無職転生――ロキシーside
『独り言』
シルフィは、いつも優しい。
私にも。
ナナホシにも。
エリスにも。
子どもたちにも。
もちろん、ルーデウスにも。
だから。
私は、気づいていなかった。
シルフィの中に。
少しずつ積もっているものがあることに。
⸻
ナナホシは、時々この家に来る。
転移魔法陣の研究について相談するため。
日本の料理を食べるため。
そして、お風呂に入るため。
元の世界へ帰る方法を探し続けているナナホシにとって、この家は数少ない安心できる場所なのだと思う。
「今日も研究?」
「ええ。ルーデウスに聞きたいことがあって」
「そっか」
「あと……お風呂、借りてもいいかしら?」
「もちろんいいよ」
シルフィは笑う。
「夕食も食べていく?」
「いいの?」
「うん」
「じゃあ、お言葉に甘えて」
「ゆっくりしていってね」
いつもの光景。
何もおかしくない。
それなのに。
私は最近、シルフィの表情を見るようになっていた。
⸻
ナナホシが帰った後。
ルーデウスが私の部屋を訪ねてきた。
「ロキシー、ちょっといいですか?」
「はい?」
「相談したいことがあるんですけど」
「何でしょう?」
「実はですね……」
ルーデウスが少し困った顔をする。
「最近、子どもたちとの接し方で悩んでて」
「子どもたちと?」
「ええ」
私は話を聞く。
ルーデウスは昔から、こういう話を私にする。
魔術のことよりもむしろ。
家庭のこと。
子どもたちのこと。
「シルフィにも相談すればいいのでは?」
そう言うと。
ルーデウスは少し困ったように笑った。
「いや……シルフィには、あんまり心配かけたくないんですよね」
「……」
「家のこと、いつも頑張ってくれてますし?」
「はい」
「だから、俺まで悩み事を持ち込むのもなって」
ルーデウスは苦笑する。
「それに……」
「それに?」
「シルフィには、できれば俺のいいところだけ見せていたいというか」
私は少し笑ってしまった。
「ルディらしいですね」
「そうですかね?」
「はい」
「だから、こういう話はロキシーには話しやすいのかもしれません」
「……私には?」
「ええ」
ルーデウスが笑う。
「昔から師匠でしたし」
「こういうこと話しても、なんか安心するんです」
私は頷いた。
「そうですか」
「ええ」
それだけの話だった。
私にとっては。
昔から続いている関係の延長。
でも。
もし。
シルフィがこのことを知ったら。
私は、ふとそんなことを考えた。
⸻
数日後。
私は偶然。
シルフィが一人でいるところを見かけた。
家事をしていた。
誰もいない。
私は声をかけようとした。
その時。
「……また」
シルフィが呟いた。
私は足を止めた。
「また、ナナホシ」
食器を置く音。
少し間が空く。
「……いいな」
小さな声だった。
「ナナホシは」
「ルディにしか相談できないことがあって」
「ルディにしか助けられないことがあって」
シルフィが俯く。
「だから、ルディにも相談される」
「……分かってる」
「ナナホシは悪くない」
「分かってるのに」
声が震える。
「……羨ましい」
私は動けなかった。
「ボクだって、ルディに必要とされたい」
「ボクにも相談してほしい」
「ボクにも頼ってほしい」
「ボクだって……ルディの力になりたい」
そこで。
シルフィが小さく息を吐いた。
「……ロキシーも」
私の名前。
「ロキシーも、ルディに相談されてる」
胸が締め付けられた。
「家庭のこととか」
「子どもたちのこととか」
「……ボクには言わないことまで」
「ロキシーは師匠だから」
「ルディも話しやすいんだろうな」
「……いいな」
「ボクにも言ってくれたっていいのに」
「家族なのに……」
私は胸が苦しくなった。
「……違う」
シルフィが首を振る。
「ロキシーは悪くない」
「ボクが勝手に羨ましがってるだけ」
「ナナホシも悪くない」
「エリスも悪くない」
「みんな悪くない」
「悪いのは……」
シルフィは、自分の胸に手を当てた。
「ボクの中にある、この気持ちだけ」
しばらく沈黙した。
「……ナナホシが、一番嫌」
小さな声。
「でも……嫌いになりたくない」
「助けてあげたい」
「帰りたいなら、帰ってほしい」
「幸せになってほしい」
「……なのに」
涙が落ちた。
「ルディがナナホシのことを心配するたびに」
「胸が痛い」
「ナナホシが帰れないって聞くと」
「……ずっと、ここにいるんじゃないかって思ってしまう」
シルフィが目を閉じる。
「……ボクから、ルディを取らないで」
⸻
私は、その場から静かに離れた。
部屋に戻って。
ベッドに腰を下ろす。
しばらく何も考えられなかった。
ナナホシへの嫉妬。
それは、薄々気づいてはいた。
けどまさか、私にも嫉妬してただなんて。
シルフィが言っていた。
――ボクにも相談してほしい。
その言葉が。
頭から離れなかった。
ルーデウスは。
シルフィに心配をかけたくないだけなのだ。
シルフィが家族のために頑張っているから。
自分まで悩みを持ち込むのは申し訳ない。
だから。
私に相談する。
昔から師匠だった私なら。
何でも話せるから。
きっと。
ルーデウスにとっては、それだけのことなのだ。
でも。
シルフィにとっては。
そうではない。
自分が知らないところで。
夫と私だけが共有しているもの。
それが。
寂しいのだ。
⸻
翌朝。
「ロキシー、おはよう」
「……おはようございます」
「どうしたの?」
「いえ」
シルフィはいつものように笑っている。
「昨日、よく眠れた?」
「はい」
嘘だった。
シルフィも。
何もなかったように笑っている。
私も。
何も聞かなかったことにした。
「そう。よかった」
「はい」
その日の昼。
ルーデウスが私のところへ来た。
「ロキシー、ちょっと相談が――」
私は。
一瞬だけシルフィを見た。
シルフィは少し離れたところで、子どもたちと話している。
こちらには気づいていない。
「……はい」
私はルーデウスについていく。
いつものように。
相談を聞く。
いつものように。
でも。
もう以前と同じ気持ちではいられなかった。
ルーデウスにとっては。
ただの相談。
私にとっても。
ただの昔からの関係。
けれど。
シルフィにとっては。
その一つ一つが。
少しずつ。
積もっているのだろう。
そして私は。
それを知ってしまった。