冬を迎え、正月も過ぎると、高校三年生はほとんど学校に来なくなる。授業は減り、大半は受験や就職が迫り、あれほど騒いでいた学び舎に、姿を見せなくなる。
「…………」
祓魔師予備軍である、森塚梢もまた、その一人だった。
女子高生離れした艶やかな肢体に黒い長髪。気怠げな眼差しは、壁に掛けられた時計を見つめている。
実家のアパート『コーポ森塚』の一室で、黙々と勉強をする毎日。年の瀬には界異も頻発し、バイト同然の彼女も度々駆り出されたが、今は静かなものだ。
「ふう、終わり」
問題集を解き終わる。試験を想定し、何度も何度も同じことを繰り返して来た。
(時間が余って来たけど、あんまりいい気はしないわ)
我ながら狂った時間だと梢は思った。一日の大半を、ただただ勉強に費やす。
ある種の純粋な訓練時間と言えば聞こえは良いが、孤独で非人間的な時間とも言えた。
「梢ちゃん、終わった?」
「千春」
梢の友人、桜之千春が無遠慮に入室すると、ベッドの端に座る。眼鏡をかけた小柄で痩せた姿は、もっと年下の少女にしか見えない。
高校になってから、自宅よりも過ごした時間が長いこの部屋は、千春にとって自室も同然であった。
「たった今終わった。はいこれ」
「ん」
梢は有人に問題集を渡すと、採点が始まった。同じ大学を受ける身であるが、学部は違う。
そして千春は梢よりもずっと偏差値が高い。そのためこうして勉強を見て貰っていた。
「早いわね、もうじき試験だって」
「本当にね」
てきぱきと○×を付け、間違いに注釈を添えると、千春は答案を返却する。
「前よりも良くなってるね。イイ感じ」
「ありがと。あんたはどうなの?」
「私は全然大丈夫!」
穏やかな笑みを浮かべて少女は言う。嘘偽りなく、成績においては何も問題が無かった。
むしろ梢に勉強を教えることが、今の千春にとっては最善の勉強法だった。
「ならいいわ。受験料も納めたし、学費の準備もできたから、後は本番ね」
「そっちの方が大変だった気がする」
「たぶんそうね」
意地の悪い様子で呟く友人に、梢は苦笑する。
幼くして両親を失い、育ての親の祖母もいなくなった。生活のために体を売ったことは一度や二度ではなく、それこそ生活の一部と化している。
「資金洗浄に友だち使いましたなんて、絶対ろくな死に方しないと思う」
「そんなこと」
通帳に入れることのできない後ろ暗い金は、千春との個人的な金銭の貸し借りという形で洗われている。
黒から灰色に薄められたそれは、様々な学費に充てられていた。
「思い出すわね。初めて会った日のこと」
梢は目を閉じる。
この友人との出会いは、一年生の時だった。
どこにでもいるいじめられっ子で、不良に金を巻き上げられていた。
「これからのこと、稼いだお金の回し方を考えてたら、あんたを見かけて。その時に思いついたのよね」
机の上に腕を組み置いて、眠るように頭を預ける。疲れた視線は千春に注がれている。
「都合よくお金を貸して、返して貰って、それだけの関係で終わらせるつもりだった……」
「でも私が食い下がった」
当時、親に何と言おうと困っていた千春は、梢に金を無心した。梢は自分が売春で得た金を洗浄したい。千春はいじめのことを隠したい。
事情を明かし、後で返すことを約束させ、個人間の金貸しが始まった。
「返すアテなんてないのに借りて、だけどそれも梢ちゃんの手の内だった」
梢は必要なだけの金額を貸し付けた後、躊躇なくいじめをバラした。学校と、警察官である千春の父親に。
「恨んでる?」
「ううん、でもあの時は全部が終わったような気がした」
事態が明るみに出たことで、相手の生徒は退学になり、取られたお金はほとんど戻らなかったが、千春の両親は梢に金を返すことを約束した。
それで彼女の目的は達成された。
だが話はそれで終わらなかった。
「私ね、善意でやったことは一つもないの。それなのにあんたは、色々と理由を付けて付き纏うようになった」
「謝ったり、お礼がしたいって言ったり、友だちになってって言うのが、一番最後だったっけ」
千春は苦笑する。当時の彼女の目には、颯爽と現れて荒療治と共に問題を解決した、女傑のように見えた。
「必要なら私もお客さんを取りますって言って、顔を打たれた。わざわざ眼鏡を外してから」
「眼鏡たっけえからね」
それからだった。梢は千春の友人としての日々が始まったのは。
放っておけば思い詰め、本当に身を売ると分かっていた。そして彼女はそれを望まなかった。
「……あんたって、私の話を思ったより聞かないのよね。全くって訳じゃないけど」
同じ時間を過ごすようになってから、千春は自分のことをよく語った。何年も前になる小さい頃のことから、最近のことまで。
本当は、両親と話したかったことは、明らかだった。
友人の未消化の時間を、親の代わりに咀嚼していく内に、向こうは本来の時間を取り戻して行った。
「ごめん」
「自分を大事にしないっていうか、大事にさせてくれないっていうか」
千春は日に日に梢への依存を強めて行った。いつしか恋慕と性愛が執着を生み、自分を顧みるようになった梢を、振り回し始める。
「だって、私のことそんなふうに見てくれるの、梢ちゃんだけだから」
善意、愛情、保護。本来両親から注がれるはずだったもの。抜け殻同然の自分に現れた救い主。
傷が癒され、求めに応じてもらうほど、欲求と衝動はエスカレートし、止められなくなっていく。
頭では、終わりが近いと分かっていながら。
「困った子よね。私が就職したらどうする気なの」
「クリティカル労務士だっけ?」
タクティカル祓魔師である。
「そろそろネタ切れよね、それ」
「そっ、そういえば前に梢ちゃんから、ご先祖様の資料を預かってたよね」
痛い所を突かれて千春が強引に話を変える。
今までは狙ってやっていたのだ。
「ああ、去年の夏の奴ね」
梢は千葉県にある別邸を業者に、AV撮影用の場所として提供している。
それどころか自分も女優として参加し、臨時収入を得ている。
「古文の勉強にもなるって言って、解析を引きけてくれたのよね。その辺の祓魔師にでも売って良かったのに」
しかし去年、些細な出来事からその地に封じられていた、山の神と戦うことになった。
どうにかするために彼女は先祖の遺した記録から、様々な手掛かりを得て、窮地を乗り越えたのである。
「大昔に封印された界異や、梢ちゃんが使えそうな術とか式?っていうのがいくつか載ってて、それをまとめておいたの」
梢が現在祓魔師として、特殊な術は一つも覚えていない。専ら自身の肉体に頼るばかりである。
「良かったら読む?」
「私って親とかおばあちゃんから教わる前に、皆いなくなっちゃったから、正直難儀してたのよね。穢淫の連中も術師って訳じゃないし」
穢淫とは一般的に夜魔、サキュバスと呼ばれる界異であり、主に人間に憑依し受肉し、堕落させる存在である。
また自分たち自身の血が濃くなってしまったため、安全な繁殖も目的として人に取り憑く。
AV撮影会社や性的なカルト手段に紛れ込んでおり、夏の事件では梢に命を助けられたことで、一部は交友関係を持つに至った。
「これで少しは親不孝を返上できそうね。読むわ」
「じゃあ今持ってくるね。」
「待って千春」
そう言って退出しようとする友人を、梢は呼び止める。
指で自分の元へ来るように示すと、千春の目は熱を帯び、仔犬のように駆け寄る。
「はい、どうぞ」
「ん」
千春の髪が梢の表情を覆い、吐いた息が吸えるほどの距離に顔が近付く。
静かに唇を重ね合わせると、安らぎの時間が訪れる。
二人は男女の仲といえるものを、同性で築いていた。
「少しは、私離れしなさいね」
「ふふ、やだ」
千春はそういうと、本当に嬉しそうに梢の唇を吸う。
(案外、一生離れられないかもね)
梢は親友の退廃を、諦めに似た感情で受け止めるしかなかった。