エピローグ
Ⅰ.高天の眼、地上の余韻
博麗神社での宴会が完全に終わり、静まり返ったその時、遥か高天――数億年の時を経てもなお変わらぬ清浄さを保つ天界の領域。
地上の大気がどれほど移り変わろうとも、そこだけは神聖な静寂に包まれていた。
その領域の玉座に鎮座するは、天を司る神獣――『白虎』。
白虎は、その鋭い黄金の双眸を細め、遥か下方、雲海の遥か先にある『幻想郷』という小さな世界の余韻をじっと見下ろしていた。
神獣の五感は、博麗神社でつい先ほどまで交わされていた会話のすべてを正確に捉えていた。
「十鬼蛇二虎伝説」――地上の者たちが、一人の「人間」の名を熱く語り継いんでいるその声を。
「フン……理不尽な暴力の虎を越える、か」
白虎の喉から、地鳴りのような低い唸り声が漏れた。
数億年前、ただ「生きる」という狂気と、漫画の知識という荒唐無稽なイメージだけで己を捩じ伏せ、人間を超越したあの男。
白虎の脳裏には、今もあの時放たれた『鉄砕』の衝撃が、そして男の不敵な白い歯が鮮明に焼き付いている。
「何億年経とうが、どれほど時代が移ろうが、お前という存在は変わらず人騒がせなままだな、二虎よ」
白虎の唇が、微かに獰猛な弧を描く。
神獣を越えて「二虎」となった男の魂は、世界の濁流に蝕まれることなく、今もなおどこかで燃え盛っている。
それを確信した白虎は、再び退屈そうに、しかし深く満足したように目を閉じ、その生涯を見守るための永い眠りへと就いた。
Ⅱ.守矢の社、受け継がれる魂
時を同じくして、妖怪の山に佇む『守矢神社』。
宴会から戻った東風谷早苗は、本殿のさらに奥深く、普段は滅多に人が立ち入ることのない古い奉納庫の掃除をしていた。
煤埃を払いながら棚の奥を整理していた早苗の手が、ふっと止まる。
そこに置かれていたのは、一振りの酷く古びた『木刀』だった。
いたる所が欠け、無数の拳の痕や凄まじい衝撃によるひび割れが刻まれたその木刀の横には、泥に塗れた古い石碑がひっそりと佇んでいた。
そこには古代の文字で、確かにこう刻まれていた。
――武術の神、十鬼蛇王馬。
「諏訪子様……これは?」
早苗が不思議そうに尋ねると、奉納庫の入り口にいつの間にか立っていた洩矢諏訪子がお猪口を片手に小さく目を細めた。
「ああ、懐かしいね。それはね、王馬が死ぬ間際まで、ボロボロになるまで握り締めていた木刀さ」
諏訪子は木刀に近づき、愛おしそうにその表面を撫でた。
「あいつはさ、私が『十鬼蛇』の姓をあげて、国一番の武術の神として崇められてからも、驕ることなんてこれっぽっちもなかったんだ。ただひたすらに、あの路地裏で救ってくれた師匠――二虎の背中だけを追いかけていた。死ぬその瞬間まで、血を吐きながらも『二虎流』の型を研鑽し続けていたよ」
諏訪子の言葉に、神奈子も背後から腕を組んで頷く。
「神の力に頼らず、ただ己の肉体と技だけで世界の理不尽に抗おうとした男だ。王馬の魂には、生涯ずっと二虎の教えが生きていたのだろうな」
早苗は、その傷だらけの木刀から、何千年の時を超えて伝わってくる剥き出しの「熱量」を肌で感じ、そっと胸に抱きしめた。
王馬という神はもういない。
しかし、二虎から王馬へと受け継がれた「武の魂」は、今もこの守矢の歴史の底で、静かに、しかし決して消えることなく息づいているのだ。
「……素敵な師弟関係だったのですね」
早苗の言葉に、諏訪子はニカッと笑った。
「ああ。だからこそ、あの師匠は今も生きてるんだよ」