時を少し遡って。
セレニティは門の前に戻ってきていた。
わふぅ、と欠伸をしている呑気な毛玉が門の外の日当たりのいい場所を陣取っているからだ。
そしてセレニティの後ろについてきている数人の門兵がバカでかい体重計を神輿のごとく担いでいる。
「あらあら……ポチ、コロ、タマ」
セレニティが声をかけると、ポチとコロは首を傾げた。タマはもう一回欠伸をした。そのうち、ニャーと鳴いても驚かない。
「撫でてもいい?」
セレニティの問いかけに、コロの目がキラッキラに輝き、尻尾がブンブン振られる。タマはその尻尾に迷惑そうな顔をしていた。ポチがふんふんとセレニティに鼻を寄せ、撫でていいよ、と顎を地面につけた。
もふっとセレニティの手がポチの毛の中に埋もれる。
「………ケルベロスの毛ってもっと硬いものなんだけど……」
ふわっふわのもっふもふである。おかしい。
ポチ、コロ、タマの順で頭を撫でてもふもふを堪能……ではなく、触診を進めていく。
やがて触診がポチコロタマの柔らかお腹に差し掛かる。
ムニッ。
「……………」
もう一度摘む。
ムニッ。
「………………………」
ムニムニムニムニ………。
セレニティの表情が難しい顔と幸福感を行ったり来たりしている。結論と感想、どっちが口から出るかを葛藤し、やがて
「可愛いですねぇ」
感想が勝ったらしい。
ケルベロスの耳と尻尾がピンッと立った。喜んでいる。
もふもふムニムニ。
この毛玉、可愛い。布団にしたい。
「セレス様」
「……………」
セレニティがため息をついて手を離した。
「ポチ、コロ、タマ、ちょっとここに乗ってくれる?」
「わんっ!」
コロが元気にお返事してさっさと体重計に乗る。ポチは体重計を見て、ん?と首を傾げ、タマは慌てて体重計の上から首を伸ばした。記憶を手繰り寄せるのが一番早かったらしい。
「はい、タマ。力抜いて」
セレニティが声をかけてもタマは一生懸命首を伸ばす。伸ばしても体重は変わらない。
そして弾き出された数字を見て、セレニティも門兵も口をつぐんだ。
「…………………」
「…………………」
「…………………」
「…………………」
「…………………」
「わふ?」
コロが首を傾げた。可愛い。ポチとタマは、なんか嫌な予感がする、みたいな顔をしている。
「確かこの子、生後100年くらいって……」
「このくらいの四つ足の獣魔族の平均体長が……」
「平均体重が……」
門兵たちがボソボソ言い合っている。
セレニティが困ったような顔でデカいケルベロスを見あげた。
「うーん……これは魔王様に言って、ちゃんと調べたほうがいいかしら……」
なお、肥満度検査は犬と同じである。腹部を触って肋骨の感触を感じられるかどうか。ちなみに、見た感じの腰のくびれはかろうじて残っているといった感じ。
セレニティが目を閉じて少し考え……次に開いた目は赤くなっていた。
「めんどくせぇな」
ズボッとセレニティの腕がポチコロタマの腹に沈んだ。
「きゃいん!?」
「きゃんっ!?」
「わぅっ!?」
「ケルベロスともあろうものがキャンキャン鳴くな!」
正論である。そしてベルフェゴールの赤い目にポチコロタマの尻尾が後ろ足の間に挟まり、耳がパタンと閉じた。
「全く……随分と甘やかされて……」
ブツクサと腕を引き抜く。
「見るからに肥満、体重も肥満、肋骨にはかろうじて指が届いたが……こりゃ完全にデブ犬だな」
三首がそれぞれに「ガーーーン!」という顔をした。
「しばらく食事は減らせ。お前の飼い主にも言っておくからな」
そんな……という顔から一転。3頭揃って「くぅん……」と頭を下げて上目遣いでセレニティ……ベルフェゴールを見つめた。
「そんな目で見えもダメだ」
うるうるうるっとポチコロタマの目が潤んだ。
「ダメだ」
ベルフェゴールの無慈悲な一言に、ポチコロタマは信じられないものを見るような目をした。目は口ほどに物を言う。完全に、「可愛い僕たちが可愛いおねだりをしたのに……!?」という顔だった。
このケルベロス、自認が100%可愛いに振られている。ステ振りを見直せ。
「明らかに食いすぎだ。ルクスリアにも通達を出してしばらくおやつを減らさせるからな」
しょぼん、と三首も3対の耳も尻尾も垂れた。ちょっと罪悪感。
「……………少しなら食ってもいい。あと、骨ならいい」
ベルフェゴールが目をそらすのと、垂れていた三首、耳、尻尾がぴょんっと跳ね上がるのがほぼ同時。
尻尾ブンブンで、デカいケルベロスが細くたおやかなセレニティに飛びかかった。
「セレス様!?」
「大丈夫ですか!?」
「こら、ポチコロタマ!」
門兵たちが一生懸命にポチコロタマの頭を叩く。割と全力で叩くが、デカいケルベロスには無力である。
「ちょ、ベルフェゴール!押し付けないで!ポチコロタマ、落ち着いて!」
どうやら、ケルベロスの体当たりを受けた瞬間にベルフェゴールは引っ込んだらしい。セレニティに完全に押し付けた。
結果として、ポチコロタマにベロンベロンに舐められてヨダレまみれになったのはセレニティである。
「あぁ……ベトベト……もう……」
ケルベロスが落ち着いて尻尾ブンブンでお座りすると、セレニティが立ち上がって困った顔をする。
「ちゃんとダイエットできたらまたほどほどにおやつ食べていいからね。だから、少しの間だけご飯少なく。分かった?」
「「「わん!」」」
100点満点の犬のお返事。問題は。
「飼い主は言うこと聞いてくれるかしら……」
飼い主であるグラナートのほうの聞き分けを心配する始末。
「セレス様、先に戻って着替えてください」
「あとは我々がやっておきますので」
せっかく飼い主が健康診断を、と言ってきたのだ。これを気にいろいろ調べておこう。病気もだがケルベロスの生体研究は今後色々役に立つかもしれないし。
「そうね……じゃあ私は一度戻るので、あとをお願いしますね」
セレニティはそう言いおいて踵を返した。よだれまみれの服は早く着替えたいところだ。
採血用の注射器を見て、プルプル震えながらキャインキャイン鳴くケルベロスを尻目に、セレニティはその場を立ち去った。ケルベロスがキャインキャイン鳴くんじゃない。
セレニティはどうやって魔王を説得しようかと頭をひねりながらシャワーを浴びて着替え、再び門の方に向かおうと外に出た。
いつもと変わらない街の様子を見ながらゆっくり歩いていると、外れの方の大きな木が目に入る。いつもと同じ景色なのに、妙に気になった。
いや、気にしているのはおそらくベルフェゴールだ。
セレニティは進路を変えてそちらに向かう。頼まれなくても、ベルフェゴールがそちらを気にするのなら、そちらに手を欲している何かがいるのだろうから。門までは少し遠回りになるが、あのケルベロスが暴れることもないだろうから遅れても構わないだろう。ポチコロタマがガルガル言っているのを見たことないし。
セレニティが木にたどり着くと、そこにピスティが座り込んでいるのが目に入った。
「あら、あなた、魔王様のお連れの……」
「別に魔王についてきているわけではありません」
刺々しい応答。自分を守ろうと必死な声だ。
「………何かお悩みですか?」
「…………別に」
とりつく島もないピスティの答えに気を悪くするでもなく、セレニティの目はピスティに寄り添うペルルに向いた。
「あなたが彼女の響魔?」
「はい。お初にお目にかかります、ペルルといいます。ベルフェゴール様の契約者様」
ペルルが恭しく鎌首を垂れる。
「そう畏まらないで。セレスと呼んでくれると嬉しいわ」
「はい、セレス様」
ペルルの答えに満足したようにセレニティが微笑む。同じ顔でメンチ切ってきたベルフェゴールとはえらい違いである。
「それで?こんなところでどうしたのですか?」
おっとりした優しげな風貌と声に、ピスティはわずかに顔を上げた。
少し迷うように目線を彷徨わせて、やがて。
「…………分からなくなってしまいました」
ぽつり、と。零れ落ちた。
「私はずっと、光の女神様の教えを受けて、魔物を嫌悪してきました……でも……」
言葉を探す。いや、言葉はすでに手の中にあった。だが、その言葉を口にすることは許されない。
「七魔領を巡って、その認識が変わった」
ピスティが口にすることをためらった言葉を引き継ぐように、セレニティがその言葉を掬い上げた。
そして、ピスティの隣に木を背にして座る。同じ方向を向いているようで少し違う、そんな位置取り。
「なぜ、あなたたちはこんな街に住めるのですか……人と魔族が入り混じっている街に……」
セレニティがその問いを少し考える。
「何故あなたは……あなた達は、最も恐ろしいとされる七魔と契約を結べるのですか……」
ピスティが答えを求めて、縋るようにさらなる問いを重ねる。
「………七魔との契約は、血族による一子相伝となります。私たちは、神魔大戦の際に当時の勇者様と共に戦った人間の末裔なのです」
セレニティが静かに視線を上げる。空と、大きく広がる枝葉、木漏れ日。
「初代勇者様の……仲間……?」
「はい。そして私たちは、七魔を受け継ぐことで神魔大戦の記憶を引き継ぎ、同時に覚悟を問われます」
ふわりと風が吹く。木の葉と周りの草が風に靡いて音を立てた。
「だからこそ、私たちは七魔を宿し、それぞれの街を守るのです。それが七魔と呼ばれる彼らの誇りですから」
ピスティはセレニティの横顔を凝視する。なにか答えがそこにありはしないか、と。
「待ってください……それはおかしいです。なぜ、勇者様のお仲間が七魔と契約することになったのですか……だって、勇者様は光の女神様と一緒に魔王や七魔と戦って……敵のはずで……」
セレニティが視線をピスティに戻した。
「その答えを話す権利は私にはありません」
いつか、グラナートが言った言葉と同じだ。
「当時の勇者様とその仲間であった私たちの先祖がそれを望みません。それを話す権利があるとすれば、それは、原初の勇者様ただ一人です」
その言い方では、まるで。
「まるで、初代勇者様が生きているかのような……」
ピスティの言葉にセレニティは微笑んだ。
「あなたの迷い、悩み。魔族を悪だとする信仰。それを私たちは肯定しましょう。それはあなたが生きていく上で、大切なものですから。悩んで迷って、あなたが出した結論を、私たちは否定しません。たとえそれが私たちの考えと違っていたとしてもです」
ピスティの目が見開かれる。
「違っていても、いいのですか。私の考えは、あなたたちには受け入れられないものだと……」
「あなたが迷って悩んで、そして出した結論であれば、私たちはそれを拒みません。ですが……」
セレニティの手がピスティの肩に触れ、そして静かにピスティに寄り添い続けているペルルをそっと撫でる。
「ですが、あなたは今混乱しています。少し悩むのをお休みしてみませんか?」
「悩むのを……休む……?」
怠惰の誘惑。その言葉がピスティの脳裏をかすめた。
「この街は休息と安寧の街。ゆえに、この街に住む人々は先が短いご老人や病人も多い。傷や治る病の方も安らぎを求めてここに滞在し、そしてまた元の場所に戻ります。その方々が生きるべき場所に」
生きるための休息。最期の安寧。
「ここで休むことは怠惰ではなく、必要なことですよ。だから、こんなところで体を冷やすより、戻りましょう。魔王様の指示で宿を手配しておりますから」
セレニティが立ち上がってピスティに手を差し伸べる。色白で細い、しかし、見えない何かを抱えた腕。
ピスティは少し躊躇ってから、やがてその手を取って立ち上がった。