リゼルの過去編   作:キュウリ大好き人間

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洞窟編
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そこには、一人の子供がいた。

 

泥に汚れた黒髪の間から覗くのは、異様なほど鋭く光る黄金の目。

 

しかし、その少年の体は、衣服の上からでも肋骨の形がはっきりと浮き出るほどに痩せ細り、ほとんど死にかけていた。

 

ぐう、と情けない音が、少年の薄いお腹から何度も何度も鳴り響く。

 

周りを見渡せば、彼と同じように飢え、虚ろな目をした子供たちが泥まみれになって転がっていた。

 

ここは生き地獄だ。

 

大人も子供も関係なく、今日を生き延びるための「一万キロカロリー」を血眼になって奪い合う、あまりにも残酷で厳しい世界。

 

そんな中、比較的まだ肉付きのまともな、少し年上の少年が、横たわる黒髪の少年を見下ろした。

 

その目は冷酷で、一切の容赦がない。

 

「おい、何をしてる……。早くご飯を持ってこい」

 

この縄張りを仕切る、ガキ大将だった。

 

力こそが全てのこの場所で、彼に逆らえる子供など一人もいない。

 

それは、この黒髪の少年――リゼルにとっても同じことだった。

 

「ちょっと待ってくれ、今……探している……」

 

リゼルはかすれた声を絞り出し、ふらつく足取りで立ち上がる。

 

視界がチカチカと明滅するほどの空腹に耐えながら、必死に周囲の地面や物陰をあさった。

 

だが、見つからない。

 

運よく食材の欠片を見つけたとしても、すぐに血気盛んな大人たちに力づくで奪い取られてしまう。

 

弱者である子供たちに行き渡る飯など、どこにも残されていなかった。

 

「まだかよ……」

 

ガキ大将の腹の虫も、苛立たしげに鳴り響く。

 

向けられる鋭い視線に、リゼルはただ眉を下げ、奥歯が軋むほど強く歯を食いしばるしかなかった。

 

ここで言い訳を口にしたところで、待っているのは容赦のない暴力だけだ。

 

その事実を、リゼルは自分の体に刻まれた無数の傷を通じて、嫌というほど理解していた。

 

ふらふらで、今にも魂が抜け落ちそうな肉体。

 

それでも、リゼルの心の中には消えない炎があった。

 

――生きたい。

 

絶対に生き残る。

 

それだけが、絶望に染まったこの世界で、リゼルをかろうじて支え続ける唯一の(くさび)だった。

 

その時、リゼルの脳裏に、ふっと奇妙な感覚がよぎった。

 

何を思ったわけでもない。

 

ただ、目に見えない何かに、優しく、あるいは強烈に「呼ばれた」ような気がしたのだ。

 

吸い寄せられるように、リゼルはふらつく足取りのまま歩き出す。

 

ガキ大将の怒声も、周囲の喧騒も、いつの間にか遠ざかっていった。

 

たどり着いたのは、奇妙な岩肌が口を開けた、深い洞窟のような場所だった。

 

「なんだ、ここは……」

 

リゼルは眉をひそめ、その闇の奥をじっと見つめた。

 

穴の向こうは、光が一切届かない完全な真っ暗闇だ。

 

リゼルは小さく首を傾げる。

 

このあたりの土地は、生き延びるために何度も歩き回ったはずだった。

 

それなのに、こんな不気味な洞窟の存在など、今まで一度も聞いたことがない。

 

「……こんな洞窟、知らない。でも、あいつはうるさいし……ここに、何か食べ物があるかもしれない。行くか……」

 

迷っている時間も、餓死するのを待つだけの時間も、今のリゼルにはない。

 

生まれたての小鹿のように細く、激しく震える足。

 

リゼルは奥歯を噛み締めると、地面に落ちていた、今にもポキリと折れそうな細い木の枝を拾い上げた。

 

まともな武器すら持たない、剥き出しの命。

 

リゼルはその小さな手で折れそうな木をぎゅっと握りしめ、冷たい闇が渦巻く洞窟の奥へと、一歩を踏み出した。

 

「うわあ、なんだあ……っ!?」

 

足を踏み入れた瞬間、それまで静まり返っていた闇の奥で、パッと淡い光が灯った。

 

予想外の出来事にリゼルは思わず腰を抜かしたが、生きたいという執念が彼をすぐに立ち上がらせる。

 

壁に手をつき、一歩一歩、光の源へと歩みを進めた。

 

「何か、ある……?」

 

目を凝らすと、岩肌の隙間に何かがある。リゼルはそれが気になり、さらに近くへとにじり寄った。

 

「なんだ、ここから光ってる……」

 

リゼルは拾った木の枝で、恐る恐るその光る物体をツンツンとつついてみた。

 

だが、何も起きない。

 

不思議そうに首を傾げたリゼルは、意を決してそれに直接手を伸ばした。

 

触れてみると、見た目からは想像できないほど柔らかい。

 

指先に力を込めると、ぷちりと簡単にちぎれた。

 

手元に引き寄せて中を覗き込む。

 

それは透明で、どこかキノコのような不思議な形をしていた。

 

そして、その透明な肉質の内側で、温かい光が蛍のように明滅している。

 

――これ、美味しいのかな。

 

極限の飢えが、リゼルの恐怖心を完全に塗りつぶした。

 

彼はそれを口元へと運んだ。

 

「うめぇぇぇ……っ!! なんだこれ!?」

 

衝撃が走った。

 

口に入れた瞬間、キノコはまるで雪のようにすうっと溶けていく。

 

なのに、口の中では無数の心地よい刺激がプチプチとはじけるような、未体験の感覚が広がった。

 

あまりの旨さに脳が痺れる。

 

「……まだ、あるな」

 

リゼルはごくりと唾を飲み込み、岩肌に残った光るキノコを見つめた。

 

だが、そこでふと我に返る。

 

「でも、これ光ってるよな。全部食べると、ここ真っ暗になる……。やめとこ……」

 

暗闇に取り残される危険を本能で察し、リゼルはあえてそれ以上の買い食いを踏みとどまった。

 

再び腰を上げ、洞窟のさらに奥へと歩き出す。

 

だが、どれだけ進んでも、さっき見つけた透明な光るキノコ以外には何も見当たらない。

 

しかし、歩いているうちに、リゼルは自分の体の「異変」に気がついた。

 

「んー、さっきの食べたから……何か、いつもと違うな。なんだこれ?」

 

歩きながら、自分の手を何度もグー、パー、と握ったり開いたりしてみる。

 

見た目はまだ骨が浮き出たガリガリのままだ。 

 

しかし、あれほど自分を苦しめていた眩暈(めまい)が消え、足元のふらつきが嘘のように収まっていた。

 

キノコのエネルギーが、彼の衰弱しきった肉体を劇的に癒やしたのだ。

 

「もっと、他にもないか……?」

 

確かな手応えを得たリゼルは、ギラギラとした黄金の目をさらに輝かせ、貪欲に周囲を探索する。

 

そのとき、道が途切れ、目の前の視界が不自然に開けた。

 

「あ? ……ここから、降りれるのか?」

 

暗闇の先は、下へと続くすり鉢状の巨大な崖のようになっていた。

 

意を決して、リゼルは崖の下へと降りていく。

 

しかし、底へたどり着いたリゼルがそこで目にしたものは、それまでの人生で一度も見聞きしたことのない、おぞましい「化け物」の姿だった。

 

「うわあ……なんだ、あ……っ」

 

リゼルはその場に腰を抜かした。

 

全身の血が凍りつくような恐怖が、小さな体を支配する。

 

声にならない悲鳴が喉の奥で張り付いた。

 

<ぐきゃあああああッ!!!>

 

洞窟の壁を震わせる、猛獣の咆哮。

 

化け物がこちらの存在に気づき、濁った眼光を向けた瞬間、リゼルは弾かれたように立ち上がって全力で走り出した。

 

「うわああああッ!!!」

 

必死に、ただ必死に足を動かして逃げる。

 

だが、背後からは地響きのような足音が恐ろしい速度で迫ってくる。

 

逃げ切れない。

 

<ぐきゃあああああッ!!!>

 

「なんだこの化け物は……っ! 来るなぁぁぁッ!!!

 

<ぐきゃあああああッ!!!>

 

次の瞬間、化け物が容赦なくリゼルへと襲いかかった。

 

本能的な危機感でリゼルは必死に身を翻したが、完全に交わしきることはできず、鋭い爪がその体をかすめていく。

 

「いたぁぁぁいっ!!!」

 

鋭い痛みが走り、リゼルの黄金の目からボロボロと涙が溢れ出た。

 

血の匂いが漂う中、強烈な絶望が頭をよぎる。

 

――ここで、死ぬのか。

 

――なんで、俺なんだ。なんで俺ばかり、こんな目に遭わなきゃいけないんだ。

 

理不尽な世界への怒りと悔しさが、リゼルの心を黒く支配していく。死の(あぎと)がすぐ目の前に迫っていた。

 

しかし、その時だった。

 

リゼルの肉体に、突然、異変が起きる。

 

「……っ!? ぐ、あああぁぁぁっ!!!」

 

それは化け物につけられた傷の痛みではなかった。

 

体の内側、さっき食べた「透明なキノコ」が収まっていたはずの胃の腑から、まるで煮え滾るマグマのような熱い何かが、猛烈な勢いで全身の血管へと突き抜けたのだ。

 

「う、あああああぁぁぁっ!!!」

 

心臓を直に掴まれたような激しい激痛に、リゼルは地面を掻きむしりながら苦しみ悶えた。

 

だが、その限界の瞬間だった。

 

リゼルの黄金の目が、まるで意思を持ったかのように怪しく、ギラリと輝きを増す。

 

それと同時に、彼の身体の表面に、見たこともない奇妙な「(あざ)」がドクドクと浮かび上がった。

 

リゼルの顔から、恐怖が消える。代わりに、その唇は不気味に吊り上がり、目はどこか焦点の合わない虚ろな狂気を宿していた。

 

その肉体から溢れ出したのは、闇を黄金に染め上げるほどの、圧倒的なエネルギーのオーラだった。

 

「――ぁ」

 

リゼルは、迫る化け物に向けて小さな拳を突き出した。

 

ただの、何の技術もない、がむしゃらなパンチ。

 

しかし、彼を包む黄金のオーラが、その一撃を破壊的なエネルギーへと変貌させる。

 

ズガァァァンッ!!!

 

凄まじい衝撃音が洞窟に響き渡り、さっきまでリゼルを追い詰めていた巨大な化け物が、一撃で派手に吹き飛んだ。

 

だが、リゼルはまだ幼い。

 

エネルギーの使い方も分からなければ、お腹も完全に空っぽのままだ。

 

だから、その一撃一撃の破壊力は、本来のポテンシャルからすればまだ「弱い」ものだった。

 

「あははははっ、あははははははっ!!!」

 

それでも、リゼルは狂ったように笑い声を上げながら、化け物へと肉薄する。

 

飢えと痛みの恐怖を笑いで塗りつぶすように、何度も、何度も、拳を叩き込み、蹴りを繰り出した。

 

黄金のオーラが火花を散らすたび、化け物の悲鳴が洞窟に木霊する。

 

そして――ついに、リゼルは剥き出しの黄金の力で、その巨大な化け物を完全に叩き伏せた。

 

ドサリ、と化け物の巨体が完全に物言わぬ肉塊となって倒れる。

 

それと同時に、リゼルの限界も訪れた。

 

その目に宿っていた怪しい光がふっと消え、肌に浮かび上がっていた痣も、霧が晴れるように消えていく。

 

「は、ぁ……」

 

黄金のオーラが霧散し、リゼルはその場に力なく倒れ込んだ。

 

強烈な眠気が彼を襲い、意識は深い闇へと落ちていった。

 

              

 

 

 

 

◇◇◇

               

 

 

 

 

 

 

 

どのくらいの時間が経ったのだろうか。

 

洞窟の外に夜が訪れ、ひんやりとした空気が流れ込んで

きた頃。

 

「……っ」

 

リゼルは、重い塗膜を剥がすようにゆっくりと瞼を持ち上げ、起き上がった。

 

まだ少し痛む身体をさすりながら、ぼんやりと周囲の暗闇を見つめる。

 

そして、自分が眠る前に起きた、あの非現実的な光景を

 

――自分の拳が化け物をねじ伏せた、あの恐ろしい感覚を、静かに思い出していた。

 

「なんだ、あの変な感じは……? そもそも、この化け物は……」

 

リゼルは自分の小さな手のひらを見つめ、それから目の前で転がっている巨体へと視線を移した。

 

よく見れば、それは猿に似た特徴を持つ、不気味な姿の猛獣だった。

 

こんな生き物、見たこともない。

 

だが、そんな疑問や恐怖よりも先に、リゼルの胃袋が激しく自己主張を始めた。

 

ぐうぅ、と大きな音が洞窟に響く。

 

――お腹が、すいた。

 

リゼルは躊躇うことなく、倒れた猛獣の肉に手を伸ばし、その肉を口へと運んだ。

 

「ん……! うまい……っ!! なんだ、この肉は……!」

 

噛み締めた瞬間、野生の力強い旨味と脂が口いっぱいに広がった。

 

大人たちに奪われ、いつも泥のついた残りカスしか食べてこなかったリゼルにとって、これほど新鮮で満ち足りた食事は初めてだった。

 

貪るように肉を喉へと流し込んでいく。

 

「……まだ、こんなやつがこの先にいるのか?」

 

ごくり、と肉を飲み込んだリゼルの中に、今まで感じたことのない未知の感情が湧き上がってきた。

 

それは、恐怖ではない。底知れない「ワクワク感」だ。

 

リゼルの黄金の目が、今度は暴走ではなく、彼自身の強い意思でギラリと光を放つ。

 

その口元が、自然と獰猛に吊り上がった。

 

世界は厳しく残酷だが、ここにはこんなに美味いものが、そして自分を熱くさせる強敵が隠れている。

 

「……さっきの所、降りてみるか?」

 

リゼルは立ち上がり、化け物が最初に現れた、さらに深い地下へと続く崖の縁に立った。

 

この下に、何があるのか。

 

どんな美味いものが眠っているのか。

 

リゼルは折れそうな木の枝を捨て、今度は自分の拳を強く握り締めながら、暗闇のその先へと視線を進めた。

 

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