セレニティに連れられて、ピスティは宿に入っていた。
そのセレニティはすでにまた門に向かうと言って出ていき、部屋にはピスティ一人。
「私が悩むことを、光の女神様はお許しくださるかしら」
窓から入る光以外は光源のない部屋で、ピスティは悩み続ける。長年信仰してきた光の女神の教えと目の前で見てきた七魔の街の乖離。自分は何を信じるべきなのか。
ピスティは1人、静かに考え続けていた。
セレニティは門に向けて足を早めていた。責任者として部下と患者(肥満ケルベロス)を放置はできない。
あとすでに門の方から情けないキュンキュンという泣き声(誤字ではない)が響いてきている。
「大丈夫だから。ほら、もう注射は終わったから」
「もう痛いことしないよ、終わったよ」
「頑張ったなー」
どうやら終わっていたらしい。
セレニティが到着した時には、ポチコロタマはキュンキュン泣きながら門の壁際で縮こまっていた。
「…………ケルベロスって……」
思わずため息をつく。
「あ、セレス様」
「こちら、ひとまず検査は一通りやりましたが、やはり野外だと限界が……」
「とりあえず、採血した血液と唾液、毛のサンプルです。あと、こっちが体長体重、脂肪率、爪や牙の健康状態をまとめました。体重と脂肪率以外は問題なさそうです」
部下たちの報告をうんうんと頷きながら聞いて、問う。
「で、採血の注射って失敗したの?何回か刺し直した?」
その問いに、部下たちは首を横に振った。
「体格も大きいので血管も太く、失敗する余地はありませんでしたよ」
「刺してる間もプルプルしながら頑張って動かないようにしてくれていましたし」
「特に問題なかったですよ」
ということは、刺されすぎて痛かった、とかではなく、シンプルにビビり倒していただけということになる。
クゥンクゥンとしょんぼりしているポチコロタマ。体はデカいし黒いし、見た目だけなら100点満点のケルベロス。とんだザマである。
そして、そこにさらにもう一つ声が加わる。
「どうした、ポチ、コロ、タマ。そんなに泣いて……」
元凶の魔王である。
世界の異常の元凶ではないが、ケルベロスを堕落させた元凶だ。大概にしろ。
グラナートの出現に、ポチコロタマは「怖かったよぅ」と言わんばかりにスンスンと鼻を擦り寄せた。デカい犬の鼻が3つ、グラナートをこねるように押し付けられた。
「わかったわかった。頑張ったな。じゃあ頑張ったからご褒美……」
「魔王様?」
いつものクセでおやつを与えようとするグラナートにセレニティの笑顔が突き刺さる。圧が強い。
「言いましたよね?この子は肥満ですから、おやつは控えるように、と。ベルフェゴールが」
「ぅ……だ、だが……頑張ったし……」
「ご褒美にしてもおやつ以外にしてください。一緒に遊んであげるとか。街の外でならいくらでも走り回っても転げ回っても構いませんので」
「しかしだな……」
「しかしもお菓子もありません」
ピシャリと言われてグラナートがしょげた。あまりにも弱い。
「おやつは減らす。ご飯も適正量。守ってくださいね?」
「…………………」
「守ってくださいね?」
「…………………はい……」
魔王とは。
「さすがセレス様……」
部下の尊敬の視線を一身に受けつつ、セレニティはグラナートから視線を外した。
「とりあえず、肥満以外は健康そうです。あとは虫歯とかにも気を付けてあげてくださいね」
ケルベロスの歯磨き。終わるころには腕がなくなっていそうな響きだが、この件に関してはそのケルベロスがポチコロタマなのでそんなことにはならないだろう。
「歯磨きか……分かった、気にかけよう」
真面目な顔で頷くグラナートの腕はすでにもふもふの毛の中に埋まっている。本当に反省しているのか、実に怪しい。
「それと、ピスティさんは宿の方に案内しておきましたから」
セレニティの言葉にグラナートは少し気まずそうに目をそらした。
「あぁ。すまんな」
「あと、ウルラートさんは夕方には宿の方に移動しても大丈夫です」
「分かった。………ところで、ウルのやつは腹が減ったと言っていたが」
食事をさせてもいいのか、というグラナートの問いを汲んで、セレニティは頷く。
「食べても構いませんが、消化にいいものにするよう伝えてください。肉類は今夜は控えたほうがいいでしょう。あと、あの果実は絶対に駄目ですからね」
「わ、わかっている!」
「ベルフェゴールが呆れ返っていたので、あの果実は人間にはダメだと覚えてくださいね」
うぐぅ……とグラナートは唸りながらケルベロスをもふもふしていた。
「では、私たちはこれで。また何かあったら来てください。ベルフェゴールも嫌とは言いませんから。文句はしっかり言いますけど」
「助かる。すまんな」
セレニティとその部下たちが引き上げていく。
毛質も柔らかく気性も穏やかというか完全にワンコなケルベロスの健康診断は、とても興味深かったようで、あれやこれやと専門用語を交えながらという賑やかな撤退であった。
ポチコロタマはしょんぼりしながらグラナートに慰めてもらっているし、グラナートはもふもふしているしで、多分温度感は噛み合っていない。それでも、撫でてもらえてご満悦のポチコロタマはすぐに元気を取り戻していた。
ポチコロタマの尻尾が元気にブンブンし始めると、グラナートは撫でるのをやめて、もふもふムニムニのお腹にもたれるように座った。
「やっぱこれ最高なんだよなぁ」
反省が見られない。お説教やり直し案件。でもお説教してくれる人がこの場にいない。ここはアニマルセラピー会場と化した。もふもふ。
「……コレールはどこにいるんだ……まぁ勝手に接触してくるか」
もふもふソファで空を見上げる。
「レヴィアタンの祭りの時期にダダ被りしてそうなのがものすごく嫌だ……ベルフェゴールも言っていたし、たぶん真っ只中だよな……」
たまに顔を覗かせる、魔王ではない素の顔がものすごくめんどくさそうになった。
「考えたら帰りたくなってきたな……あそこの祭り、熱量が斜め上だからな……」
「くぅん?」
ポチが首を傾げ、コロはグラナートに鼻先をこすりつけ、タマは欠伸をしている。
「………………このまま平和なのが一番なんだがなぁ……そろそろ、シェルムに経過報告をさせるか……でもまだ調査を命じてさほど経っていないしな……」
ゆっくりと思考を巡らせる。考えるべきことは多い。青い炎を使う鳥魔らしき影も、まだ見ぬ七魔も、そして、隠していることをどう扱うのかも。
「知らずに済むなら、それが一番いい。そのはずだ」
当時の大戦を決した人間たちがそう決めた。それを、魔王となった自分が覆してもいいのか。
グラナートが剣を抜く。かつて持ち替えた剣。昔使っていた剣ほどは未だに手に馴染まない。
「俺の決断は、間違っていたのか……?」
いや、きっと間違ってはいなかった。あのときは、それを最善だと信じた。だから勇者の決断を飲み込んだ。
そう信じるしか、今はできることがなかった。いや、できることはある。とりあえず、飼い主に放置されて寂しそうにしているポチコロタマを撫でくりまわすしかない。
「まぁ考えても仕方ないか。今さら変えられることでもない」
「わん!」
飼い主が考え事から戻ってきたことを察して、コロがベロンッとグラナートを舐めた。一舐めでベタベタになった。
「こら、コロ。あんまり舐めるな」
叱るように言うくせに、その手はコロの鼻面を撫でている。
「全く……」
ゴロンッと転がって腹を出し、背中を地面にこすりつけるポチコロタマ。やめろ、クレーターができる。
そしてグラナートはといえば、ポチコロタマのヘソ天した腹に飛び乗って、両手でワシワシとその腹をなでる。モッフモフのムッチムチ。
「この感触も捨てがたい、が……仕方ないな、お前の健康のためだ」
ムニムニわしわしとポチコロタマの腹を撫でくりまわしながら、ケルベロスのダイエットを心に決めるグラナートであった。