「死ぬ死ぬ死ぬ死ぬ死ぬ!!速いって!!」
ケルベロスの背中から上がる断末魔の悲鳴。ものすごい勢いでケルベロスは風を切っていた。ウルラート、ピスティ、グラナートを乗せたままで。
「ポチ!コロ!タマ!少し落ち着け!」
飼い主であるグラナートの指示も何のその。だって目の前……いや、だいぶ遠いな……の目的地には美味しいオヤツが待っている。
ケルベロスの足はめちゃくちゃ速かった。
牛や豚がのんきに草を食べる柵を飛び越え、山羊を飛びぬかして山肌を駆け、羊のメェメェ鳴く声もガン無視して、ケルベロスは勢いよく街の門の前で急停止した。躾が行き届いている。なお、その躾は飼い主がしたものではない。
「お、ポチにコロにタマじゃないか。またオヤツ貰いに来たのか?」
マモンの街と比べるとのんびりとした空気の中で、門兵を務めているらしい男が数人、慣れた様子で寄ってくる。よく見れば、人間だけでなくゴブリンやオークも交じっていた。
「アモル様って今日どうしてたっけ?」
「めちゃくちゃテンション高かったな」
「あ、じゃあ報告はあとにしよう」
「でもあの人いつでもめんど……あんな感じじゃないか」
ボソボソと相談している門兵たちの前にグラナートが飛び降りた。
「うわっ!?」
「え、ポチたちの背中から……?」
困惑する門兵たちに構わず、
「ルクスリアに用があって来たんだが」
門兵たちが、ちらっちらっとお互いに視線を交わす。
魔王のペットから飛び降りてきたこの男、もしかしなくても魔王なのでは……?
「え、あ、は、はい!」
「アモル・ルクスリア様なら中央広場の方に!」
対応をガラリと変えた門兵たちにうむうむと頷くグラナート。
「ポチ、ルクスリアのところに案内を……」
しかし、残念ながらポチもコロもタマも目をキラッキラさせて鼻をヒクヒクさせている。
「…………ウル、ピスティ、歩くか」
「えー……」
完全に脳内をオヤツに支配されたケルベロスのもふもふから離れがたいようでウルラートは嫌そうな声をあげる。
「いいから降りろ。ポチ、コロ、タマ、あまり食べすぎるなよ」
ウルラートとピスティが地面に降りると、待ってましたとばかりにケルベロスの巨体は慣れた様子で町中に消えていった。
「…………解き放っていい魔物ではないはずなんですけどね……」
ピスティが呆れたように呟いた。
「え、魔王様のペットの背中に魔王様以外が乗ってる……?」
「どういうことだ……?」
ヒソヒソする門兵たちにため息をついて
「すまんが、ルクスリアのところまで案内を……」
そこまで言ったところで。
「おぉ、早かったね!」
なんかやたらと鼻につく声がした。グラナートが「うわ…」という顔をする。
「エキセタムの時も似たような反応だったな……」
「七魔全部にああいう顔するんでしょうか……」
完全に観客モードになっているウルラートとピスティ。そして、若干顔を引きつらせているグラナートのそばに一人の男が歩み寄ってくる。門兵はいつの間にか離れたところに移動していた。なかなか優秀な危機管理能力を備えているらしい。
「マモンからアパリシア領を出たと聞いてね。もう少し時間がかかるかと思っていたよ」
さらさらロングの髪をなびかせ、芝居がかった言動がなんかもう、うわ、という感じである。これは確かにうざいかもしれない。
「あぁ……まぁ、うん……ケルベロスを呼び寄せて乗ってきたからな」
グラナートはすでにちょっと及び腰である。頑張れ魔王。
「なるほど。じゃあポチたちにも後でご褒美をあげないとね」
「やめろ、お前のところに行くようになってから舌が肥えてる。ここの基準に染め上げるな。あと最近ちょっとぽちゃぽちゃしてきたから控えろ」
「可愛いじゃないか!………ん?」
男の目がウルラートとピスティに止まったのを見て、グラナートが手で二人を指し示す。
「こっちがウルラート。俺が契約している、勇者だな。で、こっちがピスティだ。神官を務め……」
「ピスティ!素晴らしい響きの名前だね。僕とこのあとお茶でもどうだい?街もぜひ僕に案内させてほしいな……!」
ものすごい勢いで男が身を乗り出すのを、ピスティはちょっと顔を引きつらせて一歩下がることで距離を保った。
「アスモデウス。ちょっと落ち着け」
「ピスティ!ぜひとも僕に自己紹介をさせてくれないか……?僕がこの街の領主、アモル・ルクスリアだ。よろしく頼むよ!」
ウルラートのほうは最初の一瞬以降、全く見向きもしなかった。ピスティの顔が完全に引きつってドン引きしている。
「こ、これだから色欲は……」
「ん?待て待て待て。お前、契約者の方なのか?アスモデウスが体を借りてるわけじゃなく?」
グラナートが慌てて割って入って問いかけた。魔王に庇われたことに微妙な顔をしつつも、今まで触れたことのない類のテンションの権化から離れられたことに安堵するピスティ。
「?何を言っているんだい?僕はアモル・ルクスリア。アスモデウスの契約者だよ」
アモルの言葉にグラナートの目が死んだ。
「増殖した、だと……」
よく分からないことを呟いて頭を抱えている。
「契約の際に交じった、とかでもなく……?」
「僕は僕さ!」
グラナートが沈黙する。沈黙して、諦めたようにため息をついた。
「まぁいい……よくはないがまぁいい……とりあえず話がある。2人に宿の手配と、その後時間もらえるか」
「魔王と話すよりピスティと話したいな」
もはやウルラートは完全に空気と化していたが、こいつに話しかけられるくらいならもうそれでいい、と沈黙を守った。だってめちゃくちゃウザい。
「あとにしろ。アスモデウスに話がある」
グラナートがちょっと威圧して初めて、ようやくアモルが肩をすくめた。
「仕方ないね。ピスティ、どうだい?明日にでも僕とこの街を歩いてみないかい?この街の素敵なところを余すところなく紹介するよ!」
「え、いえ……結構です……」
割と即答の拒否だったが、
「照れ屋さんなんだね」
バッチーン✩とウィンクされるに至っては全てを諦めたくなった。
「………なんかいちいち古い気がする……」
ウルラートは空を見上げてため息をついた。果たして突っ込むところはそこで良かったのだろうか。
「じゃあとりあえず行こうか。まずは2人に宿だね」
鼻歌交じりの超ご機嫌なアモルが先導して街中を歩き始めた。
「アモル様が女の子を連れてる……」
「その後ろの男2人は誰だ……?」
街中にひそひそ話と好奇の視線が飛び交う。その中を歩くのはものすごく気まずいが、アモルは全く気にする様子はなかった。
「ところで、わざわざ宿に泊まることないんじゃないかな?うちに来るかい?」
「いえ、結構です。宿でお願いします」
間髪入れずにピスティが反応する。勇者や魔王を上回る反応速度だった。
「残念」
わざとらしく芝居がかったため息をついて肩をすくめるアモルについていけば、落ち着いた佇まいの宿に案内される。
「良かった、普通の宿だ……」
思わず漏れたピスティの呟きにウルラートが苦笑する。
「で、グルナ。俺達はまた街の見物でもしながら待ってればいいのか?」
「ふむ……まぁそうだな。ここは肉料理が美味いから食べてくるといい。ではアモル」
本命のアスモデウスとの話をしようとアモルに声をかける。
「はいはい。じゃ、またね、ピスティ。明日は是非、僕に案内させてほしいな」
手を振って、グラナートと2人でさらに街の奥に進むアモル。最後までウルラートのほうは見向きもしなかった。びっくりだ。
「どうする?とりあえず宿に荷物置いて、腹ごしらえでもするか」
「そうですね…温かいものが食べたいところです」
疲れ切ったピスティを連れて、ウルラートは苦笑しながら街へ繰り出したのだった。
アモルが兎をかたどったノッカーをカンッと小気味良く鳴らす。
「………家主はお前だろう?」
「まぁそうなんだけどね。家主が帰ってきた合図さ。それに、うっかり開けたドアの向こうでうちの両親がいちゃついてたら気まずいだろう?」
ものすごく納得するのと呆れるのと。それと同時に扉が開いた。
アパリシアの屋敷よりは素朴な造りだが、周囲の家と比べると十分立派だ。そして、扉の向こうには幸いなことに誰もいなかった。
「出かけたかな?僕にアスモデウスが継承されてからは隠居して好き放題してるからね。食事にでも行ったのかもしれない」
そう言いながら、書斎に通される。
振り返ったアモルの瞳は、紫水晶を思わせる薄紫から、深紅へとその色を変えていた。書斎の扉が閉まった瞬間に、しん、と音が消えた。
「まぁ座るといいよ、グエラ」
「グラナートと呼べ、アスモデウス」
きっちり訂正してソファに座る。アスモデウスもそれに続いた。その動作はアモル自身よりも洗練されて他者の目を引くものだ。
「青い炎が目撃されたって?」
「あぁ。どこまで聞いている?」
「触りだけ、ね。いやはや、彼女が蘇ったとするなら喜ばしいことじゃないか。もう一度彼女の美しい姿を見られるかと思うと……」
喜びのにじむ声でアスモデウスが微笑んだ。
「君もそれを望んでいただろう?」
アスモデウスの真っ直ぐな問いに、グラナートは目を閉じた。
「そうだ。俺が望んで、賭けた。その結果が出たのかもしれん」
「数千年越しに、賭けの勝ち負けがようやくはっきりするわけだ」
微笑むアスモデウスとは対照的に、グラナートは渋い顔をする。
「彼女の復活は喜ばしいことだよ、グエラ」
「グラナートだ。それに……違うかもしれん。俺は、賭けに負けたのかも……」
シリアスな空気感の中でも名前の訂正は忘れない。
「君の賭けは、君たちの愛の決断だった。だから私は君たちを支持した」
アスモデウスが、眩しいものを見るように目を細めて窓を見る。
「他の七魔も似たようなものだよ。だからその価値を示した君を魔王に担いだ」
グラナートが沈黙する。
「蘇ったのが彼女であっても彼であっても、私は君の決断を否定しない。君の賭けに乗ったことも後悔しない。君が示した愛に、私は私の愛で応えよう」
微笑みの中で、深紅の瞳が凪いだ熱を宿した。
「…………お前たちは俺を買いかぶりすぎだ。そんな、愛なんて大層なもんじゃない」
「だとしても、だよ。私は君たちの愛の助けとなれたことを誇りに思う。それを叛逆と呼ぶのなら、私は喜んで叛逆者と名乗ろう」
どこまでも、その真紅の瞳は深い。
「…………そうか……なら、その時が来たら」
「もちろん手を貸すさ」
マモンに続いて、アスモデウスの協力が確約された。
「ところでグエラ」
「グラナート」
「まぁいいじゃないか。それより、あの可愛い女性を私にも紹介してほしいな!」
せっかくの空気が台無しだ。
「お前な……」
「私は美しいものを愛でたいだけさ。あんな可愛らしい女性と一緒だなんて羨ましい!そういえばシェルムはどうした?あまり気移りして女性を困らせてはいけないよ?」
「は……?いや、違うからな!?ピスティもシェルムもそういうあれじゃねぇから!!………女相手だと極端に関心度合いが変わるのは何とかなんねぇのか、お前は……!」
キョトンとして脳みそが動き出すまでの僅かな時間。グラナートの脳みそがその言葉の意味を理解した瞬間に顔が真っ赤になった。そのまま勢いよく反論するが、アスモデウスはそれすらも面白そうに眺めていた。
「うんうん。やはり君はそうでなくちゃね」
満足げな顔に腹も立つが、もうこれは仕方ない。これはそういう生き物だ。グラナートはアスモデウスの扱いを諦めてため息をついた。