セラリス・オブ・カラーリー ―赤箱世界冒険譚― 作:ぶーく・ぶくぶく
牢獄の最も奥まったところにある扉は、これまで調べてきたものより、さらに古びていた。
厚い板材を横切る鉄帯には赤黒い錆が浮き、長い年月のあいだ湿気を吸い込んできた木材は、もはや元の色を失っている。扉の上部には、ほかの牢と同じように鉄格子を嵌め込んだ小さな覗き窓が設けられていたが、その向こうにはほとんど光が届かず、ダリヤが目を凝らしても、石壁の一部と、その手前に横たわる得体の知れぬ影が、ようやく見分けられる程度だった。
廊下の空気は冷たく、何とも言えない湿り気を帯びていた。それでも、この扉の隙間から漂ってくるものには、それまでの牢とは少し違う、長く閉ざされていた場所に特有の淀みが感じられた。扉の向こうには、生きた者たちの日常とは縁を切られた、暗く静かな時間だけが積み重なっているようだった。
ダリヤは鍵束を取り出すと、錠前の大きさを確かめ、合いそうな鍵から順に試し始めた。
最初の鍵は、途中までしか入らなかった。二本目は奥まで差し込めたものの回らず、三本目も、四本目も、似たような結果に終わった。錆びた錠前を壊してしまわないよう力を加減しながら、彼女は辛抱強く鍵を選び直していったが、五本目を抜いたあたりから、その表情には次第に焦りが滲み始めていた。
すぐ背後にはハサリアンが立っている。
彼は何も言わなかったが、その沈黙が、かえってダリヤには重く感じられた。
つい先ほどまで、ハサリアンはこの牢の向こうに義父が生きているのではないかと願っていた。今ではラヒブの言葉によって、既に命を奪われていることを知らされている。それでもなお、何かの間違いであってほしいという思いを捨てきれずにいるのかもしれない。
ダリヤには、その気持ちが痛いほど伝わってくるようだった。
鍵が合わないからといって、扉を壊そうなどとは考えなかった。時間がかかっても、確実に開けなければならない。今、自分にできるのはそれだけなのだから。
六本目も違った。
そして七本目を差し込んだとき、ようやく手応えが変わった。
古びた金属同士が噛み合う、鈍い感触が指先へ伝わってきたのである。
「……これです」
ダリヤは、小さく言った。
慎重に力を加えると、長く使われていなかったらしい錠前の内部で、何かが軋むような音を立てた。鍵は途中で一度止まったが、力を緩めてから改めて回すと、重い閂が外れる音が、廊下の静寂へ不気味なほどはっきり響いた。
誰も、すぐには動かなかった。
ミハイルは、ラヒブの拘束を確かめてから扉の前へ進み、ハサリアンへ一度だけ目を向けた。男は青ざめた顔で頷いたが、その唇は固く結ばれ、今にも何かを言い出しそうでいて、結局何も言えずにいる。
セラリスは、静かに口を開いた。
「……開けるよ」
ダリヤが扉を押した。
古い蝶番が低く軋み、厚い木の扉がゆっくりと内側へ開いていった。隙間から流れ出してきたのは、湿った石と古い埃の匂いだったが、その底には、長く放置されたものが朽ちていく、何とも陰鬱な気配が混じっていた。
部屋の中には、白骨が散乱していた。
幾つあるのか、すぐには数えられなかった。
あるものは壁際へ崩れるように積み重なり、あるものは床の中央に散らばり、また別のものは、かつて身につけていた衣服の残滓とともに、冷たい石床へ横たわっている。頭蓋骨だけが転がっているものもあれば、手足の骨が不自然な位置へ散っているものもあり、この牢が長い年月のあいだ、どれほど多くの命を呑み込んできたのか、想像することさえためらわれた。
骨の形からして人間のものも、エルフのものも含まれているのかもしれなかったが、今となっては、その違いを容易に見分けることなどできなかった。
ただ、確かなことが一つあった。
ここに横たわる者たちは、もう何も語らない。
誰が、どのような理由で捕らえられ、何を思いながらこの暗い牢で命を落としたのか。その答えを知る者が、今もどこかにいるのかどうかさえわからなかった。
ヴァレリアは、その光景を目にした瞬間、思わず胸元の聖印へ手を触れた。
彼女の顔には、深い悲しみが浮かんでいた。
ここで死んだ者たちが、どのような罪を犯した者だったのか、あるいは何の罪もないまま閉じ込められた者たちだったのかは、まだわからない。しかし、少なくとも、これほど多くの遺骸が誰にも葬られぬまま残されているという事実は、聖職者である彼女にとって、容易に受け入れられるものではなかった。
それでも、今は祈りを捧げるために立ち止まっている場合ではなかった。
なぜなら、古い白骨の中に、ただ一人だけ、明らかに様子の異なる者が横たわっていたからである。
まだ新しい衣服をまとった、エルフの男だった。
周囲に散らばる白骨とは違い、その身体は死後間もない状態を保っていた。衣服には多少の乱れがあったものの、長年放置されたものではなく、ほんの数日前まで、生きた者が身につけていたことを思わせる姿だった。
その男を見た瞬間、ハサリアンの足が止まった。
「……義父上」
声は、あまりにも小さかった。
自分の耳にさえ届かせることをためらっているような、かすかな呼びかけだった。
返事はない。
もとより、返事を期待できる状況ではなかったはずである。
ラヒブは既に、彼を殺したことを認めている。ハサリアン自身も、その事実を聞き、悲しみに打ちのめされながら、それでも蘇生の可能性があるというセラリスの言葉に、かすかな希望を見いだしてここまで来たのだった。
しかし、頭で理解していることと、実際にその姿を目にすることとは、まったく別のことだった。
ハサリアンは、ゆっくりと牢の中へ足を踏み入れた。
一歩進み、また一歩進む。
床に散らばる白骨を踏まぬよう注意しながら、彼は義父のもとへ歩いていった。最後の数歩は、ほとんど足を引きずるようだった。
そして、横たわる男の顔を見た瞬間、何かに打たれたように膝を折った。
「……ああ」
それは、言葉にもならない声だった。
老いたエルフではなかった。
人間から見れば年齢を推し量りにくい顔立ちではあったが、そこには長年にわたって培われた威厳があり、眉の形にも、引き締まった口元にも、ハサリアンがよく知る面影が残されていた。
ラハシアの父。
彼女を育て、守り、ハサリアンとの結婚を認め、二人の将来を案じてきた男だった。
その男が今、冷たい石床の上へ横たわっている。
もはや何も語らず、二度と自分の力では立ち上がることのない身体となって。
ハサリアンは、震える手を伸ばした。
しかし、すぐには触れられなかった。
その顔を見れば、もう間違いようがない。
これが義父なのだ。
そう理解した瞬間、胸の奥で何かが崩れ落ちるような感覚に襲われ、彼はただ、その亡骸を見つめることしかできなかったのである。
そして、セラリスたちもまた、男の姿を見た瞬間、別の意味で息を呑んでいた。
その服装だった。
旅にも儀礼にも用いることのできる、上質な外套。
カラーリーの年長者らしい、落ち着いた仕立ての衣服。
そして何より、その顔立ち。
セラリスは、瞑想室で見た一人の亡霊を思い出した。
森と山を描いた古いフレスコ画の前に現れた、長身のエルフの男。
刺し通すように鋭い眼差しを持ちながら、そこには何とも言えない優しさが宿っていた。
ラヒブの手によって自分は朽ち果てたと語り、ラハシアの悲しみが自分を深く苦しめると告げた、あの亡霊だった。
「……あの人だ」
ダリヤが、ほとんど息だけで囁いた。
ヴァレリアは、黙って頷いた。
ミハイルも、すぐには口を開かなかった。
つい先ほどまで、正体のわからぬ亡霊として目の前に現れ、いくつもの手掛かりを与えて消えていった男が、今、冷たい石床の上へ横たわっているのである。
ようやく、すべてがつながった。
あの亡霊は、ラハシアの父だったのだ。
娘の悲しみを深く案じ、自分が死んだあともなお、その苦しみから離れられずにいた男だった。
そして、自分には果たせなかった願いを、神殿へ現れたセラリスたちに託そうとしていたのである。
セラリスは、胸の奥が締めつけられるのを感じた。
あのとき、男が最後に見せた微笑みを思い出したからだった。
深い悲しみの中に、かすかな安堵を宿した笑み。
ようやく誰かへ役目を託すことができた者のような、静かで寂しい微笑みだった。
なるほど、と思った。
あれは、娘を案じる父親の顔だったのだ。
その事実を知った今になってみれば、どうして気づかなかったのかとさえ思われる。しかし、目の前にいるハサリアンは、まだそのことを知らなかった。
彼は亡霊を見ていない。
神殿の瞑想室で、義父が自分たちへ語りかけていたことも、その言葉が何を意味していたのかも、まだ何一つ知らないのである。
セラリスは、口を開きかけた。
しかし、すぐには何も言えなかった。
今のハサリアンへ、そのことまで告げるべきなのだろうか。
義父は死んでいた。
しかし、娘を案じる思いは消えておらず、亡霊となってまで救いを求めていた。
その事実は、彼にとって慰めになるのかもしれない。
だが、もし蘇生が間に合うのなら、すべては生き返った本人から語ってもらう方がよいのではないか。
セラリスは、そう思った。
何より、今は悲しみを語り合うために来たのではない。
まだ、できることがあるかもしれないのだ。
◇
「……申し訳ありません」
ハサリアンが、掠れた声で言った。
彼は義父の亡骸のそばへ座り込み、震える指先で衣服へ触れていた。上質な布地にはまだ生前の形が残されていたが、その下にある身体からは、既に生命の温かさが失われている。
「私が……もっと早く来ていれば……」
その言葉には、どうしようもない悔恨が込められていた。
義父が神殿へ向かうと言い出したとき、もっと強く止めるべきだったのではないか。自分が代わりに行くと言えばよかったのではないか。あるいは、行くことを止められなかったとしても、一緒について行けば、何か違った結果になったのではないか。
今となっては、どれほど考えても答えの出ないことだった。
しかし、死者の前に残された者は、ときとして、そうした答えのない問いから逃れられなくなるものなのだろう。
ハサリアンは、うなだれた。
「……私は、何もできなかった」
その声を聞いて、ヴァレリアの顔に深い悲しみが浮かんだ。
彼女は何か言おうとしたが、言葉を選びきれず、口を閉じた。
慰めることはできる。
あなたのせいではないと言うこともできるだろう。
しかし、今のハサリアンが求めているのは、そんな言葉ではないように思われた。
彼は、義父の亡骸を前にして、何かを悔やまずにはいられないのである。
その悲しみを、簡単な言葉で片づけてよいはずがなかった。
「……ハサリアン」
セラリスが、静かに呼んだ。
彼は、ゆっくりと顔を上げた。
目には涙が浮かんでいたが、それを拭おうともしていなかった。
「少し、見せてもらっていい?」
ハサリアンは、彼女を見つめた。
ほんの一瞬、ためらいが浮かんだ。
亡骸へ触れられることを拒みたかったのかもしれない。
あるいは、今こうして義父のそばへ座っている時間を、誰にも邪魔されたくなかったのかもしれなかった。
しかし、セラリスが何のためにここへ来たのかを思い出したのだろう。
ハサリアンは、やがて小さく頷き、場所を譲った。
「……頼む」
その短い言葉を聞いて、セラリスは亡骸のそばへ膝をついた。
彼女の表情が、変わった。
悲しみが消えたわけではない。
しかし、今はそれを胸の奥へ押し留め、目の前にあるものを一つずつ確かめようとしていたのである。
まず、顔を調べた。
次いで首筋と両腕を確かめ、手足の状態を見た。
衣服に覆われた胴体についても、必要な範囲で布をずらし、傷の有無を慎重に確認していく。
その動きは、ひどく落ち着いていた。
ハサリアンには、それが少し奇妙に感じられた。
彼は、義父が殺されたという事実に打ちのめされ、何を考えればよいのかさえわからなくなっていた。しかしセラリスは、亡骸の前で悲嘆に暮れるのではなく、まるで重傷者を診るときのように、身体の状態を順番に調べているのである。
もちろん、死者を蘇らせる可能性があると聞かされてはいた。
だが、その言葉をどこまで信じてよいのかは、まだわからなかった。
彼はただ、セラリスの手元を見つめていた。
やがて、死因は明らかになった。
胸だった。
心臓の位置を、一度だけ正確に刺し貫かれている。
刃物による傷は鋭く、致命的だった。
しかし、それ以外には、目立った損傷がほとんどなかった。
何度も斬りつけられた形跡はない。
手足も揃っている。
火傷や腐食によって身体が大きく損なわれた様子もなく、死後に遺体を切り刻まれたり、故意に損壊されたりした形跡も見当たらなかった。
セラリスは、もう一度胸の傷を確かめた。
そして、ようやく小さく息を吐いた。
「……よかった」
ハサリアンが顔を上げた。
「……よかった?」
その声には、驚きと怒りが混じっていた。
無理もないことだった。
義父の亡骸を前にして、またしてもよかったと言われたのである。
ラヒブから死後三日も経っていないと聞かされたときにも、セラリスは同じ言葉を口にしていた。
だが、今度は死体を実際に調べている最中なのだ。
何がよいというのだろう。
心臓を刺されて死んだことが、よいとでもいうのだろうか。
しかし、セラリスはハサリアンの怒りを気にする様子もなく、傷の位置をもう一度確かめた。
「大きな欠損がないんだよ。余計な傷もほとんどないし、身体もちゃんと残ってる」
ヴァレリアが、そこで意味を悟ったらしく顔を上げた。
「……身体が、ほぼ完全な状態を保っているのですね」
「うん」
セラリスは頷いた。
「心臓を一突きされてるけど、それ以外はほとんど傷ついてない。死因もはっきりしてるし、身体が大きく損なわれてるわけでもないんだ」
ヴァレリアは、改めて亡骸を見た。
高位の神聖魔法によって死者を蘇らせる場合、死後の経過時間や身体の状態が重要になることは、彼女も知識として学んでいた。どのような状態の死者にも、無条件で生命を取り戻させられるわけではないのである。
そして、目の前の亡骸は、少なくとも身体の状態という点では、大きな障害が見当たらないようだった。
それが、セラリスの言うよかったという言葉の意味なのだろう。
ハサリアンは、二人を交互に見た。
「……それが、どうしたというのだ」
声は、ひどく弱かった。
セラリスは、ようやく顔を上げた。
「これなら、アリーナに頼めば《死者復活》が間に合うと思う」
牢の中が、静まり返った。
古い白骨に囲まれた石室の中で、誰もすぐには動かなかった。
ダリヤは、思わずセラリスを見た。
ミハイルも息を呑み、ベイクは何を聞いたのかわからないというように、眉を寄せている。
そしてハサリアンは、まるで目の前の世界そのものが突然変わってしまったかのように、表情を失っていた。
「……何?」
ようやく、声が出た。
セラリスは、落ち着いて答えた。
「ラヒブが、殺してからまだ三日も経ってないって言ったでしょう? それなら時間の条件も、たぶん大丈夫だと思うんだ。身体もこの状態なら、蘇生を試せる可能性が高いよ」
「……待ってくれ」
ハサリアンは、立ち上がりかけた。
しかし、長い拘禁によって弱っている身体は思うように動かず、結局、片手を床へついて姿勢を支えることになった。
「あなたは……何を言っている」
セラリスは、少し首を傾げた。
「生き返らせられるかもしれないって言ってるんだよ」
あまりにも平然とした言い方だった。
重い病気を治療できるかもしれないと説明するような、あるいは傷口を縫い合わせれば助かるかもしれないと告げるような、ごく自然な口調だったのである。
ハサリアンは、言葉を失った。
「……死んでいるのだぞ」
「うん」
「義父は、死んでいるんだ」
「だから、《死者復活》なんだけど」
セラリスは、ごく当然のことを説明したつもりだった。
しかし、ダリヤは、そこで思わず口を挟んだ。
「……先生、それ、普通の人には説明になってません」
「え?」
「普通は、死んだ人を見て、三日ならまだ間に合うとか、身体がちゃんと残ってるからよかったとか、そういうふうには考えないんですよ」
セラリスは、少し考えた。
そして、ようやく納得したように頷いた。
「ああ……そうか」
死者を蘇らせる魔法が存在することと、それを現実に使える手段として考えることができることは、まったく別の話だった。
高位の聖職者がいる土地ならともかく、普通の村に暮らす者にとって、死はやはり取り返しのつかないものなのだろう。遠い国の偉大な神官が奇跡を起こしたという話を聞いたとしても、それを自分たちの日常の延長として考えることなど、簡単にはできない。
まして、今目の前にいるのは、義父を失ったばかりの男である。
セラリスは、少しだけ表情を改めた。
「ハサリアン、絶対に大丈夫だとは言わないよ」
その声には、先ほどまでとは違う慎重さがあった。
「でも、《死者復活》っていう魔法があるんだ。アリーナなら使えるし、私もお願いできる。だから、時間が間に合って、ほかに問題がなければ、あなたのお義父さんを蘇らせられる可能性があるんだよ」
ハサリアンは、セラリスを見つめた。
その瞳に、ゆっくりと何かが戻ってきた。
それは喜びではなかった。
喜ぶには、まだあまりにも恐ろしかった。
彼は、たった今、義父の亡骸を目にしたのである。もう二度と話すことはできないと、そう思い込もうとしていた。希望など持たない方が、これ以上傷つかずに済むのではないかとさえ考えていた。
その矢先に、もう一度生き返るかもしれないと言われたのだった。
信じたい。
しかし、信じてよいのだろうか。
その二つの思いが、彼の胸の中で激しくぶつかり合っていた。
「……アリーナという方は」
ハサリアンは、掠れた声で尋ねた。
「本当に、その魔法を……?」
「うん。高位の聖職者だよ。私もよく知ってる人だから、頼んでみるつもり」
セラリスは、はっきりと答えた。
「だから、できるだけ早く運ぼう。こういうのは、時間を無駄にしない方がいいんだ」
ハサリアンは、ゆっくりと義父の亡骸へ顔を向けた。
その顔は、先ほどと変わっていない。
生命の温もりを失い、何も語らず、冷たい石床へ横たわっている。
しかし、今の彼には、その姿がほんの少し違って見えていた。
これが、永遠の別れとは限らない。
まだ、もう一度声を聞けるかもしれない。
ラハシアとともに、父の帰りを喜ぶことができるかもしれない。
その可能性が、今、目の前にあるのだという。
ハサリアンは、震える唇を開いた。
「……頼む」
それだけ言うのが、精いっぱいだった。
彼は、一度目を閉じた。
それから、まるで胸の奥に残っている力をすべて振り絞るように、もう一度言った。
「頼む。何でもする。だから……どうか……」
最後まで言えなかった。
声が震え、言葉が途切れたのである。
セラリスは、そんな彼を見つめてから、小さく首を振った。
「何でもしなくていいよ」
そして、少しだけ笑った。
「間に合わせよう」
その言葉だけは、強かった。
必ず生き返ると約束したわけではない。
奇跡が成功することを保証したわけでもなかった。
しかし、今自分たちにできることを、必ずやり遂げようという意思だけは、そこにはっきりと込められていた。
ハサリアンは、深く頭を下げた。
その肩が震えていた。
ヴァレリアは、何も言わず、そのそばへ膝をついた。
彼女もまた、セラリスの決断を支えるつもりだった。
命を取り戻すことができるのなら、それは何より大きな救いになるだろう。
そして、その可能性がわずかでも残されているのなら、何もしないまま諦めることなど、今の彼女には考えられなかったのである。
◇
セラリスは、亡骸の状態をもう一度確かめると、静かに立ち上がった。
いつまでも、この冷たい牢の中へ留まっているわけにはいかなかった。ラヒブの言葉が正しければ、死後三日も経過していないということになるが、だからといって、まだ十分に余裕があるとは限らないのである。正確な死亡時刻はわからず、遺体がどのような環境へ置かれていたのかについても、今わかっていることは限られている。そうした不確かな条件がある以上、できるだけ早くアリーナのもとへ運ぶことが、何より重要だった。
「……一旦、村へ戻ろう」
彼女がそう言うと、ミハイルが顔を上げた。
「コタ・フタンへ、ですか?」
「うん。まずはここから安全なところへ出たい。それから、アリーナにお願いするための手配をするよ。時間が惜しいから、なるべく早く移動したいんだ」
ミハイルは、床へ横たわる亡骸へ目を向けた。
「……遺体を運ぶんですね」
「もちろん。ここへ置いていくわけにはいかないでしょう?」
「それはそうですが、山の中を運ぶとなると……」
彼は、少し考え込んだ。
亡骸を丁寧に運ぶためには、それなりの準備が必要になるだろう。人一人を担いで山道を歩くことは、ミハイルの力なら決して難しくない。しかし、それを何時間も続けながら、神殿の中に潜む敵や罠へ対処するとなると、話は違ってくる。
しかも、彼らにはハサリアンとベイクが同行しており、捕らえたラヒブも連れて帰らなければならないのである。
その人数で山道を歩くなら、時間がかかることは避けられそうになかった。
ミハイルは、少し困ったように眉を寄せた。
しかし、セラリスはあまり心配していない様子だった。
「歩いて運ぶと時間がかかるから、ヴァルを呼ぼうと思うんだ」
その言葉に、ダリヤは納得したように頷いた。
「ああ、なるほど。そうですね。ヴァルザリオンに来てもらえるなら、ずっと早いですし」
「うん。ただ、今度は人数が増えてるからね。遺体もあるし、ラヒブも逃がせないから、運び方はちゃんと考えないといけないけど」
ミハイルも頷いた。
ミスタメアからコタ・フタンへ来たときには、セラリスたち四人と使者の五人が、ヴァルザリオンの背に乗せてもらったのである。それでも若き緑竜王は、人数が多いことについて少々不満を漏らしていたのだった。
今では、人数がさらに増えている。
しかも、眠っているわけでもないラヒブを、安全に拘束したまま運ばなければならない。
単純に人数を数えるだけでは済まないだろう。
だが、空を飛んで移動できるという利点は、あまりにも大きかった。
地上では越えるだけで何時間もかかる山や森を、ヴァルザリオンなら短い時間で飛び越えてしまう。あのとき恐ろしい思いをした使者でさえ、その速さだけは認めざるを得なかったほどなのだ。
まして、今度は一刻を争う事情がある。
竜の助けを借りられるのであれば、利用しない理由はなかった。
ところが、その話を聞いていたベイクだけは、何とも怪訝そうな顔をしていた。
「……ヴァル?」
彼は、少し首を傾げた。
「誰だ、それ」
三人が、ほとんど同時に彼を見た。
ベイクは、ますます不思議そうになった。
「何だ。何かおかしいことを言ったか?」
ダリヤが、ようやく事情を思い出したらしく、小さく「ああ」と声を漏らした。
「……そういえば、ベイクさんは知らないんでしたね」
「だから、何をだ?」
「ヴァルザリオンですよ」
ベイクは、しばらく考えた。
しかし、その名に心当たりはなかったらしい。
「……だから、誰なんだ?」
彼の口調には、少しばかり苛立ちが混じっていた。
話を聞いていると、どうやらそのヴァルザリオンという人物が、彼らをここから運び出してくれるらしい。しかも、山道を歩くより遥かに早く移動できるというのである。
ならば、相当に優れた移動手段を持つ者なのだろう。
しかし、それが誰なのかについては、まるで説明がない。
ベイクはイラルアムから来た旅人であり、ミスタメアの噂にも、コタ・フタンへ竜が降り立ったことにも通じていなかった。彼にしてみれば、皆が当然のように知っているらしい名前を、突然聞かされただけなのである。
セラリスは、そんな彼を見て、少し不思議そうに首を傾げた。
「友達だよ」
ベイクは、しばらく黙っていた。
説明が続くものと思って待っていたのである。
しかし、セラリスはそれ以上何も言わなかった。
「……それだけか?」
「うん?」
「いや、友達なのはわかった。だが、どうしてそいつに頼むと、山道を歩かずに済むんだ?」
セラリスは、少し考えた。
説明しようかと思ったが、今は一刻も早く牢から出なければならないことを思い出したのである。
「……まあ、会えばわかるよ」
ベイクは、納得できないという顔になった。
ミハイルが、そこで小さく笑った。
「今はそれで十分だと思いますよ」
「……本当か?」
「はい。少なくとも、早く移動できることだけは間違いありません」
ベイクは、しばらく二人を見比べていた。
しかし、どうやらそれ以上詳しく尋ねても、すぐには答えが返ってきそうにないと思ったらしい。
「……まあ、いい。そいつが早いんだな?」
「すごく早いよ」
セラリスが答えた。
「なら、呼べばいい」
ベイクは、あっさりと言った。
その隣で、ダリヤが慌てて横を向いた。
笑いを堪えているらしかった。
ミハイルも、口元を緩めていた。
ヴァレリアは、何か言いたそうにベイクを見たが、結局、黙っていた。
ベイクだけが、どうして周囲の者たちがそんな反応をしているのかわからないまま、少し不満そうに眉を寄せていた。
彼は、まだ知らなかったのである。
これから迎えに来るというヴァルザリオンが、人間でもエルフでもなく、ダイムラクの森で若き緑竜王と呼ばれるグリーンドラゴンであることを。
もしそれを知っていれば、いかに旅慣れた男であっても、もう少し違った反応を見せたに違いなかった。
しかし、セラリスには、そんなことを考えている余裕はなかった。
彼女の関心は、既に亡骸をどう運ぶかという問題へ戻っていたのである。
◇
「……先生、ラヒブはどうします?」
ミハイルが尋ねた。
その声を聞いて、ダリヤも顔を上げた。
確かに、それは早めに決めておかなければならない問題だった。
ラヒブは既に捕らえられている。
武装も解除し、手足も縛ってあるため、今すぐ逃げ出すことはできないだろう。しかし、彼が魔法を使うことを考えれば、縄で縛っただけで完全に安心するわけにはいかない。
しかも、この神殿には、彼に従うシスワたちがまだ残っているはずなのである。
セラリスは、迷わず答えた。
「村へ連れ帰るよ」
「……ここへ置いていかないんですか?」
ダリヤが尋ねた。
「うん。誰かに助けられたら面倒でしょう?」
セラリスは、少し困ったように笑った。
「せっかく捕まえたんだから、また逃げられるのは嫌だし、それに、あの人が本当に魅了されてるのかどうかも調べたいんだよね」
ダリヤは、納得したように頷いた。
確かに、そのとおりだった。
ラヒブをこの神殿へ残せば、まだ操られているシスワたちが彼を解放するかもしれない。そうなれば、せっかく捕らえた意味がなくなってしまう。
しかも、彼の背後にいるという邪悪な存在が、ラヒブへ何らかの命令を与えている可能性もあるのだ。
その正体を確かめるためにも、ラヒブ本人を確保しておく必要があった。
「……じゃあ、武装解除したまま監禁ですね」
「うん。まずは逃げられないようにして、魔法も使わせないよう注意しないとね」
セラリスは、少し考えて続けた。
「それから、本人に何がかかってるのかを調べる。魅了なのか、別の魔法なのか、それとも本当に自分の意思でやってるのか。そこがわからないと、今後どうするかも決められないでしょう?」
ミハイルは、静かに頷いた。
ラヒブを捕らえたときには、これで事件の中心を押さえられたと思っていた。
しかし、あの男の言動を聞き、亡霊の警告を思い返してみれば、どうやら事情はそれほど単純ではないらしい。
もしラヒブ自身が何者かに操られているのであれば、彼を殺したところで、事件の根本は解決しないだろう。
しかも、その背後にいる者が別の手駒を用意できるのなら、同じことが繰り返される可能性もあるのである。
だからこそ、今は生かして捕らえておく。
その判断には、十分な意味があった。
ヴァレリアも頷いたが、すぐに別の疑問を口にした。
「……では、シスワたちはどうなるのでしょう?」
セラリスは、少し考えた。
「新しい命令がなければ、今までの指示を続けるか、その場で待つか……その辺りは、かけられた魔法の種類にもよると思うんだ」
彼女は、そこで言葉を選んだ。
「少なくともラヒブを隔離できれば、あの人から新しい命令を出すことは難しくなるでしょう。村を襲えとか、私たちを追えとか、そういう指示を追加されずに済む可能性は高いと思う」
ヴァレリアは、静かに頷いた。
「……ラヒブ以外から命令されていなければ、ですが」
セラリスの顔から、わずかに軽さが消えた。
「そうなんだよね」
その一言には、慎重な響きがあった。
亡霊は言った。
ラヒブは、手駒の一つにすぎない。
その背後には、より深い邪悪がいるのだと。
もしその言葉が正しいのであれば、ラヒブを捕らえたからといって、シスワたちがすべて自由になるとは限らない。ラヒブの命令とは別に、何らかの支配や指示が働いている可能性も考えなければならなかった。
しかも、彼女たちはまだ、その邪悪の正体さえ知らないのである。
どのような魔法を使い、どこにいて、何を目的としているのか。
わからないことばかりだった。
「……だから、ここで全部片づいたとは思わない方がいいね」
セラリスは、静かに言った。
ミハイルが頷いた。
「まずラハシアのお父さんを戻す。そのあと、ラヒブに何が起きているのかを調べる」
「うん」
「それから、また神殿へ戻ってくることになるんですね」
ダリヤが、鍵束を腰へつけ直しながら言った。
「たぶんね」
セラリスは頷いた。
「まだシルヴァとメリサも見つかってないし、北にいるっていうドラゴンにも会ってないでしょう?」
その言葉を聞いて、ベイクが眉を寄せた。
「……まだ戻ってくるのか?」
彼にしてみれば、何とも理解しがたい話だった。
ようやく牢から解放されたのである。
しかも、この神殿ではエルフたちが人を捕らえ、怪しげな魔法が使われ、何者かが魔女を復活させようとしているという。
そんな場所から無事に脱出できるのなら、二度と戻りたくないと考える方が自然ではないか。
ところがセラリスたちは、まるで次の仕事の予定を相談するように、再びここへ戻ってくると言っているのである。
「……まだ助けなきゃいけない人がいるからね」
セラリスは、あっさりと答えた。
「シルヴァとメリサっていう二人のエルフが、まだ見つかってないんだ。だから、その二人を置いたまま、これで終わりにはできないよ」
ベイクは、しばらく黙っていた。
そして、改めて六人の顔を見回した。
ミハイルは当然のように頷いている。
ヴァレリアも、少しも異論を挟まない。
ダリヤは鍵束を確かめながら、どうすれば次の探索を安全に進められるのか考えているらしい。
ハサリアンもまた、義父の亡骸のそばへ膝をついたまま、彼らの話を静かに聞いていた。
誰一人として、もう十分だとか、自分たちだけ助かればよいなどとは言わなかった。
ベイクは、そこでようやく、この一行がどういう者たちなのか、少し理解したような気がした。
彼らは、ただ財宝を求めて神殿へ入り込んだ冒険者ではない。
誰かに助けを求められ、その願いに応えるために危険な場所へ来た者たちなのだ。
そして、助けると決めた者を、途中で置き去りにしない。
少なくとも、そういう考え方をしているらしかった。
「……なるほどな」
ベイクは、低く呟いた。
その声には、先ほどまでの軽い調子とは違うものがあった。
自分がこの神殿へ来たのは、単なる偶然だった。
道に迷い、古い祠を見つけ、何が何だかわからないうちに転送され、侵入者として捕らえられてしまったのである。
しかし、その偶然のおかげで、彼はセラリスたちと出会うことになった。
そして今、彼らがどのような冒険をしているのか、少しずつ知り始めている。
何とも奇妙な巡り合わせだった。
◇
ハサリアンは、もう一度、義父のそばへ膝をついた。
先ほどまで、彼はその亡骸を直視することさえ苦しかった。
ラヒブに殺されたという事実を知り、冷たい石床へ横たわる姿を目にしたとき、もう二度と会えないのだという絶望が、胸の奥を埋め尽くしたのである。
しかし今では、その亡骸を見る目が、ほんの少し変わっていた。
もちろん、悲しみが消えたわけではない。
義父は死んだ。
その事実は、少しも変わっていない。
しかし、セラリスは言った。
まだ、間に合うかもしれないと。
高位の聖職者アリーナに頼めば、《死者復活》を試みることができるかもしれないと。
その言葉を、ハサリアンはまだ完全には信じきれていなかった。
信じてしまうことが、恐ろしかったのである。
もし、どれほど急いでも間に合わなかったら。
もし、アリーナという聖職者のもとへたどり着いても、奇跡が起こらなかったら。
そのとき、もう一度この絶望を味わわなければならないのだとすれば、自分は耐えられるのだろうか。
しかし、だからといって、希望を捨てることもできなかった。
まだ可能性がある。
それが、今の彼を支えていた。
ハサリアンは、震える指で義父の衣服を整え始めた。
長い間、冷たい石床へ横たわっていたために、外套は肩のあたりで乱れ、胸元も少し開いている。
彼は、まずその外套を直した。
それから、胸の傷が見えないよう、慎重に衣服を合わせ直した。
その手つきには、深い敬意が込められていた。
亡くなった者へ最後の礼を尽くそうとする者の仕草だった。
しかし、それだけではなかった。
もし、この人がもう一度目を覚ますのなら。
もし、アリーナの奇跡によって生命を取り戻すことができるのなら。
そのとき、乱れた衣服のまま、冷たい床へ横たわっている姿では迎えたくなかった。
せめて、いつものように身なりを整えた姿で、ラハシアの前へ帰してやりたかった。
そんな願いが、指先の一つ一つへ込められているようだった。
セラリスは、少し離れたところから、その様子を見つめていた。
彼女には、もう一度、瞑想室で出会った亡霊の姿が思い出されていた。
威厳のある、長身のエルフ。
厳しいほど鋭い眼差しを持ちながら、その声には不思議なほどの優しさがあった。
ラハシアの悲しみを語ったときの、あの深い痛み。
そして、最後に見せた静かな微笑み。
あれは、娘を救ってくれる者たちがようやく現れたことへの、安堵だったのだろう。
自分は、もう生きて娘のもとへ帰ることができない。
しかし、目の前に現れた者たちならば、ラハシアを助けてくれるかもしれない。
だからこそ、男は自分の知ることを語り、神殿の奥へ進むための手掛かりを残したのではないか。
セラリスには、そう思われた。
そして今、彼女は、その男の亡骸の前へ立っている。
あのとき、亡霊は自分の名を明かさなかった。
どうして名乗らなかったのかは、わからない。
しかし、もし自分があの男の立場だったなら、何を願っただろう。
娘が無事であること。
囚われた者たちが助け出されること。
そして、できることなら、もう一度だけ娘の顔を見ること。
そんな願いを抱いたとしても、少しも不思議ではないだろう。
セラリスは、胸の奥が熱くなるのを感じた。
あの亡霊は、娘を助ける者が現れるのを待っていた。
そして、ようやく自分たちへその願いを託すことができたのである。
ならば。
その願いを、できるだけよい形で叶えてやりたかった。
単にラヒブを捕らえ、ラハシアの安全を確保するだけではない。
もし可能ならば、あの男自身を、もう一度娘のもとへ帰してやりたい。
父親として。
生きたエルフとして。
もう一度ラハシアの名前を呼び、彼女の顔を見て笑うことのできる者として。
そのために、今の自分にはできることがある。
セラリスは、静かに息を吸った。
亡骸の保存状態は、悪くない。
死後の日数も、ラヒブの言葉を信じるならば、まだ大きな問題にはならない可能性がある。
そして、アリーナという頼れる聖職者がいる。
もちろん、何一つ確実ではなかった。
死者を蘇らせるという行為は、決して軽々しく扱えるものではないし、死んだ者自身が再び生へ戻ることを望んでいるのかどうかも、最後には重要になるだろう。
しかし、少なくとも、何もできないわけではないのだ。
それが、今のセラリスには何より大きかった。
「……ハサリアン」
彼女は、静かに呼んだ。
男が顔を上げた。
「そろそろ、運ぶ準備をしようか。身体を傷つけないようにしたいから、私たちにも手伝わせてね」
ハサリアンは、しばらく彼女を見つめていた。
それから、ゆっくりと頷いた。
「……ああ。頼む」
その声には、まだ悲しみが残っていた。
しかし、初めて亡骸を見つけたときのような、すべてを失ってしまった者の絶望だけがあるわけではなかった。
彼は、もう一度義父の顔を見た。
そして、震える手で外套の襟を整えると、今度は少しだけ、はっきりした声で言った。
「……帰りましょう、義父上」
それは、死者へ別れを告げる言葉ではなかった。
まだ帰れるかもしれない者へ向けた、祈りにも似た呼びかけだった。
セラリスは、何も言わなかった。
ただ、静かに頷いた。
ダリヤは鍵束を確かめ、ミハイルは亡骸を安全に運ぶための手段を考え始めた。ヴァレリアも、遺体の状態を保つために何が必要かを確かめようとしている。ベイクは、まだ事情のすべてを理解したわけではなかったが、それでも自分に何かできることがあれば手伝おうと、黙って彼らの様子を見守っていた。
そして、セラリスは胸の中で、もう一度だけ呟いた。
――間に合わせよう。
亡霊となってまで娘を案じ、誰かが来るのを待ち続けた男なのだから。
その願いを、自分たちへ託してくれたのだから。
せめて、もう一度。
ラハシアの前へ立ち、父親として彼女の名を呼び、あの優しい眼差しで笑えるところまで。
何としても、連れて帰ってやりたかったのである。