無職転生――シルフィエットside
『積もる』
最初は、ほんの小さな嫉妬だった。
ナナホシがルディに相談する。
それだけ。
ボクは笑って見ていた。
「ルディ、またナナホシのところに行くの?」
「ああ。研究のことで聞きたいことがあるんだって」
「そっか。いってらっしゃい」
「ありがとう、シルフィ」
それで終わり。
本当に、それだけだった。
ナナホシには、ナナホシの事情がある。
帰る場所もない。
この世界に突然やってきて、ずっと帰る方法を探している。
そんな人を、ルディが助けるのは当然だ。
ボクだって、そう思っていた。
……ずっと。
そう思っていたはずだった。
⸻
数年が経った。
「ナナホシ、今日も来るの?」
「ああ。転移魔法のことで相談があるらしい」
「そっか」
笑う。
いつものように。
「お風呂も使ってもらえばいいよ。今日はゆっくりできるといいね」
「ありがとう、シルフィ」
「ううん」
ナナホシが笑う。
その笑顔を見る。
胸の奥が、少しだけ痛む。
……どうしてだろう。
昔は、こんなことなかったのに。
⸻
夕食の時間。
ナナホシが日本の話をしている。
ルディが楽しそうに笑っている。
ボクには分からない話。
昔からそうだった。
でも、昔はそれほど気にならなかった。
ルディが楽しそうなら、それでよかった。
なのに今は。
――まただ。
そう思ってしまう。
ボクの知らない話。
ボクの知らないルディ。
ナナホシだけが知っている世界。
「シルフィ?」
「え?」
「どうした?」
「ううん。なんでもないよ」
笑う。
「二人とも楽しそうだなって思っただけ」
「そうか?」
「うん」
嘘ではない。
本当に楽しそうだと思っている。
だからこそ、苦しい。
⸻
ある日。
ルーシーが嬉しそうに言った。
「ママ!」
「どうしたの?」
「今日、ナナホシが来るんだって!」
「……そうなの?」
「うん!」
ルーシーは嬉しそうだった。
「この前ね、ナナホシが昔の世界のお話してくれたの!」
「そう」
「すごく面白かった!」
「……よかったね」
頭を撫でる。
笑う。
母親として、笑わなければいけない。
なのに。
胸の奥で、何かが沈んだ。
――ルーシーまで。
その言葉が浮かんだ瞬間、自分で自分が嫌になった。
何を考えてるの、ボク。
ルーシーが誰を好きでもいいじゃない。
ナナホシはルーシーを可愛がってくれている。
それは、嬉しいことじゃないか。
そう思う。
でも。
その日の夜、ルーシーがナナホシの話をしているのを聞きながら、心の中で思ってしまった。
……もう、来なければいいのに。
⸻
それから、少しずつ変わっていった。
ナナホシが来る。
ルディが話を聞く。
ボクは笑う。
ナナホシが帰る。
ボクは見送る。
何も起きない。
何も悪いことは起きていない。
なのに。
胸の中には、少しずつ何かが溜まっていった。
⸻
ロキシーがルディに相談される。
エリスがルディを守る。
ナナホシがルディと日本の話をする。
ルーシーがナナホシを慕う。
ララはナナホシに妙なちょっかいを出している。
みんな、それぞれルディと特別な繋がりを持っている。
ボクには何がある?
家庭。
家事。
子ども。
家族のために頑張ること。
それは大切なことだ。
ボク自身も、そう思っている。
でも。
ある夜、食卓を片付けながら、ふと思った。
ボクがいなくても、この家は回るんじゃないかな。
その考えに、自分で驚いた。
「……馬鹿だな、ボク」
そんなことあるわけがない。
ルディはボクを愛してくれている。
子どもたちもいる。
家族がいる。
幸せだ。
幸せなのに。
どうしてこんなに寂しいんだろう。
⸻
そして、ナナホシが体調を崩した。
少し咳をしただけだった。
それだけなのに。
「ナナホシ、大丈夫か?」
ルディがすぐに駆け寄った。
「大丈夫。ちょっと疲れただけ」
「本当に?」
「ああ」
「無理するなよ」
ルディは優しかった。
ナナホシの顔色を何度も確認している。
ボクも隣にいた。
「今日は休んだほうがいいよ」
「ありがとう、シルフィ」
「ううん」
また笑った。
昔と同じ。
優しいシルフィ。
家族を心配するシルフィ。
ナナホシを心配するシルフィ。
でも。
胸の奥から、別の声がした。
まただ。
またルディが、この人を見てる。
ボクじゃなくて。
そして、もっと恐ろしい言葉が続いた。
この人がいなければ。
ボクは目を閉じた。
……やめよう。
⸻
その夜。
眠っているルディの隣で、天井を見つめていた。
ルディは何も知らない。
ボクがどんなことを考えているのか。
どれだけ嫉妬しているのか。
どれだけ苦しんでいるのか。
全部知らない。
それでいい。
知らなくていい。
ルディに心配をかけたくない。
ルディを困らせたくない。
ルディには幸せでいてほしい。
だから。
ボクは何もしない。
何もできない。
……そのはずだった。
⸻
翌朝。
「シルフィ」
「なに?」
「今日、ナナホシのところに行ってくる」
「……うん」
「研究のことで相談があるんだ」
「うん。いってらっしゃい」
笑う。
ルディが出ていく。
扉が閉まる。
静かになる。
ボクは一人で立っていた。
そして。
自分でも気づかないくらい小さな声で呟いた。
「……また、ナナホシ」
その瞬間。
自分の声が、自分のものじゃないように聞こえた。
昔なら、
ルディが困っているなら助けてあげよう。
そう思っていた。
今は違う。
どうして、ボクじゃないの?
その思いが先に出てくる。
胸の奥に溜まったものは、もう「嫉妬」だけではなかった。
怒り。
寂しさ。
劣等感。
恐怖。
そして、長い間飲み込んできた言葉。
ボクだって、ルディに必要とされたい。
涙が一滴落ちた。
「……ルディ」
誰もいない部屋で、笑おうとする。
「ボク、ちゃんといい妻でいるからね」
そう呟いた。
けれど、その言葉を口にした瞬間。
自分の中にある何かが、もう以前のようには戻らないことを感じていた。