各々に思考を巡らせる夜が明け、日が昇る。
グラナートの目的である、ベルフェゴールとの話もついた。ポチコロタマの健康診断も終わった。ついでに、ウルラートも退院している。
すぐにでも次に向かいたいところだが、もう数日、休息を設けたほうがいいかもしれないとグラナートは考えていた。
そして一方のウルラートはがっつり寝ていた。この野郎。
(急がないといけない。でも……少し考えを整理する時間も必要か。特にピスティは。ケルベロスの足があれば、歩くよりは断然早い。ベルゼブルのところまで歩きだと7日ほどか。ポチコロタマが走れば2日か3日………走れば、だが)
てちてちぽてぽて。蝶々追いかけて。ポチコロタマの歩みを思い起こす。
「………走れば、か」
遠い目になった。さもありなん。
呑気に寝ているウルラートを一瞥して、グラナートは宿の部屋を出た。向かう先はベルフェゴールのところだ。
先日訪れたばかりの執務室。起きたばかりとは言え、早朝という時間でもない。
誰にも止められることなく、セレニティの執務室の扉をノックした。
「はい、どうぞ」
セレニティの声が扉の向こうから聞こえ、グラナートは扉を開く。まるでグラナートが来ることを予測していたかのように、セレニティは微笑んだ。
「どうされました?」
「宿の滞在期間を延ばそうかと思ってな」
あぁ、と、セレニティが納得したように頷く。
「構いませんよ。少し時間が必要でしょう」
あえて、セレニティは誰に必要か名前を挙げることはしなかった。
「助かる」
「ですが、あまり時間をかけるわけにはいかないかもしれません」
セレニティが真剣な顔になってグラナートを見据えた。
「我々はマモン経由で先んじて話を伝達され、こちらでも調査を開始しています」
それについては予測していたのだろうグラナートは黙って続きを促す。シェルムからの報告もまだ受けていない、情報は欲しい。
「禁忌地周辺で、なんらかの魔力残滓を確認しています。そして、そこを中心に、辺境地のエリアがいくつか壊滅していますね」
「なんだと」
グラナートの声が低くなる。
「なぜ報告がない」
「壊滅しているのは、魔物の生息地ですから。人間や魔族のように社会的な構造をしていません。我々も調査を開始してまださほど時間が経っていないので、壊滅原因は明確ではありませんが……」
沈黙が落ちる。
「グエラ様。魔王であるあなたが統治するのは魔族。魔物の壊滅に対し、あなたが責任を感じる必要はありません」
「それはそうだが……それに、禁忌地付近だろう。誰が近づいた?」
グラナートの問いに、セレニティは「コレールのところの今代だそうですよ」と答える。
「そうか……コレールは今どこにいる?」
「さぁ」
一番気になっていた情報がなかった。尻切れトンボもいいところだ。
「禁忌地か……」
「神魔大戦の最終決戦地、そう記憶しています」
「…………そうだな」
記憶をたどるように、グラナートは目を閉じた。
「青い炎については、コレールからは?」
「特には。壊滅痕も最近のものではないようで」
だいぶ前から、何かしらの動きがあったということになる。管轄外であったとは言え、これは完全に言い訳できない。
「少し日常に慣れすぎたか」
舌打ちするグラナートにセレニティが首を振った。
「それは私たちにも言えることでしょう。我々七魔とその契約者も、あなたの共犯者ですよ」
「共犯者とは言ってくれるな。というか、それだと俺が主犯じゃないか」
グラナートの苦情にセレニティは笑った。
「言葉の綾というやつです。我々は叛逆という罪を共に犯し、それを継承していますから」
「少し、神魔大戦を俺たち自身も伝説化させている節があるな」
言葉を探すように双方が黙る。防音の行き届いた室内がしんと無音になった。
「記憶は薄れていくものです。あの時の痛みも怒りも焦燥も。七魔があの戦いを記憶し、継続していたとしても、それでも数千年の時を重ねましたから」
「時は忘却の薬、か」
グラナートが宿に戻ると、ウルラートとピスティが食堂で食事をとっていた。ウルラートは朝っぱらから肉を食べている。昨日死んでいたくせに。
「グルナ、どこ行ってたんだよ。起きたらいねーんだもん。どこ行ったかと思った」
モグモグしていた口の中のものを飲み込んでウルラートが手を振る。フォークを置け。
「セレニティのところにな。数日ここで休ませてほしいと頼んできた」
「え、まじ?やった、ここって温泉あるって聞いたんだけど」
ウルラートが嬉しそうに聞きかじった話を出す。
「あー……あるらしいな」
「お前は行ったことねぇの?」
ウルラートが首を傾げた。
「まぁな。前にも言ったが、七魔とはずっと会っていない」
「のわりにはポチコロタマは受け入れられてるけど」
「それはあの子たちのお散歩エリアだからだろう」
ケルベロスの放し飼いである。字面がものすごく怖い。
「お前が行ってないのにポチコロタマだけで行ってんの?」
「まぁな。ああいう性格だし、ポチコロタマは賢いから問題ない」
問題しかないのではないだろうか、と思う気持ちと、でもあのケルベロスだしな、という納得でウルラートは頷くしかなかった。
「ピスティ、どうした?口数が少ないが」
ウルラートとグラナートの会話の最中、ずっとピスティは俯きがちで黙々と食事を続けていた。
「考え事を」
短い返答。愛想も何もない。
「そうか。まぁそういうこともあるだろうな」
グラナートとセレニティが思っていたとおり、ピスティは思考と感情の整理が追いついていない。
「数日ここで宿を借りられる。ゆっくりするといい」
ピスティは黙って頷いたが、彼女の目はウルラートにもグラナートにも向かなかった。
「ウル、俺は少し出てくる。暇ならポチコロタマの散歩に付き合ってやってくれ」
当たり前のように告げられた頼みに、ウルラートは「はぁ?」という顔をした。
「付き添いいらねぇだろ」
その言葉に
「赤ちゃんだぞ!?」
グラナートが食い気味に噛み付いた。
「生後100年は赤ちゃんじゃねぇ!!ちょっと前に自分がなんて言ったか思い出せ!あと、どこ行くんだよ」
「まぁ、ちょっとな」
「お前はまたそういうことばっかり……ずりーぞ、いい加減」
グラナートが曖昧に笑う。
「すまんな」
「いつになったら話す気になるんだよ」
ウルラートの不満げな声とピスティの疑心の目がグラナートに刺さる。
「…………そのうちな」
相変わらずだ。
「お前、飯は」
「俺はいい。宿に数日いられることを伝えに戻っただけだからな」
言いながら、本当に何も口にすることなくグラナートは席を立つ。
「また後でな」
再び外に出ていく背中を見送って、ウルラートは皿の上の最後の一口を口に押し込んだ。
ピスティは何も言わない。グラナートへの文句さえも。
「ピスティ。考え事ってやっぱ、魔族と人間のことか?」
「…………はい」
蚊の鳴くような小さな声でピスティが返答を絞り出す。
「光の女神様の教えは、間違っているのでしょうか」
七魔領に入ってから、いや、グラナートと出会ってから、ずっとその問はピスティの中でくすぶっていた。幼い頃からの道標。ずっと正しいと信じて、疑ったことなどなかった教えの是非。
「ウルラート様は、なぜこの状況を、あの魔王を受け入れられるのですか」
ピスティの問いに、ウルラートは困ったような顔で食事を終えた。
「もう食わねぇなら、部屋に戻るか。ここで話すのはちょっと」
ピスティの皿にはまだ少し料理が残っているが、彼女の手はすでに鈍い。
「………少しお待ちください。食事を残すのは気が進みませんから」
「分かった」
ピスティの手が動き始める。食事を残さないためだけに機械的に食事を飲み込んでいく。
「シェルム」
グラナートの呼びかけに、いつかのピンクボール蝙蝠ぽんっと現れる。
「はーい!」
「………お前のそれ、便利だな……」
実際、呼べば出てくる使い魔、かなり便利だ。
「お、羨ましいんですか?羨ましいんですか?」
「煩い」
シェルムの使い魔はパタパタピコピコとグラナートを煽る。臣下の態度ではない。
「まぁいい。進捗は」
煩そうに手でしっしっとピンクボール蝙蝠を払いながらグラナートが問うと、上下左右に煽り散らかしていたピンクボールが空中に静止する。
「コレールから、禁忌地周辺の異変が報告されています」
「聞いた」
「今代のコレールは禁忌地内に踏み込んだ模様です」
それは聞いてない。
「なんだと?そこまで聞いていないぞ」
「そんな事私に言われても……」
その通りである。
「まぁとにかく、禁忌地内は特に目に見えた異変はなかったそうです。ただ、空気がおかしかった、と」
「…………嫌な報告ばかりだ」
ため息をついた。状況証拠ばかりが整っていく。
「本当なら、直接禁忌地に向かうべきなんだろうが……」
「あなたが行けば、禁忌地を乱すことになりかねない。あなたが禁忌地に向かうのは反対だわ」
シェルムが鋭くグラナートに釘を差した。
「あなたは予定通り、このままベルゼブルとレヴィアタンのところに行くべきよ。あの時、彼に対抗できたのはあなたと七魔が同じ方向を向いていたから。同じ側に立っていたから。あの時を再現する必要があるのかもしれないのなら、あなたがあなたの目で確認するべきよ」
「分かっている。…………分かっては、いる。だが、蘇ったのが彼女であったのなら」
苦い願望が滲む。
「彼女が蘇ったのだとしても、あの頃を望むべきではないわ」
シェルムのナイフのような言葉は願望を切り刻んで現実を見せつける。
「…………」
今度は、分かっているとは言えなかった。