『無職転生 if ― もしシルフィが嫉妬したら ―』 作:takuya丸
露骨に悪口を言わせるとシルフィらしくないので、「嘘ではないけど、聞いた人が悪く受け取る」くらいを意識してみました。
IF シルフィの小さな嘘
ロキシーが家族になって、しばらく経った頃。
シルフィは、ノルンが居間で魔術書を読んでいるのを見つけた。
「ノルンちゃん、勉強してるの?」
「うん。ちょっとだけ」
「偉いね」
シルフィは隣に座った。
ノルンは少し照れたように笑った。
「私も、もっと魔術が使えるようになりたいんです。兄さんみたいに、までとは言わないけど……せめて自分の身くらい、自分で守れるようになりたいから」
「そっか」
シルフィは本を覗き込んだ。
「だったら、ロキシーさんに教えてもらったら?」
「ロキシーさんに?」
「うん。あの人、魔術の先生だから」
ノルンは少し迷った。
「……教えてくれるかな」
「きっと教えてくれるよ」
シルフィは笑った。
「ロキシーさん、教えるの好きだから」
「そうかな」
「うん」
そこで、シルフィは少しだけ視線を落とした。
「ただ……」
「ただ?」
「ううん。なんでもない」
「何ですか?」
「本当に、なんでもないよ」
シルフィは笑った。
「ロキシーさんはすごい人だから、ノルンちゃんができなくても気にしないでねって、それだけ」
「……できなくても?」
「うん」
「私、そんなにできないかな」
「違う違う。そういう意味じゃないよ」
シルフィは慌てて手を振った。
「ロキシーさんって、魔術がすごくできるでしょ?」
「うん」
「だから、自分では普通にできることでも、他の人には難しいってことを忘れちゃう時があるかもしれないなって」
「……」
「でも、ロキシーさんは悪い人じゃないから」
シルフィはそう言って、ノルンの頭を撫でた。
「もし厳しく言われても、あんまり気にしないでね」
「うん……」
ノルンは頷いた。
シルフィは立ち上がった。
「じゃあ、今度ロキシーさんに頼んでみようか」
「うん!」
ノルンの顔が明るくなる。
「お願いします、シルフィ姉さん」
「任せて」
シルフィは笑った。
いつもの、優しい笑顔で。
◇
「ノルンちゃんに魔術を教えてほしい?」
ロキシーは少し驚いた顔をした。
「はい。本人がもっと魔術を使えるようになりたいって」
「そうですか」
ロキシーは嬉しそうに微笑んだ。
「もちろん構いませんよ」
「本当?」
「ええ。私でよければ」
「ありがとう、ロキシーさん」
「いえいえ。では、明日から始めましょうか」
「お願いします」
シルフィは笑った。
「ノルンちゃん、よかったね」
「うん!」
◇
翌日。
「では、まず初級魔術からですね」
「はい!」
ノルンは杖を握った。
ロキシーが後ろから手の位置を直す。
「ここです。魔力を杖に流して――そう」
「こう?」
「違います。少し強すぎます」
「あ……」
「もう一度」
「はい」
「違います。今度は弱すぎます」
「……はい」
「焦らなくていいですよ。ゆっくりで」
ロキシーは真剣だった。
ノルンができるまで、何度でも教えるつもりだった。
だが、ノルンの中には、昨日のシルフィの言葉が残っていた。
――ロキシーさんは、自分では普通にできることでも、他の人には難しいってことを忘れちゃう時がある。
「……」
ノルンは少しだけロキシーの顔を見る。
怒っている。
そう見えた。
実際には、ただ集中しているだけだった。
「もう一度やってみましょう」
「はい……」
何度目かの失敗。
火の玉は発生したものの、すぐに消えた。
「……まだですね」
ロキシーが呟いた。
ノルンの胸がズキッとした。
「す、すみません」
「え?」
「私……全然できなくて」
「いえ、最初はそんなものですよ」
「でも……」
「ノルンちゃん」
ロキシーは優しく言った。
「魔術は才能だけで決まるものではありません。練習すれば、ちゃんと上達します」
「……本当?」
「本当です」
「じゃあ……私でも?」
「もちろん」
ロキシーは笑った。
「私だって、最初から何でもできたわけではありませんから」
その言葉に、ノルンは少しだけ安心した。
◇
その日の夜。
ノルンはシルフィの部屋を訪ねた。
「シルフィ姉さん」
「どうしたの?」
「……今日、ロキシーさんに魔術を教えてもらった」
「うん」
「私、全然できなかった」
「そっか」
「何度やっても失敗して……」
「うん」
「ロキシーさん、ため息ついてた」
シルフィは一瞬だけ黙った。
「……そう」
「やっぱり、私って駄目なのかな」
「そんなことないよ」
シルフィはノルンを抱き寄せた。
「ノルンちゃんは頑張ってたよ」
「でも……」
「ロキシーさんも、たぶん怒ってたわけじゃないよ」
「……本当に?」
「うん」
シルフィは優しく笑った。
「ロキシーさんは、魔術のことになると厳しくなるから」
「……」
「だから、気にしなくていいよ」
ノルンはしばらく黙っていた。
「シルフィ姉さんは、ロキシーさんに何か言われたことある?」
「え?」
「私みたいに」
シルフィは少し困った顔をした。
「……あるかな」
「やっぱり?」
「ううん。たいしたことじゃないよ」
「教えて」
「本当にたいしたことじゃないから」
「……」
ノルンは黙った。
シルフィは、しばらくしてから小さく息を吐いた。
「ただね」
「うん」
「ロキシーさんって、すごく優秀な人だから」
「うん」
「できない人の気持ちが、わからない時があるのかもしれないね」
それだけだった。
それ以上は何も言わなかった。
ノルンも、それ以上は聞かなかった。
◇
数日後。
ノルンはまた、ロキシーから魔術を教わっていた。
「違います」
「……はい」
「そこはもっと魔力を一定に」
「こう?」
「そうです。そのまま――」
小さな火が生まれた。
「あ……!」
ノルンの顔が輝いた。
「できた!」
「はい。できましたね」
ロキシーも笑った。
「よくできました」
「……!」
ノルンは嬉しかった。
褒めてもらえた。
自分だって、できる。
そう思った。
だが、その直後。
「では、次はこれを十回続けてみましょう」
「え……」
「今の感覚を忘れないうちに」
「はい……」
ノルンは再び杖を握った。
一回。
二回。
三回。
四回目で失敗した。
「あっ……」
「もう一度」
「はい」
五回目。
失敗。
「もう一度」
六回目。
失敗。
「……」
ロキシーは黙ってノルンを見ている。
ノルンには、その沈黙が怖かった。
――できない人には厳しい。
――自分では普通にできることでも、他の人には難しいって忘れる。
シルフィの言葉が蘇る。
「……もう、いいです」
「え?」
「私、もうやりたくありません」
「ノルンちゃん?」
「どうせ私には無理なんでしょう?」
「そんなことは――」
「ロキシーさんは、私ができないから嫌なんでしょう?」
「……!」
ロキシーは目を見開いた。
「そんなことありません」
「でも……」
「ノルンちゃん」
ロキシーは膝をついて、ノルンと目線を合わせた。
「私はあなたを馬鹿にしているわけではありません」
「……」
「むしろ逆です。できると思っているから、練習してほしいんです」
ノルンは黙った。
ロキシーの言葉は本心だった。
でも。
もう、ノルンの中には別の解釈ができあがっていた。
◇
その夜。
「兄さん」
「ん?」
ルーデウスは顔を上げた。
「どうした?」
「……ロキシーさんって」
「ロキシー?」
「私みたいに、魔術が上手くできない人のこと……嫌いなのかな」
「……え?」
ルーデウスの表情が変わった。
「なんでそんなこと思ったんだ?」
「魔術を教えてもらったの」
「ああ」
「でも、私ができないと……ため息をついたり」
「……」
「何度も『もう一度』って言われて」
ノルンの声が震える。
「私が全然できないから……呆れてるみたいだった」
「ロキシーが?」
ルーデウスは信じられないという顔をした。
「うん……」
「いや、でも……」
そこで、別の記憶が蘇った。
シーローン王国。
パックス。
――「ため息だ!」
――「『やっとこの程度か』と言わんばかりのため息に、余がどれだけ傷ついたと思っている!」
ルーデウスは黙り込んだ。
あの時のパックスの言葉。
ロキシーの顔。
そして今、目の前で泣きそうになっているノルン。
「……まさか」
「兄さん?」
「いや……」
ルーデウスは頭を振った。
「ロキシーは、そんな人じゃない」
そう言い切ろうとした。
けれど。
ほんの一瞬だけ、迷った。
その一瞬を、ノルンは見逃さなかった。
「……やっぱり、そうなの?」
「違う」
「でも、兄さんも今……」
「いや、違うって」
ルーデウスはノルンの頭を撫でた。
「ロキシーは、お前を馬鹿にしたりなんかしない」
「……本当に?」
「ああ」
「……」
ノルンは俯いた。
「シルフィ姉さんもね」
「え?」
「シルフィ姉さんも、ロキシーさんは悪い人じゃないって言ってた」
ルーデウスは少し安心した。
「そうだろ?」
「でも……」
ノルンは小さく呟いた。
「シルフィ姉さん、ちょっと悲しそうだった」
「……」
ルーデウスは何も言えなかった。
ノルンは知らない。
シルフィが何を考えているのか。
ただ一つ。
ノルンの中には、もう一つのロキシー像が生まれていた。
――優秀な人には優しい。
――でも、できない人間には冷たい。
実際のロキシーとは、まるで違う。
けれど。
それを否定するには、ノルン自身が体験したという事実があまりにも強かった。
◇
廊下の向こう。
シルフィは一人で立っていた。
部屋の中から、ルーデウスとノルンの声が聞こえる。
全部は聞き取れない。
それでも、十分だった。
シルフィは静かに目を閉じる。
「……ごめんね、ロキシーさん」
誰にも聞こえない声で呟いた。
その顔には、悲しそうな笑顔が浮かんでいた。
「でも……ルディを取られるわけにはいかないから」
そして、何事もなかったように。
いつもの優しいシルフィの顔に戻った。
◇
翌朝。
「シルフィ」
ロキシーが声をかけた。
「はい?」
「少し、相談があるのですが」
「何かな?」
「最近、ノルンちゃんの様子がおかしくありませんか?」
「……そう?」
「ええ。私が何かしてしまったのかと思って」
ロキシーは本当に困っていた。
「昨日も、私を避けていたような……」
「……」
シルフィはロキシーを見た。
「ロキシーさん」
「はい」
「ノルンちゃんは、ロキシーさんのこと嫌ってる訳じゃないと思うよ」
「そうですか?」
「うん」
「なら、いいのですが……」
ロキシーは安心したように笑った。
シルフィも笑う。
「ロキシーさんは、優しいからね」
「え?」
「ううん。何でもないよ」
「……?」
ロキシーは首を傾げた。
その背中を見送りながら。
シルフィは静かに目を細めた。
「……まだ、何もしてないよ」
誰にも聞こえない声で呟く。
「ロキシーさんが、自分から嫌われていくだけ」
もちろん。
本当は違う。
ロキシーは、何もしていない。
だからこそ。
シルフィは、急ぐ必要がなかった。
一度に壊す必要もない。
少しずつ。
ほんの少しずつ。
ロキシーを見る人たちの中に、
「もしかしたら」
という疑念を植えていけばいい。
あとは。
みんなが勝手に続きを作ってくれる。
シルフィは、いつものように優しく笑った。
今回は、シルフィの小さな嫉妬から、ロキシーへの印象を少しずつ変えていく話でした。
シルフィ自身は直接嘘をついているわけじゃないのに、言葉の選び方ひとつで相手の受け取り方が変わってしまう……という感じを意識しています。
こういう遠回しな嫉妬を書くの、やっぱり難しいですね。