扉をくぐると、そこは子どもが書いたスケッチのような世界であった。
横から殴りつけてくる夕光と、視野を狭めるほど鮮やかな緑、全ての色を乱反射している精霊、それらの輪郭が少しずつぼやけて、混ざり合って、分からなくなっていく。
光がまぶしいくらいに輝いて、世界の終わりを華やかすぎるほど幻想的に彩っている。
空は割れている。夜空と夕焼けの間から真っ暗闇が覗いている。
地面がめくれている。薄皮を剥くように捲れあがって、宙に浮いて、そのまま消えていく。
「よし、ここから本番だ」
「ですね。シャベルの出番です」
俺たちは二人で穴を掘っていく。
ここまでクソ重いシャベルをわざわざ持ってきたのは全てこのタイミングのため。
この森は非常に迷いやすく、案内なしで目的の場所にたどり着ける確率は限りなくゼロに近しい。
そのため、俺がキッカの家にたどり着くにはどうにかしてキッカの家の位置を正確に把握する必要がある。
この世界は箱庭構造だ。この世界の高度には下限と上限が存在する。
そして下限に触れると上限に移動する、ループ構造になっている。
つまり作戦はこうだ。
「地面を掘って下限に繋がる穴を作る」
「次に私がその穴から落ちて、キッカさんの家を探します」
「で、俺がそこに向けて突撃する」
「バカみたいな作戦ですね」
「世界が終わってんだ。バカなくらいがちょうどいいさ」
掘り終わった穴は、まっくらで、どこに繋がっているか分からない根源的恐怖がある。
ただし、この先は何もないわけではなくこの世界で最も高い空に繋がっている。
ここに落ちても日本に戻れば死ぬことはない。だが、この世界には戻れないことを意味する。
「俺が提案したんだが……良いんだな?」
「今更ですか? まぁ、心配はしてませんよ。あなたが生きて日本に戻って来れたんですから」
金森はシャベルをそっと地面に置いて、深く深呼吸した。
「じゃあ、行ってきます」
「行ってこい」
金森は空に落ちていった。
元々は一度落ちたことのある俺が空から偵察して、再び異世界入りする予定だった。
だが
俺はただ待っていた。
「見えました!! そのまま正面です!」
「金森!」
「あとは任せました!」
金森は地面に振ってくる直前に消えていった。
シャベルを捨てる。花瓶を握る。
後ろを振り返ることなく、託された想いを持って俺は走り出した。
高校の体育と蛇に追われた時以外、ほとんど動かない筋肉を全力で稼働させる。
「何をしに来たの!!」
雷のように怒声が轟いた。
キッカだ。キッカが侵入した俺たちの存在に気づいたのだ。
頭上を見ると怒髪天をついたキッカが浮いている……いや逆さになって浮いているから髪が昇っているように見えるのか。
というかそもそもあいつはそこまで飛べないはずだったが……
「何って、決まってるだろ!」
「いらないよ! 私が全部決めたの! 私が全部終わらせるって決めたの! だから帰って!」
「嫌だわ! お前ここまで来るのにどんだけ苦労したと思ってやがる!」
「もういい! 帰ってよ!」
そう言い残してキッカの姿が描き消えた。
キッカは浮かぶことはできても空は飛べなかったはずなので疑問に思っていたが、どうやら映像か分身か何かを飛ばしてきていたようだ。
幻影のキッカと入れ替わるように巨大な影が現れた。
地獄でも見た一振りの極大のハンマーだ。
この全てが曖昧になる崩壊の中で、あのハンマーだけははっきりとした輪郭を持っている。
見た瞬間に理解してしまう、あれは現実だ。
このあやふやな曖昧となった世界でたった一つの現実だ。
ハンマーはそのどうしようもない質量と強度を伴って、地面へとたたきつけられた。
「お、お、お、おわぁああああああ!」
空間が砕ける音がした。
爆心地とでもいうべき破砕地点から崩壊が連鎖的に発生し、光と空と地面と樹と精霊と俺とが訳もわからないまま吹き飛ばされていく。
幸運にも(というか十中八九キッカのやさしさ)ケガや痛みはない。
「見えた!」
そして全てが粉砕されていく今、今だからこそ視認できる。たった一つ空間に固定されたように動かない一本の大樹。
あれがキッカの家だ。
だが、場所が分かってもたどり着けないなら意味は無い。
がれきと一緒になすすべなく爆風に吹き飛ばされている俺は確実に家とねじれの方に飛ばされている。
そんな俺をキッカの幻影は見ていた。
「どう!? このままだとずっと飛んでいくだけだよ! 戻った方がいいんじゃない!?」
「戻るわけ無いだろ! 諦めたらそこで試合終了だわ!!」
「じゃあ少しは私の方に近づいてきてよ! バーカ!」
実際そうだ。今の俺は宇宙ゴミのように空間を漂っているだけ、普通の人間は宇宙空間で方向転換することなんてできない。
だから普通じゃないことをする必要がある。
「頼むぞ俺の右腕……なんとかしてくれ」
「何をする気なの?」
幻影のキッカが怪訝な顔をしている。
やってみろと言ったわりにできないってタカ括ってるんだろ?
悪いがその程度で諦める人間じゃねえんだ。
右手にあるのは、教室でもらった花瓶だ。
それを握りしめて……あの家へと投げた!
「え!?」
「捕獲!」
教室で別れた教科書先生の言葉を思い出す。
『使い方は捕まえたいものに向けて捕獲というだけ。取り出すときは割るだけでいい。便利でしょう?』
今花瓶の口が向いているのはキッカ……ではなく俺だ。
俺の宣言によって花瓶は正常に機能する。
風とは違う、存在そのものが吸い込まれるような感覚によって俺は再び花瓶に取り込まれる。
「な、な、な、何してるの!」
答えられない。花瓶に口はないから答えられない。
でも、分かるだろ?
俺は花瓶に乗ってそのまま家を目指す。
花瓶を投げて、その花瓶に取り込まれれば、後は家まで一直線だ。
脱出方法も割れるだけだから、キッカの家の壁か何かに当たれば戻れる。
あとは俺があらぬ方向に飛ばしてなければ完璧だが……
「やば! このままだと……!」
キッカが狼狽しているなら、方向は完璧だったらしい。
あとはこのまま悠々自適にゴールインだ。何もなければだけど。
「そんなことさせない!」
キッカが手を掲げる。
その手の先に巨大な樹が現れる。樹は落ちることなく、手のひらの先を浮いたままだ。
あの、もしかしなくてもそれをぶつけてくる気ですか?
「大丈夫、痛くないから! だから、ごめん。帰って!!!」
キッカが手を振りかざす。
そして樹が俺をめがけて動き出す。
きっとキッカが言う通り痛くないし、ましてや命の別状はないだろう。
だが間違いなくこの花瓶は割れる上、別方向に吹っ飛ばされる。
家まではまだ半分ほど距離がある。家に着くまでに樹がぶつかるだろう。
このままではマズイ。だが、花瓶に囚われた俺に何かできることはない。
あの樹さえ何とかできれば間に合うってのに!
もはやこれまでか……
「ヨスガ君、邪魔しに来ましたよ!」
突如、金森の声が聞こえてきた。
金森は樹の斜め上から一直線に突っ込んできている。
「金森君!? なんで!」
なんでここにいるか。金森は日本に戻ったはず、あの崩壊中の入り口は通れたのか。
その疑問に答える前に金森は樹に突っ込み……
「ぐはァッ!」
跳ね返された。
だが何の意味もなかったわけではない。僅かだが、確かに樹はその向きを逸らした。
軌道が変わった、俺の横を通り抜ける軌道へと。
「なんで金森くんがいるの!」
金森は力なく飛んでいく。しかししっかりとした声色で応えた。
「もう一回異世界に入っただけですよ。とはいえ、僕一人では崩壊中の入口を通ることは無理でしたが」
そう言う金森の肩から小さな光が一つ現れた。
この世界で何回も見た精霊だった。
「その精霊は、昨日の……!」
「好奇心旺盛なようで、この世界の仕組みにある程度精通しているようでした。この世界のループ構造に気づく程度には」
昨日会った精霊で、この世界に対する知識が深い精霊は一人しかいない。
キッカと協力して、俺が仲直りした精霊だ。
二人とも助けに来てくれたのか!
おかげでキッカの妨害はもう間に合わない。
「行ってくださいヨスガ君! 応援してますよ!」
そう言い残して金森の姿が消える。日本に戻ったようだ。あの入口を通るのにどんな苦労があったか、俺は想像することしかできないが、無駄にする気はない。
あの精霊は細目に一人漂っているのが見えた。無事なことを信じるしかない。
俺はまっすぐと進行方向だけを見据える。
目前に不動の樹が現れて、花瓶が割れた!
「よっしゃ、抜けれた! ッ!」
花瓶から出て、不格好に着地する。
地面に散らばったガラス片に手をついてしまったが、無視する。
「まって!」
後ろを振り返ることなく、走って勢いで扉を開けた。
キッカの家は、とてもこじんまりとしていた。
6畳1間の和室に、ちゃぶ台と、ブラウン管と、ゲーム機が一台ずつあるだけだ。
ゲーム機はブラウン管テレビと接続されていて、そのコントローラーをキッカは握っていた。
「キッカ……!」
「ヨスガ……」
キッカはコントローラーをじっと見ている。顔は見えない。
俺は家に一歩足を踏み入れる。
「来ないで!」
瞬間、動けない。
思わず足を止めてしまった。
ゲーム機の画面は俺の背後を映して動かない。多分、あの分身の視界だ。
俺たちは、動けなかった。
「今更何しにきたの」
「決まってるだろ」
何をするべきかはまだ分からない。
でもここでいうべき言葉はすでに決めていた。
「約束を果たしに来た」
「約束?」
「最期まで一緒にいる。忘れてないよな」
キッカが初めて顔を上げた。
覇気のない笑顔だった。
「そうだったね。忘れてたよ」
「俺はハリセンボン飲みたくないんだけど」
「あっはは本当に飲む気だったの?」
「飲みたくないからここに来たんだわ」
「はは、ははは! そうだよね! あっはははは!」
キッカが線が切れたように笑い始めた。
彼女の瞼から涙がにじみ出ている。
すぐに笑いは収まり、キッカがコントローラー片手に立ち上がる。
ゆんら、するりと上体が起きる。
ランランと輝く目が覗かれた。
「俺を救うために、約束を叶えてくれよ。ヒーロー」
「いいよ。でも勝手に帰らないでね!」
キッカがコントローラーを操作する。その周囲に地獄の人玉が浮かび上がる。
コントローラーでこの世界を操作しているなら、多分あのゲーム機が……
「あっぶね!」
そこまで考えたところで人玉が飛んできた。
とっさに横に跳んで躱す、爆発が聞こえた。
息つく間もなく人玉が飛んでくる。
「無限かよ!」
「無限だよ!」
狭い和室が人玉と爆風で満たされていく。
避けても避けても人玉は途切れない。
それが分かった瞬間、諦めが頭をよぎって急に疲れが身体を襲ってきた。まずい
人玉が迫る。まずい。
頭が避けろと言っても避けられない。
とっさに俺は……
────────────────────────────────―
ヨスガに人玉が直撃し、爆発した。
死ぬことはない。ただ痛いし、気絶しちゃうと思う。
あとは外に運び出して、虚空に落とすだけかな。
あれ、今爆風に影が……
「止、ま、るかぁっ!」
ヨスガが現れた!
なんで、どうして……あ。
ヨスガの右腕がない。
爆発の盾に使ったの!?
この世界は血がでない世界観だ。だから現実よりも痛みは少ない。
でもなんで前に進めるの!?
狭い部屋だからヨスガはあっという間に私の横を抜けられた。
「あっ!」
「これなんだろ……この世界の依り代は!」
ヨスガがゲーム機に手を掛ける。上部のボタンを押して、その中身を開く。
「待って!」
私が静止してもヨスガが止まるわけがない。
あえなく、その中身がさらされた。
「お前……これは」
ゲーム機の中は一枚のゲームディスクを入れるスペースになっている。
そこには、本来私が捧げた依り代として世界が詰まったゲームディスクが入っているはずだった。
でも、もうそのゲームディスクはほとんどが崩壊していて、今は手のひらサイズのひとかけらだけしか残っていない。
「ほとんど、ねー……」
「もうこの世界はほとんど崩壊してるの」
そのゲームディスクはこの世界が詰まっている。そしてこの世界そのものでもある。
だからゲーム機で世界を操作できる。逆に、世界を壊せばゲームディスクもまた壊れる。
結果が、これ。
「もう治せないの」
もう修復不可能なほどに、このディスクは崩壊してしまっている。
「修復に必要なリソースはもうないの」
世界はすでにばらばらになって、繋がらない。
「だから誰も私を止められないの」
私は世界を崩壊させて、救うんだ。
ヒーローらしくないけど、これが最善のエンド。
「……ヨスガ?」
ヨスガが立ち上がった。何か手に持っている。
ディスクだ。崩壊しかけのディスクと、破片を両手に収めている。
ディスクは、今もまだ何もしてなくても少しずつ崩れている。
「このままだと何もせずとも終わるってことか」
「そうだよ」
「これで良かったのか?」
「うん」
「本当に?」
本当にこの終わりでよかったのか?
今の今までさらりと答えられた、何回も繰り返された問い。
だけど何故かこの瞬間になってうまく建前が出てこない。
「嘘だよ……」
「菊花?」
「嘘だよ! 嘘に決まってるじゃん! 誰が死にたいなんて思うの!」
心が面の皮を吹き飛ばした。とめどなく言葉があふれてくる。
「今も! 2年前も! ずっとずっと死にたくなかった! 誰か変わってほしかった!」
「……」
「でも変わってくれない! 誰も私を気づいてくれない! 皆私を知らないまま勉強して、運動して、遊んでる! だから私がやるしかないの!」
決壊したダムのように取り繕う暇もない。
「大体今更来て何になるの!? もう全部終わったんだよ!? 本当に私を助けたいんだったら2年遅いよ!」
視界がぼやけて、私の声しか聞こえなくなって、私の熱だけが暴走する。
「ヨスガが気づいてれば私は死なずに済んだのに!」
「ごめん」
「ごめんで済むわけないじゃん! 私死んでるんだよ!? 私まだプレイしたいゲームあったよ! 大学行きたかったよ!」
「俺が悪かった。俺が、何も見てなかったから」
「そうだよ! ヨスガが悪いよ! そこまで言うんならヨスガが私の代わりに死んでよ!」
言ってはいけない言葉を言ってしまった。
気付いた時にはもう遅かった。吐いた言葉は取り消せない。
「分かった」
「え」
違うの死んでほしくないの。私はあなたの無事を祈ったから死んだの。やめて無駄にしないでじゃないと私なんのためにここまでやってどうしてわかったなんて言ったの死にたいの死にたくないんじゃないの。
「だけど、半分だ」
「はん、ぶん?」
「死ぬかもしれない。生きるかもわからない。だから半分だ」
「それってどういう」
私の疑問に答えないまま、ヨスガは両手のゲームディスクを飲み込んだ。
「!?」
「ガ、あああああああああああああああああああああ!」
「何してるのヨスガ!」
崩れ落ちるヨスガ。当たり前だ。この世界は沢山の人の思いと私の命でできている。
それを精神体に取り込むなんてしたら、自分のなかで自分と世界が喧嘩するに決まってる。
「リ、ソースだ!」
「リソース? どういうこと!」
「おれ……がリソースに、なるんだよ……っ!」
「あ……」
この世界を開くとき、私は私をリソースにした。
なら、他の人もリソースになることができる。
ヨスガはヨスガ自身を使って世界を再構築しようとしているってこと!?
「でも、依り代がないよ!」
「俺の身体だ! これだけ小さいなら、死なないだろ!」
普通なら命丸ごとをリソースにしないと、世界は作れない。私の場合はそうだった。
だけど、今の世界は私の崩壊によって最低限の要素を残してほとんど残ってない。
それなら、命全部じゃなくても足りるんじゃないか?
それなら、自分の身体を依り代にできるんじゃないか?
理論上は成立しそう、だけど……
世界が端からどんどん消えていく。ヨスガの中に消えていく。
「そんな……でも無茶だよ!」
ヨスガの身体がひび割れて少しずつ夕光があふれだし始める。
ヨスガが破裂する!
「あああああ! ダメだ! 俺が多すぎる! 世界が入りきらねえ!」
そう言ってヨスガは、自分の左目を……破壊した。
「ヨスガ!」
「俺の記憶も、想いも、壊す! だから、持ってくれよ!」
この部屋も消えていく。
壁が、床が、天井が、テレビが、ゲーム機が、消えていく。
それと比例するようにヨスガはどんどん苦しんでいく。
きっと外から見えない何かを壊して、どかして、世界を収めている。
「脳が焼き切れてでも、俺は、俺は!」
世界はすでに私とヨスガ以外はなくなった。
私も順に消えていく。
それでも私はもう怖くない。
「菊花、お前を助けたいんだ!」
そして何もなくなった
異世界に、脳を焼いた君がいた
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お盆は死者が帰ってくる期間と言うらしい。そしてもちろん、お盆が終われば死者は死者の世界へ帰って行く。
金森が時計を見ると、デジタル時計は23:50分を表示していた。
「ヨスガ君……」
隣には異世界の入り口である木と、目を閉じたヨスガ。
1時間ほど前にヨスガの身体が戻ってから返事はない。キッカは、異世界は、聞きたいことは沢山ある。
一時は最悪の想像をしたが、脈があることは確認できた。
その時は突然訪れた。
「ん、んぐ……」
「! 目を覚ましたのですか!」
ヨスガが、黒と橙のオッドアイを開いた。
金森は全ての疑問を喉奥に押し込んで無事を確認する。
「大丈夫ですかヨスガ君!」
「私は、無事だよ……」
「よかった……私、ですか?」
その一人称に疑問を抱く。
『私』はキッカの話し方だ。ヨスガじゃない。
混乱する金森を置いて、話は進んでいく。
「ヨスガは私と世界をまるごと自分の中に入れたの」
「じゃあ、ヨスガ君は?」
ヨスガの身体が目を閉じる。
数秒の沈黙の後、再びヨスガが目を見開く。
「あんまり覚えてないけど……」
その左目には夕焼けが、そして右目には常夜が並んでいた。
「これからもよろしくな、金森」
ここまでのご愛読ありがとうございました。
拙い小説ですが、楽しんでいただけたら幸いです。
この二人の話はここで終わりですが、もしかしたらまた会える機会があるかもしれません。