新章 第1章:偽りの平和と鋼の番犬
赤道直下の熱気が、シンガポール・ゲイラン地区の裏路地に澱んでいた。
アジア有数の金融センターにして、世界で最も治安が良いとされるこの都市国家も、光が強ければ影も濃い。再開発から取り残された無人の旧規格オートメーション倉庫群の奥で、二つの影が静かに動いていた。
「……ビンゴだ。偽装されたサーバー群と、自動運転(オート)仕様に改造された装甲テクニカルが五両。荷台に積んであるのは、軍用ドローンの群れ(スウォーム)だぜ」
アロハシャツに身を包んだ巽恭平が、薄暗い倉庫の梁の上から小型の双眼鏡を下ろして通信機に囁く。手には警察官時代の愛銃であるコンバット・マグナムが握られていた。
『映像を受信しました。……やはり、昨今の欧州金融機関を狙ったサイバーテロと同一の暗号化プロトコルです。数時間後に開催される国連アジア太平洋経済サミットの会場を、この無人機群で直接物理攻撃する気ですね』
通信の向こうで冷静に分析を下すのは、新設された多国籍PKOタスクフォースの技術支援担当、牧野理沙(まきの りさ)だ。かつて防衛装備庁で次世代機体開発のチーフを務めていた彼女は、ヴァンツァーの整備から敵のサイバー戦術の解析までを一人でこなす天才肌のエンジニアである。
「テロリストどもめ、安全な場所からゲーム感覚で街を火の海にする気か。……胸糞が悪い」
地上で作業員に変装し、倉庫の配電盤にハッキング用のデバイスを仕掛けていた榊健吾が低く唸る。
『牧野の言う通り、敵の狙いはサミット会場よ。この場で連中の端末を物理的に破壊し、指揮系統を潰すわ』
指揮車両で全体を統括する鷹司冴子の声が響く。
「了解。サクッと終わらせて、シンガポールスリングでも飲みに――」
巽が梁から飛び降りようとしたその瞬間、倉庫内のすべての照明が不気味な赤色に切り替わった。
同時に、無人の装甲テクニカルのエンジンが一斉に唸りを上げ、荷台に積まれた数十機の重機関銃搭載型ドローンが、羽音のようなモーター音を響かせて宙へ舞い上がる。
「チッ、こちらの潜入に気づいてトラップを起動させやがった!」
巽が咄嗟にマグナムを抜き放ち、上空から迫るドローンのカメラセンサーを撃ち抜く。
「巽、後退しろ! 生身で相手にする数と火力ではない!」
榊が倉庫のコンクリート柱に身を隠しながら叫ぶ。自動運転のテクニカルが急発進し、無人のまま二人がいる柱へ向けて猛烈な重機関銃の掃射を始めた。人間が乗っていないため、彼らの動きには躊躇も恐怖もない。ただ冷徹な殺戮プログラムがそこにあるだけだ。
「鷹司局員、作戦変更だ! ”お出かけ”の準備を頼む!」
巽の怒号に、通信機から陽気な男の声が割り込んだ。
『お待ちかねのデリバリーだぜ、特務のお兄さん方! 手首のビーコンをオンにしな!』
タスクフォースの輸送・航空支援担当、荒田修吾(あらた しゅーご)だ。元航空自衛隊の凄腕輸送機パイロットである彼は、上空に待機させていた最新鋭のVTOL(垂直離着陸)輸送機のハッチを迷いなく開放した。
倉庫の脆いスレート屋根を突き破り、四つの巨大な鋼鉄の塊が、巽と榊を庇うように轟音と共に降り立つ。
「牧野、全機のリンク正常。……さあ、駆除の時間よ」
鷹司が搭乗する電子戦仕様の『111式春陽』が、着地と同時に広域ジャミングを展開。ドローン群の動きが一瞬鈍る。
その隙を突き、榊が重装甲を誇る『113式強春』へ飛び乗った。
「幻で終わったイグチの機体……その真価、ここでお披露目と行こう!」
強春が、身の丈ほどもある超大型のタワーシールドを構えて前衛に出る。無人テクニカルの重機関銃が雨霰と降り注ぐが、強春の極厚装甲とシールドはそれを小石のように弾き返した。
「榊一尉の盾、相変わらず頼りになるぜ!」
巽もまた、インファイトに特化した高機動機『112式法春』のコクピットへ滑り込む。スラスターを全開にし、強春の作り出した死角から弾丸のように飛び出した。
法春の腕部に装備された最新型の格闘用スタンロッドが唸りを上げ、自動運転のテクニカルを一撃で破壊する。
『上空のドローン群、再フォーメーションを構築中。……させません』
隣接する廃ビルの屋上。そこに静かに片膝を突いていたのは、汐見葵の駆るオリジナル狙撃機『114式春陰』だ。
周囲の熱と音を完全に遮断するステルス装甲を纏った「陰」の機体から、超長距離狙撃用ライフルの火線が閃く。音よりも早く到達した一撃は、空中で統率を取ろうとしていたドローンの指揮通信機を、寸分の狂いもなく撃ち抜いた。
「敵のネットワークに致命的なエラーを確認。トドメよ!」
鷹司の春陽が、両肩のミサイルポッドからマイクロミサイルを一斉射出。統制を失ったドローン群は空中で次々と爆散し、シンガポールの夜空に無数の火球を咲かせた。
数分後。
火の海となった倉庫の中で、四機の『春』シリーズは静かに駆動音を響かせていた。
「……片付いたな。人間が乗ってねえ機械の相手ってのは、どうにも張り合いがないぜ」
巽が法春のカメラアイを巡らせ、残骸となったテロ兵器を見下ろす。
「だが、これがこれからの戦争だ、巽。国境も大義もなく、ただプログラムされた悪意だけが世界中を飛び回る」
榊の強春が、シールドの汚れを払いながら重々しく答えた。
『二人とも、感傷に浸るのは後です。牧野さんの解析によると、このテロ組織のメインサーバーの痕跡が、中東方面へ向けてデータ転送を行った直後でした』
汐見が春陰のスコープを下ろしながら報告する。
「その通りよ。私たちのPKOとしての初仕事は、どうやらここだけじゃ終わらないみたいね」
鷹司が、指揮車両から次の目的地を四機のモニターへと送信した。
『さあて、次は砂漠の空の旅だ! しっかり捕まってなよ!』
上空から荒田の操る輸送機がホバリングで接近し、四機を回収するためのワイヤーを投下する。
国家間の戦争という巨大な影が去った後、世界を覆い始めた「見えないテロリズム」の脅威。
最新鋭のヴァンツァーを与えられた四人の防人たちと、二人(荒田・牧野)の新たな仲間による多国籍タスクフォースの戦いは、熱気渦巻くシンガポールから、次なる戦火の地へと続いていく。