セラリス・オブ・カラーリー ―赤箱世界冒険譚― 作:ぶーく・ぶくぶく
スレスホールドの門を出て、一行は最初の廃墟へと向かった。
距離にして三マイルほど。五キロにも満たない。
町から伸びる埃っぽい道の両側には畑が広がっている。夏の日差しは明るく、麦や野菜の葉が風に揺れ、農民たちは鍬を振るいながら通りかかった冒険者たちへ気軽に手を上げた。
「こんにちはー」
ダリヤが手を振れば、畑の老人も笑って手を振り返す。
どこからどう見ても平和だった。
少なくとも、ミハイルにはそう見えた。
だが。
セラリスだけは違った。
歩きながら道の左右を見る。
畑を見る。
遠くの林を見る。
時折、振り返って後方を見る。
そして――空を見る。
やたら空を見る。
「……セラリスさん」
「ん?」
「さっきから、なんでそんなに警戒してるんですか?」
ミハイルがとうとう尋ねた。
「ここ、町から出たばっかりですよね?」
「そうだね」
「農家の人も普通に仕事していますし」
「してるね」
「じゃあ、そんなに危なくないんじゃ……」
セラリスはまた空を見上げた。
青空には白い雲がいくつか浮かんでいるだけだ。
――安全な街道だから大丈夫。
そんな考えを、セラリスはまったく信用していなかった。
赤箱D&Dの世界で、そんな常識を信じるほど彼女は初心ではない。
ランダムエンカウンターという神の悪意を知っている女だからだ。
町のすぐ外だろうが、街道だろうが、農民が畑を耕していようが、出る時は出る。
そして、そういう時に限って洒落にならないものが出る。
「以前ね」
「はい」
「こういう『どう見ても安全な場所』を歩いてたら、上空からガーゴイルの群れに襲われたことがある」
三人の足が止まった。
「……ガーゴイル?」
「うん」
セラリスは何でもないことのように続けた。
「別の時はドラゴン」
「ドラゴン!?」
ヴァレリアが思わず声を上げた。
「その時は全滅した」
沈黙。
夏の虫の声だけが聞こえた。
ダリヤがおそるおそる尋ねる。
「……そんなこと、そうそう起きます?」
セラリスは少し考えた。
そして答えた。
「その時もそう思ってたよ」
三人が、一斉に空を見上げた。
セラリスは満足そうに頷いた。
「うん。覚えが早くてよろしい」
それから先、廃墟に着くまで。
四人全員が妙に空を気にしながら歩くことになった。
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廃墟が近づくにつれて、その全貌が少しずつ見えてきた。
かつて城か砦だったらしい外壁は半ば崩れ、あちこちに小さな穴が開いている。
東側には、崩落したものらしい大小の石塊がいくつも散らばっていた。
正面、外壁の中央には大きな門がある。
ただし、本来そこにあったはずの扉はない。
分厚く、頑丈に作られていたらしい二枚の木製扉は、とっくに蝶番から外れ、腐りかけた姿で門のすぐ近くに横たわっていた。
そこへ向かって、町から続いてきた道が瓦礫の間を縫うように伸びている。
どう見ても正面入口だった。
「おお」
ミハイルが廃墟を見上げた。
「いかにも冒険って感じですね」
「ほんとですね」
ヴァレリアも少し楽しそうだ。
ダリヤは正面の門と外壁を見比べていた。
「あっちからも入れそう」
左側の壁には、およそ十フィート――三メートルほどの大穴が開いている。
確かに、人間なら余裕で通れる。
正面の門。
左手の壁の穴。
入り口は二つ。
三人はどちらから入るべきか相談し始めた。
「普通に正面でいいんじゃない?」
「でも、こういう時は横の穴から入った方が安全だったりしません?」
「シーフとしては?」
「まだ何も調べてないから分からないよ」
実にのんきだった。
セラリスだけが黙って、地面に横たわる二枚の扉を見ていた。
知っている。
ここを知っている。
赤箱D&Dのチュートリアルダンジョン。
初心者にダンジョン探索というものを教えるために用意された、最初の冒険。
――なのだが。
セラリスの記憶にある限り、チュートリアルのくせに入口から殺意が高い。
正面の門をくぐろうとする。
その前に、地面へ落ちた扉のそばを通る。
そして、その扉の下には――。
キャリオンクローラー。
腐肉喰らい虫。
巨大な芋虫めいた怪物。
名前だけなら、いかにも死体を漁っているだけの雑魚モンスターに聞こえる。
だが実態は違う。
八本。
触手による、驚異の八回攻撃。
しかも麻痺。
ダメージそのものより、そちらが本命である。
一本でも当たれば動けなくなる。
前衛が麻痺する。
次が麻痺する。
後衛が慌てる。
そして気がつけば全員動けない。
あとは腐肉喰らい虫にとって、冒険者がこれから腐肉になるのを待つだけだ。
――食前酒代わりに置く敵じゃないだろ、これ。
セラリスは心の中で呟いた。
これまで、幾つの初心者パーティが。
「入口だ、入ろう」
そう言って何の疑いもなく近づき。
扉の下から飛び出したこいつに前衛を麻痺させられ。
助けようと近づいた仲間も麻痺させられ。
悲鳴を上げる間もなく全滅し。
最後には扉の下へ引きずり込まれていったことだろう。
幾多のパーティが、ここで消えたのだろうか。
しかもゲームなら、
「全滅した。じゃあ新しいキャラクターを作ろう」
で済む。
今は済まない。
目の前にいる三人はNPCではない。
死んだら終わりだ。
ミハイルが先頭に立った。
「じゃあ、とりあえず正面から――」
一歩。
セラリスの声が飛んだ。
「止まって」
三人がぴたりと止まった。
声の調子が、それまでとは違った。
ミハイルは反射的に足を引く。
ヴァレリアが盾へ手をかける。
ダリヤも、ようやくセラリスの視線の先を追った。
「……何かいます?」
小声で尋ねる。
「いる」
セラリスは答えた。
視線は、腐った扉から一瞬も外さない。
「どこです?」
「あの扉の下」
三人が見る。
何も見えない。
ただ腐った木の扉が、瓦礫の上に倒れているだけだ。
ミハイルが眉をひそめた。
「何も――」
「見えないように隠れてるんだよ」
セラリスは静かに言った。
そして杖を構える。
「ここからがダンジョンだと思って」
三人の表情から、さっきまでの遠足気分が少しだけ消えた。
セラリスはその変化を横目で確認する。
――さて。
初心者教育、第一問。
怪しい場所にいると分かっている怪物へ、わざわざ近づく必要はあるでしょうか。
答えはもちろん。
ない。