理不尽を越える者――ただの二虎伝説   作:とんこつ味噌味

2 / 7
第二章:地上の選択、月への決別

それから、どれほどの歳月が流れただろうか。

 

疑似的な不老不死となり、人間を超越した二虎にとって、時間はその意味を失いつつあった。

永琳の拠点で過ごす日々は、二虎の長い生涯の中でも、格段に騒がしく、そして退屈とは無縁の奇妙な時間だった。

 

 

しかし、どんな日常にも終わりは訪れる。

 

太古の地上はあまりにも荒れ果て、穢(けが)れに満ちすぎていた。

永琳の同胞たる高潔な民――『月の民』は、この地を捨て、穢れなき清浄な世界である「月」へと移住する計画を本格的に始動させたのだ。

 

 

旅立ちの日の前夜。

 

拠点の外、満天の星々と、不気味なほど大きく輝く月が見下ろす丘の上。

二虎は岩に腰掛け、いつものように美味そうな肉を焚き火で炙っていた。

 

その背後に、静かな足音が近づく。

 

 

「……明日、発つわ」

 

 

永琳の声だった。

いつも通りの冷徹で理知的な響き。

 

だが、その奥には、数え切れない日々を共にした『同居人』への、隠しきれない名残惜しさが滲んでいた。

 

 

二虎は振り返らず、肉をひっくり返しながら、低く、飄々とした声で応じる。

 

 

「そうかい。いよいよお引越しってわけだ。お嬢ちゃんがいなくなると、明日からの飯の味付けに困るなぁ」

 

「冗談を言っている場合じゃないわ、二虎」

 

 

永琳は二虎の隣まで歩みを進め、その端正な横顔を見つめた。

 

 

「あなたに、提案……いいえ、お願いがあるの。私と一緒に、月へ来なさい」

 

 

その言葉は、真剣そのものだった。

永琳の瞳が、月光を反射して切に揺れる。

 

 

「あなたの身体は、私がこれまで見てきたどの生命体よりも歪で、美しい進化を遂げている。穢れに満ちたこの地上に長く居続ければ、その不老不死の肉体も、いつか世界の淀みに蝕まれるかもしれない。月へ来れば、永遠の清浄が約束されるわ。私のそばで、これからも私の研究に付き合いなさい。……悪い条件ではないはずよ?」

 

 

永琳にしては珍しい、感情の乗った勧誘だった。

 

優秀なサンプルを失いたくないという学者としての執着であり、同時に、自分を唯一「お嬢ちゃん」と呼び、対等に振り回してくれた男への、彼女なりの情愛の形でもあった。

 

 

二虎は、じっと手元で爆ぜる焚き火の炎を見つめていた。

そして、ふっといつもの不敵な笑みを唇に浮かべると、炙っていた肉をパッと永琳に差し出した。

 

 

「ほら、お嬢ちゃん。地上の不味い、泥臭い肉だ。食うなら今のうちだぜ?」

 

「二虎、私は真面目な話を――」

 

「俺も真面目な話をしてるさ」

 

 

二虎は立ち上がり、大きく伸びをしてから、輝く月を見上げた。

その瞳には、かつて己に誓った「生きる」という一念の光が宿っていた。

 

 

「月ってのは、綺麗で、静かで、何もかもが揃ってて、変わらない場所んだろ? ……けどな、俺には上等すぎる。俺は元々、ただの人間でな。必死に泥水をすすって、理不尽な暴力をぶっ飛ばして、ようやくここに立ってる泥臭い男んだわ」

 

 

二虎は自分の拳を握り締め、十鬼蛇二虎のような、どこか達観した、それでいて最高に熱い笑みを永琳に向けた。

 

 

「俺は、この穢れて、狂ってて、毎日が戦いの地上が気に入ってんだ。どんなに世界が変わろうが、何億年経とうが、俺は自分の足でこの大地を踏みしめて、生き抜いてみせる。それが『二虎』って名前を名乗った、俺の生き方だからな。……だから、月には行かねえよ」

 

 

永琳は、二虎の言葉を静かに聞いていた。

 

目の前の男が、どれほどの『狂気』をもって己の運命を切り開いてきたか、その魂の輝きは誰よりも知っている。

清浄な月という籠の中に、この野性味あふれる虎を閉じ込めることなど、到底できないのだと、永琳は悟った。

 

 

「……そう。相変わらず、私の計算を狂わせる男ね」

 

 

永琳は小さくため息をつき、差し出された肉を遠慮がちに受け取ると、上品に一口齧った。

野生の血生臭さと、二虎の雑な味付け。

 

 

「本当に、美味しくないわ」

 

「ははっ、そいつは悪かったな。だが、忘れられない味だろ?」

 

 

永琳は肉をすべて食べ終えると、二虎に背を向け、月へと続く道を歩み始めた。

一度だけ、立ち止まって振り返る。

 

 

「二虎。私はこれから、月で気の遠くなるような時間を過ごすわ。……もし、あなたがこの地上の穢れに飽きて、本当に行き場を失ったら、その時は月を見上げなさい」

 

「おう、そん時は『飯を食わせろ』って、月に届くようなアッパーでも叩き込んでやるよ」

 

「ふふ、期待せずに待っているわ。……さようなら、私の愛すべき、歪な人間」

 

 

月光が永琳の身体を包み込み、彼女の姿は静かに、天へと昇っていく光の中に消えていった。

 

二虎は一人、誰もいなくなった夜空を見上げ、ボリボリと頭を掻いた。

 

 

「あーあ、行っちまったか。明日から本当に静かになっちまうな。……さて、次はどの化け物をぶっ飛ばしに行くかねぇ」

 

 

男は不敵に笑い、再びその拳を握りしめ、果てしない時間の先へと歩み出すのだった。

  1. 目次
  2. 小説情報
  3. 縦書き
  4. しおりを挟む
  5. お気に入り登録
  6. 評価
  7. 感想
  8. ここすき
  9. 誤字
  10. 閲覧設定

▲ページの一番上に飛ぶ
X(Twitter)で読了報告
感想を書く ※感想一覧
内容
0文字 10~5000文字
感想を書き込む前に 感想を投稿する際のガイドライン に違反していないか確認して下さい。
※展開予想はネタ潰しになるだけですので、感想欄ではご遠慮ください。