小松空軍基地の広報担当は、その日、自分の仕事を少しだけ恨んだ。
銃剣術団体優勝、戦闘第305飛行隊。剣道個人の部優勝、戦闘第305飛行隊、東雲菫大尉。
ここまではいい。絵になるし、記事になるし、士気高揚にもなる。戦技競技会前の前哨戦として各飛行隊の気合いを伝えるには、これ以上ない題材だった。
問題は、インタビューの対象が東雲菫大尉だったことである。
広報担当の前で、菫は腕を組んで立っていた。防具はもう外している。それでも試合後の熱がまだ抜けきっておらず、額には汗が浮き、目には殺気が残ったままだった。竹刀を一本砕いた直後の人間とは思えないほど、本人は平然としている。
少し離れた壁際で、キリエはその様子を見ていた。逃げたかった。だが、逃げるとあとで「梅二が逃げた」と言われる気がしたので、その場に残っていた。
「それでは東雲大尉、まずは銃剣術団体優勝、剣道個人優勝、おめでとうございます」
「うむ」
「率直なお気持ちは」
「目の前に首があったら刈らねば失礼じゃ」
広報担当のペンが止まった。
「……ええと」
「相手が出てきた。こちらも出た。そこに首があった。なら刈る。礼儀じゃ」
広報担当は、笑顔をなんとか保ったまま、いま書きかけた行を見直した。
「“全力で応じるのが礼儀”という意味ですね」
「そう言うてもよか」
キリエは心の中で思った。最初からそう言ってください。
「決勝では、戦闘第303飛行隊の副隊長との対戦でした。竹刀が砕けるほどの一撃でしたが、あの瞬間は何を考えていましたか」
「相手が動く前に喉元かっ捌けば動きは止まる」
「喉元」
「面でも胴でも小手でも、本質は同じじゃ。中心を割れば相手は止まる」
「なるほど、“中心を制することを意識された”と」
「喉じゃ」
「中心ですね」
「喉じゃ」
広報担当は諦めたように「中心」とだけメモした。キリエは小さく顔を覆った。
*
三問目あたりから、広報担当の質問の組み立てが少しずつ変わりはじめた。危ない答えが返ってくることを前提に、翻訳しやすい形で聞くようになったのだ。プロというのはこういうところで育つらしい、とキリエは他人事のように感心した。
「東雲大尉は、その身体能力と武道の強さから、陸軍向きではないかという声もあります。なぜ陸軍ではなく戦闘機隊へ?」
菫は眉をひそめた。
「そんなもん考えるだけ無駄じゃ」
「無駄、ですか」
「チェストできるのであれば、空だろうが海だろうが関係なか」
「チェストできるのであれば」
「敵が前におる。こちらが前へ出る。叩く。勝つ。場所が空か地か海かなど、あとからついてくる話じゃ」
「つまり、戦う意志は場所を選ばないと」
「そうじゃ」
広報担当が、ようやく使えそうな一行を見つけて少し明るい顔になる。キリエは内心で呟いた。いや、いまのも十分危ないです。
「今回、戦技競技会における305飛行隊四機編隊の隊長にも選ばれました。そのことについては」
菫は少しだけ真顔になった。
「名誉じゃ」
広報担当はほっとした顔をした。まともな答えが来た、と思ったのだろう。
「隊長、整備、仲間、そして梅組の名に感謝しちょる。四機を預かる以上、半端な飛びはせん」
「素晴らしいお言葉です」
「黄泉人の先駆けじゃ。名誉じゃ」
広報担当の笑顔が固まった。
「よ、黄泉人」
「先に行く者が道を作る。後ろの者が踏み込めるようにする。一番機とは、そういうもんじゃ」
「ええと、“先陣を切る覚悟”ということで」
「黄泉の門をこじ開ける」
「先陣を切る覚悟、ですね」
キリエは思った。広報、強い。
「戦技競技会では、全国の戦闘機飛行隊が集まります。他部隊への意識はありますか」
「舐められたら殺す」
広報担当は、ついにペンを落としかけた。
「殺す、というのは」
「空でじゃ」
「模擬戦闘上で、という意味ですね」
「当然じゃ。現実にやったら懲罰もんじゃろ」
「そこは常識がおありなんですね」
「失礼な」
キリエは思った。いまのは、広報の本音が漏れた。
*
「305飛行隊は、今回の競技会に向けて“爆闘”“一機殲滅”“徹敵必勝”を掲げてきたと伺っています。この三つについて、東雲大尉はどう捉えていますか」
「爆闘は、初手から相手の息を潰すことじゃ」
「息を」
「一機殲滅は、目の前の一機を逃がさんことじゃ。半殺しで満足せん」
「表現が」
「徹敵必勝は、敵を骨まで見ることじゃ。癖、迷い、逃げ道、弱気、全部見て勝つ」
「骨まで」
「見えた骨を折る」
「“弱点を突く”ですね」
「まあ、そうじゃ」
広報担当は疲れた顔で頷き、ページを一枚めくった。
「剣道の試合と空戦には、共通点がありますか」
「ある」
「どのような点でしょう」
「間合い、中心、気合い、殺気、踏み込み」
「殺気」
「相手が出る前に、出る気を潰す。出てきたなら、出た瞬間を刈る。引くなら、引いた背中を追う」
「空戦でも同じだと」
「同じじゃ。高度と速度が竹刀に変わるだけじゃ」
キリエは少しだけ納得してしまった。悔しいが、わかる。
「今日の勝利で、305飛行隊への注目も高まると思います。プレッシャーはありますか」
「ない」
「まったく?」
「見られるために来た。見られて困るなら、最初から梅を背負うな」
「梅を背負う」
「305の尾翼は飾りじゃなか。見られ、試され、狙われ、それでも前へ出るための印じゃ」
広報担当が、今度は本当にメモを取った。これは使える、という顔だった。
キリエも少しだけ黙った。こういうことを急に言うから、菫大尉は困る。
*
「剣道決勝の相手、303飛行隊副隊長についてはどう評価されますか」
「強かった」
菫は即答した。
「中心が死んでおらん。間合いもよか。普通なら、あそこでこちらの踏み込みは止められた」
「では、なぜ勝てたのでしょう」
「こちらがもっと踏み込んだからじゃ」
「技術ではなく?」
「技術もいる。じゃが最後は、あと半歩を踏めるかじゃ。相手の中心に入ると決めたら、迷うな」
「相手への敬意は」
「ある。強い相手だから砕き甲斐がある」
「砕き甲斐」
「褒め言葉じゃ」
「そう書くのは難しいですね」
広報担当はそう言いながら、もう表情を崩さなくなっていた。慣れてきたのだ、とキリエは思った。この人はたぶん、今日で少し成長した。
「銃剣術団体戦では、305飛行隊全体の連携も目立ちました。普段の訓練が活きたのでしょうか」
「当然じゃ」
「どのあたりが」
「前が圧をかける。横が逃げ道を塞ぐ。後ろが相手の迷いを拾う。これは空戦と同じじゃ」
「銃剣術でも編隊戦のように?」
「そうじゃ。一人で突っ込んで勝てる相手なら、それでよか。じゃが強い相手には、味方で殺し場を作る」
「殺し場」
「勝ち場と言い換えてもよか」
「では、勝ち場で」
翻訳の速度が明らかに上がっていた。
「東雲大尉にとって、理想の二番機とはどのような存在ですか」
菫が一瞬だけ壁際に目をやる。キリエは嫌な予感がした。
「噛みつく犬じゃ」
「犬」
「ただし、勝手に走る犬では困る。こちらが睨んだ先を、先に噛む犬じゃ」
「それは、今回の二番機である如月中尉のことですか」
「そうじゃ」
キリエは目を閉じた。巻き込まれた。
「桐絵は牙がよか。じゃが昔は、噛む場所を選ばんところがあった」
「今は?」
「少しは選ぶ。まだ少しじゃが」
「東雲大尉から見て、期待していると」
「期待しちょる。あれが私の翼を見失わずに噛めるなら、飛行教導群にも届く」
キリエは何も言わなかった。少しだけ、悪くないと思ってしまったからだ。
*
「今回の戦技競技会で、305飛行隊として最も見せたいものは何ですか」
「梅組の空じゃ」
「梅組の空」
「爆闘で入る。一機殲滅で逃がさん。徹敵必勝で勝つ。撃墜判定だけで喜ばん。僚機を殺さん。任務を落とさん。帰ってから、どこで死んだかまで言う」
「非常に305らしいお答えですね」
「当たり前じゃ。305じゃからな」
広報担当は、ここはそのまま使えると思った。たぶん、今日初めてのことだった。
「もし競技会で飛行教導群に挑発された場合は?」
「挑発される前に挑発する」
「え」
「相手がこちらを揺らしに来るなら、その前にこちらが揺らす。敵に主導権を渡すな」
「冷静さは必要では?」
「冷静に狂うんじゃ」
「冷静に」
「そうじゃ。熱く見えて、芯は冷えちょる。そうでなければ空では死ぬ」
キリエは、その言葉にだけは強く頷きそうになった。冷静に狂う。菫大尉そのものだった。
「最後に、他の参加飛行隊へ一言お願いします」
広報担当は祈るような気持ちで聞いた。どうか使える言葉を。どうか広報誌に載せられる言葉を。
菫は少し考え、それから真っ直ぐカメラを見た。
「正面から来い。逃げてもよか。隠れてもよか。策を使ってもよか。全部まとめて叩き割る」
広報担当の表情が固まる。菫は構わず続けた。
「じゃが、半端はするな。こちらも半端はせん。梅組は、遊びに来たのではなか」
少し間を置く。
「空で会おう」
広報担当は、ようやく息を吐いた。最後だけは、完璧だった。
*
インタビューが終わると、広報担当は疲れ切った顔で頭を下げた。
「ご協力、ありがとうございました」
「うむ」
「記事にする際、表現を一部調整させていただく場合があります」
「好きにせい」
「ありがとうございます」
広報担当は心底ほっとした顔で、機材をまとめて去っていった。
残されたキリエは、菫を見る。
「大尉」
「何じゃ」
「広報、半分くらい死んでましたよ」
「死点確認が必要じゃな」
「広報にまで適用しないでください」
菫が笑う。キリエはため息をついた。
「“舐められたら殺す”は、さすがに載らないと思います」
「なら、空で見せればよか」
「そういう問題じゃないです」
「問題は空で解決する」
「絶対に違います」
菫は格納庫の方へ歩き出した。その背中は、剣道大会を戦い抜いた直後とは思えないほど軽い。このあとには戦技競技会が控えている。飛行教導群との模擬戦闘がある。全国の戦闘機飛行隊が見ている。それでも菫は、まるで次の試合場へ向かうだけのように歩いていた。
キリエは小さく呟いた。
「……やっぱり、なんで陸軍行かなかったんだろう」
菫が振り返った。
「聞こえちょるぞ」
「聞こえるんですか」
「殺気でわかる」
「殺気出してません」
「失礼な気配がした」
「気配で怒らないでください」
菫はにやりと笑った。
「梅二」
「はい」
「次は空で優勝インタビューじゃ」
キリエはヘルメットを持ち直した。
「その時は、もう少し広報に優しくしてください」
「勝ったら考える」
「絶対考えないやつですね」
小松の空に、エンジン音が響いている。剣で勝った。銃剣で勝った。広報を困惑させた。だが、305が本当に取りに来た首は、まだ空の上にある。
菫は格納庫へ入りながら言った。
「行くぞ、桐絵」
「はい」
キリエはその背中を追った。
爆闘。一機殲滅。徹敵必勝。
広報誌には、たぶん綺麗に整えられた言葉が載るのだろう。けれどキリエは知っている。梅組の本音は、もっと物騒で、もっと単純で、もっと熱い。舐められたら殺す。空で。判定で。飛びで。そのために、彼女たちはここへ来た。