「梢ちゃん、その話、本当なの?」
「たぶんね」
記憶を頼りに県境の山へと入った梢は、一度引き返して準備を整えた。辺りはすっかり夜であり、いよいよ気温も厳しいものとなっていた。
「道理で自分ちのことで、記憶にモヤがかかってるような感じがしてたのよね」
「ご推察の通り、あの山の異界側にはこちら側だったはずの物が、幾つか眠っていますね」
「界異とその犠牲者らしき人もいたわ」
山中の様子を見に行った博士たちも戻って来た。案の定の内容に梢も俯く。
「やっぱりこの勝負、無かったことにしようか」
「まあそれどころじゃ、なくなっちゃったしね……」
一同はコーポ森塚に戻ると、鍋を作って夕飯を共にした。
「すいませんね、ご馳走になっちゃって」
「いいのよ、今はあすみさんたちもいないし」
他の住民たちは帰省したり、パパ活相手の元に転がり込んでおり、アパートは静かだった。
「ではありがたくご相伴になります」
四人もいればすっかり狭くなった室内で、BGMもない中で鍋を突つき合う。
「こんな日が来るなら、テレビの一つも置いとくんだったわね」
「誰も見やしませんよ」
「でも物音は欲しいし」
黙々と夕飯を食べる女性陣。趣味も異なり話題も乏しい。話そうと思えば、自然とそれは先ほどの山のことに限られる。
「たぶんあの山の中に、私の実家があるのよね」
「梢さん、このアパートにはいつから?」
「おばあちゃんが死んだ後、のはずなんだけど」
「そのお婆さんがお亡くなりなったのは?」
梢は熱々の湯豆腐を頬張る。考えても考えても、明確な時期が出て来ない。
「分からないのよ。でもここには中三くらいからもういたのよね」
だがその一方で、このコーポ森塚がいつからここに在ったのか。それも不明だった。
「記憶操作がされていると」
「それも結構大規模にね」
「これからどうするのですか?」
「装備を整えて調べるわ。もしもの時の準備もしてね」
最初に自分が現地入りし、予定の時間に戻らなければ、地元の祓魔師に通報する。そして通報の役目は千春が担う。
捨て身に近いルーチンワークもすっかり板についていた。
「装備も正式な物を持っていく。十中八九は何かと戦うでしょう」
「私たちも手伝いましょうか?」
「いよいよとなったら頼むわ」
ハカセたちも梢に手を貸そうとする。別に界異同士は仲間と言う訳ではない。
というよりも彼女が、他の界異とコネクションを人一倍持っていると、そう表現した方が正しい。
「たぶんあそこにおばあちゃん、或いはそうだったものあって、私が家に招いてしまった、アレがいるはずなのよ」
「アレって?」
「いるのよ。何かが」
まだ明確に思い出せない、幼き日の異形。自分の中で祖母と、幾つかの記憶が忽然と消えた元凶。
「取り戻せるものなんか無い。だけど、確かめずにはいられない。だから、後のことは頼むわ」
安全策を考えるなら、サマナに全てを頼んで処理してもらうのが、一番確実だった。
しかしこれは彼女の問題であり、誰かに押し付けようとは思わなかった。
「あなたは私の大事な実験台ですからね。勝手には死なせませんよ」
「お優しい飼い主ね。今だけはそれがありがたいわ」
四人は夕飯を平らげると、友人の翌日の探索に備えた。不思議なもので、三人はこれ以上梢を引き留めず、助力を惜しまなかった。
「気になったんだけど梢ちゃん、どうしてそこまでするの?そんなに気になることなの?」
「そうね。要は私が、寂しさや責任に弱すぎるってことなのよ、千春」
梢は自分の部屋を見回した。とても女子高生の部屋とは思えないほど、自己主張に欠けた、殺風景な部屋だった。
「自分のせいで、自分の大事な人が死んだなら、私はそのことに耐えられないし、自分を許せない。だけど、それでも生きて行こうとするなら、どこかで節目にしないといけないの……」
予備役ながら、緊急時には正規の祓魔師として身に付ける装備、防寒着、食料、退魔道具に連絡の段取り。
全てを用意し、敵を想定し、対策を講じる。
それが終わると彼女たちは入浴を済ませ、サマナとハカセの空き部屋へと引き上げて行く。
「千春、私があんたみたいに、相手を強く想えたら、こんなにグズグズしてなかったと思う」
「梢ちゃん、私は大丈夫だよ。心配してくれて嬉しいし、頼りないのも本当のことだけど、私はずっと、梢ちゃんのこと、好きでいられると思う」
寝間着に着替え、一つのベッドの中で、二人は体を寄せ合う。
「ありがとう、でもね。怖いの。どうしても。ごめんね……千春」
千春はすすり泣く最愛の人を、その小さな胸に抱いた。
他の誰にも心細さを打ち明けたことはない。今や自分を愛している、たった一人の女性を失うことを、この世の何より怖れている。
「大丈夫だよ、梢ちゃん。大丈夫」
傷付いた少女の面影を、そっと慰めながら、夜が更けていく。
そして翌日。
「それじゃ、行って来るわ」
「何かあれば介入しますので、ご安心を」
曇天の下、梢は先日の雑木林に再び分け入り、不自然な空白地帯へと戻った。
「薄紅の 夕暮れ寂し 忘れ花」
先祖の遺した『春不来(はるこず)』という一句を、霊力を込めた声で詠む。
風も無く木立がざわめき、土壁が崩れるように風景が剥がれ落ちる。
「……ただいま」
眼前に現れたのは、かつて見慣れた祖母の実家。人の気配は無く、にも関わらず、黒く蹲った影が転々と落ちている。
異界に取り込まれ自分を失った人たちだと、梢には分かった。
(死んだないのが気の毒ね)
玄関を開けて家に上がる。良い思い出のない我が家。蘇る記憶に傷付き、疲れる。
一歩一歩を踏み出す度に軋む床板。居間に入ると仏壇が見える。
顔の塗り潰された祖父の遺影。捧げられた線香には、火が点いていた。
「こずえかい?」
振り向くと部屋の隅に、辛うじて人と判別できる影があった。
「お婆ちゃん」
「久しぶりだね……立派になった……」
「私ね、祓魔師になったの。駆け出しだけど」
「立派になったね……」
孫の存在に触れて、老婆は人としての意識を強める。
「やっぱり。お婆ちゃんが私を助けてくれたんだね。私があれを、連れて来ちゃったから」
老婆が頷く。
梢は言い付けを破り、界異を家まで連れて来てしまった。そこで記憶が途切れ途切れになり、家族と家を失っていた。
「ご先祖さまのおまじないでね、お前を守るだけで精一杯だった」
「私ね、仲間を連れて来たわ。あの怪物はどこ?」
「お墓に、行っちゃ、だめだよ」
祖母はそこまで告げて、遂に話せなくなった。安心したからか、あるいは力尽きたのか。
「ごめんねお婆ちゃん。私、いつも言い付けを守らなくって」
梢は自分の上着を小さな影に着せると、その体を抱き締める。
視線を庭に向けると、同じような影を見つける。それはどこかで見たことがあったが、梢にとっては祖母ほどの感慨を見いだせなかった。
「じゃあね」
彼女は家を出ると、裏手の墓地へと向かった。
小高い丘の上にある、麓から見れば山の中腹ほどにある、今では誰も訪れない場所。
小鳥のさえずりも虫の羽音も無い。何十年も昔に活けられた花が、焦ることもなく咲き続ける。
「久しぶりだね」
森塚の墓に、一際大きく長い影があった。
白骨に纏わり付くそれは、老淑女が上着を羽織っているようだった。
「あの日、泣いてる君について行って、家まで行った」
「そうね。いつもみたいに口論する両親のことで、私はあなたに聞いた。いつまでこうしてればいいんだろうって」
幼き日の思い出。ここにいた界異は、家庭の不和に傷付いた少女と話した。
そして言った。
「お父さんたちのケンカをやめさせてあげようか?」と。
「私たちを餌食にするためだったんだろうけど、ありがとうね」
「ほう?」
「汚れ仕事をさせたわ」
「恨んだり、憎んだりはしてない?」
界異は人並みの知能を有しているらしく、梢の言葉が意外だった。
「あんたを招いたのは私が悪いし、お婆ちゃんは私を守ってくれただけ」
「それなら、どうしてここに来た?」
界異はまた問い掛ける。
奇妙な帰還者が、遠くを見つめて呟く。
「実はね、今まで記憶が抜け落ちてて、ここまで来てやっと全部思い出せたの。でも、そうね」
彼女は腰に下げていた獲物を鞘から抜き放つと、大振りの解体包丁が姿を見せる。
「私はこの過ちに、決着をつけたいの。恩知らずで悪いけど」
梢は怪異を見つめる。
怪異も彼女を見つめる。
敵意も悪意もない、乾いた意思の交流。
「祓うわ、あなたと」
「そうか。残念だ」
界異イツマデと祓魔師の梢は、戦いに同意を示した。