エピローグ:それぞれの『春』
ハフマン島の地下深くに眠る悪意が潰え、世界を揺るがした大事件が静かに幕を閉じてから、数ヶ月の時が流れた。
太平洋を渡って日本へと帰国した特務チーム「鋼の番犬」は、全ての任務完了と共に静かに解散した。機密の壁に守られたその活躍は、公のニュースに上ることはない。世界を救ったという巨大な事実すら、平和な日常の中に優しく溶け込んでいた。
神奈川県警、ヴァンツァー警ら隊の格納庫。
パトロール任務を終えた巽恭平は、白黒のツートンカラーに塗られた見慣れた警察用ヴァンツァーから降り立ち、大きく伸びをした。
「巽巡査部長、パトロールお疲れ様です! 管内、異常なしですね!」
駆け寄ってきた若い後輩隊員が爽やかに敬礼する。
「おう、ご苦労さん。今日も街が平和で何よりだ」
巽は笑って応え、格納庫に並ぶ機体を見上げた。
かつて北米の荒野を爆走し、ハフマン島の暗闇でスタンロッドを握りしめていた日々が、どこか遠い夢のように思える。だが、操縦桿を握る手に残る微かなタコや、ふとした瞬間に思い出す鉄とオイルの匂いが、あの死闘が現実であったことを証明していた。
(榊のおっさんは今頃、駐屯地で相変わらず堅物な顔をして後進を育ててるんだろうな。汐見はあの静かな瞳で海を睨んでるのか。鷹司の姐さんや牧野、荒田もそれぞれの場所で元気にしてるかね……)
シャッターの外に広がる横浜の穏やかな空を見つめながら、巽は不敵に口角を上げた。この何気ない日常の平和こそが、自分たちが世界中を駆け巡って守り抜いた成果なのだと、胸の奥で誇らしく実感する。
一方、陸上自衛隊の駐屯地。
青空の下で繰り広げられる訓練の合間、汗を拭いながら遠くの空を見上げていたのは榊健吾だった。
「榊一尉、どうかされましたか?」
部下の隊員が声をかけてくる。
「いや……何でもない。次の演習手順の確認だ」
榊は短く答え、隊員たちの頼もしい後姿を見送った。
二丁の重火器を構え、強敵の弾幕を受け止めていたあの狂乱の日々。厳しかった戦いを共にした仲間たちの顔が浮かんでは消える。
(皆、それぞれの持ち場で今日もこの国を守っているのだな)
自分たちの戦いは終わった。だが、平和を維持するための日常の職務は、決して終わることがない。榊は身を正し、力強い足取りで訓練場へと戻っていった。
そして、日本近海を航行する海上保安庁の巡視船。
吹きすさぶ潮風の中、海上保安官である汐見葵は、甲板での洋上射撃訓練に臨んでいた。
荒波に揺れる足場、予測不能な海風。しかし、彼女が静かにライフルの引き金を引くと、遥か遠くの波間に浮かぶ標的の中心が寸分の狂いもなく撃ち抜かれた。
「さすがの精度ですね、汐見さん。揺れる船上からあの距離を当てるとは」
同僚の称賛に、汐見は静かに銃を下ろし、わずかに唇をほころばせた。
(私の狙撃が、あの最悪の夜を終わらせた……)
極寒のシベリアで、赤土のオーストラリアで、そしてあのハフマン島の深淵で。仲間たちが信じて開けてくれた射線に応え続けた記憶は、今や彼女の海を守る者としての揺るぎない誇りとなっていた。
同時に、警察庁や防衛省の別々の部署で、それぞれの任務に励んでいるであろう鷹司冴子や牧野理沙、そして機を操り空を駆けていた荒田修吾もまた、同じ空の下でこの日本の平和を噛み締めているはずだった。
「さて、と。今日も市民の安全を守るために、ひとっ走りしてくるか」
巽は警察用ヴァンツァーの装甲を軽く叩き、再びコクピットへと視線を向けた。
心地よい春の風が吹き抜け、格納庫に心地よい音を響かせていく。
戦いの季節は過ぎ去り、世界には確かな「春」が訪れていた。
もし再び世界に影が差し、鋼の牙が必要とされる日が来たとしても——自分たちはそれぞれの場所で己の職務を果たし、何度でもこの平穏を守り抜くだろう。
互いの絆を心に秘めた鋼の番犬たちは、今日もしなやかに、平和な日本の日常を歩み続けている。
(『特務チーム・鋼の番犬』シリーズ 完)
最後まで目を通してくださった方、おられたら、ありがとうございます。このシリーズはこれで最後、完結とさせていただきます。最後に宣伝です。オリジナルのロボットものの小説を、なろうやカクヨムに投稿しています。タイトルは「ADUADSMk-Ⅱ小型無人機対策課」です。内容は4メートル級の人型搭乗式ロボットで違法ドローンを撃退する架空の公務員たちが主人公のパトレイバー風の物語です。一話完結です。興味を持たれた方は是非一度見てみて下さい。それと本作と前記小説の感想をいただけたら幸いです。