リゼルの過去編 作:キュウリ大好き人間
すぐに立ち上がったリゼルは、身体の痛みを堪えながら、人間の形を模した「何か」の場所まで歩み寄る。
その謎めいた生命体は、細めた目でじっとリゼルを見ていたが、その瞳に敵意がないことを悟ると、戦いを中止してリゼルが近づいてくるのを静かに待っていた。
「ねぇ、どうやったらあんな凄い炎が出せるの? そもそも、この炎はどうなってるの?」
その謎めいた生命体の目の前まで着くと、リゼルは興味津々といった様子で覗き込み、目をキラキラと輝かせた。
生命体は不思議そうに顔を傾げていたが、興味を持たれたのがほんの少し嬉しいのだろう、クネクネと嬉しそうに身体を揺らしている。
「これこれ……そこまでじゃぁ」
見かねたウッドが近づき、そっと枝を伸ばしてリゼルを宥めた。
リゼルは「あ!」と小さく声をあげて、ウッドの顔を見上げる。
「ウッド! ごめんなさい。あの……炎とか、大丈夫だった?」
リゼルはすぐにウッドの方を振り返ると、さっきまでの身体の痛みなど忘れてしまったかのように駆け寄った。
そして、怪我がないか確かめるようにウッドの周りをクルクルと回って確かめる。
「大丈夫じゃ、ギリギリ炎が届いていないからな……。それよりも、あの炎は凄かったのぅ。リゼルも、本当に凄かったぞ」
ウッドは優しく笑い、大丈夫だと太鼓判を押した。
そして、先ほどの激しい戦いを思い出しているのか、どこか興奮した様子で枝をクネクネと動かした。
リゼルはふと、周囲を見渡してみる。
凄まじい炎の影響だろう、洞窟の空気は全体がむっと熱気に包まれていた。
リゼルの額にも、ほんの少しの汗が滲んでいる。
だが、ふと気がついた。
目の前にいる謎の生命体は全体が炎でできている。
だから恐らく、彼には「熱い」という言葉の意味すら分からないのかもしれない。
汗をかいた経験だって、一度もないのだろう。
不思議なことに、ウッドもリゼルも、今は炎が届いていない安全な場所にいる。
そして何より、この謎の生命体が佇むその場所だけは、ちっとも熱くなかったのだ。
生命体自身からも、熱気は一切感じられない。
「なんで、熱くないのかな……」
リゼルは戦いで汚れてしまった小さな手で顎を支え、うーんと考える。
けれど、どれだけ小さな頭で考えても、その理由だけは分からなかった。
謎の生命体は、ただそんなリゼルを真似るように顔を傾げ、不思議そうな顔をしてじーっと見つめ返してくるだけだった。
「名前、なんて言うの?」
リゼルが問いかけてみる。
だが、謎の生命体はただ黙り込むばかりで、洞窟にはリゼルの澄んだ声が虚しく響き、しんと静まり返ってしまった。
リゼルとウッドは目を丸くし、口元をぽかんと開けてお互いを見合わせる。
あまりにも相手が沈黙を守るので、リゼルはもう一度、優しく質問を重ねた。
「もしかして、喋れない? あるいは、俺の言っている意味が分からなかった?」
すると、謎の生命体は自分の手を顎に乗せ、人間の真似をして考え込んだ。
やがて、自分の体である炎を使って、ぽっと宙に何か文字のようなものを書き記した。
だが、リゼルにもウッドにも、それが何と書いてあるのかは読めなかった。
二人はすぐにお互いの顔を見合わせ、視線で言葉を交わす。
『ウッド、これ読める?』
『いや、わしにも読めんのぅ』
もちろん、二人は声に出して喋っていない。
けれど、一緒にいる二人の「目の合図」は、たまたま息がぴったり合っているだけで、本当の意味で会話ができているわけではなかった。
それでも、不思議と気持ちは通じ合っている。
「ひとまず……疲れたね」
読めない文字から、リゼルはすぐに話題を逸らした。
ぷいと目を逸らし、俺は何も知りません、という顔をして微笑む。
ウッドからはじーっと疑わしげな目で見つめられていたが、リゼルは気にせず、小さな身体を折り曲げて地面にちょこんと座り込んだ。
そして下から、ウッドと謎の生命体をそっと見上げる。
「とりあえず、名前がないと不便だし、君のことは『ブレーズ』って呼ぶね」
リゼルがそう告げると、謎の生命体――ブレーズは、不思議そうに首を傾げ、それから短い指を自分の胸へと指差した。
「そう、君の名前だよ」とリゼルがすぐに察して頷くと、ブレーズはどこか嬉しそうな気配を漂わせた。
相変わらず炎の顔に表情変化はなかったが、彼を包む雰囲気がほんの少しだけ、柔らかく温かいものに変わったのだ。
それを見たリゼルは、愛おしそうに目を細め、その口元を優しく綻ばせた。
「それにしても……なんて書いてあるんだろう」
リゼルは、さっきブレーズが空中へと残した炎の文字の残像をぼんやりと見つめる。
リゼルは元々、人間の文字を知らない。誰からも習ったことがないからだ。
リゼルは、自分の両親の顔すら知らない。
物心ついた時には一人だった。
同じ孤児に出会ってから一人ではなくなったが本当に意味では一人だった。
たまに、普通の家族が仲良く暮らしている光景を見かけることもあった。
けれど、そんな風に家族から純粋に愛されている子供なんて、この過酷な世界にはほんの僅かしかいない。
リゼルの周りにいたのは、いつも誰かに脅され、怯えながら生きる歪な家族ばかりだった。
他人のどす黒い欲望の塊なら、嫌というほど見てきた。
リゼルはふと、誰もいない天井を見つめながら考えた。
自分の両親は、一体どちら側の人間だったのだろう、と。
けれど、リゼルは両親から残酷に捨てられたのだとは決して思っていなかった。
いや――そんな風に思いたくはなかったのだろう。
(きっと、俺は愛されていた。事情があって離れただけで、本当は大切に想われていたんだ――)
心のどこかで、ずっとそう信じ続けている。
それこそが、まだ幼いリゼルの心が過酷な現実の中で壊れなかった唯一の理由であり、今日までずっと辛い環境に耐え続けることができた、目に見えない「心の盾」だった。
そんなぼんやりとした思考を浮かべながら、リゼルは天井を見つめたまま、ふわぁ、と小さく欠伸を一つ溢した。
「リゼル、眠いのか? ならば寝るといい。わしらが見張っといてやるでのぅ」
ウッドの声に、リゼルは二人を見上げてこっくりと頷くと、冷たい地面の上で小さな身体を丸くした。
やがて、すぅすぅと、規則正しい小さな寝息がリゼルの口から聞こえ始める。
それを見届けたウッドとブレーズは、お互いに顔を見合わせ、静かに眠る幼いリゼルを、これ以上ないほど温かい眼差しでそっと見守り続けるのだった。
ふと、リゼルが目を覚ます。
まだ眠気の残る目をこすりながら辺りを見渡すが、そこは見たこともない真っ黒な世界だった。
光など一切届かない漆黒。けれど、何故か辺りの景色ははっきりと見えた。
いや、正確には「ある人物」が佇むその場所だけが、静かに光を放っていたのだ。
その人物は、暗闇の中からずっと、リゼルの姿を凝視していた。
リゼルは目を凝らして、その光の中にいる男を見つめる。
「あの……ずっと見られると、恥ずかしいのですけれど……」
あまりにもじっと見つめられるものだから、リゼルの頬は真っ赤になる。
だが、リゼルがふっと瞬きをして改めてその男の顔を見た瞬間、心臓が跳ね上がった。
その顔は、以前に鏡で見た自分自身の顔によく似ていたのだ。
いや、正確には自分の顔に酷似した「何か」だった。
「え? 俺の顔に似ている……。貴方は、誰ですか?」
リゼルはすぐに立ち上がり、警戒して一歩後ろに下がる。
じわりと額に汗がにじみ、キョロキョロと焦ったように辺りを見渡した。
だが、すぐに口元を不安げに歪ませる。
「え? ウッド……? ブレーズがいない……。そもそも、ここはどこなの?」
さっきまで隣にいたはずの温かい二人の姿が、どこにもない。
リゼルはゴシゴシと力任せに目を擦る。こすりすぎた目は真っ赤になり、見る見るうちに大粒の涙が溜まっていく。
けれど、リゼルは決して泣き寝入りはしなかった。
小さな両手をぎゅっと拳にして力を込めると、涙の溜まった瞳で、目の前に佇むその男を強く睨みつけたのだ。
「やはり、来ちゃったか。ここはお前の精神世界だ」
男が、静かに声を響かせて喋った。
その黄金の目を細めながら、怯えつつも睨み返してくる幼いリゼルをじっくりと見つめている。
「精神……世界?」
リゼルは首を傾げる。
そして、涙を浮かべたまま不思議そうに呟いた。
「あぁ。因みに、今は分かりやすく人間の姿をしてるが……俺は『黄金の鬼』だ」
男は平然と、自分は黄金の鬼だと言い放った。
だが、当然ながらリゼルは怪しむような目を向けて男を見た。
どこをどう、誰が見たって、目の前にいるのは自分に似た綺麗な人間の男だったからだ。
「本当に、鬼なの……?」
ぱちぱちと瞬きをしてから、小さな人差し指を男にピッと差して言う。
すると、男は静かに頷いた。――その瞬間、男の身体が今これまで以上に激しく光りだした。
「ん……っ、眩しい……!」
あまりの光量に、リゼルは思わず目を閉じる。
眩しすぎて、とても目を開けていられなかったのだ。
リゼルは小さな腕を顔の前にかざし、光の嵐が収まるのをじっと待った。
「おい」
上から降ってきた野太い声に掛けられて、リゼルは目をパチパチとさせて前を見る。
そこには、先ほどまでいた人間姿の男の姿は影も形もなかった。
その代わりに、天を衝くほど物凄く巨大な鬼が、そこに堂々と鎮座していたのだ。
その肌は、暗闇の中で神々しく輝く、本物の黄金の色。
さっき男が言っていた通りの、本物の「黄金の鬼」がそこにいた。
「……本当に、黄金の鬼だ……!」
リゼルは涙を忘れて、その瞳をキラキラと輝かせた。
本来なら、こんな巨大な化け物を目の前にしたら、腰を抜かして怖いと思うのが普通なのだろう。
だが、過酷な環境を生き抜いてきた今のリゼルには、恐怖の感情などこれっぽっちも湧かなかった。
それどころか、目の前で黄金に輝くその圧倒的な姿が、最高に格好よく見えて仕方がなかったのだ。
「ゴホン、まずは改めて俺は黄金の鬼だ。俺はお前の名前知ってるがな」
黄金の鬼は巨大な目を細め、上からリゼルを見下ろすようにして言う。
だが、リゼルは不思議そうに首を傾げた。
「何で名前知ってるの? 俺何も言ってないのに?」
リゼルは目を開き、そしてわなわなと小さく身体を震わせる。
自分の知らないところで全てを見透かされているような感覚に、幼い心が少しだけ怯えたのだ。
「おいおい、さっきも言っただろ? ここは精神世界だ、と。つまりお前のここから、現実世界もお前が見ている光景も、全部一緒に見てるのよ。だから名前を知ってる。あの木の爺さんに言ってただろ、自分の名前を」
黄金の鬼は、太い指を差して諭すように言う。
それを聞いたリゼルは、なるほど、と納得したような顔で頷き、それから安心したように目をパチパチとさせていた。
「それで黄金の鬼さん、えっと……いつからいるの? ここに」
リゼルはコテン、と可愛らしく首を傾げる。
「あー、それはあれを食べた時だな……。いや、正確にはあれで
リゼルは目を大きく見開き、驚きで黄金の鬼を見つめる。
生まれた時からずっと一緒にいた。
その事実が、リゼルの頭の中である一つの「希望」を弾けさせた。
「ねぇ、黄金の鬼さんは、俺の両親を知ってるの……? だって、俺が生まれた時にいたって……っ」
リゼルの瞳には、みるみると大粒の涙が溜まっていく。
物心つく前から一人ぼっちだった。
ずっと知りたかった、自分のルーツ。
リゼルは溢れそうになる涙を堪えるようにギュッと唇を噛み締めながら、縋るような目で黄金の鬼を見上げた。
「……見ていない」
黄金の鬼は、ふっとリゼルから目を逸らした。
自分の大きな頭の髪の毛を、ガリガリと誤魔化すように掻きながら言葉を吐き出す。
(――よくぞ、ここまで大きくなったな。……でも、まだ言えない。俺が、お前の……)
黄金の鬼は、胸を締め付けられるような寂しそうな顔をしながら、心の中で切なく呟く。
その巨大な鬼の顔が、あまりにも、今にも泣き出しそうなくらい寂しそうな表情を浮かべていたもんだから、リゼルはそれ以上訊ねるのをやめ、自ら話題を逸らすことにした。
「あ、いいや。気にしないで! 黄金の鬼さんは、俺の中に居るってことだよね? それなら、現実の世界にも呼べるの?」
リゼルは、努めて明るい声で質問を重ねた。
両親の話で、目の前にいる黄金の鬼をこれ以上困らせたくはなかったのだ。
いずれ、その本当の真実を知る時が来るまで――リゼルはそっと、奥底で蓋をしたのだった。