Thriller '83: 11/18 作:ムニムニムーニン
Ep.1: Say Say Say
1983年11月18日、日本時間午前10時00分。日本国・長野県軽井沢町。
"Oh, it's already 10 a.m."
(「ああ、もう10時か」)
タクシーの後部座席に座るジョン・レノンが、時刻が10時を回った事を認める。
その瞬間──
轟音。
世界が一瞬だけ揺れて、視界が、真っ赤に染まった。
"What…?"
(「何だ…?」)
「きゃあああっ!!」
それに呼応するかのように、ヨーコが悲鳴を上げる。
"Wait, wait, wait a minute, Yoko. What? What happened?"
(「待て待て待ってくれ、ヨーコ。何だ?何があったんだ?」)
「ジョ、ジョン…!」
ヨーコが困惑のあまり、英語ではなく母語の日本語でレノンに叫ぶ。
「ジョン、見て!前が…運転手が…!」
"What?"
(「何だって?」)
ヨーコは何を言っているのか?
レノンには、ヨーコの言葉が理解できなかった。ただ、何かがおかしい。決定的に。それだけは分かった。
さっきの轟音は何だった?なぜ視界が赤い?
状況を整理しようと、不意に自身の眼鏡に手を伸ばし──
べちゃ。
指先に、妙な感覚がまとわりついた。
レノンの呼吸が、一瞬止まる。
そして、ゆっくりと眼鏡を外すと──レンズが、真っ赤だった。
「──ッ!」
そう認識するまでに、一瞬かかった。
そして、その血がどこから来たのかを確かめるように、レノンは顔を上げた。
前方、運転席。
そこにいたはずの運転手が──
頭を垂れ、ハンドルに突っ伏している。
シャツの襟元から、赤いものが広がっていた。
"Holy shit…!"
(「なんてこった…!」)
思わずそう呟くレノン。
銃撃?襲撃か?自分を狙ったのか?なぜ?どうやって居場所を?なぜ乗車中を狙って?
"HE’S SHOT!!!"
(「撃たれてる!!」)
その瞬間、タクシーが大きく右へ揺れる。
「ジョン!車が!」
ヨーコの言葉で、レノンが「なぜ」の思考の反芻から抜け出す。
タイヤが悲鳴を上げる。車体が戻る、今度は左。
ガードレールが、一瞬だけ窓の向こうを掠めていった。
"No no no!"
(「まずい、まずい!」)
運転手の足がアクセルを踏み込んだままになっている。
速度が落ちない。むしろ──上がっている。
"This car is swerving!!!
(「この野郎、ふらついてやがる!!」)
レノンが咄嗟に運転席に乗り出し、運転手の手をどけてハンドルを握ろうとする。
だが、その瞬間だった。
──ドンッ。
何かが、車体の横腹を叩いた。
車が浮く、ほんの一瞬だけ。
タイヤが、路面から離れた。
レノンは窓の外を見た。何も見えない。ただ、木々が異様な速度で流れている。
次の瞬間――
ガァンッ!!
凄まじい衝撃。
車体が横へ跳ねた。
"OH, WHAT THE FUCK!?"
(「何なんだ、クソッ!?」)
レノンの体が宙に浮く。
ヨーコの悲鳴。砕けるガラス。ひしゃげた金属。
その光景を最後に、レノンの意識が暗転した。
1983年11月17日、ハワイ・アリューシャン標準時午後3時00分。アメリカ合衆国・ハワイ州ホノルル。
奇跡的にシカゴの銃撃テロを回避できたバラク・オバマ青年は、祖父母に連れられ懐かしい家の奥へと歩を進めていた。
先ほどまで背筋を凍らせていた恐怖は、いつしか薄れていた。
久しぶりに顔を合わせたマデリンやスタンリーと、昔話や近況について語り合う。
"By the way, how is that new company you started working at, Barack? Is it tough?"
(「ところで、その新しく勤め始めた会社はどうなの、バラク?大変?」)
"Well... It’s tough, sure, but it’s really rewarding. Lately, I’ve been researching foreign exchange in the financial services division."
(「うーん…もちろん大変ではあるけど、それ以上にやりがいがあるよ。最近は金融サービス部門で外国為替について研究してるんだ」)
"Oho, finance! A research job suits you perfectly, especially after graduating from Columbia!"
(「ほう、金融か!研究職なんてコロンビア大学を卒業したお前にぴったりじゃないか!」)
その直後だった。
――ゴゴゴゴゴゴ……。
地の底から這い上がってくるような、低く不気味な轟音。
窓ガラスが細かく震え、床そのものがかすかに揺れ始める。
"Wait... an aftershock?"
(「ん…余震かな?」)
オバマの頭に浮かぶのは、昨日ハワイ島を襲ったとされる地震。
幸い、ホノルルでは目立った被害はなく、オバマ自身も大きな心配はしていなかった。
だが――。
スタンリーの表情が変わった。
"An aftershock...? It's too strong for that."
(「余震……? それにしては強すぎるぞ」)
彼は窓の外へ目を向ける。
"Yesterday's quake barely shook this area. How could an aftershock be this strong?"
(「昨日の地震でも、この辺りはほとんど揺れなかった。こんな大きな余震が来るはずがない」)
「確かに」とオバマも頷く。
そして、何かを確かめるように窓辺へ歩み寄り、カーテンを開く。
──そこには、何もなかった。
"Huh...?"
(「……は?」)
庭にあったはずの低木がない。
祖父の車もない。
窓から見えていたはずのヤシの木もない。
向かいにあった住宅も──ない。
視界に入る一帯から、
まるで巨大な何かによって、地面ごと切り取られたかのように。
"Wait..."
(「待ってくれ…」)
オバマの声が震える。
スタンリーも、マデリンも、言葉を失っていた。
つい数秒前まで存在していたはずの世界が、そこだけ異様な空白へと変わっている。
"What... happened?"
(「……何が起きたんだ?」)
スタンリーが呟いた。
"My car... Where's my car?"
(「俺の車は……? 車はどこだ?」)
マデリンも震える指で窓の外を指す。
"Mr. Madison's house... It was right there..."
(「マディソンさんの家が……そこにあったはずなのに……」)
突如として起きた、謎の事態。
思わずオバマ青年が家を飛び出すと、そこにはさらなる惨状が広がっていた。
"Oh, hey…"
(「ああ、なんて…」)
その瞬間、少し離れた場所で、一人の中年男性が家の壁にもたれかかっているのを見つけた。
"Hey! Are you all right?!"
(「大丈夫ですか!?」)
オバマは駆け寄る。
"Sir! Can you hear me?!"
(「聞こえますか!?」)
家の壁にもたれかかる中年男性に声をかけるオバマ。
しかし、それに応える言葉はない。その肉体は、もはや生命としての役割を果たしていなかった。
"Gun…?"
(「銃…?」)
そして、オバマは気づいた。
男の頭部。
そこには、明らかに銃撃によるものと思われる傷があった。
血が、ゆっくりと頬を伝っている。
オバマの顔から血の気が引いた。
"He's been shot..."
(「……撃たれてる」)
数秒間、彼はその場に凍りついた。
地震ではない。
少なくとも──ただの地震ではない。
ついさっきまで平穏だったホノルルで、何が起きたのか。
その答えを知る者は、まだ誰もいなかった。
"HE'S BEEN SHOT!"
(「この人、撃たれてる!!」)
軽井沢の森の中。
森の中に、砕けたガラスの音だけが遅れて落ちていく。
横転した黒いクラウン。潰れたボンネット。開いたままのドア。
そして、動かない三人の男女。
「ジョン……?」
数秒間の静寂ののち、ヨーコが目を開けた。視界が滲んでいる。耳鳴りがする。何も聞こえない。
「ジョン……ジョン!?」
隣を見る。
レノンは動かない。
上半身が、座席と潰れた車体の間に挟まれていた。
"John!"
(「ジョン!」)
ヨーコが震える手で、その身体に触れる。
"John, stay strong! Please!"
(「ジョン、しっかりして! お願い!」)
返事はない。
ヨーコの呼吸が荒くなる。
「いや……」
その声だけが、壊れた車内に響いた。
「そんな……」
1983年11月17日、アメリカ太平洋標準時午後5時00分。アメリカ合衆国・カリフォルニア州ロサンゼルス。
試写を終え、マイケルがようやく椅子の背にもたれた頃、話題が『スリラー』のMVからポール・マッカートニーとのデュエット曲『セイ・セイ・セイ』に移る。
"You know, Michael, Say Say Say is making a huge run on Billboard! The way it's going, we're looking at a number-one spot next month."
(「そういや、『セイ・セイ・セイ』の奴も随分とビルボードで追い上げてるじゃないか、マイケル!この調子なら、来月にはチャート1位になってるだろうな」)
ディレオの言葉にマイケルが照れ隠しで笑う。
"Yeah. Lionel's song is wonderful, but since Paul took the time to write it with me, I really hope it goes all the way to number one."
(「ああ。ライオネル(・リッチー)の曲も素晴らしいけど…折角ポールが僕と一緒に書き上げてくれたんだ、チャート1位くらい取って貰わないとね」)
マイケルの不敵な発言に一同が和やかに笑う。
その瞬間──
ドガァァァッ!!
突如として、上から激しい地鳴りと振動が地下の試写室中に響き渡った。
"W-what!?"
(「な、何だ!?」)
ブランカが思わず叫び声を上げる。
振動で天井の一部が剥がれ落ち、マイケルのすぐ脇に轟音とともに叩きつけられた。
"Oh, no!?"
(「うわあぁぁっ!?」)
"Michael!? Are you all right!?"
(「マイケル!?大丈夫か!?」)
あまりの事態に目を白黒させる一同。
"Was that an earthquake!?"
(「今の、地震か!?」)
"An earthquake!?"
(「地震!?」)
"Yesterday Hawaii had an earthquake, too!"
(「昨日だってハワイで地震があったじゃないか!」)
"Anyway, let’s go out!"
(「とにかく、まずは一度外に出るぞ!」)
そうランディスが叫び、地上階へと繋がる階段の扉を開けようとするも。
"Fuck!! It won’t budge!!"
(「クソが!!ビクともしない!!」)
"Really!?"
(「何だって!?」)
ランディスがいくらドアノブを回しても、扉が開く気配がない。
"John, outta my way!!"
(「どけ、ジョン!!」)
そう叫んだブランカは一歩後ろへ下がると、扉めがけて思い切り蹴りを叩き込んだ。
"Oh, Mr. Branca! Thank God! We can get out!"
(「ああ、ブランカさん!よかった、外に出られる!」)
マイケルが安堵で顔を綻ばせる。
"Don't stop, Michael! Keep moving! Go, go, go!!"
(「気を抜いてる場合じゃないぞ、マイケル!!行け、行け、行け!!」)
マイケルやディレオ、ランディスが一目散に階段を駆け上がる。
彼らが想像していたのは、巨大地震だった。
しかし、階段の先に待っていた光景は、その想像のどれよりも凄惨だった。
"Oh, no way…"
(「おい、嘘だろ…」)
先頭を走っていたブランカが絶句する。
"Hey, Mr. Branca. Wha…?"
(「ねえ、ブランカさん。どうしたの…」)
後ろのマイケルもまた、眼前に広がる景色に目を見開いていた。
自分たちのいた地下試写室。その地上に位置していたはずの建造物が、瓦礫の山となっている。
それだけではない。
ロサンゼルスの街並み。それ自体が瓦礫と化していた。
向こうに見えたはずのハリウッドの看板も、跡形もなく消え去っている。
"Oh, no… Is it a reality…?"
(「おいおい…これ、現実なのか…?」)
遅れてやってきたディレオやランディスも、目の前の現実を受け入れられないでいる。
そしてそれは、マイケルも同様だった。
"Mr. Branca… This is a bad dream, right…?"
(「ブランカさん…これ、ただの悪い夢だよね…?」)
マイケルが涙を目に溜めながらブランカに尋ねる。そうだという肯定の言葉を望んで。
ブランカはそれに答えることはできない。
呆然とするブランカの肩を掴み、マイケルが泣き喚く。
"Mr. Branca!! It has to be a dream, doesn't it!? Say it is!! Say it!! Say say say!!!"
(「ブランカさん!!そうだよね!?そうだって言ってよ!!言って、言ってよ!!」)
同刻、同じロサンゼルス。
マイケル・カーンとともに、『インディ・ジョーンズ/魔宮の伝説』の、モラ・ラムが生きた人間の胸から心臓を抉り出す場面を編集していた中、一人の若手アシスタント(PA)・ティムが部屋に入ってくる。
"Good afternoon, Director! And Mr. Kahn! I brought you both some coffee.""
(「監督、お疲れ様です!カーンさんも!二人のためにコーヒーを持って来ました!」)
スピルバーグは青年の配慮に表情を緩める。
"Oh, thanks... Brings back memories. I used to do stuff like this myself."
(「ああ、ありがとう…懐かしいな、僕もかつてはこうやって雑用をしてたものだよ」)
"You did, Director?"
(「監督が、ですか?」)
ティムが尋ねると、スピルバーグがかつての体験談を語り始める。
"Well, years ago... Do you know a movie called Faces? I was about twenty-one when I worked on the set as an unpaid production assistant."
(「いやあ、昔ね…『フェイシズ』っていう映画は知ってるかな?21歳の頃にその撮影現場で無給の雑用係をしてたんだ」)
"Oh, John Cassavetes' Faces! That's a classic! You actually worked on it?"
(「ああ、ジョン・カサヴェテスの!名作ですよね!監督も撮影に参加してたなんて!」)
"Oh, nothing like that. I wasn't nearly as dedicated as you are. I started getting sick of the PA work after about three days."
(「いやあ、そんな…君ほど熱心に働いてた訳じゃないさ。なんなら三日目にはもうPAの仕事が嫌になってたよ」)
スピルバーグが苦笑する。
"But meeting Cassavetes... I'll never forget that."
(「けど、監督のカサヴェテスとそこで出会えたことは今でも一生の思い出だね」)
"Really!? You mean John Cassavetes?"
(「え!?あのカサヴェテスと!?」)
"Yeah."
(「そうだよ」)
目を輝かせるティム。
"He was an incredible director... He remembered everyone's name and face, even the people at the bottom of the crew. And he listened to everyone's ideas as if they mattered just as much as his own. I only worked there for a few days, but he still remembered me. Then, maybe two years later, he ran into me while I was working on another TV show and came over to say hello."
(「あの人はすごい監督だった…あの人はどんなに末端のスタッフの名前や顔も覚えていて、皆から意見を分け隔てなく聞くような腰の低い人だったんだ。三日で飛んだ僕のこともずっと覚えてくれててね、二年後だったかな…別のテレビ番組で働いてた時にあっちから声をかけてくれたんだ」)
"Wow... Really?"
(「ええ…そうなんですか!」)
"Yeah… When I talked with him, I told him, 'I want to be a film director someday, too.' And you know what he asked me?"
(「そうそう…そこで色々話しててね、その時に言ったんだ、『僕も将来映画監督になりたいんです』って。そしたら彼、何て言ったと思う?」)
スピルバーグがくすくす笑う。
"He said, 'If you were directing the next scene, what would you do?' He asked me that! Me, just some young kid on the crew! I was a little nervous, but I gave him a few ideas. And then... he actually used one of them!"
(「『じゃあ、次のシーンの監督を自分がするとしたらどうする?』ってね、聞いてきたんだよ!まだただの若いスタッフの僕に!で、ちょっと戸惑いつつも、色々自分なりのアイデアを出してみたんだけど…そしたら、ほんとにそのアイデアが採用されちゃってさ!」)
隣のマイケル・カーンが口を挟む。
"I see. You've always called Cassavetes a mentor, Steven, but I didn't realize just how much he meant to you."
(「なるほどね、スティーヴン。よくカサヴェテスのことを『人生の師(メンター)』だなんて呼んでたけど、そんな経緯があったとはな」)
"Yeah. John Ford was the director who made me want to become a filmmaker. But Cassavetes showed me what kind of filmmaker I wanted to be. Meeting him is a big part of why I'm here today… By the way, Tim, what do you wanna be?"
(「まあね!僕に『監督になりたい』って思わせてくれた監督はジョン・フォードだけど、『どういう監督になるか』っていうビジョンを見せてくれたのはカサヴェテスだからね。彼と出会えたから、今の僕があるってわけだ…ところでティム、君は将来何になりたいの?」)
"Yes, sir! I want to be a director just like you!"
(「はい!僕も、監督みたいな監督になりたいです!」)
スピルバーグがそっと微笑み、ティムに激励の言葉をかける。
"Then keep learning while you're here, Tim. Luckily, you're a lot more serious than I was at your age. If you keep at it, I think you'll make a great director someday."
(「そしたら、ここでたくさん学んでいくといい、ティム。幸い君は僕なんかよりも真面目な男だ、君なら将来監督として大成できるよ」)
"Thank you for the encouragement, Director! I'll do my best!"
(「ありがとうございます!頑張ります!」)
そう述べる若者から、スピルバーグがコーヒーを受け取ろうとすると──
ドガァン!!
耳を劈く轟音。
バリィン!!
そして、床に落ちて割れるコーヒーカップ。
中のコーヒーが床に漏れ出る。
"Huh…?"
(「え…?」)
顔に妙な感覚が走る。
思わず自らの頬を撫で、そしてその掌を見ると、真っ赤な液体で染まっている。
"Wha…"
(「何が…」)
その瞬間、視界の中で、ティムの身体が床に倒れているのが見えた。
頭部には、何かが撃ち抜いたような大きな傷が開いている。
頭から流れる血はやがて大きな血溜まりを作り、床のコーヒーの液体と混ざり合ってゆく。
"T-Tim…?"
(「ティ、ティム…?」)
カーンもまた、目の前の光景に目を見開き、呆然とする。
その瞬間──
ドガァァァッ!!
再び轟音が鳴り響く。
それも、今度は激しい揺れと共に。
"What…? What’s happening…?"
(「何だ…?何が起きているんだ…?」)
揺れはさらに激しさを増す。
"WHAT’S HAPPENING!?"
(「一体何が起きてるんだ!?」)
その叫びは、一瞬にして掻き消された。
ユニバーサル・スタジオを襲った
それは、ティムの未来も、カーンの仕事も、そして現代で最も偉大な映画監督の肉体をも――何の区別もなく、一瞬で吹き飛ばしていった。