ちいかわ8巻 特装版(ひみつのふせん&ノートBOX付き)の裏表紙までに起きたであろうことを描写しています。
ヒトハとフタバがそのまま捕まるようなタマじゃないよね?
と思ったのがきっかけです。
孤島の裏側にひっそりと口を開ける、暗く湿った洞窟。
ぽちゃん、ぽちゃんと水滴が落ちる音だけが響く冷たい空間で、頭に葉っぱが一枚生えた「ヒトハ」と、二枚生えた「フタバ」は息を潜めていた。
ブルブルブル……ッ。
小刻みに震えるフタバが、不安げに隣を見上げる。
ヒトハは手元に握った太い
「……ジュ、ンビ」
「……ゥン」
二人の顔に、罪悪感はない。
ただ「ずっと二人で楽しく生きていたい」という純粋な願いのために人魚の肉を口にし、永遠のいのちを手に入れた。
セイレーンには人魚殺しの犯人として完全に看破されている。
けれど、自分たちの行いがどうであれ、このまま捕まるつもりなど毛頭ない。
その強烈な執着と生存本能だけが、今の二人を突き動かしていた。
◇
洞窟の入り口付近から、岩肌を削るような重く鈍い音が聞こえ始めた。
生臭い潮の香りと共に、暗闇の奥から二つの巨大な眼光が浮かび上がる。
セイレーンだ。
その後ろには、這うようにして付き従う人魚たちの不気味なシルエットが蠢いている。
『……いた……ァ……!!』
洞窟を震わせるような、地の底から響くような声。
普段の陽気な歌声とは似ても似つかない、どす黒い怒りに満ちたセイレーンの咆哮だった。
『よくも……食ったなァッ!!』
「!!ッ」
セイレーンが巨体をうねらせ、怒り狂って突進してくる。
ヒトハは迷わず、手にしていた蔓を力いっぱい引いた。
音を立て、洞窟の天井に張り巡らされていた仕掛けが作動する。二人が島中から集めた太い丸太と、巨大な岩石の雨が、セイレーンの頭上に容赦なく降り注いだ。
「ッ!!」
フタバがパァッと顔を輝かせたのも束の間、土煙の中から巨大な尾びれが振り抜かれた。
落雷のような轟音が響く。
落ちてきた大岩も丸太も、セイレーンの圧倒的な膂力の前にはまるで小石のように粉砕され、洞窟の壁に叩きつけられる。
『キリングゾーン……って事?』
セイレーンの瞳が
『そんなものォ……意味ないよォッ!!』
「……エッ!?」
砕け散った岩の破片がパラパラと降り注ぐ中、傷一つ負っていないセイレーンが猛烈な勢いで距離を詰めてくる。さらに、その脇をすり抜けるように、鋭いキバを剥き出しにした人魚たちが俊敏な動きで二人に迫った。
「!!」
フタバが咄嗟に後退しながら、岩陰に隠しておいた特製のツボを蹴り倒す。
「……サンッ」
中から溢れ出したのは、島の奥地に自生する強酸性の植物の汁だった。
「ギシャアアアッ!?」
地面を這っていた人魚たちが、触れた途端にジュウジュウと煙を上げて悲鳴を上げ、たまらず後ずさる。
ガシッ。
ヒトハが無言のままフタバの手を強く引き、洞窟のさらに奥へと走り出した。
後方では、セイレーンが足止めの酸など意に介さず、邪魔な岩壁を力任せに破壊しながら追いすがってくる。破壊音が、すぐ背後まで迫っていた。
――絶対に諦めない。
繋いだ手から、互いのそんな強い意志が伝わってくる。
二人は洞窟の最奥部、地底湖が広がる行き止まりの空間へと飛び込んだ。
もう逃げ場はない。
それを悟ったのか、追いついたセイレーンは動きを止め、血走った目で二人を見下ろした。
その巨体が、獲物を丸呑みにしようと大きく反り返る。
『……ぜったいに……逃がさない……ッ!!』
「……イマッ!!」
セイレーンが大口を開けて飛びかかってきたその瞬間。
ヒトハとフタバは息を合わせ、懐から「島で一番辛い植物の粉末」と「痺れ薬」を混ぜ合わせた特製の粉玉を取り出し、セイレーンの顔面に向けて思い切り投げつけた。
『アアアッ!?』
目と鼻の粘膜を強烈な刺激が直撃し、セイレーンの動きが硬直する。
そして、その顔がちょうど地底湖の真上に差し掛かった瞬間、フタバが最後の蔓を切った。
天井の岩盤に仕掛けられていた、この洞窟で最も鋭く巨大な鍾乳石。
それが、目潰しを食らって上を向いたまま大口を開けていたセイレーンの口内へと、一直線に落下した。
『ギャアアアアアアアアアアアアアアッ!!!!』
鼓膜が破れそうなほどの絶叫が洞窟内に
硬い鍾乳石の先端がセイレーンの口内から
その圧倒的な巨体が、たまらず水際でのたうち回った。
「……ヤッ、タァッ!」
「……ッ!!」
息を弾ませながら、ヒトハとフタバは互いの手を取り合った。
永遠のいのちは、僕たちを見放さなかった。これからもずっと、二人で一緒に生きられる。
そう確信し、歓喜の笑みを浮かべた――次の瞬間だった。
のたうち回っていたはずの巨大な影が、ゆっくりと、不気味なほど静かに起き上がった。
「……ェ?」
血まみれの口から鍾乳石を引き抜き、半分潰れた目で二人を睨み下ろすセイレーン。
その姿は、怒りと激痛によって筋肉が異常に膨張し、もはや元の面影がないほどの異形の化け物へと変貌していた。
『……ユル……サナイッ!』
洞窟そのものが崩壊しそうなほどの咆哮。衝撃で視界が真っ白になる。
絶望的な殺意の塊が、再び二人へと襲いかかろうと身をもたげた。
だが、ヒトハとフタバの瞳に浮かんだのは、もはやただの恐怖ではなかった。
「……シ、ナ……ナイッ」
「……ッ!!」
永遠のいのちにしがみつく二人の顔には、生き汚くも純粋な狂気が張り付いている。彼らは引きつった笑みを浮かべ、コクリと力強く頷き合うと、再び手元の武器を力強く握り直した。
了