者の都合の良い場所で戦ってくれるとは限らないこと。
そして何より、圧倒的に強い相手を前にした時には、勇気と無謀を取り違えてはいけないということ。
教材として考えれば、これほど贅沢なものもなかった。
/*/
ある夕暮れ、ヴァルザリオンはいつになく真面目な顔でセラリスを呼んだ。
場所はミスタメア城の西側だった。半ば崩れた石壁の向こうには山並みが連なり、そのさらに彼方へ、夏の終わりを思わせる赤い太陽がゆっくり沈もうとしている。ヴァルザリオンは城壁の外へ巨大な身体を横たえ、しばらく遠くの山々を見つめていた。
「セラリス」
「なに?」
「来年の夏か、秋には、長く眠ることになる」
セラリスは彼を見た。
冗談を言っている顔ではなかった。
「……知識の探求?」
「そうだ」
いよいよ、そこまで来たのである。
肉体を巣に残したまま長い眠りへ入り、精神のみが遠い外方の世界へ向かい、《昇華》へ必要な知識を求める。どれほどのあいだ眠るのかは、その時になってみなければ分からない。それでもヴァルザリオン自身には、次の段階へ進む時が近づいているという確信があるらしい。
「もうそんなところまで来たんだ」
セラリスは少し感慨深く言った。
「まだ宝が足りん」
ヴァルザリオンは不満そうだった。
こちらの感慨など、本人にはどうでもいいらしい。
「だから眠りに入るまでは、他の竜へ挑む」
「やっぱり続けるんだ」
「当然だ」
「配下、増えすぎない?」
「多い方がよい」
即答だった。
セラリスは苦笑した。
最初は酒場の歌の中だけで呼ばれていたはずの《若き緑竜王》が、いつの間にか本当にそれらしい存在になりつつある。
「それで」
ヴァルザリオンが続けた。
「眠りから戻れば、その次だ」
セラリスもすぐに思い出した。
次の周期。
そして、その時に必要になるもの。
「……大食」
「そうだ」
ヴァルザリオンは、この日のどの話より真剣な声で言った。
「再来年の夏から秋には、大量の食糧が必要になる」
セラリスの顔がわずかに引きつった。
「どのくらい?」
「大量だ」
「それじゃ分からないって」
「俺にもまだ分からん」
「牛?」
「牛だけでは足りんかもしれん」
「何頭?」
「用意出来るだけ」
セラリスはしばらく西の空を見つめた。
夕日がゆっくり山の向こうへ沈んでいく一方で、彼女の頭の中では、別の意味で恐ろしい勢いで問題が膨れ上がっていた。
近隣農家から牛を買う。
だが一度に大量に買えば価格が上がる。
あまり多くの家畜を一地域から引き抜けば、その翌年の農耕や繁殖へ影響が出る。
ならば複数地域へ買い付けを分散する。
購入時期もずらす。
生きたまま運ぶ牛と、先に解体して運ぶ分を分ける。
保存するなら塩がいる。
倉庫もいる。
血抜き。
解体。
内臓処理。
輸送。
シャーレーンへの報告。
場合によっては大公国へも話を通した方がいい。
狩猟で補うなら、周辺の野生動物を獲り尽くさないようにしなければならない。
そう考えているうちに、ただ一頭の竜へ食事を用意するという話だったはずのものが、いつの間にかかなり大きな物流計画へ変わっていた。
「……今から準備しろってこと?」
「そうだ」
「再来年の食事を?」
「必要になる」
ヴァルザリオンは平然としている。
セラリスはしばらく黙り、それから観念したように頷いた。
「分かった」
ヴァルザリオンが満足そうに目を細めた。
「頼むぞ」
「うん」
「肉は多めに」
「分かった」
「脂もある方がよい」
「はい」
「内臓は洗っておけ」
セラリスは思わず振り返った。
「そこまで今から指定するの!?」
「大事なことだ」
「まだ再来年だよ!」
「だから今伝えている」
あまりにも当然のように言われると、反論しにくい。
セラリスは額を押さえたが、その口元にはいつの間にか笑みが浮かんでいた。
思えば、地下の洞窟で初めて出会った頃のヴァルザリオンは、力こそあったがまだずいぶん単純な若い竜だった。狭い通路へブレスを吐き、その後どうするかまでろくに考えず、自分が強ければそれで何とかなると思っているところがあった。
それが今では、他の竜へ挑み、勝てば従え、財宝を積み、人間の冒険者との戦い方を覚え、魔法の品を集め、《昇華》のための次の段階を見据え、そのうえ二年近く先に必要になる食糧について今から相談している。
変われば変わるものだった。
もっとも、その変化のかなりの部分に、自分が関わっている。
戦い方を教えた。
人間との付き合い方を教えた。
殺す必要のない相手まで殺す必要はないと教えた。
仕事を頼むなら報酬を払うものだとも教えた。
そのうえ、酒場では余計な歌まで流行らせた。
そして、その歌を聞いた冒険者たちが自分からやって来て、ヴァルザリオンへ実戦経験を与え、魔法の品まで持ち込んだ。
セラリスは、そこから先についてはあまり深く考えないことにした。
なぜなら、考えれば考えるほど、自分が一頭の若いグリーンドラゴンを、本当に《若き緑竜王》へ育てつつあるという事実へ、どうしても辿り着いてしまうからである。