『その、ごめんね梢ちゃん』
「いいわよ別に」
千春の挑戦を受けた後日、梢は犯行予告を受けた。
先祖の活動記録を辿り、かつて界異を封じ込めた祠を破壊する。そのはずだったのだが。
「まあ、何百年も昔のことだしね……」
権利者である彼女の元に情報が引き継がれるまでの間、祠の大半破壊されていた。
時には役目を終えて、或いは土地の開発などによって。
「むしろまだ無事な祠なんてあるのかしら」
封印が解けても既に界異が討伐されていたり、年月が経っていたり。祓魔師に相談して藪蛇になっても嫌なので、彼女はこの確認作業に頭を痛めた。
地図の一つ一つに印を付け、終了と注釈を付ける。
「こっちこそ自分ちの雑事を押し付けたみたいで申し訳ないわ」
遠方の案件ならば、界異たちのネットワークによって現地の確認を行ってもらうのだが、今のところ無事な祠は出ていない。
スマホの向こう側で千春が苦笑する。
『もしも祠が全滅してたらどうしよう』
「その時はまた考えましょう。私もね、あんたがいないと、ダメになっちゃうから」
『梢ちゃん……うん、分かった』
彼女が弱音を吐くと、千春は感極まった様子で呟く。
殊更に強調しないだけで、梢は自分の好意を隠そうとはしていない。
「それにしてもご先祖様も、随分あちこち渡り歩いたものね」
森塚の祖先は日本を縦断して妖怪、当時の界異と関わっていた。
煙々羅、ぬらりひょん、ひょうすべ、毛羽毛現、沼手、泥手、手長足長、しょうけら、こっくりさん等々……。
およそ有名どころは元より、中には聞いたこともないようなマイナーなものもあった。
『日記みたいなのもあって、基本的に誰かと一緒に行動してたみたい』
「よくこれで子孫が残せたものだわ。命が幾つあっても足りないわよ」
治安も悪い古の時代、旅人であるなら一人のはずはなかった。そんなことをすれば直ぐにも人に襲われていただろう。
「少しずつでも名を上げていくことで、身の安全を確保していったのね」
『ありがたいお坊さんって訳だね』
現代でも万人が界異に立ち向かえる訳ではない。それを考えれば、人が手出しできない怪物を相手にできる。
それは人類側にとって貴重な存在だったことは疑いようもない。その証拠に祓魔師の前身とも言うべき、陰陽寮が今も存在している。
『一応ね、厳重というか要保管って書かれてある冊子もあって、それには異界、つまり境界の向こう側に祠を移し、普通の手段じゃ接触できないようになってるのがあったよ』
「術式の有効活用ね。ほぼ確実に放っておくべきだけど、何が入ってるの?」
わざわざ封印してから、界異のホームグラウンドである異界へと、それを隠す。並大抵の問題でないことは用意に想像できた。
『まず大勢の呪詛犯罪者』
「テロとかクーデターね」
その身に呪いをかけ、界異を降ろし、人を辞めた者たちであると、古文書のには記してあったと、千春は言う。
「危ないから触るんじゃないわよ」
『うん、ありがと』
二人は将来を賭けて争うはずであったが、そもそも封印された界異を解き放つなど、千春の身にも危険が及ぶ可能性が高い。
荒事の経験はあっても勝負には不慣れなため、どちらも段取りが悪かった。
『他にはえーと』
「どうしたの?」
『ちょっと待って、サマナさん、これは』
千春は傍にいたサマナにスマホを手渡した。交代で女界異の声が聞こえて来る。
『これは現代では淫吸馬と呼ばれる怪異ね。昔は名前が無かったけど、現代では分類や名付けが進んだ者も多いわ。丁度いいから、今度梢さんにはこれの力を抽出して移植するわね』
そして藪蛇となった。淫吸馬は黒いユニコーンとも表現すべき夜魔であり、見た目は正しく馬である。
男女を問わず誑かし、時には子を産ませることもあり、子供は精強かつ性剛なことが多い。
『そうそう。進んだと言えば紋章の開発でも進展があったの。ドワーフって知ってる?』
「メスケモ族のことよね」
サマナの問いに梢が頷く。なんとこの世界には亜人が普通に存在する。
『彼女たちは自らの強化用に部族の刺青、トライブタトゥーっていうんだけど、それを体に入れるの。一人一種類なんだけど』
「うちの術を使うと複数施せると」
『ご明察』
古きを温め新しきを知る。そういう言葉があることは知っていたが、文明の利器から人体の原始的な強化を推し進めることに、梢は何とも言えない気持ちになった。
「子宝に夜魔にドワーフの力、それらが繁殖を含めた生命力の一点に集約されると」
『生々流転、輪廻転生を自己完結できたら、人はどうなるのかしらね、ふふふふふふふふ!』
堪え切れない探求心を、サマナは堪え切れない。古の病の名を冠するこの存在は、人に強く在ることを求める。
「話を戻すわ。異界に隔離されてる祠は他にあるの?」
『えーとね、頭が祠の鳥がいるね。野垂れ鳥っていうみたいなんだけど』
スマホを返してもらった千春の言葉に、梢が眉をしかめる。祓魔師の教科書に載るレベルの大妖である。
『頭の祠をすり替えて、呪詛を無力化したってあるね』
「これも近付いちゃダメよ。祠が本来の物に戻ったら皆死ぬわよ」
それからも彼女たちは勉強の合間を縫って、森塚の記録を追い界異の封印を追った。
封印が解けて未解決のままと思しきケースには、資料を添えて連絡をしたり、手近な場所で危険度が低そうなら、地元の祓魔師に一報を入れたりした。
「もう残ってない?」
『あと一つだけ』
記録には数十か所あったはずだが、触れてはいけない物以外は全てが時の彼方に消え去っていた。
『ただね、それがその』
「どうしたの?」
『梢ちゃん、落ち付いて聞いてね』
友人の緊張した声に、梢は勉強の手を止める。このまま肩透かしに終わってくれれば、その思いは直前で回避されてしまった。
『最後の界異はイツマデって書いてあるの』
「昔からいる妖怪兼都市伝説ね」
イツマデ。時間に対する不安が実体化した界異存在。他人を追い立て精神を破滅に追いやる習性があり、基本的に討伐対象である。
「うちの術で呪詛を反転させたらな、不安を解消するようになったのかしら」
『自分を責めたら機能不全とか自滅しそうだけど、これが記録上は最後なんだよね』
森塚の先祖は晩年、日本縦断から内陸は関東へと戻った。その最期は不明だが、子孫は現代まで続いており。
「で、場所は」
『それがね、たぶん……』
千春は一度言葉を区切ると、深呼吸をしてから告げた。
『たぶん、そこなの』
梢はそう言われると、無言で周囲を見回した。小さい頃はボロい一軒家だった。
いつから賃貸になった?
コーポ森塚はいつからここにあった?
自宅の後?ここが?
両親はいついなくなった?
祖母はいついなくなった?
記憶が混濁する。
「コーポ森塚に、それっぽい祠なんか無かったわよ。隠し部屋とかも無いし、異界側に祠があるように見えないけど……」
言いながら、梢の脳裏にかつて見た景色が広がる。薄暗くほのかに赤い、夕暮れのような世界。
鼻の奥が広がるような、常に何かが触っているような空気。
「お婆ちゃん……」
『え?なに?』
「思い出した」
彼女はそう言ってふらりと席を立つ。外着に着替えると、息も白くなるほど冷え込んだ外へ出る。
既に周囲は暗くなっている。
『梢ちゃん?』
「家の近くにね、お墓があったの。山の麓に」
『山?コーポ森塚の近くには山もお墓もないよ?』
そこで通話を切ると、彼女は何かに操られるように、自転車に跨り人のいない道を走った。
しばらくして、地元民でも入らない、管理が放棄された雑木林へ入る。
勾配がきつくなり、やがて何もない空間が現れた。
視界に薄い赤が混じり、乾いた日差しの匂いがする。
「ここね」
何もないはずのその場所に、梢はとても懐かしいものを感じた。