梢はどうにか伝わった一族の術を、サマナにあっさりと渡した。
そしてサマナたちは、それを特定の呪詛犯罪者や陰陽寮、不良祓魔師などに開陳した。
毒を使う者が解毒剤を作り携帯するように、呪詛を扱う者は解呪を編み出す。
「やはり初動は数に頼るのが一番ですね」
ハカセが森塚の古文書の読み解きながら呟く。ここは人の世に紛れた界異たちの隠れ家の一つ。
利用者が一人もいない公民館に機材を持ち込み、数人の人妖が詰めていた。
「持つべきものは同好の士です」
サマナが研究用のタブレット端末を眺めて答える。今も凄まじい量と勢いでレポートが上がって来ていた。
「呪詛の反転自体は珍しくないもの。しかし答えが同じだからといって、過程も同じとは限らない。異なる過程、異なる術式、同じ答え、技術体系の隙間を埋めることで、見えて来ることがあります」
霊力、魔力、血筋という特定の規格でしか使えないはずの術が、ある時別の使用法を見出され普及することもある。
或いは同じ結果に見えても違う場合がある。
「反転不可群の呪詛の一部に、反転可能なケースの発見報告」
「キタキタキタキタ!」
ハカセの言葉にサマナが口角を釣り上げる。好相性から生じる例外。
貪るようにレポートを読み上げ、自身も再現を試みる。
「森塚の術は、呪詛が異界側とこちら側の空間を跨ぐとき、空間内の位置関係に作用することが、根底にあるようです」
「効果が反転するというより、異界とこちらで効果が異なる呪詛の立ち位置を、そっくり入れ替えるような感じですかね」
使用範囲内において、異界と人界で効果が統一されない呪詛は、パズルの様に組み替えられるらしかった。
「精神を起点にした肉体や物質への不可逆な変化を、修復できる可能性があるそうです」
「逆に肉体を起点にして、精神を変容させることもできそうね」
良からぬことを次々と口にしながら、人と界異の研究が進む。
異界と現世の配置換え、情報の再設定、変化の瞬間を捉えた映像。
本来ならば相手破滅させるための力が、次々と変質していく。幸福、或いは欲望の形が充足していく。
「反転した呪詛の中でも益の有るものはどう呼びましょうか」
「加護や祝福でいいでしょう。だいたい同じもので、解釈は人間次第な訳ですし」
「加護を呪詛に戻すことについてですが、森塚の術そのものには限度はありません。ただし元となった呪詛や加護には限度があるようです」
ハカセはそう言って報告を図にまとめ直す。比較的新しい勉強の仕方に興奮しているようだ。
「現状で特筆すべきは、心身を蝕む呪詛を逆転させた場合、内容は当然強化に変じるのですが、通常の術式での強化よりもメリットが大きいことにあります」
「負担が軽い上に効果が残存し、代謝を引き上げるようですね。日常生活での活用にも使えるのは便利なことです」
サマナは術式での研究を一旦止めると、今度は生体実験の報告へ目を通す。
「呪詛生物や界異への直接的な作用はどうなっていますか?」
「消滅や崩壊といった例は少数ですね。穢淫については効果が大きく多岐に渡ります」
「梢さんはダウナ―系の性向をしていますが、体は完全に曜キャのアゲまんですからね。そういう家系なのかもしれません」
酒池肉林を好む穢淫と、子宝の豊穣伸かなまら様の力と存在を同時に宿した存在は、現状では彼女くらいである。
神聖にして魔性の肉体を持つ梢は、力のある界異や心に闇と傷を持つ人間ほど、強く引き付けられる。
「それで?」
「呪詛生物は簡易の神獣や幻獣とも呼べる姿に変異し、私たちの場合は天使のような外見に変化しました。ちなみに性的なことに関しては従来とほぼ変わりません。ただ相手のことを考慮したプレイがはっきり増えました」
一人よがりに堕落を求めるのではなく、両者の幸福を求めたいちゃラブ路線への変更。
一部では光堕ちと呼ばれる現象である。
「淫紋にもかなりのバリエーションが増えました。この術式を使えば体の表面だけでなく、体の裏側や骨、臓器等にも図柄を付与することができます。いえまあ淫紋に限らないのですけど」
「刺青による術者の強化は珍しくないですからね。しかし本来なら限られたキャンバスを、より広げることができるなら、更なる発展が見えて来る」
「持つべきものは破滅願望のある実験体ですよ」
世の中には自殺願望のある者や、自らの肉体を改造し、破壊することを望む倒錯者など、使い捨てにできる人や界異が大勢いた。
大抵の人が決して目を向けない暗がり。そこは罪悪と相愛の輩の住処であり、サマナたちには宝の山だった。
「刺青や淫紋は奥行きやグラデーションを持ち、相互に共鳴させる技が開発されています」
「美容と健康に有効な物は直ぐにも商品化しましょう。人間はこの手の物なら幾らでも欲しがりますからね」
「加えて実地データも採れると。寿命とアンチエイジングに効果のあるものは、既にリストアップしてあります。人間を辞めさえすれば不老不死も夢ではないかと」
ハカセから金儲けに使えそうな呪詛を教えてもらい、サマナは頭の中で算盤を弾く。
人の世は何をするにも金が掛かるため、資金繰りはできるに越したことはないのだ。
「不老不死、ですか?」
二人の会話を聞いて、それまで千春が顔を上げる。この少女もまた、森塚の術研究に参加していた。
「ええ、少なくとも私くらいには長生きでいるでしょう」
「それって何年くらいですか?」
「千年から先は数えてないですね」
そういってサマナが笑う。この女界異の見た目は二十代後半で止まっていた。
「不死は呪いの中でも有名ですからね。苦しみが尽きない時間はそれだけで拷問ですから」
「不老は老化の呪詛の反転ですね。これまではかけられても何方か一つだったのですが、森塚の術式なら、複数の呪詛と加護を重ねがけすることが可能になります」
人類の夢と呼ばれたことは、その実人間にとっての救いを奪い、生を穢すことで容易に達成ができた。
「梢さんとのことで、お悩みですか?」
「はい。私は正直、梢ちゃんには私と一緒に、人間を辞めて欲しいと思ってます」
千春の告白は、その場にいた者たちの視線を集める。率直な欲望の吐露。
「出来る限りお互いに若く、二人で生きて行けたらって。でも梢ちゃんはそうする気がないみたいで」
友人を独占し人生から降りたい。
千春の望みは恐ろしく単純だった。
「そうですね。人間でいることに執着もないはずなのに。ていうか下手な人生よりも界異になった方がよっぽど生きやすいですよ」
ハカセが身も蓋もないことを言う。今日まで退治もされずのうのうと生きている身なので説得力がある。
「もうじき高校を卒業して、大学に行って、社会に出て。でもそれで私たちが幸せになれるとは、どうしても思えなくて」
大半の人間にとって、人生で最も幸福な期間は学生の頃である。
しかし進学して大学に進んでも、それは高校生活の延長とはならない。
「真面目に将来のことを考えたら、人間を辞めた上で、人間社会で生きて行くのが、きっと幸せだと思うんです」
高度の能力の獲得、発達した文明への適応、個人の幸福を追求するとき、それらは必須とは言えない。
人によっては千春の願望は幼稚で甘えたものに見えるだろう。だが自分の人生において、如何に幸福な時間を維持していくか、それ自体は誰にも共通の命題である。
一つ確かなことは、千春は真面目に考えた上で、これを言っているということだった。
「だけど、梢ちゃんをどうしたらいいのか」
「簡単ですよ。奪ってしまえばいいのです」
「奪う?」
サマナの言葉は嘘や狙いのない、自然な響きをしていた。
生きて来た時代と価値観の違いから来る、確固たる意志。
「そう、自分のものにしてしまうんです。こういうことはですね、古来より行き着く先は同じです。あなたが彼女に挑んで、勝って、モノにするのです」
「私が、梢ちゃんを……」
「人間を辞めるのが、一緒じゃないといけない理由もないですしね」
梢が人間を貫くなら、自分もそれに倣うのか。
千春の中では既に、答えが出ていた。
「一時的に取り返しのつく範囲で人間を辞めて、それで梢さんに挑んでみたらどうです?」
「これまでお世話になってますし、お手伝いしますよ?」
界異たちが少女の耳元で囁く。堕落のための姦計ではない。
知人への善意として。
「……よろしくお願いします」
そして千春は、意を決した。