ケルベロスの話題が出た翌日。
「なぁ、アスモデウスの街も隠されてたりすんの?マモンの街みたいにさ」
代わり映えもしない景色に遅々として進まない行路。精神的に疲れてきた頃合いにウルラートが口を開いた。
「いや、ルクスリアの街は隠す必要もないはずだ。アパリシアの街は人間領に一番近かっただろう。だから念のために隠したと言っていた。なんでも昔、冒険者だか何だかがマモン討伐を掲げて乗り込もうとしてきた奴らがいたとかで」
「へー。ずいぶん剛毅なやつらだな」
「ただの荒くれ者だったそうだ。街に被害が出ては困るからとマモンはとっとと街を閉じた」
なるほどねー、と軽く受けるウルラートとは対照的に渋い顔をするピスティ。人間に非があるように聞こえる話にはやはり抵抗があるのだろう。
「ではなぜマモンの領地は人間領に比較的近いのですか」
ピスティが問えば。
「七魔で領地を決めるときに人間領に近い場所をどうするか、という話になってな。目新しいもの好きなマモンが立候補したというわけだ。そういうものは人間領に近いほうが入って来やすいだろう」
結構単純な返答が返ってきた。
「え、立候補制?」
「まぁ、七魔と俺はほぼ対等に近いからな。俺が与えたと言うよりは、相談の上で分割、が近い」
よく分からん、という顔で一応頷くウルラート。
「自分たちが過ごしやすい土地を探して、そこを中心にして選んでいたな。例えばアスモデウスは畜産を柱にするつもりでいたから山を中心にした。ベルゼブルは農耕を中心にしたかったから水が豊富な平野、とかな」
「アスモデウスが畜産、ベルゼブルが農耕……?」
あまりにも慣れ親しんだワードにポカンとする。
「まぁ行けば分かる。まぁ一つ注意するとすれば……アスモデウスはウザい」
「ウザいってお前……」
周囲を見渡せば、遠くに山の連なりが見えた。山を中心とするなら、見えているあの山もアスモデウスの領域なのだろうか。
「まぁ心配するな。こう見れば距離はあるが、シェルムに伝えたからな、今日か明日にはうちのケルベロスに会えるだろう。そうすればあっという間だ」
山までの距離を見たと思ったのか、グラナートが肩をすくめる。
「え、マジで来るの?」
「あぁ、来るぞ。俺がルクスリア領に向かっているとシェルムから伝わっているだろうし、そうなれば俺とオヤツが同じ場所にあることになるだろう。喜んですっ飛んでくるはずだとも」
根拠もなく自信ありげであるが、こういう場合、ペットは飼い主より食欲を優先する可能性があることを、果たしてこの魔王は考慮しているのだろうか。
「…………オヤツに釣られたケルベロスから転げ落ちる魔王、か……」
「……あんまり見たくはないですね……」
「おい待て、聞こえているぞ!うちの子がそんなことをするわけがないだろう!」
グラナートの抗議には沈黙が返された。この魔王ならあり得る、と残念ながら判断されてしまったようだ。悲しむべきことではあるが、残当というやつである。
まぁそれは一旦置いておいて。
「で、えーと……じゃあアスモデウスに話を戻すか……どんな奴なんだ?」
「ウザい。以上だ」
さっきまでケルベロスのことで騒いでいたというのに、アスモデウスに話が戻った途端にこれである。
「いや、もっとこう……さぁ……」
「戦闘の可能性とかそういう話しておくべきことの話をしているのですが」
やっぱり人間2人の目は冷たかった。
「あの山でかくね?ぜんっぜん近づいてる気がしねぇんだけど」
歩くことに集中してしばし。ウルラートは遠くにそびえる山々に恨みの目を向けていた。
「近づいてはいるはずですけど……」
「少し休むか」
グラナートが差した先には、今まで通ってきた荒野と背の低い草原を足して2で割ったような景色に、少しずつ木の陰が見えてきている。
手頃な木の陰に入って腰を落ち着ければ、遠くから聞き慣れた動物の鳴き声が風に乗って来た。
「………牛…?」
「牛も豚も羊も山羊もいたはずだぞ。アスモデウスの領地は広いからな」
「もしかして、もうマモン領出てる?」
「そうだな。明確な境界線はないが、割とアスモデウスの勢力域に近い」
へー、と感心したようにウルラートが頷いた瞬間。
木の陰の茂みががさりと動いた。
「お?」
のんきな声を漏らすグラナートと対照的に、ウルラートとピスティは素早く立ち上がって身構える。
「ウルラート様」
「あぁ、今何か……」
がさり。
明確に動いた。明らかに小動物の類ではない。
見られている。なにか、大きなものに。
ウルラートが剣を抜いてピスティの前に立ち、ピスティも魔術を発動させる準備を整える。さすがの連携であった。
弾丸のように、黒い巨体が茂みから飛び出し、ウルラートとピスティを素通り。一切身構えもしていないグラナートに飛びかかった。
「グルナ!」
「ウルラート様、ケルベロスです!やっぱり魔王のペットなんて……!」
黒い巨体に押し倒されるように茂みに消えるグラナートを慌てて追う。
「おいやめろ、分かった、分かったから!」
ケルベロスにベロンベロンに舐められている魔王が悲鳴を上げていた。
「おいやめろ!分かったって!」
「………………」
目を見開いて固まるウルラートとピスティの目が、だんだんと明確に、『一瞬でも心配して損した』と物語り始めた頃、ようやくグラナートが立ち上がる。
上半身がぐしょ濡れて、犬の唾液の匂いにまみれていた。
「うわクサ……」
思わず後ずさって距離を取る。
「失礼な!ちゃんと歯磨きはさせているぞ!」
そういう問題ではない。
「紹介してやろう。うちのペットの……真ん中がポチ、右がコロ、左がタマだ」
いや名前。誰もがそう思うに違いない。
「ケルベロスに付ける名前じゃねぇよ……」
キラッキラのお目目で舌を出して撫でられているコロ、ウルラートとピスティをじっと見ているポチ、そして我関せずで毛繕いを始めるタマ。
「……………最近またちょっとポチャッとしてきてないか、お前たち……」
ポチはそっぽを向いた。コロはご機嫌で撫でられている。タマは全く興味がなさそう。
個性豊かで何よりである。尻尾の主導権はコロが取っているのか、ちぎれんばかりにブンブン振られている。
「…………まぁ可愛いからいいか。可愛いだろう?」
グラナートは完全に親バカの目をしていた。
「顔はいかついけど確かに腹がちょっと……」
「何を言う。腹が柔らかいということは枕にしたら気持ちいいということだぞ」
ウルラートの脳裏に雷が落ちた。
「確かに……!」
もふもふ騎獣を希望していたウルラートとしては大事なところである。
「………ケルベロスが……これ……?」
呆然とケルベロスを見上げるピスティにポチの鼻面が近づけられた。ふんふんと匂いを嗅ぐポチ。間近に突きつけられた脅威に思わず身が竦むピスティ。
距離的には、パクッと一口、な距離である。そりゃ怖い。
やがて、ポチは『撫でていいよ』とばかりに頭を下げた。必然的にコロとタマの頭も下がった。グラナートの首から上はコロの毛に埋もれた。「モガッ!」とか聞こえた気もする。
ピスティは困惑したようにウルラートとポチを交互に見比べている。コロは飼い主を窒息させんばかりに擦りついていた。タマだけがちょっと迷惑そうにしている。
「…………魔王のペット……ケルベロス……名前詐欺すぎないか……?」
ウルラートのドン引きしたため息に、ピスティはようやく警戒を少しだけ解いてポチの毛に触れる。
「あ、柔らかい……」
思ったより柔らかかった。
「え、もふもふ?」
「そ、そうですね……もふもふです……」
ウルラートが嬉しそうに寄ってきた。窒息しかけている相棒は完全放置だ。たぶん死なないからへーきへーき。
「…………ちょっと可愛いかもしれない……」
どこか納得いかないような悔しいような顔でピスティが呟くと、ケルベロスの尻尾が一段とブンブン振られた。
「ぶはっ……!毛が口に入った……」
ようやくコロから解放されたらしいグラナートが大きく呼吸する。
「で……こいつに乗ってアスモデウスの街に行くのか?」
「はぁ……あぁ、まぁそうだな。ポチ、コロ、タマ。こっちがウルラートでこっちがピスティだ。覚えたか?」
ポチの鼻がまたふんふんと今度はウルラートを嗅ぎ始める。
コロがピスティに頭を擦り付け、タマは興味なさそうに視線だけでピスティとウルラートを見ていた。
「わん!」
鳴き声は100点満点の犬だった。ケルベロスとは。
まぁとりあえず、リーダー格らしいポチがウルラートとピスティを覚えたらしい。ピスティはコロをもふもふしていたし、ウルラートはそれを羨ましそうに見ていた。
「ポチ、ルクスリアの街に行きたいんだが、乗せてくれないか」
グラナートが頼むと、3つの頭はキョトンと飼い主を見下ろした。
「………えーと……あぁそうだ。オヤツの街だ」
途端にキラキラする三対の目。目は口ほどに物を言う。「オヤツ!オヤツ!」という目だった。
走り出そうとするコロをポチが押し留め、体の主導権を取ったらしい。
伏せの姿勢で、乗っていいよ、と首を傾げる。
「乗っていいそうだぞ」
「………オヤツの街ってお前……」
呆れ果てた目でグラナートを見る。
「仕方ないだろう。アスモデウスもルクスリアもこの子には関係ないんだから。完全に肉や骨をもらうオヤツの街で覚えているんだ。賢いだろう」
もうこの親バカはダメそうだ。早々に諦めてケルベロスの背に乗せてもらった。めちゃくちゃもふもふしていた。