無職転生――ルーデウスside
『積もる』
最近、シルフィが少し変だ。
そう思い始めたのは、いつ頃だっただろう。
「ただいま」
「おかえり、ルディ」
いつも通り。
笑ってくれる。
いつもと変わらない。
だから最初は、気のせいだと思っていた。
子どもたちも大きくなってきたし、家のこともある。
疲れているだけなのかもしれない。
「今日はどうだった?」
「いつも通りだよ」
「そっか」
シルフィは笑う。
でも。
なんとなく、その笑顔が少しだけ遠く感じる。
昔なら、もっと自然に話してくれていた気がする。
……いや。
俺がそう思っているだけかもしれない。
家族になって、長い時間が経った。
毎日一緒にいるからこそ、変化には気づきにくいのかもしれない。
そう考えていた。
あの日までは。
⸻
「ルディ、またナナホシのところに行くの?」
「ああ。研究のことで聞きたいことがあるんだって」
「そっか。いってらっしゃい」
「ありがとう、シルフィ」
いつもの会話。
いつもの朝。
なのに。
シルフィが笑ったあと、一瞬だけ目を伏せた。
「……?」
気になった。
「どうした?」
「え?」
「いや。なんでもないよ」
「そう?」
「うん」
シルフィはまた笑った。
だから俺も、それ以上は聞かなかった。
聞けばよかったのかもしれない。
でも、その時の俺には分からなかった。
シルフィが何を隠しているのか。
⸻
ナナホシのところへ向かう途中。
ふと、シルフィの顔が頭に浮かんだ。
最近、少し元気がない。
ちゃんと休めているだろうか。
帰ったら聞いてみよう。
そう思った。
ナナホシとの話が終わったら、なるべく早く帰ろう。
夕食は一緒に食べたい。
最近は子どもたちと過ごす時間も減っている。
もっと家族との時間を大切にしないとな。
そんなことを考えながら歩いていた。
俺は知らなかった。
その頃シルフィが、
俺とはまったく違うことを考えていたなんて。
⸻
ナナホシの研究の相談は、思ったより長引いた。
「……もうこんな時間か」
「遅くなっちゃったわね」
「いや、大丈夫さ。気にするな」
「そうね。感謝するわ」
「ねぇ、……ルーデウス」
「ん?」
「最近、家のほうはどう?」
「家?」
「シルフィとか」
「……」
少し考える。
「元気だと思う」
「本当に?」
「え?」
「いや……」
ナナホシが少し迷うように言った。
「最近、シルフィ。私と話すとき、少し変じゃない?」
「そうか?」
「私の気のせいならいいんだけど」
俺は考えた。
確かに。
最近のシルフィは、ナナホシと話すとき少し静かかもしれない。
でも。
「シルフィは優しいからな」
「……そうね」
「ナナホシのことを嫌ってるとか、そういうのは絶対ないと思う」
「私も、そう思ってる」
ナナホシは少しだけ笑った。
俺も笑った。
それで話は終わった。
……終わったと思っていた。
⸻
家に帰る。
「ただいま」
「おかえり、ルディ」
シルフィが迎えてくれる。
やっぱり笑っている。
「遅くなってごめん」
「ううん。大丈夫だよ」
「シルフィ」
「なに?」
「最近、疲れてないか?」
一瞬。
本当に一瞬だけ。
シルフィの表情が止まった。
「……どうして?」
「いや。なんとなく」
「大丈夫だよ」
「そうか?」
「うん」
そして、いつもの笑顔。
「ルディこそ、疲れてるんじゃない?」
「俺は大丈夫」
「ふふ。ならよかった」
シルフィはそう言って、俺の手を取った。
温かかった。
いつものシルフィだった。
だから俺は、それ以上聞かなかった。
⸻
夜。
シルフィは隣で眠っている。
俺は天井を見ていた。
やっぱり、何かがおかしい。
何かを抱えている。
でも、それが何なのか分からない。
俺はシルフィに、もっと頼ってほしいと思っている。
家族のことでも。
俺自身のことでも。
何かあれば言ってほしい。
俺にできることなら、何でもしたい。
……なのに。
どうして言ってくれないんだろう。
「シルフィ……」
小さく呟く。
返事はない。
眠っている。
俺は手を伸ばして、その髪に触れた。
昔と変わらない。
俺が一番大切にしたい人。
なのに。
最近、少しだけ遠く感じる。
⸻
翌朝。
「シルフィ」
「なに?」
「今日、ナナホシのところに行ってくる」
「……うん」
「研究のことで相談があるんだ」
「うん。いってらっしゃい」
シルフィが笑う。
俺も笑う。
そして、家を出た。
扉が閉まる。
歩きながら、ふと思った。
……やっぱり。
何かがおかしい。
でも、俺には分からない。
シルフィが何を考えているのか。
何を怖がっているのか。
何を我慢しているのか。
分からない。
ただ一つだけ分かることがある。
俺は、シルフィに笑っていてほしい。
無理をして笑ってほしいんじゃない。
本当に笑っていてほしい。
だから。
「……帰ったら、ちゃんと話してみるか」
そう呟いた。
その時の俺はまだ知らなかった。
俺が「ちゃんと話そう」と思ったその頃には。
シルフィの中には、もう長い時間をかけて積もったものがあったことを。