セラリス・オブ・カラーリー ―赤箱世界冒険譚― 作:ぶーく・ぶくぶく
ヴァレリアは、しばらくの間、ラハシアから預かった地図と、祭壇の向こうに広がる薄暗い空間とを見比べていた。
祠の中には、古い石造りの建物に特有の、ひんやりとした空気が満ちていた。長い年月の間に石の表面へ染み込んだ湿気が、外の秋風とはまた違った冷たさとなって肌へ伝わってくる。開け放たれた扉からは森の葉擦れの音がかすかに聞こえ、ときおり差し込む陽光が床に淡い模様を描いていたが、祭壇の奥だけは、まるでそこだけ時が止まってしまったかのように静まり返っていた。
ヴァレリアは地図の端を指で押さえ、もう一度、神殿の正面入口から奥へ続く通路を目で追った。
ラハシアが描いた地図は、決して十分なものではない。彼女が知っている範囲しか記されていないし、その先に何が待ち受けているのかは、実際に行ってみなければわからなかった。しかし、少なくとも正面から入った場合、どのような経路を通ることになるのかについては、ある程度の見通しが立てられる。
一方、目の前にある転移装置は、そのすべてを省略してしまう可能性を持っていた。
たった一歩で神殿の地下へ入り込める。
それは確かに魅力的だったが、同時に、自分たちを守ってくれるはずの地図を役に立たないものにしてしまうかもしれないのである。
ヴァレリアは、その両方を考えた。
神殿の内部には、ラヒブに操られているかもしれないシスワたちがいる。彼らは本来、コタ・フタンの人々と同じカラーリーのエルフであり、ラハシアにとっては幼い頃から知っている者たちなのだった。こちらへ襲いかかってくるからといって、最初から敵として斬り倒してよい相手ではない。
しかし、だからこそ戦闘は厄介だった。
相手を殺さずに無力化するということは、単に剣を振るわなければよいという話ではない。相手の動きを止め、その者が再び襲いかかってこないようにし、しかも負傷しているなら治療まで考えなければならない。そうしたことを繰り返していれば、こちらの手間も危険も増えるばかりだろう。
ならば、初めから戦わずに済む道を選ぶべきではないか。
そこまで考えたとき、ヴァレリアの中で、ようやく一つの結論が形を取った。
「……私は、非常口から入った方がよいと思います」
静かな声だった。
しかし、その言葉には、ただ先生の判断を求めていた頃の彼女にはなかった、はっきりとした意思が込められていた。
セラリスが顔を上げた。
「どうして?」
「できるだけ戦闘を避けたいからです。正面入口から入れば、当然、警備のシスワたちと遭遇する可能性が高くなります。ですが、こちらの転送路を使えば、相手が警戒していない場所から神殿へ入れるかもしれません」
ヴァレリアは、祭壇の向こうを見た。
「奇襲できるという利点を考えても、こちらを使う価値はあると思います」
セラリスは、すぐには答えなかった。
ただ、ヴァレリアの顔を見つめている。
以前の三人なら、その沈黙を不安に感じただろう。先生は自分の意見に反対なのではないか、どこか大切なことを見落としているのではないかと考え、正解を教えてもらおうとしていたに違いない。
しかし、今では違っていた。
セラリスがこうして黙っているときには、自分たちでもう少し考えてみなさいという意味があるのだと、三人とも理解するようになっていたのである。
ミハイルは腕を組み、しばらく地図を眺めた。
「俺も、ヴァレリアの意見に賛成だな」
「理由は?」
セラリスが尋ねた。
「正面から入っても、向こうに俺たちの存在を知らせるだけになるかもしれません。それに、もう相手は、何かが起きることを予想しているんじゃないでしょうか」
彼は祠の入口へ目を向けた。
扉の向こうには、秋の森が広がっている。その木々の間からは、灰色山の巨大な神殿が見えていた。山肌と一体になった石造りの壁面は、陽光の中でもどこか陰鬱な印象を与え、そこに住む者たちの様子をうかがい知ることはできなかった。
「昨日、コタ・フタンにはヴァルザリオンが降りたんですよね。あれだけ大きなドラゴンが村の上空へ現れたんですから、神殿の連中が気づいていないとは思えません」
「そうですね」
ヴァレリアが頷いた。
「しかも、ヴァルザリオンが人を運んできたことまで知られているかもしれません」
「俺たちが来たことも、ラヒブには伝わっている可能性が高いでしょうね」
ミハイルは、少し考えて続けた。
「だとすれば、向こうは正面入口から侵入してくると思って、見張りを増やしているかもしれない。そういう場所へ、わざわざ俺たちから近づく必要はないと思います」
ヴァレリアは、彼の言葉を聞いて、静かに微笑んだ。
「ええ。だからこそ、正面から来ると思わせておく価値があるのだと思います」
その言葉に、セラリスの口元が、ほんの少しだけ緩んだ。
それは、微笑んだというほど大きな変化ではなかった。
しかし、ダリヤは見逃さなかった。
「先生、今ちょっと笑いましたよね?」
「笑ってないよ」
「絶対笑いました。ヴァレリアの考えが当たってるからでしょう?」
「さあ、どうかな。続けて」
「……ごまかしましたね」
ダリヤは少し不満そうに口を尖らせたが、それ以上は追及しなかった。
セラリスが黙っているからといって、必ずしも三人の考えが正しいとは限らない。それでも、自分たちの意見を最後まで聞いてくれるということだけは確かだったし、何より、こうして相談している時間そのものが、彼女にとって大切な訓練なのだろうということも、今では何となくわかっていたのである。
ダリヤは腰の荷物へ手を伸ばし、巻いてある縄を少し持ち上げた。
「私も非常口に一票です」
「ダリヤはどうして?」
セラリスが尋ねた。
「縛るにしても、ロープに限りがありますからね」
ダリヤは、手にした縄を軽く揺らした。
「シスワが一人か二人なら、眠らせたり気絶させたりして、それから縛ることもできると思います。でも、正面入口から入って、次から次へと見張りが出てきたら、どうするんです?」
「うん。どうする?」
「全員縛って歩くなんて無理です。ロープがいくらあっても足りませんし、そもそも縛った人たちを連れて歩くわけにもいかないでしょう?」
ミハイルが、深く頷いた。
「確かに、戦うたびに捕虜が増えていくんじゃ、前へ進めなくなるな」
「そうなんですよ」
ダリヤは、少し身を乗り出した。
「それに、気絶させた人を、そのまま廊下に転がしておくのも嫌です。あとから別の見張りが来て起こすかもしれないし、目を覚ました人が後ろから追いかけてくるかもしれません。逆に、私たちが奥へ進んだあとで何か起きたら、その人を助けることもできないでしょう?」
そこまで話してから、彼女は少し眉を寄せた。
「……私たちが助けに来たせいで、その人たちが死んじゃったら、何のために来たのかわからなくなります」
ミハイルは、ダリヤを見た。
その言葉は、彼にとっても考えさせられるものだった。
戦士としての自分の役割は、襲いかかってくる敵を倒し、仲間を守ることだと思っていた。しかし、今回に限っては、その敵の中に、救わなければならない者たちが含まれているのである。
ただ強く剣を振るえばよいというわけではない。
むしろ、剣を振らずに済ませるためにはどうするべきかを考えなければならないというのだから、何とも難しい仕事だった。
だが、だからこそ、ダリヤの言葉には意味がある。
倒した相手をどうするかという問題は、戦いが終わったあとで考えればよいことではないのだ。
最初から、その先まで見通しておく必要があるのである。
「……なるほどな」
ミハイルは、少し感心したように頷いた。
「正面から入ると、奥へ行くまでに何度も戦うことになるかもしれない。そうなれば、そのたびに倒した相手をどうするか考えなければならなくなるわけか」
「そうです。しかも、私たちが探してるのは、シルヴァさんとメリサさん、それからラハシアさんのお父さんと婚約者の人でしょう? 見張りを全部倒すことが目的じゃないんですから、わざわざ戦う人数を増やす必要はないと思います」
その言葉を聞いて、ヴァレリアが静かに口を開いた。
「それなら、戦う人数そのものを減らすべきなのでしょうね」
「うん」
セラリスが、初めてはっきりと頷いた。
それだけのことだったが、三人の表情が少し明るくなった。
セラリスは、その様子を見て、内心で小さな満足を覚えていた。
なかなかよいところまで考えるようになったものである。
初めて冒険者の訓練を始めた頃の三人なら、戦いを避けるという発想そのものが、あまり得意ではなかっただろう。敵が現れたら戦うものだと考え、戦って勝つためにどうすればよいかを真剣に考えることはあっても、そもそも敵と遭遇しない道を選ぶという考え方には、なかなかたどり着けなかったのである。
それは、別に彼らが愚かだったからではない。
冒険者としての経験が浅ければ、目の前に現れた敵をどう倒すかという問題が、何より大きく感じられるものなのだ。自分が生き延びるだけで精いっぱいのうちは、戦いを避けた方がよいと頭では理解していても、実際にどうすれば避けられるのかまでは、なかなか考えが及ばない。
しかし、今では三人とも、戦いの前に考え始めている。
何のために神殿へ入るのか。
誰を助ける必要があるのか。
戦うことで何を失う可能性があり、戦わずに済ませることで何を得られるのか。
そうしたことを自分たちで考え、互いに意見を交わすようになっているのである。
セラリスには、それが何より嬉しかった。
もちろん、だからといって、三人の意見に問題がないわけではなかった。
「じゃあ、正面から入るんじゃなくて、見つからないように進むことを考えるんだね」
セラリスが言うと、ヴァレリアは頷いた。
「はい。非常口が神殿の地下へ続いているなら、ラヒブのいる場所や、囚われている方々のいる場所へ、正面からより近く出られる可能性もあると思います」
「逆の可能性もあるけどね」
セラリスは、穏やかに指摘した。
「地下へ入れたとしても、そこからどこへ進めばいいのかわからないでしょう? 正面入口からなら地図が使えるけど、地下はほとんど何もわかってないんだから、かえって遠回りになるかもしれないよ」
「それは、確かにそうですね」
ヴァレリアは、すぐに頷いた。
「それに、私がさっき見てきたときには、シスワらしい警備の者がいたんだよ。地下だから見張りがいないってわけじゃないし、私が眠らせた人が見つかってたら、もう警戒されてるかもしれない」
その言葉に、ダリヤは少し考え込んだ。
最初に転送路の存在を知ったときには、敵の知らない場所へ入り込めるのではないかと期待した。しかし、相手が神殿に住む者たちであり、その転送装置を普段から使っているのだとしたら、秘密の入口だと考えているのはこちらだけなのかもしれない。
実際には、敵の方がよほど詳しく知っている場所へ、こちらから飛び込むことになる可能性もあるのだ。
それでも、ミハイルは首を振らなかった。
「……それでも、俺は非常口から行く方がいいと思います」
セラリスが、彼の顔を見た。
「どうして?」
「危険なのは、どちらも同じだからです」
ミハイルは、少し言葉を選びながら続けた。
「正面入口から入れば、ある程度道はわかります。でも、向こうも俺たちが来ると思ってるでしょうし、待ち伏せされるかもしれない。それなら、地下へ出た方がいいと思います。もちろん、向こうに敵がいれば危険ですが、先生は一度行って戻ってこられたんですから、まったく何もわからないわけじゃありません」
「うん。そうだね」
「それに、地下へ出たからといって、すぐ奥まで行かなければならないわけじゃないでしょう? 危険だとわかったら戻ればいいし、転送路が使えることを確認してから、少しずつ調べればいいと思います」
セラリスは、ゆっくりと頷いた。
それは、彼女が聞きたかった答えに近かった。
未知の場所へ入ること自体が危険なのではない。
未知の場所へ入ってから、そこで何が起きても引き返せないような状況を作ってしまうことが危険なのである。
危険を完全に避けることなど、冒険者にはできない。
しかし、どのような危険を引き受けるのかを自分で考え、いざとなったら退けるように準備しておくことはできる。
それは、三人がこれから先、セラリスと離れて冒険を続けるようになったときにも、きっと必要になる考え方だった。
「じゃあ、非常口から行こうか」
セラリスがそう告げると、三人は顔を見合わせた。
ダリヤは少し得意そうに笑い、ミハイルはほっとしたように息を吐いた。ヴァレリアも穏やかに頷いたが、その表情には、自分たちで選んだ道の先に、まだ多くの危険が待ち受けていることへの緊張が残っていた。
もちろん、それでよかった。
自分たちの判断が受け入れられたからといって、危険そのものが消えてなくなるわけではないのである。
◇
方針が決まると、ダリヤはすぐに祭壇の横へ近づき、その向こうを覗き込んだ。
石像は相変わらず堂々と足を組んで座り、長い髭を垂らした顔には、何者にも屈したことがないとでもいうような、不敵な表情が浮かんでいた。その背後には、先ほどと何も変わらない石造りの床と、奥の小部屋へ続くらしい暗がりがある。
しかし、ダリヤはもう、その何もないように見える空間を信用してはいなかった。
床へ投げ込まれた石片が音もなく消え、セラリス自身もそこへ踏み込んで神殿の地下へ転送されたのである。
目に見えないものが、そこには確かに存在している。
そのことを知っているからこそ、彼女には、今まで以上に慎重になる必要があるように思われた。
「……先生、一つ問題があります」
「なに?」
「これ、向こう側へ一人ずつ出るんですよね?」
「たぶんね。少なくとも、私が行ったときは、あの部屋へ出たよ」
「じゃあ、最初に出る人は、かなり危なくないですか?」
ダリヤは、少し眉を寄せた。
「向こうに誰もいなければいいですけど、見張りが待ってたら、最初の一人はたった一人で囲まれちゃうでしょう? しかも、次の人がいつ出てくるかわからないんですから」
「うん。危ないね」
セラリスは、あっさりと答えた。
ダリヤは、思わず嫌そうな顔をした。
「……先生、そういうこと、もう少し心配そうに言ってくれません?」
「心配してるよ。だから、順番を考えようと思ってるんだ」
「本当ですか?」
「本当だよ」
セラリスは笑ったが、その金色の瞳には、既にこれから行うことを具体的に考え始めた者の落ち着きがあった。
ミハイルが、少し考えてから尋ねた。
「最初は、やっぱり先生ですか?」
「うん。そのつもり」
「また一人で行くんですか?」
「今度はすぐ後ろから来てもらうよ。さっきみたいに一人で何分も探索するわけじゃないから」
セラリスは、祭壇の向こうを指さした。
「私が先に行って、転送先に危険がないか確かめる。もちろん、向こうで誰かが待ち伏せしてる可能性もあるけど、最初に飛び込むなら、私が一番対処しやすいと思うんだ」
「……それは、そうでしょうけど」
ミハイルは、まだ少し納得しきれないようだった。
セラリスが強いことは、よく知っている。
自分たち三人が束になっても敵わないほどの武技と魔法を持ち、危険な状況へ陥っても、逃れるための方法をいくつも用意している。だからこそ、彼女が先頭へ立つという判断が合理的であることは、理解できた。
しかし、理解できることと、何の心配も感じないことは違った。
師であり、仲間でもある人物を、自分たちより危険な場所へ送り出すというのは、どうしても気持ちのよいものではないのである。
その表情を見て、セラリスは少しだけ声を和らげた。
「大丈夫。危ないと思ったら、すぐ戻るよ。無理に戦うつもりはないからね」
「……はい」
「それに、今回は順番も決めてあるんだ」
セラリスは三人を見回した。
「私が最初。その次がミハイルで、ヴァレリアが三番目。ダリヤは最後に来てね」
ダリヤが首を傾げた。
「私は最後ですか?」
「うん。途中で何か起きて、転送が止まっちゃったら困るでしょう? こっち側の仕掛けを調べられるのはダリヤなんだから、最後に残ってもらった方がいいと思うんだ」
「……ああ、なるほど」
ダリヤは、すぐに納得したようだった。
先頭で罠を調べることが、自分の仕事だと考えていたのである。しかし、今回の転送装置は普通の罠とは違い、使った者がどこへ行ったのかを、こちら側から確かめることができない。
もし途中で転送が止まってしまえば、向こう側へ行った者たちと、こちら側に残された者たちとが、分断されることになるだろう。
そのような状況になったとき、仕掛けを調べ、何とか復旧できないか考える役目は、確かに自分が引き受けた方がよいのかもしれなかった。
「じゃあ、最後がいいですね。もし何かあっても、私なら調べられますし」
「うん。でも、調べてもわからなかったら、無理にいじらないでね。どこへ飛ばされるかわからなくなったら、もっと困るから」
「わかってますよ。そんな危ないこと、いきなりしません」
ダリヤは、少し不満そうに答えた。
それを聞いて、ミハイルが小さく笑った。
「昔のお前なら、何か動かしてみたんじゃないか?」
「……昔の話はしないでください」
「いや、今だって時々、怪しいものを見ると触りたそうにしてるだろう」
「だから、ちゃんと我慢してるじゃないですか!」
ダリヤは口を尖らせたが、その声には、どこか照れくさそうな響きが混じっていた。
自分が以前より慎重になったことは、自分でもわかっている。
何か面白そうな仕掛けを見つければ、今でも触ってみたいと思うことはある。しかし、その好奇心のままに行動した結果、仲間が危険な目に遭うかもしれないということも、今では理解できるようになっていた。
だからこそ、彼女は以前の自分を思い出されることが、少々気恥ずかしかったのである。
セラリスは、そんな二人のやり取りを聞きながら、少しだけ笑った。
だが、すぐに表情を引き締めた。
「それから、向こうへ出たら、なるべく喋らないでね」
三人が顔を上げた。
「敵がいなくても、音がどこまで響くかわからないでしょう? 地下の通路って、思ったより遠くまで声が聞こえることがあるからね。合図は手で出すことにしよう」
「はい」
ヴァレリアが頷いた。
「では、誰かを発見した場合は、声を出さずに知らせるのですね」
「うん。敵がいたら、まず止まる。戦う必要があるかどうかを確かめてから動こう。無理に近づかないことも大事だからね」
「わかりました」
ミハイルも頷いた。
ダリヤは、腰の盗賊用具を確かめながら、セラリスの顔を見た。
「じゃあ、向こうへ出たら、私も勝手に先へ行かない方がいいですね」
「そうだね。部屋の中が安全だとわかってから、ダリヤに調べてもらいたいな」
「了解です」
ヴァレリアが、もう一つ気になっていたことを尋ねた。
「明かりはどうしますか?」
「最初は無しで行こう」
「真っ暗だったら?」
「私がさっき見た限りでは、向こうには少し明かりがあったよ。魔法の光なのか、普通の灯火なのかまでは確認してないけどね」
セラリスは、少し考えて続けた。
「だから、まずはそれで様子を見よう。足元も見えないくらい暗かったら、そのときに考えるよ」
ダリヤは、荷物に収めてある松明へ手を触れた。
「必要になるまでは、点けない方がよさそうですね」
「うん。こっちからわざわざ、ここにいますって教える必要はないでしょう?」
「そうですね」
ダリヤは頷いた。
松明は、暗い場所を探索するためには便利な道具だった。しかし、暗闇の中で火を灯せば、自分たちの位置を遠くから知らせてしまうことにもなる。
魔法による照明であっても、その点は変わらないだろう。
自分たちが何も見えなければ危険だが、相手からだけ見えているという状況も、決して望ましいものではなかった。
セラリスは、三人がそれぞれの装備を確認し始めたのを見て、ようやく祭壇へ目を向けた。
長い髭をたくわえた男の石像が、相変わらず堂々と足を組んで座っている。
その顔には、何ともいえない自信が満ちており、たとえ何百年、何千年が過ぎようとも、自分の威厳が失われることなど考えたこともないとでもいうような表情が刻まれていた。
ミハイルも、その像を見上げた。
「……しかし、非常口の目印にしては、ずいぶん堂々としていますね」
その言葉に、ダリヤが少し笑った。
「逃げる人にも威厳が必要だったんじゃないですか?」
「……そういうものなのか?」
「知りませんけど」
「お前なあ」
ミハイルが呆れたように答えると、ダリヤは肩をすくめた。
セラリスも、思わず笑ってしまった。
「まあ、隠してるようで隠してない仕掛けって、案外こういうものだよ。知らない人には、ただの祠にしか見えないでしょう?」
「確かに、普通は石像の裏に転移装置があるとは思いませんね」
ヴァレリアが頷いた。
「それに、祭壇の前へ来たとしても、わざわざ奥へ回り込まなければ、何も気づかずに帰ってしまうかもしれません」
「うん。そういう意味では、よくできてるよね」
セラリスは、改めて祭壇を眺めた。
これほど古い神殿に、どのような目的で転送装置が設けられたのか。
単に緊急時の脱出路として使われていたのか、それとも神殿の管理者たちが、人目を避けて出入りするための秘密の通路だったのか。
いずれにせよ、今ではその仕掛けが、神殿へ侵入しようとしている自分たちの役に立とうとしているのである。
それは、何とも皮肉な話だった。
だが、古い遺跡というものは、往々にしてそういう場所でもあった。
かつてそこを造った者たちの目的と、後の時代にその場所を訪れる者たちの目的とは、必ずしも一致するものではない。
しかも、何百年もの年月が過ぎれば、便利な仕掛けだったものが危険な罠となることもあれば、逆に、恐ろしい罠だったものが思いがけない抜け道になることもある。
それを見分けるためには、知識と経験が必要だった。
そして何より、目の前にあるものが、自分の考えているとおりのものだと、安易に決めつけないことが大切だったのである。
◇
セラリスは、三人の顔を順に見た。
ミハイルは剣と盾の位置を確かめ、ヴァレリアは聖印へそっと指を触れている。ダリヤは、盗賊用具の袋がすぐに取り出せる場所にあることを確認しながら、時折、祭壇の向こうへ目を向けていた。
三人とも、緊張していないわけではなかった。
これから向かうのは、ほとんど何もわかっていない神殿の地下である。
転送先に敵が待ち受けている可能性もあれば、先ほどは安全だった場所が、今では危険な場所へ変わっているかもしれない。しかも、そこにいる者たちは、できることなら殺さずに助けたい相手なのである。
普段の冒険よりも、考えなければならないことは多かった。
しかし、それでも三人は、自分たちで選んだ道へ進もうとしている。
セラリスは、そのことを頼もしく思った。
少し前までの三人なら、どちらの道を進めばよいのかと尋ねられても、なかなか答えを出せなかっただろう。まして、戦わずに済ませるために敵との遭遇そのものを減らそうなどという考えは、そう簡単には浮かばなかったに違いない。
だが、今では違う。
ミハイルは、戦う前に退路を考えるようになった。
ヴァレリアは、傷ついた者を癒やすだけでなく、そもそも誰も傷つかずに済む方法を探すようになった。
ダリヤは、罠を見つけることだけでなく、自分たちが助けるべき相手をどう守るのかまで考えるようになっている。
それは、どれも小さな変化だった。
しかし、そうした小さな変化が積み重なることでしか、本当の意味で生き延びる力は身につかないのだろう。
剣の腕が上がったからといって、必ず生き残れるわけではない。
魔法が強くなったからといって、どんな危険にも対処できるというものでもない。
むしろ、強くなればなるほど、その力をいつ使い、いつ使わずに済ませるかを判断することが、大切になってくるのである。
セラリスは、改めて三人へ声をかけた。
「じゃあ、もう一度だけ確認するね」
三人が顔を上げた。
「向こうでシスワに会っても、最初から斬りかからないこと。まず、話が通じるかどうかを確かめよう」
「はい」
「話が通じないなら、武器を落とさせるとか、眠らせるとか、動けなくするとか、そういう方法を考える。それでも駄目なら、いったん逃げてもいいんだよ」
ミハイルが、静かに頷いた。
「わかりました」
「それと、相手が操られてるかもしれないからって、自分たちが危険な目に遭っても我慢しなきゃいけないわけじゃないからね。無理に助けようとして死んじゃったら、意味がないでしょう?」
「はい」
「じゃあ、どうしても駄目だったら?」
セラリスが尋ねると、ミハイルは少し考えた。
そして、真面目な顔で答えた。
「そのときは、戦います」
「うん。それでいいよ」
セラリスは頷いた。
その返事に迷いはなかった。
戦わないことと、戦えないことは違う。
それは、彼女が三人へ何度も教えてきたことだった。
戦う力がなければ、相手に襲われたとき、逃げることさえ難しくなるかもしれない。しかし、十分に戦えるだけの力があれば、相手を殺さずに済ませる方法を考える余裕も生まれるのである。
もちろん、強いからといって、必ず相手を生かしておけるわけではない。
自分たちの命が危険にさらされたときには、相手へ致命的な一撃を加えなければならない場合もあるだろう。
だが、だからといって、最初からそれしか方法がないと決めつける必要はない。
選べるなら、殺さない方を選ぶ。
できるなら、戦わずに済ませる。
そして、どうしても戦わなければならないときには、迷わず仲間を守る。
その順番を、三人には覚えておいてほしかった。
セラリスは、腰に帯びたソーンウォッチの柄へ軽く手を置いた。
知性剣は、静かなままだった。
彼女の髪を束ねている細い紐には、《String of Lashing》の魔力が宿っている。必要になれば、相手を斬らずに動きを封じるための手段として使うこともできるだろう。
もちろん、それだけではない。
彼女には魔法がある。
敵の動きを止め、姿を隠し、危険から逃れるための方法も、いくつも用意している。
だが、そうした力のすべては、あくまで目的を果たすための手段にすぎなかった。
今回の目的は、神殿にいる者たちを片端から倒すことではない。
ラヒブの企みを明らかにし、囚われている者を見つけ出し、操られているかもしれないシスワたちを、可能な限り正気へ戻すことである。
シルヴァとメリサを探さなければならない。
ラハシアの父と婚約者も、まだ神殿の中にいるかもしれない。
そのほかにも、助けを必要としている者たちがいる可能性は十分にあった。
セラリスは、そうした者たちの顔を、まだ知らない。
しかし、ラハシアがどれほど彼らを案じていたのかは、既によくわかっていた。
美しい娘だった。
そして、今はその美しさが痛々しく感じられるほど、深い不安と悲しみの中にいた。
彼女がセラリスたちを見送ったときの、期待と恐怖の入り混じった眼差しが、まだ記憶に残っている。
できることなら、あの娘のもとへ、少しでも多くの者を連れて帰ってやりたかった。
そのために、今は慎重になる必要がある。
急ぐことは大切だったが、慌てて罠にかかってしまえば、助けるどころではなくなってしまうのだから。
「……じゃあ、行こうか」
セラリスは、静かに言った。
そして、エルブンクロークを身体へ引き寄せた。
柔らかな布が周囲の石壁の色合いに馴染み、その輪郭が、少しずつ見分けにくくなっていく。
完全に透明になったわけではない。
しかし、外套の持つ魔法の力によって姿を周囲へ溶け込ませ、さらに身の置き方や動きを工夫すれば、近くにいる者の目さえ欺くことができるのである。
セラリスは、一度三人へ振り返った。
「向こうへ出たら、まず動かずに様子を見てね。何かあったら、さっき決めたとおりにしよう」
三人が頷いた。
ミハイルは剣の柄へ手を置いたが、まだ抜こうとはしなかった。
今は戦うために行くのではない。
そのことを、自分自身へ言い聞かせているようだった。
ヴァレリアは聖印へ軽く触れ、短い祈りを胸の内で唱えた。
ダリヤは、もう一度だけ腰の荷物を確かめ、それから祭壇の奥へ目を向けた。
彼女の顔には、緊張と好奇心が入り混じっていた。
未知の場所へ向かうことは、確かに恐ろしい。
だが、その先に何があるのかを調べ、自分たちの力で道を見つけることには、彼女にとって抗いがたい魅力もあるのだった。
セラリスは、そんな三人の様子を見て、ほんの少しだけ微笑んだ。
「じゃあ、先に行くね」
彼女は祭壇の横へ回り込み、奥の暗がりへ足を進めた。
エルブンブーツのおかげで、足音はほとんどしなかった。
外套に包まれた姿も、石壁の陰へ入るとたちまち見分けにくくなり、三人の目には、ただ、祭壇の向こうへ柔らかな影が移動していくようにしか見えなかった。
そして、セラリスは転送の境界へ踏み込んだ。
何の音もしなかった。
魔法の光が閃くこともなければ、空気が揺らぐこともない。
ただ、そこにいたはずの彼女が、次の瞬間には、もう見えなくなっていたのである。
ミハイルは、しばらく祭壇の向こうを見つめていた。
彼には、先ほどセラリスの帰還を待っていたときのことが思い出された。
あのときは、どれほど待てばよいのかさえ決めておらず、ただ彼女が戻ってくることを信じるしかなかった。その無力さが、今でも少し胸に残っている。
しかし、今回は違う。
自分たちは、これから何をするのかを決めている。
誰が先に進み、誰が後に続き、向こうで敵と遭遇した場合にどう行動するのかも、事前に話し合ってあるのだ。
それでも危険がなくなったわけではないが、少なくとも、ただ先生の後ろについて歩くだけの頃とは違っていた。
ミハイルは、一度大きく息を吸った。
「……次は、俺だな」
ヴァレリアが、静かに頷いた。
「お気をつけて」
「ああ。向こうで待ってる」
ミハイルは剣の柄を確かめた。
抜く必要はない。
少なくとも、今はまだ。
彼はそう自分へ言い聞かせながら、祭壇の横を回った。
足元の石は古く、ところどころ摩耗していたが、特に不自然な仕掛けがあるようには見えなかった。もちろん、それだけで安全だと判断できるわけではない。しかし、セラリスが先に進んだ場所であり、彼女自身が一度通って戻ってきたという事実は、今のミハイルにとって十分な手掛かりだった。
彼は、目の前の何もない空間へ、一歩踏み出した。
次の瞬間、その姿が消えた。
ヴァレリアは、ほんのわずかに息を呑んだ。
仲間が転移するところを見るのは、初めてではない。
しかし、やはり慣れるものではなかった。
つい先ほどまで目の前にいた者が、何の前触れもなく姿を消すというのは、知識として魔法の存在を理解していても、どうしても不思議な感覚を覚えさせるものだったのである。
けれども、彼女は立ち止まらなかった。
セラリスが行き、ミハイルも続いた。
ならば、次は自分の番だった。
ヴァレリアは、聖印へもう一度だけ指を触れた。
そして、心の中で短く祈った。
どうか、仲間たちが無事でありますように。
どうか、神殿の中で苦しんでいる者たちを、助けることができますように。
その願いは、決して華々しいものではなかった。
しかし、今の彼女にとっては、どのような勇ましい言葉よりも切実な願いだったのである。
ヴァレリアは祭壇の横へ回り込み、ミハイルが消えた場所へ足を進めた。
そして彼女もまた、何の音も立てることなく、そこから姿を消した。
祠の中に残されたのは、ダリヤ一人になった。
◇
急に静かになった祠の中で、ダリヤはしばらく祭壇を眺めていた。
つい先ほどまで、そこには四人の冒険者がいたのである。
セラリスがいて、ミハイルがいて、ヴァレリアがいて、何だかんだと言い合いながら、どちらの道へ進むべきかを考えていた。
それが今では、自分一人になってしまった。
もちろん、三人が死んだわけでも、どこかへ逃げてしまったわけでもない。目の前の転送装置を使って、神殿の地下へ向かっただけなのである。
理屈としては、よくわかっていた。
しかし、人というものは、頭で理解していることを、必ずしも心まで同じように受け止められるとは限らないものだった。
何もない祠の中に一人残されてみると、ダリヤは、不思議なほど心細い気持ちになった。
もし、ここから先へ進んでも、誰もいなかったらどうしよう。
もし、セラリスたちが自分とは違う場所へ転送されていたら。
あるいは、向こう側で何かが起きて、自分だけが仲間たちと離れ離れになってしまったら。
そんな考えが、次々に浮かんできた。
以前のダリヤなら、きっと慌てていたことだろう。
あるいは、何も考えずに仲間たちのあとを追いかけ、どこへ出るのかもわからないまま、転送装置へ飛び込んでいたかもしれない。
しかし、今は違った。
不安を感じているということは、何かを考えなければならないということなのだ。
セラリスは、これまで何度もそう教えてきた。
怖いと思うのは、決して悪いことではない。
怖いからこそ、人は慎重になれるし、危険を避けるために考えることもできるのである。
ダリヤは、ゆっくりと息を吐いた。
自分は最後尾を任された。
それは、ただ一番後ろを歩けばよいという意味ではない。
途中で転送が止まってしまった場合に、こちら側の仕掛けを調べるという役目があるのだ。
だからこそ、先生は自分を最後にしたのだろう。
それなら、今はその役目を果たせばよい。
ダリヤは祭壇の横へ近づき、転送の境界があるはずの場所をもう一度確かめた。
床には、特に変わった様子はなかった。
石の継ぎ目も、壁の色合いも、先ほどと同じである。魔法の仕掛けが壊れたような気配もなく、何かが作動したことを示す痕跡さえ見当たらなかった。
もっとも、これが本当に正常な状態なのかどうかを、彼女が確かめることはできなかったが。
何しろ、魔法の転送装置そのものについては、まだ十分な知識がないのである。
罠を見つける技能は身につけてきた。
しかし、魔法によって作られた仕掛けとなれば、普通の機械仕掛けとは違うことも多い。床石を押せば矢が飛ぶような罠なら、その構造を推測できる場合もあるが、目に見えない空間の境界を越えるだけで別の場所へ移動するという仕掛けについては、どうしてもわからないことが多かった。
ダリヤは、それが少し悔しかった。
自分の仕事だと思っていたことでも、まだ知らないことがいくらでもある。
だが、それを知ったからといって、今さら冒険者をやめたいと思うわけではなかった。
むしろ、もっといろいろなことを覚えてみたいという気持ちの方が強かったのである。
セラリスのように、目の前で起きていることを落ち着いて考え、何が危険で、何が安全なのかを判断できるようになりたかった。
もちろん、先生ほど何でもできるようになるには、どれほどの時間が必要なのかわからない。
けれども、少なくとも今よりは、もっと役に立てるようになりたいと思っていた。
ダリヤは、そこでふと、祭壇の上の石像を見上げた。
長い髭をたくわえた男は、相変わらず堂々と足を組んで座っていた。
その顔には、いかにも自分が偉いのだという自信が満ちており、見れば見るほど、何となく腹立たしいほどだった。
「……非常口から侵入するなんて、なんだか変ですよね」
ダリヤは、思わず呟いた。
返事をする者はいなかった。
当然だった。
セラリスも、ミハイルも、ヴァレリアも、既に転送装置の向こうへ行ってしまっているのである。
祠の中には、森から吹き込む秋風がかすかに流れ、古い石の匂いだけが静かに漂っていた。
ダリヤは、少しだけ笑った。
そう考えてみれば、今回の冒険は、最初から奇妙なことばかりだった。
助けを求めてきた使者を連れ、グリーンドラゴンの背に乗ってコタ・フタンへ飛んできた。
そして、そこで神殿の地図を受け取り、囚われた者たちを助けるために山へ向かってみれば、今度は神殿の手前にある小さな祠で、地下へ続く転送装置を見つけたのである。
しかも、それを非常口ではないかと考え、その非常口から神殿へ侵入しようとしているのだから、なかなか普通の冒険ではなかった。
しかし、冒険者というものは、きっとこういう仕事なのだろう。
誰も知らない道を見つけ、何が待っているのかわからない場所へ踏み込み、危険を避けながら目的を果たす。
それは、少し前までのダリヤにとっては、ただ憧れるだけの世界だった。
だが、今では自分も、その中にいる。
ミハイルが前に立ち、ヴァレリアが祈りを捧げ、セラリスが全員を見守っている。
そして、自分には、罠を見つけ、隠された道を探し、仲間たちが無事に進めるようにする仕事がある。
そのことを考えたとき、ダリヤの胸には、不安とは別の、少し誇らしい気持ちが湧き上がってきた。
まだまだ未熟だということは、よくわかっている。
先生に教わらなければならないことも多いし、危険を前にして怖くなることだってある。
それでも、自分はもう、何も知らずに冒険者へ憧れていた頃の娘ではなかった。
少なくとも、仲間たちとともに危険な場所へ向かい、その中で自分にできることを考えられるようにはなっているのである。
ダリヤは、もう一度だけ祠の入口を振り返った。
外には秋の森が広がっていた。
木々の葉はところどころ色づき、午後の陽光が枝の間から柔らかく差し込んでいる。少し離れた場所には、灰色山の巨大な神殿が、相変わらず何も語らぬままそびえていた。
その姿を見ていると、これから自分たちが向かう場所が、決して気楽な冒険の舞台ではないことを、改めて思い知らされるようだった。
あの神殿のどこかに、シルヴァとメリサがいるかもしれない。
ラハシアの父と婚約者も、まだ生きているかもしれない。
そして、神殿を守っているシスワたちの中にも、助けを待っている者がいるのかもしれなかった。
そう考えると、ここで立ち止まっているわけにはいかなかった。
ダリヤは、腰の荷物へそっと手を触れた。
そこには、ラハシアから預かった二枚の似顔絵が、大切に収められている。
シルヴァとメリサ。
もう、ただの名前ではない。
顔を覚えた。
助けを求めていることも知っている。
ならば、探しに行かなければならないだろう。
「……まあ、正面から入るより、冒険者らしいか」
ダリヤは、小さく笑った。
そして、祭壇の横へ回り込んだ。
石像の背後には、相変わらず何もないように見える空間が広がっている。
けれども、その向こうには、既に三人の仲間がいるはずだった。
セラリスがいて、ミハイルがいて、ヴァレリアがいる。
自分たちは、四人でここまで来たのである。
そして、四人で帰るつもりだった。
もちろん、そのときには、できるだけ多くの者たちを一緒に連れて帰りたいと思っていた。
ダリヤは、ゆっくりと息を吸った。
怖くないわけではない。
しかし、それ以上に、仲間たちのところへ早く行かなければならないという気持ちが強かった。
彼女は、いつものように慎重に足元を確かめ、目の前の空間へ一歩踏み出した。
そして、何の音も立てることなく、その姿が消えた。
あとには、長い髭をたくわえた男の石像だけが残された。
石像は、何事もなかったかのように、堂々と足を組んで座っている。
その背後で四人の冒険者が次々に姿を消したことなど、初めから知らなかったとでもいうように、古い祠の中には再び静けさが戻っていた。
外では秋の風が森を渡り、灰色山の巨大な神殿は、相変わらず山腹へ深く食い込むようにしてそびえている。
しかし、その神殿の地下には今、四人の冒険者が入り込もうとしていた。
ラヒブに操られているかもしれないシスワたちを殺さずに済ませ、囚われている者たちを助け出すために、彼らは正面入口ではなく、誰もが見過ごしてしまいそうな小さな祠の転送路を選んだのである。
それは、決して安全が保証された道ではなかった。
むしろ、先に何が待っているのかわからないという意味では、正面から進むよりも危険な選択だったかもしれない。
それでも、彼らは自分たちで考え、その道を選んだ。
戦わずに済む可能性を求め、助けられる者を一人でも多く連れて帰るために、あえて未知の場所へ踏み込むことにしたのである。
そして、セラリスはその判断を認めた。
彼らがいつまでも、自分の後ろについて歩くだけの冒険者でいては困るからだった。
いつの日か、彼女がいなくても危険を見抜き、仲間を守り、必要なときには戦い、必要でなければ剣を抜かずに済ませることのできる冒険者になってほしかった。
その願いは、まだ完全に叶えられたわけではない。
しかし、少なくとも今、三人は自分たちで選んだ道へ進もうとしている。
セラリスが彼らに教えてきたことは、少しずつではあるが、確かに実を結び始めていたのである。
そして四人の冒険者たちは、誰にも知られることなく、灰色山の古い神殿、その地下へと足を踏み入れていったのだった。