「キキキ! 久しぶりだな、リオン──いや、エラよ」
「は、はい……お久しぶりです。マコト様……」
本日はエデン条約の打ち合わせで万魔殿まで来ています。
ゲヘナとトリニティの政治的なやりとりは、これまでリモートでのやり取りや連邦生徒会に足を運んでしてきました。こうしてトリニティ側の人間としてゲヘナに足を踏み入れるのは初めてのことです。
ただ私はあくまでもティーパーティーの補佐。会議には参加せずにゲヘナとトリニティの緩衝材ぐらいの役割でいようと思っていたのですが……。
「まさか、トリニティの代表として来るとは。随分と地位を上げているようだな」
「いえ! 私はただの一介のメイドです! ただ今回が特別なだけです!」
ティーパーティーの現ホストであるセイア様は前日に体調を崩され、ゲヘナへの訪問は救護騎士団からストップが掛かりました。
そうなれば他の二人が代わりに来る筈なのですが、ナギサ様も別件でどうしても外せない用事がありました。
残るはミカ様ですが、案の上、断固として拒否。ナギサ様もミカ様をゲヘナに向かわせると碌なことにならないと分かっている為、強く言えず。
結果、苦肉の策として私が向かうことになりました。
「お前がティーパーティーのメイドになったと聞いた時は驚いたが、代理になるほどの立場になっているとは。キキキ、このままエラがティーパーティーの一席に座ることもそう遠くはない。そうなれば、トリニティをゲヘナが掌握したも同じ! ここにエデンは完成された!」
「そのような力は持ち合わせていません。ナギサ様から指示は頂いているのでその通りに進行させてもらいます」
マコト様と直接会えたことは嬉しいけれど、今の私はトリニティの代表として任されています。頑張って流されないようにしないと。
「まあ、経緯はどうあれ、エラさん一人で来ることは都合が良かったでですね。仮にウチからトリニティに向かっても、何か問題が起こるのは目に見えてましたし。これが一番良い形なんじゃないですか」
あっ、イロハさん。お久しぶりです。
「それにしても……最初よりも女性らしくなってません? 貴女。所作とかがもう女性にしか見えないのですが……目覚めました?」
「目覚めてません! 僕はれきっとした男性です!」
僕は強く否定する。
だけど、イロハさん。それに周りにいるサツキさんやチアキさん、マコト様までも何故か苦い顔をしている。
「いや〜すみません、リオン君。ちょっとその姿で素の声を出されると違和感しか出ないので、控えてもらえません?」
チアキさんの言葉がグサっと刺さった。
そうだった……今の僕は灰崎エラ。リオンではない。でもハッキリと言われると傷付く。
……そうだ! ここならリオンに戻っても問題ないのでは? ゲヘナなら僕が居ても何の問題もない!
「今すぐ着替えてきます!」
「いや、そのままでいろ。リオンに戻ることは許さん」
「そんな!?」
マコト様からストップがかかった。それに合わせてサツキさんとチアキさんが扉の前に立ち塞がるように移動する。
「キキキ、駄目ではないか。ここはゲヘナとトリニティの交渉の場だぞ? トリニティの人間であるエラがいなくなれば、何をしに集まったのか分からないだろう」
「それは、そうなのですが……」
「それにリオンは今蟹工船に乗って長期出張ということになっている。そんな奴がいきなり現れたら学園がパニックになってしまうではないか」
「僕そんなことになっているんですか!!??」
何その設定!? そもそもキヴォトスに存在していない筈ですよね!?
「あの時書いた記事は飛ぶように売れましたよ。みんなリオン君が帰って来ないことを悟ったように涙していました」
「捏造報道!!」
待って。もしかして、ゲヘナに帰る場所無くなってる?
「雑談もここまでにしておけ。長居させると怪しまれるからなあ。とっとと話を進めるとしよう」
「あの……マコト様。まだ私は納得が出来ていないのですが……」
「とは言っても、話すことってあるのかしら? 確か、今日はトリニティがゲヘナの実態を知ることもあると思う。だけどエラは元々ゲヘナだからわざわざ話すことは無い。それにトリニティにしても、エラから報告は受けているから真新しいことはないと思うのだけれど」
サツキさんの言う通り。今回の目的の中にティーパーティーがゲヘナを散策し、ゲヘナへの認識を再度確認することも含まれている。
だけど、当の本人達が不在の為、後日私が説明するしかない。トリニティのことも私の報告書により、マコト様達はある程度把握している筈だ。
「……あの、それならゲヘナの生徒はエデン条約についてどうお考えか、教えていただきたいのですが」
そう。私がトリニティに転校してから今日まで、ゲヘナについて情報を手に入れたことはない。
報告も私の方からの一方通行。勿論繋がりがバレるリスクもあるので返事がないことに不満はないけれど、結果として私は今のゲヘナを知らない。
唯一の繋がりを持つアルさん達もゲヘナを離れ、話を聞くことも出来ない。多分、今の一年生はリオンという生徒が居たことも知らない筈だ。
「ふむ……本来ならば、ゲヘナの情報をトリニティに流すなど死んでも嫌だが──エラの報告書。常に欠かすことなく提出し、偽りのない情報を流した功績を無下にするほど、私は愚かではない! 良いだろう! ほんの少しだけ今のゲヘナについて教えてやろう!」
「あ……ありがとうございます! お優しいマコト様!」
やった! これで今の、僕の知らないゲヘナを知ることが出来る!
「情報交換は元々する予定だったので、意味の無いやり取りでしたけどね」
「シッ! 黙っていろ、イロハ──コホン。とは言っても、お前の予想とそう変わりはないと思うがな。大半の生徒はエデン条約に興味はない。せいぜい、近い内にトリニティに気軽に入れるようになるという噂が広まっているくらいだ」
「一応、万魔殿だと否の意見が多かったわね。トリニティ自体というよりティーパーティーの態度が気に入らないっていう感じだけど」
確かに、こっちの予想していた通りだ。
トリニティもそうだけど、一般の生徒の関心は薄い。けど万魔殿やティーパーティーに連なる組織に関わる生徒からは否定的な意見が強くなっていく。
「……だが、空崎ヒナはやけにエデン条約に肯定的だった。普段なら黙って我々の命令に従う所を、私に直接意見をしてきた」
「えっ!? ヒナさんがですか……!」
……まずい。ヒナさんがエデン条約に前向きなのは嬉しいことだけど、今回はあまりよろしくない。
マコト様はヒナさんに対抗意識を持っている。僕が居た頃から何度もヒナさんにちょっかいをかけていたけれど、議長の立場になってからは多分風紀委員会全体に嫌がらせをしている筈だ。
ヒナさんなら嫌がらせにも何とかしているだろうし、最悪マコト様の暴走も止めてくれる。
だけど、立場としてはマコト様が上でヒナさんが下だ。ヒナさんが頑張っても、マコト様の匙加減でエデン条約を白紙に出来る。寧ろ、それを脅しにヒナさんに嫌がらせしてる。きっともう。
「何故奴がエデン条約に拘るか知らんが、風紀委員会は空崎ヒナの意思に従う。空崎ヒナを支持する一般の生徒も少なからずいるだろう──このままでは万魔殿の立場が危うくなる」
駄目だ……本当にこのままだと白紙の方向にもって行きかねない。これまでの、ナギサ様達の苦労も水の泡になってしまう!
「……だが、我々万魔殿もエデン条約の締結に賛同することにした」
「………………えっ?」
今……マコト様は何と言ったのだろうか。
「風紀委員会が本格的に動くのは締結した後だ。それまでの交渉の場には我々が赴き、その様子をチアキが記事にしアピールする。そうすることで万魔殿の威厳を見せ、風紀委員会は下であることを知らしめられるのだ!」
す、凄い……ちゃんと考えていらっしゃる!
いつもは逆張りしたさの所為で突発的な行動が多かったのに、先のことまで見据えている!
でもマコト様がこんなに意欲的なのは珍しい。僕の報告書はハッキリ言ってマコト様の意欲を出すに不十分だ。他に何か別の要因が……?
「あー! メイドさんだー!!」
ダンッと扉が開かれ、溌剌とした声が部屋に響いた。
振り返ってみると、扉の前に小さな女の子が立っていた。
「え、えーっと……」
「はじめまして! イブキって言います! メイドのおねーさん!」
「お、おねっ……!? コホン。お初にお目に掛かります。ティーパーティーにメイドとして仕えております。灰崎エラです」
お姉さんと言われたことのダメージをなんとか堪え、イブキさんに挨拶をする。
「あの、マコト様……少しお話しが」
私はマコト様に耳打ちをして部屋の隅に移動する。
「どうした」
「あの女の子はどなたかの妹さんですか? 万魔殿の制服を着ていますが、彼女が高校生にはとても」
キヴォトスには高校生には見えない容姿の方がそれなりにいる。ヒナさんもその一人で、小学生の頃の服が今でも着れると噂だ。
だけど、イブキさんの身体はヒナさんと比べてまだ未成熟──身体が出来上がっていない印象がある。
「ああ、その通りだ。丹花イブキ──今年から初等部から飛び級した我が万魔殿のメンバーだ」
「それは凄いですね……!」
初等部からの飛び級なんて聞いたことないけれど、それに相応しい能力を持っているのだろう。マコト様が予め目をつけていたのだろうか?
「イブキにはいずれ私の跡を継ぐことになる。その時にはお前にイブキの補佐をしてもらうつもりだ。折角だ。今から仲良くなっておけ」
「マコト先輩? エラお姉さんと何の話しているの?」
僕達がコソコソと話をしているのが気になったのか、イブキさんが背後からひょっこりと顔を見せた。
「何でもないよ、イブキ。このお姉さんがイブキと仲良くなりたいって私に相談していただけさ」
「……!?」
マコト様の声色が明らかに変わった。表情もとろけるようにニヤニヤとしている。
「そうなの? あっ! そうだ! エラお姉さん、"ペロりん"って食べたことある?」
「ペロりん……ですか?」
"ペロりん"はトリニティの一部で販売されているスイーツです。プリンにスポンジを覆い、ペロロ様の形に成形したそのスイーツは最近販売されてから瞬く間に人気になりました。
テイクアウトが可能な商品ですが、形の崩れやすさから持ち帰る間に崩れてしまい、崩さないように持ち帰る"ペロりんチャレンジ"がトリニティで流行になっています。
勿論、私もヒフミさんと一度訪れてその味を楽しみました。
「はい。とても美味しかったです」
「いいなー。イブキも食べたいけど、マコト先輩が行っちゃ駄目だって、まだ食べたことないんだ」
「前に議長が持ってきたこともありましたが、その時は原型がなくてとても見せられるものではありませんでした」
「でもね! マコト先輩がエデン条約? が終わった後に連れてってくれるって約束してくれたんだー!」
「まあ! それは良かったですね……」
言い終えかけて、ふと違和感があった。
トリニティを警戒してイブキさんを遠ざけようとするのは分かる。そして、エデン条約を終えて大手を振るってトリニティに行き来できるようになってからイブキさんを連れていくことも分かる。
でもマコト様は最初はエデン条約にそこまで乗り気じゃなかった。ヒナさんのことも考えると軽はずみに約束しようなんて……。
「あの……マコト様?」
私はマコト様の方を向いた。
お願いします。私の想定通りじゃないように……!
「…………イブキを悲しませる訳にはいかないだろ!!」
甘っ甘じゃないですか!!
え? イブキさんの為にエデン条約を推進し始めたんですか?
ちょっと待ってください。これまでの僕の苦労は何だったんですか?
「イブキは可愛いですからね。他のメンバーもイブキの為ならと了承してくれました」
「見てみてエラ。最新のイブキちゃん特集! お花の冠を被っている姿、すっごく可愛いでしょ!」
甘っ甘じゃないですか!!
僕がいない間に何があったんですか!?
いや、決して悪い方向には行っていませんし、むしろ良いかもしれませんが。
「ねえねえ、エラお姉さん。お姉さんもペロロ様好き?」
「……ええ、大好きですよ」
「イブキィ! 私も好きだぞ、ぺドr──」
「マコト様、申し訳ありませんが少し黙っていて下さい」
なんでナギサ様と同じ間違い方をするんですか。
「私もマニアと言われていますが、トリニティには私以上──いえ、私の知る限り一番ペロロ様を愛している人がいます」
「え〜! 本当! 会ってみたいなあ」
「ええ、彼女もイブキさんと仲良くしてくれると思います。そうだ。イブキさんはまだペロりんを召し上がったことがないのでしたね。もし宜しければ次にここに来る時に持ってきましょうか?」
「え!? 本当!?」
「はい。これでもペロりんチャレンジには成功していまして。無事にイブキさんの所に届けられる自信はあります」
「えへへ……嬉しいなあ。エラお姉さん、イブキと約束してくれる?」
「はい、約束です」
イブキさんと指切りげんまんを交わす。
少し話して分かった。イブキさんは純粋だ。ゲヘナの生徒はある意味表裏がない方ばかりだけど、イブキさんは何色にも染まっていない透明さがある……マコト様達に好かれる訳です。
「キキキ、エラもイブキに堕ちたか」
「はい、そのようです」
マコト様達を責められなくなっちゃった。イブキさんの悲しむ姿は僕も見たくはない。
「という訳だ。ゲヘナは何の問題もない──後は《《お前次第》だ》」
「……かしこまりました」
マコト様の言葉の意味。それはトリニティをまとめ上げろということだ。
トリニティの各派閥のエデン条約への賛否は半分ずつといったところ。今は前に進んでいるけれど、いつ頓挫するような出来事が起きてもおかしくはない。
何事もなく締結の日が訪れる為に気を引きめなくちゃ。そう僕は誓った。