アモルに引きずられて引っ張り込まれたのは、お姉さんのお店……ではなく、バーだった。
客も少なく、静かな店内を忙しなく見回して席に着くアモル。
「…………で、なんであんた、めくるめく大人の世界とやらでジュース飲んでんの」
「お酒の匂いが苦手で……」
ウルラートは何とも言えない顔で、ジュースを飲んでいるアモルを眺める。
(確か、グルナも酒よりジュースがいいとか言ってたな……)
なんと言えばいいか分からないが、ものすごく微妙な気持ちになった。
「……まぁいいや。んで、なんで俺だけ引っ張り出したわけ?」
芝居がかった動作が消えて、ストローをチュウチュウしているアモルがおもむろにジュースをテーブルに置く。
「ウルラートくん」
「お、おう……」
アモルは真剣な瞳でウルラートに向かい合う。
「君、『恋』はしたことがあるかい?」
言われた意味がわからなかった。
「………は?」
ウルラートが間抜けな音を絞り出すと、アモルが身を乗り出す。
「恋だよ、恋!LOVE!」
(うるっせぇな、こいつ……)
ウルラートが、うわ、という顔になる。図らずも、グラナートと同じ反応であった。
「…………ねぇけど」
文句あんのか、くらいの気持ちで返すと、アモルが残念そうな顔をした。
「失礼なやつだな……」
本当にそうである。
「あぁ、ごめんごめん。違うんだ。実は……」
アモルが目を泳がせて口ごもり、
「僕、家族愛や友愛とか、そういう、親愛は何となくわかるんだけどね……恋愛だけは、いまだによくわからなくて……」
「………は?」
まさかの言葉にウルラートは固まった。嘘だろ感がすごい。
「だから、何か話が聞けたらいいな、って」
「え、じゃあ今までのアレなに。ピスティ相手の時のアレとか。ソレとか」
「アスモデウスを参考に……真似たら、何かわかるかと思って」
空気が凍った。凍ったような気もするし、頭の上をカラスが「あほー、あほー」と鳴きながら飛び去っていったような気もする。
「…………参考にするとこ間違ってないか……?初っ端からすっ転んでないか……?」
なんとか絞り出したのはそんな、オブラートに何重にも包まれた疑問だった。オブラート君はもう少し仕事をするべきである。
「え、なんで?アスモデウスは誰よりも愛を見てきたんだよ。参考にするなら最強じゃないか」
「え……」
そうか……?ほんとうにそうか……?ん……?
ウルラートの頭の上にはてなマークがいくつも飛んでいる。
「色欲のアスモデウスを恋愛の参考にするのはどうなんだ……?」
一瞬、アモルの目が赤くなった気がしたが、瞬きの間に元の薄紫に戻っている。
(照明のせい、か……?)
「ウルラートくん」
「お、おう……」
凍った瞳がどこか苦笑にも見える薄笑いを浮かべて。
「色欲、って、なんだと思う?」
「え……それはその……」
ウルラートが赤くなった。
「色欲は、生き物が子孫を残すための生存欲求だよ」
恋愛がわからない、とジュースをチュウチュウしていたアモルの周りの空気が張りつめている。嫌な張りつめ方ではないが、目を逸らせない空気感がそこにあった。
「子孫という愛の形を残す、生き物の生存欲求。自分の遺伝子、生きた証を残すための手段の一つでもある」
アモルが微笑んだ。
「でもね。愛は、個人に向けるだけのものじゃないよ、今代勇者」
意味深で、ウルラートを通してほかの誰かを見ているような目。なんとなく、背筋が伸びた。
「まぁもっとも、グエラ……グラナートだっけ。彼みたいになるとなかなか生きづらいとは思うけどね」
あの魔王は、マモンやアスモデウスと何を共有して何を話したのか。
「………グエラ、って……マモンもそう言ってた。でもグラナートは、名前はないって言ってた。グエラってなんなんだ……?お前ら、何を隠してるんだ?」
ウルラートの問にアモルは瞳を閉じる。
「それを君に話す権利は、僕にもアスモデウスにも、魔王にもないよ」
魔王に話す権利はない。グラナートも確か、そんな事を言っていた。
「なら、誰にならあるんだよ、その権利ってのは……!」
「そうだなぁ……グエラになら、あるかもね。彼にその気があるのなら」
「…………意味わかんねぇ……誰も話してくれねぇじゃん」
アモルがため息をついた。目が、赤い。
「そうだね。でも、話さないこともまた、彼の愛だよ。そして、私はその愛を肯定した」
違和感。その違和感を探ろうとするように、ウルラートがアモルの目に目線を合わせた。
「彼は君たちの敵にはなり得ない。ただ、本当に心から、君たちが知らないままでいたほうがいいと信じている。君たちのためなんだよ。今はそうは見えないかもしれないけどね」
「お前は……」
「はじめまして。私がアスモデウスだ」
反射的に椅子を蹴立てて立ち上がろうとして、背後の椅子に足をぶつけた。そりゃそうだ、バーの椅子は居酒屋の椅子より重かった。
「いってぇ……!」
「あぁほら、座って座って。別に取って食おうってわけじゃないんだから」
穏やかに微笑むアスモデウスに、ウルラートは立ったまま向かい合った。
「あんたが俺を呼んだのか?」
「いや?君を呼んだのはアモルだよ。私じゃない。でも、興味深い話をしていたからね、つい出てきてしまったよ。自己紹介もまだだったしね」
しれっと返された。魔王を筆頭に、どいつもこいつもなんて身構え甲斐のないやつらなのか。
「まぁ、言いたいことは言ったし、自己紹介もしたし。君はアモルの恋愛相談に乗ってくれてたんだろう?」
「恋愛相談、というか……え、あれ恋愛相談だったのか……?参考先を間違えた相談じゃなくて?」
「それを私に面と向かって言う君は嫌いじゃないよ」
アスモデウスは苦笑を浮かれて肩をすくめる。
「それじゃ、私は退散しよう。我が契約者くんを頼むよ。あ、いじめたらダメだからね」
冗談めかしてそう言い、目を閉じかけて
「あ、そうそう。グエラには言ったんだけどね。私にもぜひ、ピスティを紹介してほしいな。美しいものを愛でるのは生きるものの特権だよ」
「ドン引きされてたぞ、アモルのテンション……」
「おや、アモルもまだまだだね」
「あんたベースのテンションにドン引きしてたんだよ!」
言いたいことを言いたい放題言って、アスモデウスはウルラートのクレームをどこ吹く風で聞き流して目を閉じた。次に開いた目は薄紫、アモルの瞳の色に戻っている。
「え、僕、ドン引きされてたの……?」
「割と。自覚ねぇのかよ……」
ウルラートは頭を抱えた。難しいことを聞かされた気がするのに、それを頭で噛み砕く前に目の前のアモルのショックを受けたような顔に頭を抱えた。
「なんであれを参考にしちまうんだよ……身近にいねぇのかよ、ほかの参考資料……」
「友人からは優しい目で見られているよ」
「……………………………………………そ、っかぁ……」
言葉を選ぶ余地もなかった。
「てか、お前の親は。一番身近な男女だろ」
「親のイチャラブなんて見たくないし。気まずい」
それはそう。でもイチャラブを見ろとは言ってない。
「あと幼なじみが……」
「男?女?」
「女の子。めちゃくちゃ頼りになるし、ずっとそばにいてくれてるんだ」
「……………そっちを参考にしろよ……!!」
ずっとそばにいる、めちゃくちゃ身近にそれっぽいのがいた。実に腹立たしい。
「え、でも……」
「でもじゃねぇ……!!なんかこう……幼なじみだろ、手を繋いだことある、とかそういうのねぇのか?」
「あるよ」
「あるんじゃねぇか!!!!」
「幼なじみだからね。彼女と手を繋ぐとすごく安心するんだ」
え、これの恋愛相談に乗るの?自分の恋愛もまだなのに?ウルラートの目は死んだ。対して、アモルはニコニコしている。自慢の幼なじみで親友を心底自慢している。
「………ほかの女の子と手をつないだら?」
「可愛いね、お茶しよう!ってなる」
とんだ地獄である。これの恋愛相談?本気??
「……………で、その子は?」
「僕の護衛兼秘書をやってくれてるよ。護衛なんて必要ないんだけど、何でもいいから自分をそばに置け、って。頼りになるよね」
ウルラートは頭を抱えた。
(話を聞いただけの恋愛経験なしな俺でも分かる……なんだこれ……!!)
もう一度、敢えて言う。とんだ地獄である。
少し吹き出すような音が聞こえてそちらを見れば、カウンターの中で店員が肩を震わせている。あ、はい……って感じだ。なるほど。
その時、チリン!とバーの扉の鈴が来客を告げるには相応しくない勢いで開いた。
「やっぱりいた!!!あんたまたこんなところで何やってんのよ!!」
勢いよく飛び込んできたのは赤茶の髪を一つにまとめた女性。
「うわっ!?なんでここに!?」
「あんたが行きそうな場所くらい分かるわよ!この時間でやってるお店なんて限られてるし!あんたが女の子のお店なんて行けるわけないし!!」
とうとう店員が笑いをこらえきれなくなった様子でカウンターの陰に完全に隠れた。
「なんでだよ!僕だって女の子の店で遊んだりするかもしれないだろ!」
「かもの時点で無理でしょ。そういうのは30分でもお店でちゃんと遊んでから言いなさいよね!」
どうやら、噂の彼女らしい。にしても強い。アモルが撃沈した。
「……………生きてるかー?」
「ぼ、僕だって……」
死にかけである。
「あれ?お客さん?」
噂の彼女はそこでようやくウルラートに気づいたらしい。
「ごめんなさい、まともにお客さんの相手してるとは思わなくて」
ド失礼にして解像度の高い言葉であった。
「私はファル。彼の秘書をしてます。うちのバカがこんな時間まで連れ回して……」
「え、あ、いや……」
目の前にいきなり件の女性が現れた時点でウルラートのキャパはパンクしている。
「ほら、もう帰るよ、アモル!」
領主とは。
「こんな時間までごめんなさい。このバカは回収するので……」
「あ、あぁ……はい……」
なぜか敬語。でも無理もない。そしてファルは容赦なくアモルの襟首を引っ掴んで懐から財布を引っ張り出して支払いを済ませ、ズールズールと引きずっていった。あまりにも強い。
店内に残されたウルラートは、猫か何かのように大人しく引きずられていくアモルをぽかんと見つめ……我に返って自分の分の支払いをしようと店員に視線を向けた。
「あ、大丈夫ですよ。アモル様がお支払いくださいましたから」
厳密には、アモルの財布からファルが支払ったのだが、細かいことは言うまい。
「あ、はい……どうも……」
ウルラートはもう考えるのを放棄して、さっさとベッドに入ることだけを考えることにした。