「じゃ、行ってくるわ」
「気を付けてね」
「お気をつけて」
「おう」
二人の言葉を背に、教室から出た。
教室の外は廊下になっていた。
教室のように廊下もまた異常なモノで、先の方は良く見えないがどこまでも続いているように見える廊下だった。
後ろの方もまた然り、同じようなつくりだ。
出発する前に今出た教室の表札を見た。
『2-B』
「2年前のキッカのクラスか」
偶然か、いや必然だろう。明らかにこの世界はキッカ本位に造られている。
表札には『2-B』とあったため、一応『2-A』の先はどうなっているか見てみる。
『1-Z』だった。
こうなると『1-A』よりさらに先はどうなっているか気になるが、やめた。疲れそうだし。
なんとなく『2-C』方面へと足を進めることにした。
歩いている間も思考をやめることはない。
この世界はキッカ本位だ。
異世界が周りの要素とイメージを汲み取って作られるのであれば、キッカ一人のイメージが面積を占めすぎている。
まるでキッカのためだと言わんばかりだ。
じゃあキッカの要素だけでできているかというと、これもまた違うと思う。
危険な怪物、並べられた花瓶、この異世界のところどころに元のキッカの要素とは思えない要素がある。
キッカの要素に塗り固められて気づけないだけで、この世界はどこか不穏だ。
だからキッカのいない場所で、キッカと関係ない場所を調べることに決めた。
もちろん、キッカを傷つける何かがあるかもしれないという考えもあったが。
『2-I』
あの高校にはなかった教室だ。
ガラりと教室の扉を開けた。
教室の中は『2-B』とあまり変わらない。教科書が積まれた教壇と花瓶が置かれた学習机。
だが、『2-B』よりもちょっと汚いか?
良く見れば机にキズがあったり、花瓶にひびがあったり……表札のアルファベットがすすんだことで経年劣化した、とか? いや違うな。
「ちょっと時代が古いのか?」
『2-B』と比べてこの教室はなんというか、古かった。
一番大きな違いは天井だ。
『2-B』の天井にはエアコンが設置されていた。中学生のころに比べて快適だったことも覚えている。
だが、この『2-I』の天井にはエアコンではなく扇風機が敷設されている。
どうみても『学生なんて扇風機で耐えれるだろw』とかのカスみたいな時代の設備だ。
「うわ、この教科書ふっる」
教壇に積まれた教科書の表紙には、ポリコレを先取りしたとしか思えない可愛くも愛嬌も親しみやすさもない当たり障りのない絵が描かれていた。
まぁ、絵がなんであれ中身を見る分に差し当たりはない。
俺が教科書に手を伸ばした時だった。
突然教科書が飛び上がったのだ。
「この教科書はこれからの日本を担う皆さんへの期待をこめ、税金によって無償で支給されています。大切に使いましょう」
「うおっ! 喋った?」
喋る教科書はばっさばっさとページを羽のようにして飛んでいる。読ませる気ないだろ。
「お前、喋れたの?」
「……」
無言。
え、こいつ読ませる気もないのに質問にも答えねえの? 無能じゃん。
……いや違うな。
「教科書10ページ」
「……この世界は主に3種類のエリアに区分けされており、このエリアはその中間に位置しております(図1)。一般にこのエリアは学校エリアと呼ばれており、その役割は通路と保管庫、そして安全弁……」
こいつ教科書に書かれていることしか喋れないのかよ。
どっちにしろ無能じゃん。
しかも(図1)って言ったなら図を出せよ。何でこっちが教科書見る前提で図書かねえんだよ。
「……表札の数字とアルファベットが進むごとに過去の要素が反映されるようになります」
「お前目次話せたりしない?」
「先生はお前ではありませんし、先生が話している途中です。静かにしなさい」
教科書のくせに自認先生かよ。
「お前先生でもないだろ」
「……」
しかも教科書10ページの解説やめやがった!! こいつ面倒くせえ!
キッカと金森を置いてきている手前、あまり時間を掛けたくない。
聞く内容は一つに絞ることにした。
「日明野 菊花について教えてくれ」
教科書はぱらぱらぱらりと飛びながら器用にページをめくっていく。
やがて該当のページにたどり着いたらしく、喋り始めた。
「日明野 菊花はこの世界を開いた人物です。付近の高校の生徒の集合的無意識にすぎなかったこの世界に、指向性を持たせました」
驚きは少なかった。
むしろ納得感の方が強い。
世界の創造者。そうだとすればこの世界がキッカ本位になっていることにも説明が付く。
「日本神話ではイザナギとイザナミの国生みに代表されるように、世界は初めは混とんとしているものです。それを……」
「で、なんでキッカはそんなことしたんだ?」
「先生が話している途中です。これで二回目です」
教科書がまた、喋るのをやめようとした。
ここで食い下がってまた聞けばよかったものの、今日の俺は少しイライラしていたらしく、ここにきて爆発しそうになっていたのがまずかった。
「いや、そういうの良いから。結論だけ教えてくれ」
「先生が話している途中です。仏の顔も三度まで、捕獲!」
教科書がそういった瞬間だった。
俺の身体が無くなった。
そして視界もおかしい。まるで机の上に直接頭が置かれているような視界だった。
いや違う!
前の席の花瓶に反射する俺の姿を見て、俺は驚愕した。
そこに本来の俺の姿はなく、ただ花瓶が映るだけだ。
つまり、俺自身が花瓶になっているということだった。
は? は? は? 嘘だろ? 何も動けないんだけど。ふざけるなよ!
周りにも花瓶がある。あれも元は人間だったってことか?
それがピクリともしないってことは俺がこのまま何もしない場合、どうなるかなんて目に見えている。
腕を動かしてみる。動かない。
足を動かそうとする。動かない。
喉をしゅるりしゅんるり、と鳴らす。待て、今の思考はなんだ?
熱い、乾いた、躾けたい、頭の中に俺じゃない声が反響していく。それと反対に俺の体はすでに花瓶であることを受け入れつつあった。すでに手の動かし方を忘却しようとしている。
このままだと頭がおかしくなりそうだ。
すぐに日本に帰還する方法を実行し始めた。
「なぜ日明野 菊花がこのような世界を作り出したかは諸説あります。しかし、一つ確かに言えることがあります」
戻れ戻れ戻れ戻れ戻れ!
「日明野 菊花は世界を生み出したと同時に命を落としました」
次の瞬間、暗転する視界に身をゆだね、俺は意識を落とした。
空気の質が変わった。微妙に温い風が俺の身体を包む。ってか背中が痛い。
「!?」
背中が痛い!
バッと俺は起き上がった。足を見て、腹を見て、手を見た。体中あちこち触ったが、間違いなく俺の身体そのものだった。
「生きてもどれた……」
「どうしたんですか、いきなり異世界から出て」
隣から声がした。
俺はすぐに隣を向いた
「金森か」
「日明野さん心配してましたよ」
「いやちょっと緊急でな」
「まったく、何が起きたかは後で聞きますからとりあえず移動しましょう」
「ああ」
金森の後に立ち上がった俺は、その実考え事に更けていた。
花瓶にされた時、異常な思考で俺の頭は埋められた。
だがそれは俺を洗脳しようとしたのではなく、端に周りの花瓶の心から何かが残響として伝わっただけのように思えた。
────────────────―
ガラガラぴしゃりと扉が閉まる音がした。
「ヨスガ君行っちゃいましたね」
「そうだね」
閉じられた扉を見た。
すりガラスの向こうできょろきょろとしているヨスガの姿が映っている。私とヨスガを隔てているのはたった一枚の扉なのに、彼はもう私を見ていなかった。
「なんか今日のヨスガ変じゃなかった?」
思えば今日のヨスガは何か変だった。一見普通のヨスガだったのに何か後ろめたそうだった。
それは私と一緒のころにはなかった表情だった。私といた頃のヨスガは思ったことははっきり言うか黙るかだけだ。隠すことはしなかった。
「変? 多少偏屈ではありますが、変ではありませんでしたよ」
「そうなんだ」
金森君が変だと感じないのなら、それはそうなんだろう。きっと私がいないこの3年間に身に付けたものだ。それは成長だって知っているけど、私が置いて行かれているみたいで寂しい。
「ねえ、金森君。この2年で何があったのかもっと教えてくれないかな」
「もちろんです。僕もその話をしようと思ってましたので」
金森君はそう言って、近くの椅子を引いた。
私もそれに倣って、椅子を引いて座った。
「どこから聞きたいですか?」
どこから、と言われても色々ある。自殺した理由とか、でもそれはヨスガ君たちが調べていることで、聞いても意味がない。だから最初に気になったことから聞いていく。
「どうして二人で調査してたの? 二人とも接点とかなかったよね?」
「彼が後追いしたからです」
「へーヨスガ君が後追いで調査なんて意外」
「あ、違います。後追いで自殺したんです」
「へー後追いで自殺かーそれなら……ええ!?」
「愛されてたんですね」
ヨスガが自殺!? 後追いってことは私の後を!?
……ちょっとまって自殺”した”のならなんでヨスガは生きているの?
「……もしかしてヨスガも私と同じ」
「ああ違いますよ。彼は今も生きてます」
「なら、どうして自殺は未遂だったのね?」
「まぁ結果的にそうなります。あなたがいなくなってから彼の変化は目覚ましかった。授業は真面目に受けてましたし、クラスメイトとも積極的にかかわるようになりました。まるであなたの穴埋めをするかのようにね」
信じられなかった。
私の知るヨスガはそんなこと絶対にしない。
だから別の誰かがヨスガの代わりをしていたんじゃないか、なんていうバカな考えが一瞬頭をよぎった。
きっとそれだけ大きなショックをヨスガは受けたんだ。
それだけになんで私は自殺なんて馬鹿な真似をしたんだろう。
「並行してあなたのことについても聞き込みしてたみたいです。きっとあなたがどうして自殺したのかを知りたかったのでしょう」
「そんなの私だって知りたいよ……」
「責めているつもりはないので大丈夫ですよ。ただ当時からヨスガ君は今のようなヨスガ君になったのではないのでしょうか」
何かを隠したような状態を2年間。
何を隠して過ごしていたんだろう。
少なくとも誰かに知られたいことではないはずだ。私がそれを教えてと言っても教えてくれないに違いなかった。
「そんなヨスガ君ですが、ちょうど1年くらい前です。ある日何の前触れもなく自殺しました」
「え」
「ため込んでいた分が限界を迎えたということなんでしょう。その日思い立ったかのように彼は家庭科室からナイフを盗み、あなたと同じ場所で自殺しようとしたのです」
「そ、れは。誰が止めたの? 金森君?」
「僕は間に合いませんでした。気づくことはできたのですが、僕が到着したときにはすでにナイフで自らの首を突き刺してました」
開いた口がふさがらなかった。
なんでそんなに死のうとしたの。ヨスガ、キミはどんな思いを抱えていたの?
思わず自分の首を触った。ここを切るってどれだけ痛いんだろう。
「ああ待ってください。話は終わってませんよ」
「え」
「彼が自殺してすぐに、僕は救急と学校に連絡しようとしました。その時僕は見たのです」
彼が木の中へ倒れ込んでいく姿を。
「異世界に入ったってこと?」
「そうです。僕は彼が戻ってくるのを待って、何があったのか聞きました。彼は答えてくれました。あなたの姿を見たといいます。覚えてますか?」
「まったく」
心当たりはまるでなかった。私は異世界でヨスガと出会ったのは昨日が初めてだ。
そこで気が付いた。
私は昨日より前の記憶があいまいだ。
普段何をしているのかは覚えている。けれどこの異世界で具体的に何をしていたのか、それが妙に思い出せない。
うすら寒くなった。自分はすでに私の知る自分ではない。死んでいる時点である意味そうなのだけど、それを再確認してしまった。
「彼との最初の会話はそれでした。次の会話は再度自殺によって異世界に入ろうとした彼を止めることでした」
「異世界に入る方法は自殺じゃないの?」
「違いますね。彼は自殺する前にあなたに献花し、あなたに祈りを捧げました。それによってたまたま異世界入りの条件が整ったのです」
「たまたま」
たまたま生き残った。本当なら死んでいた。だから金森君は自殺”した”と言ったんだ。
納得と同時に疑問が浮き出た。
「彼を止める過程で一緒に調査することを提案しました。これが私達の出会いです」
「ヨスガは金森君のおかげでたまたま踏みとどまれたんだね」
「そうですね」
「たまたま金森君が近くにいて、たまたま自殺した場所が異世界への入り口で、それでたまたま夏休みに二人とも学校にいたんだね?」
「……」
どこかの漫画のセリフに偶然も3つ重なれば必然というセリフがあったはずだ。それにあてはめるなら、今の展開はあまりにも奇跡的だと思う。
もちろんただの奇跡でヨスガが助かった可能性もある。けれど、ヨスガが自殺することが分かって見過そうとしたのであれば、私は許せない。
「ヨスガ君はナチュラルに周りを見下すからわかりにくいですけど、あなたも相当頭が切れますね」
「そんなことないよ。ただ心配なだけ」
金森君は不意に何かを考えたようにじろじろと私を見た後、したり顔でこう言ってきた。
「愛ですねぇ」
そんなこと言われたら、普通なら焦ったり、冷静に否定したり、そういうことをするんだけど、私はその言葉に対してどちらの対応もできなかった。
「愛かぁ。私は好きなんだけどね」
「ヨスガ君は違うと?」
「多分遊び相手くらいにしか思ってないんだよね……」
ヨスガはいつも私から誘わないと動かない。きっと小学校のときにやる気が擦り切れてしまったせいだ。
彼は自分からは何もしない。勉強もゲームも、小さい頃に親に薦められてそのままやめてないだけ。
そしてそれは私との関係にもきっと当てはまる。
「そんなことないと思いますよ?」
「え?」
「だって、本当にあなたのことを遊び相手にしか思ってないなら……」
「思ってないなら?」
私はその先の言葉を聞き逃すまいと思わず身を乗り出した。
しかしそこで金森くんは口をつぐんでしまった。
「おっとあなたの質問の答えがまだでしたね」
「いやいやいや待って! 気になるって!」
「結論から言います」
金森くんは私の都合をすべて無視して、自らの結論を述べた。
「僕は全て知っています。その上であなたにもヨスガ君にも黙っています」
「全部っていうのは……え、私がヨスガの家にお邪魔したことも?」
「はい、最期の方は週1ペースでしたよね。学年で知らない人いませんでしたよ」
「え! ヨスガが昔はやんちゃっ子だったことも?」
「全部は流石に誇大広告だったことを認めます」
ですが、と金森君はうさん臭く指を振った。
「僕はおおむね知っています。例えば、この世界にあなたが隠したもう一つの世界も」
「私が、隠した?」
そんな覚えは、ない。でも今の私の記憶が信用ならないことは私が知っている。
だけどあまりに突拍子もない。世界を隠した? 私が世界をどうこうできる力でも持っているの?
「ええ。なにせあの森の世界はそのためにあなたが開いた世界なんですから」
「私が、開いた? ッ!?」
その時だった。突然ヨスガがこの世界からいなくなった感覚がした。
これは理屈とか、経験とか、そういうのじゃなくて直感的なものだ。
そろそろお腹がへったとか、疲れてきたなとかそういうたぐいのものだ。
「どうしましたか?」
「ヨスガが、この世界からいなくなった気がする……どうなってるの?」
なんで分かるのかが分からない。自分が自分じゃないみたいだ。
私ってもう人間じゃないの?
「……きっと彼もやむにやまれぬ事情があったのでしょう」
違う、そうじゃない。
ヨスガも確かに心配なんだけど、そうなんだけど!
私の心は揺れていた。ぐるぐると、ぐらぐらと。でもそれは誰にも伝わってない。伝わらなかった。
「僕が様子を見てきます。また明日会いましょう」
「待って! まだ聞きたいことが……!」
私が叫んでもそこにはもう金森君はいなかった。
私は、一人になった。
「そんな、私まだ何も分からないのに! 一人にしないでよ!!」
ヨスガも多分、私と同じことを考えていたんだと思う。
この物語は全ての人間が最善手を踏んでいるわけではないです。
寧ろ裏目を踏むことすらあります。
ヨスガ君は前話からずっとそうですね。