セラリス・オブ・カラーリー ―赤箱世界冒険譚― 作:ぶーく・ぶくぶく
スペキュラムから二度目の召喚状が届いたとき、セラリスは、今度こそ何となく理由が分かったような気がした。
もちろん、分かったからといって、それをありがたいと思ったわけではない。
封蝋を割って羊皮紙をひらき、大公ステファン・カラメイコスの名で、なるべく早くスペキュラムへ出頭するように、という簡潔な文面を読み終えたセラリスは、しばらくそれを手にしたまま動かなかった。それから、傍らで地下集積場から上がってきた品々の記録をまとめていたダリヤへ、ひどく嫌そうな顔を向けた。
「……また呼ばれた」
「大公様に?」
「うん」
「何かしました?」
「その訊き方やめて」
「だって」
ダリヤは羽根ペンを置き、指を折り始めた。
「ヴァルザリオンがアルゴスを倒したでしょう。アルゴスの下にいた竜までまとめてヴァルザリオンの下に入ったでしょう。再来年には牛を百二十頭くらい買うから育てておいてって、近所中の農家に話を回したでしょう」
そこまで数えてから、首を傾げる。
「……どれでしょうね?」
「全部な気がしてきた」
腰の鞘から、ソーンウォッチが低く言った。
「私なら全部だと思う」
「君には聞いてない」
「だろうな」
どうにも、最近は誰もセラリスに同情してくれなかった。
もっとも、その原因の半分以上が自分にあることくらい、本人にも分かってはいた。
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スペキュラムへ向かう旅には、今回もシャーレーン・ハララン男爵とアリーナが同行した。
ただし前回と違い、シャーレーンの顔には、これから大公へ何をどう説明すべきかと悩む者の憂鬱よりも、むしろ、ようやくこの案件を中央へ正式に引き渡せる、という安堵に近いものが混じっていた。
そのことにセラリスが気づいたのは、街道を南へ進む二日目のことだった。
「シャーレーン」
馬上で呼びかけると、老男爵が振り返った。
「何だね」
「なんか今回、前より元気じゃない?」
アリーナが横で、ぷっと吹き出した。
シャーレーンは姪を一度見てから、ゆっくりと答えた。
「セラリス」
「はい」
「アルゴスはダイムラクの竜だ」
「うん」
「私の領地ではない」
「あ」
「しかも、そのアルゴスの配下までヴァルザリオンに従うことになった」
「そうみたい」
「“そうみたい”ではない」
シャーレーンは、少しだけ声を強くした。
「これまで私は、ミスタメアがスレスホールドの近くにあるという理由で、ヴァルザリオンに関することを可能なかぎり自分の責任として扱ってきた。だが、もう無理だ」
そこには怒りというより、非常にまっとうな役人の諦念があった。
「竜の臣従関係が私の管轄を越えた。今後さらに広がるのだろう?」
「ヴァルはまだ他の竜に挑むって言ってる」
「そうだろうと思った」
シャーレーンは遠い目をした。
「そして再来年には牛百二十頭だ」
「最大でね」
「その言い方で小さくはならん」
アリーナが静かに付け加えた。
「叔父上、この前、農家から牧草地の拡張について相談が来ました」
「知っている」
「牛舎建築のための材木価格も上がり始めています」
「それも知っている」
「緑竜景気という言葉まで出ています」
シャーレーンは目を閉じた。
セラリスは申し訳なくなって、
「……ごめん」
と言った。
「謝るくらいなら、せめてこれ以上、私の知らないところで地域経済を動かさないでくれ」
「努力する」
「約束ではないのだな」
「だって何が起こるか分からないし」
「そこが困るのだ」
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大公宮へ通された三人を待っていたステファン・カラメイコスは、前回よりずっと多くの書類を机に積んでいた。
セラリスはその量を見ただけで嫌な予感がした。
一番上には、地図がある。
ミスタメア。
スレスホールド。
そこから東南へ延びる線。
ダイムラク。
さらに幾つかの小さな印。
どう見ても。
ヴァルザリオンの勢力についてまとめられたものだった。
「よく来てくれた」
ステファンはそう言って三人を座らせた。
声は穏やかである。
だが、その穏やかさは、怒っていないという意味ではあっても、話が軽いという意味ではなかった。
「まず」
大公は地図へ手を置いた。
「アルゴスについて聞こう」
セラリスは少しだけ身構えた。
「はい」
「ヴァルザリオンが倒した」
「はい」
「殺してはいない」
「はい」
「臣従させた」
「そう聞いてます」
「そしてアルゴスに従っていた竜たちも、ヴァルザリオンの下へ入った」
「みたいです」
ステファンは顔を上げた。
「その“みたいです”をやめてくれないか」
「私が決めたことじゃないので」
「分かっている」
ステファンは静かに言った。
「だが、ヴァルザリオンとまともに話のできる者が、そなたしかいないのだ」
「コボルドたちも話しますよ」
「国家の問題をコボルドの城番に訊くわけにはいかん」
「それはそうか」
シャーレーンが、ほんの少しだけ俯いた。
笑いを堪えたのかもしれない。
ステファンは次の書類を取った。
「そして、再来年の夏から秋にかけて」
嫌なところへ来た。
「牛を」
一度。
言葉を切る。
「百二十頭」
「最大で」
「その注釈は報告書にも書いてある」
「じゃあ良かった」
「良くはない」
大公は、ついに少しだけ額を押さえた。
「セラリス。私は一国の君主として、なぜ二年後のドラゴンの食事について百二十頭単位で畜産計画を考えなければならないのだ」
「用意しないと、お腹空かせて起きてくるから」
「それも報告書に書いてある」
「じゃあ分かってるでしょう?」
「分かっているから困っているのだ」
アリーナが口元を押さえた。
シャーレーンはもう隠そうともせず、深くため息をついた。
ステファンはしばらく黙り、やがて地図と書類を脇へ押しやった。
「セラリス」
「はい」
「一つ、率直に訊きたい」
「はい」
「お前は、自分が今、何をしていると思っている?」
質問の意味がよく分からず。
セラリスは考えた。
「冒険者を育ててる」
「それは知っている」
「ミスタメアを管理してる」
「それも知っている」
「ヴァルの面倒を見てる」
ステファンは。
そこで。
非常に疲れた顔をした。
「最後のそれを、国家の言葉では外交という」
セラリスは黙った。
「……外交?」
「そうだ」
「ヴァルと話してるだけだよ?」
「複数のドラゴンを従える竜王と話しているのだ」
「竜王っていうのは歌の題名だったんだけど」
「今は現実が歌に追いつき始めている」
反論できなかった。
ステファンは続ける。
「コボルドを雇った」
「うん」
「彼らの居住と労働を制度化した」
「そこまで大げさじゃないよ」
「近隣農家に農業指導を頼み、コボルドの耕作地を作った」
「畑くらい――」
「グリーンドラゴンと家畜売買の仕組みを作った」
「月一頭だけだよ」
「今度は百二十頭だ」
「だから最大で」
「そこはもうよい」
ステファンは片手を上げた。
「さらに冒険者を訓練し、ミスタメア周辺の危険を抑え、ヴァルザリオンに人間の集落を襲わせず、臣従した竜にもその約束を守らせようとしている」
セラリスは少し考えた。
「うん」
「それを全部やっている者の公的身分が」
ステファンは少し間を置いた。
「“スレスホールド近くに住んでいるエルフの冒険者”では、もう困るのだ」
その言葉には。
不思議な重さがあった。
セラリスは初めて、何を言われようとしているのか、少しだけ分かった。
「……爵位?」
嫌そうに尋ねると。
ステファンは首を振った。
「領主にするつもりはない」
セラリスは明らかにほっとした。
「よかった」
「そこまで嫌なのか」
「領地経営したくない」
「安心しろ。私もそなたに徴税や裁判を任せたいとは思っていない」
「ほんとに良かった」
シャーレーンが、ぼそりと言った。
「大公陛下にそこまで言わせる者も珍しい」
ステファンは苦笑した。
「私が考えているのは官職だ」
セラリスの顔がまた曇った。
「仕事増える?」
「増やすのではない」
ステファンは即答した。
「お前がすでに勝手に増やしている仕事に、名前をつける」
部屋に一瞬。
妙な沈黙が落ちた。
アリーナが。
小さく。
「その通りですね」
と言った。
「アリーナまで」
「だって本当でしょう?」
ステファンは、机の脇から別の羊皮紙を取り出した。
まだ正式な印は押されていない。
草案らしい。
「《ミスタメア守護官》」
セラリスが読み上げる。
「そうだ」
「何する人?」
「だから、今やっていることだ」
ステファンは一つずつ挙げていった。
ミスタメア城および訓練施設の管理。
周辺の危険な魔物についての報告。
冒険者訓練に関する監督。
城に居住するコボルドたちと地方行政との連絡。
ヴァルザリオン、ならびに彼に臣従するドラゴンとの公式な連絡窓口。
通常の地方行政はシャーレーンが行う。
だが、ドラゴンやミスタメアそのものに関する特殊案件は、セラリスが大公の認めた立場で扱う。
重大な問題があればシャーレーンを通じ。
必要ならスペキュラムへ直接報告する。
聞けば聞くほど。
確かに。
今とほとんど変わらない。
ただ。
今までは全部。
セラリス個人が。
何となく。
やっていた。
それを。
大公国が正式に認める。
「徴税は?」
「しない」
「裁判は?」
「しない」
「兵士を集めたり?」
「しない」
「じゃあ、ほんとに今と同じ?」
「ほぼな」
「それならいいかな」
セラリスがそう言うと。
シャーレーンが。
長い。
本当に長い息を吐いた。
「よかった……」
セラリスが驚く。
「そんなに?」
シャーレーンは彼女を見る。
「これからヴァルザリオンが何かするたび、私が『これは男爵の権限で処理してよいのか』と一人で悩まなくて済む」
アリーナも。
心底ほっとしたように。
「私も賛成です」
「そんなに迷惑かけてた?」
二人とも答えなかった。
その沈黙が。
答えだった。
*
話がまとまりかけたところで。
ステファンが。
ふと思い出したように言った。
「ところで」
「はい?」
「ヴァルザリオンは、まだ他の竜へ挑むのか」
セラリスは。
一瞬だけ。
答えない方がいいような気がした。
しかし。
嘘をつくわけにもいかない。
「……まだ財宝が足りないって」
ステファンは目を閉じた。
「そうか」
「来年の夏から秋くらいには、《知識の探求》に入るつもりみたい」
「長く眠るという、あれか」
「うん」
「そして再来年」
「起きる」
「そして牛を食う」
「たくさん」
「百二十頭」
「最大で」
ステファンは。
もうその言葉には反応しなかった。
「その後、昇華の儀式」
「そうなると思う」
しばらく。
誰も話さなかった。
やがて。
ステファンは、まだ印のない任命書を見た。
そして。
セラリスを見た。
「やはり必要だな。この官職は」
「そう?」
「来年には、長期休眠に入る竜王の警護と臣従竜の統制を考えねばならず」
指を一本。
「再来年には、百頭を超える牛を食わせ」
もう一本。
「その後には、さらに強くなったドラゴンと外交をしなければならん」
三本目。
「それを全部、お前がすでにやるつもりでいる」
セラリスは考えた。
「……まあ」
「なら役職を持て」
「はい」
ついに。
観念した。
/*/
数日後。
正式な任命書を持って。
セラリスはミスタメア城へ戻った。
城門では。
赤い腕章のコボルドが待っていた。
「セラリス帰った」
「ただいま」
「なんか貰った?」
「役職」
「何?」
「ミスタメア守護官」
コボルドは少し考えた。
「偉くなった?」
「たぶん」
「給料増える?」
セラリスは止まった。
「……聞いてない」
コボルドは。
心底不思議そうに言った。
「大事だぞ」
「そうだね」
城へ入りながら。
セラリスは任命書を見る。
大公直属・ミスタメア守護官 セラリス。
何とも。
自分には似合わない。
そう思った。
その時。
上空から大きな翼音がした。
ヴァルザリオンが降りてくる。
「セラリス」
「ただいま、ヴァル」
「話がある」
「なに?」
「南西にもう一頭、かなり財宝を持つ竜がいるらしい」
セラリスは。
任命書を見た。
それから。
ヴァルザリオンを見た。
そして。
非常にゆっくりと。
空を仰いだ。
「……任命初日なんだけど」
ヴァルザリオンは首を傾げた。
「何の話だ?」
セラリスは答えなかった。
ただ。
スペキュラムでステファンが言った、
お前がすでに勝手に増やしている仕事に、名前をつけるだけだ。
という言葉を思い出していた。
なるほど。
大公は思っていたより、ずっと正しかったのである。