「ぐおぉぉぉぉぉ……」
ケルベロスの背中からケルベロスよりケルベロスっぽいうめき声がのたうった。
「大丈夫か?」
「大丈夫そうに見えるか……?」
「死にそうに見えますね」
グラナートとピスティに見下されながらウルラートが死んでいた。酷い話である。
「くぅん?」
コロが振り返った。
「ふむ……コロ、ポチに少し急ぐように言ってくれ」
せっかく振り返ったし、とグラナートがコロに声をかける。
「わん!」
元気なお返事。そしてコロはポチに向かってわふわふと話しかけた。ポチも聞こえていただろうに、いい子だ。タマは空の鳥を眺めている。何だか眠そう。
「わん!!」
体の主導権を持っているポチの意思で、ケルベロスの体に力が入って、ぐんっと前に進む。
「うおぇ……揺れる……」
「我慢しろ」
進む速度は上がったが、同時にウルラートの唸り声も上がった。
「とりあえずベルフェゴールのところに行けばなんとかなる」
「………………」
どうだか、と言いそうになった口をピスティは閉じる。頭ごなしに否定するには、これまでの2つの街の存在は大きかった。
「全く……なにか悪いものでも食べたのか?拾い食いか?」
「そんなわけないだろ……変なもんなんか食ってねぇ……」
ウルラートとグラナートが話しているのを見ながら、あの果実のせいなんじゃないかなぁ……とピスティはため息をついた。
歩調が上がって軽い足取りで地面を蹴るケルベロス。とても天気がいい。ケルベロスに似合わな過ぎる。大型犬には似合うが。
「揺れる………」
「我慢しろ。うちの子の上で吐くなよ」
「俺の心配をしろぉぉぉ………」
もはや断末魔である。
そんな断末魔を乗せて、ポチコロタマは転がるように走っていくのであった。でも相変わらず足音はぽてぽててちてちである。ぽちゃっている。健康診断まっしぐら。
しかしポチコロタマはアホ……いやいや、素直ないい子なので、グラナートがお昼寝の街に行くと言えば行くのである。わんっ。
死にかけのウルラートを連れて、一行は進む。進んでいればやがて目的地には着くもので。
視界に街が見える。マモンやアスモデウスの街と比べると随分静かな街という印象を受ける。
デカいケルベロスが街の門に現れると門兵が寄ってくる。
「おー、ポチコロタマじゃないか」
「久しぶりだなぁ」
全然警戒されてなかった。
「わん!」
元気なお返事。100点満点である。
「すまんが、手伝ってくれるか」
ケルベロスの上からグラナートが声をかける。
「…………え、ケルベロスの背中……?」
「てことは……」
慌てて姿勢を正す門兵たちの耳に、
「ぅぅぅぅ………」
という呻き声が届く。門兵たちの表情が変わった。
「魔王様、急患ですか?」
「あぁ、頼む。担いで降りる」
グラナートの返事を受けて門兵の一人が街の中に走る。残った門兵たちがグラナートから死にかけのウルラートを受け取る。
「外傷なし。発熱なし」
「何か変わったことは?」
門兵がグラナートに聞くが、ケルベロスとグラナートが同時に首を傾げた。
「あ、あの……ウルラート様は変な果実を食べていました……」
そっとピスティが口を挟む。
「果実……?」
「この辺りで自生してる果実となると……」
門兵たちは口を閉ざして顔を見合わせた。
「セレス様、こちらへ!」
街の中に走っていった門兵が女性を誘導してくる。
「あらあら……」
どこかおっとりしたような女性が地獄の断末魔をあげて死んでいるウルラートの横に座った。
「セレス様、どうやら、何か果実を食べたとのことで……」
「果実。なるほど。」
納得顔の女性に、ピスティはやっぱり、と頭を抱え、グラナートは相変わらずキョトンとしている。
「もしかしてこう……黒っぽい紫っぽい皮の」
「あ、はい……」
ピスティが頷くと、女性がため息をついた。
「…………魔王様、なんでキョトンとしてるんですか……」
「え?」
え?ではない。
「ベルフェゴール、起きて」
女性が声をかけると、女性の瞳が赤くなった。
「あぁ、今代の契約者だったか」
「グエラ、お前さぁ……あの果実食わせたって?」
おっとりしていた女性の口調が変わった。ベルフェゴールの出現である。
「あぁ、ポチたちが見つけてきてな。偉いだろう。ウルも美味いと言っていたぞ」
ピスティの盛大なため息がBGMと化した。だってあの果実は見るからにヤバい色をしていたし。
「…………」
ベルフェゴールの呆れ果てた目がグラナートに刺さる。
「お前も昔、こうなっただろ!魔力が未熟な人間が食ったらこうなるんだよ!!」
グラナートが首を傾げて記憶を手繰る。そして。
「………あぁ!そういえば確かに俺も昔こうなったな!美味しく食っていたから忘れていた」
頭の上に電球が幻視できるような顔になる。思い出したらしい。遅い。
「グルナ……お前ぇぇ……」
「すまん、あまりにも昔のことで忘れていた」
「お前ぇぇぇぇぇ…………」
地獄を這いずるようなうめき声を絞り出すウルラート。
「………元気そうだし、ほっといてもいいんじゃねぇか」
「え……しかしベルフェゴール様……一応患者ですし……」
肩をすくめるベルフェゴールに、門兵が困惑した顔をする。
「アホがアホの誘いに乗って自滅しただけじゃねぇかよ」
それはそう。
「誰がアホだ」
「お前だよ、グエラ。お前ってば昔からそう。喉元過ぎればコロッと熱さを忘れる。お前はそういうヤツ」
グラナートが黙った。反論する権利などない。コロッにコロが反応して首を傾げた。お前じゃない。
「まったく……とりあえず運んどけ。今すぐ処置が必要なわけじゃねぇから。お前はお前で勧められたからって何でもかんでも食うんじゃねぇ。反省タイムだ。よく分からん果実を拾い食いすんじゃねぇ」
ぐうの音も出ない正論である。
ベルフェゴールの指示を受けて、門兵たちが担架にウルラートを乗せる。拾い食いして担架に載せられる勇者。情けないにもほどがある。
「いつもの処置しとけー」
それだけ言ってさっさとウルラートに背中を向ける。
「で、なんの用だって?グエラ」
「え、終わりですか……?」
ピスティが信じられないものを見るような目で女性の姿でぞんざいに喋るベルフェゴールを見つめた。
「ん?あぁ、終わりだな。あれの対処なら俺じゃなくてもできる。心配しなくても1日寝てりゃ治る」
「それでも、医者であるのなら苦しんでいる方についているべきでは」
ベルフェゴールの目が面倒くさそうにすがめられた。
「俺じゃなくても対処できるのに俺がついてなきゃいけない理由って何。心配ならお前がついていればいい」
ぐっと言葉に詰まる。確かに正論だ。
「まぁ、そう言いたくなる気持ちもわかるけどな。でも、俺でなきゃできない案件じゃないならほかのやつに振るのも俺の役目だし」
ぽん、とピスティの肩を叩いてグラナートに近づいた。
「どうせ観光だの視察でもねえだろ。話を聞こう」
「…………アスモデウスのところにはマモンから伝令が出ていたようだが。お前のところには来てないのか」
「なんか来てたし話も一応聞いたが、寝てた」
思い出そうとする素振りすらなかった。グラナートはやっぱりな、という顔をした。遠くから相変わらず断末魔が聞こえてくる。うるさい。
そのまま2人で歩き出すグラナートとベルフェゴール。ピスティはウルラートのところに行くだろう。そう思っている2人の前に、ピスティが回り込む。
「……………魔王、そろそろ、私たちにも少しくらい話してください。マモンの時もアスモデウスの時も、私たちには何も言わずにコソコソ話を進めて。いくらウルラート様が信用していても、私は信用できません」
むぅ、と、グラナートが唸った。それをベルフェゴールがアホを見る目で眺めている。
「いいじゃねぇか、知りたいって本人が言ってんだ。知ったあとのことなんざ、自己責任だろ。お前が背負うことじゃねぇよ」
「だが……」
ベルフェゴールがため息をつく。
「おい、人間」
ビクッと、ピスティの肩が跳ねる。名乗っていないのだから仕方ないとは言え、マモン、アスモデウスはそんな呼び方はしなかった。だからこそ、ピスティは肩を跳ねさせた。
だって、七魔のマモンとアスモデウスは名前を聞いて、名前で呼んでくれた。名前を呼ばれれば警戒心は薄れる。そして、七魔で括られたベルフェゴールにも無意識にそれを期待した。まずは名前を聞かれて、それから会話になるだろう。だが、そうはならなかった。
「いや、別に取って食おうってわけじゃねぇんだから」
ベルフェゴールが呆れたように嘆息する。
「え、あ……」
個人名で呼ばれなかった。ただそれだけで動揺した。期待していた。七魔は人間を尊重するものだと。その経験を積んできたから。
「まぁいい。そんなことより、だ」
ベルフェゴールがぐっと顔をピスティに近づけた。
セレスと呼ばれていた女性の顔。すがめられた真紅の瞳。
「お前、何の権利があって魔王と七魔の一角の前に立つ。魔王が話さないと決めた。それを、一介の人間ごときが、何の権利があって魔王の決定に異を唱える」
話してやれよ、と言っていたとは思えない言葉と圧。ピスティは身をすくめて一歩後ずさった。
「で、でも……」
「ベルフェゴール。やめろ」
グラナートがベルフェゴールの肩をつかむ。
ピスティを庇ったわけではない。なにか、ベルフェゴールの言葉がグラナートに引っかかった。そんな止め方だった。
「お前がどっちつかずなのが悪い」
ばっさり。グラナートはぐっと口ごもり、ピスティも萎縮したように固まっている。
空気は最悪。なのに遠くから呻き声はまだ聞こえる気がする。そろそろ聞こえるはずはないのだが。
「ベルフェゴール。ピスティが知りたいと思うのは当然の権利だ。俺を疑うのも責めるのも当然のことだろう。そしてそのためにお前まで責めを負う言動をする必要はない」
グラナートがベルフェゴールを窘める。しかし。
「お前はお前で何様のつもりだ。お前は耐えることに慣れすぎた。だからって責められ続ける義務はお前にはねぇ。そもそもお前がもっとうまく立ち回ればそれで良かっただけだ」
だが、それをしなかった。
「お前も潮時だと思い始めているということだろう。なら話してやればいい。意地と覚悟を混同するな」
ぐぅぅ……とグラナートが唸った。勇者と魔王のほうがよほどケルベロスっぽい。ちなみにポチコロタマはお話が終わるまでいい子にお座りしている。この空気の中で尻尾ブンブン。可愛い。どこぞのコンビよりよほど満点。
「……………もう少し。もう少し待て、ピスティ」
この期に及んで、まだ沈黙を守ろうとする。その魔王に、怠惰の七魔はバカでかいため息をついた。
「お前は考えが甘い」
「うるさい。というか、お前、何の話か分かっているじゃないか」
「一応聞いてたって言っただろ」
「寝てたとも言っていた」
「寝てたけど聞いてた」
ベルフェゴールのほうが強かった。