しばらく大人しくしている、と言った手前、本当に大人しくするしかなかった。
レイブンは大きな損傷こそなかったものの、戦闘で受けた傷をそのままにして次へ行けるほど丈夫でもない。補修のために艦内のあちこちが開けられ、整備区画では機体の点検が続いていた。俺のRAVEN_CUSTOMも例外じゃなく、格納庫へ顔を出すたびにどこかの装甲が外されている。
「触るなよ」
作業台の脇からジョブさんに先回りされた。
「まだ何もしてませんよ」
「今からしようとしてただろ」
「見ようとしただけです」
「それを触るって言うんだよ。少なくとも整備中はな」
准尉になっても、この辺は何も変わらないらしい。というか、変わったのはジョブさんだけじゃなかった。捕虜の引き渡しと残敵確認が一段落して数日。補給物資やら修理部品やらに混じって、大将付きの部署から人事関係の書類がまとめて届いた。
その中に俺の名前もあった。
「……特務少佐」
「そう書いてありますね」
向かいで書類を整理していたノエルさんが答える。
「見間違いじゃない?」
「正式な辞令ですから、見間違いだったら困ります」
「いや、俺がじゃなくて、出した方が」
「そっちはもっと困ります」
言われてみればそうだった。どうしてこうなった。
一年戦争が終わった時には特務少尉だった。それでも十分すぎると思っていたのに隊長就任で上がり、さらにまた上がった。しかも今回は俺だけというわけでもない。先の一連の任務だけじゃなく、黒鴉隊が発足してから積み上げたものをまとめて人事に反映したらしい。
ブリーフィングルームへ入ってきたブライトさんも、手に似たような紙を持っていた。
「お前も来たか」
「はい。ブライトさんも少佐ですか?」
「そうだ」
「……なんか変な感じですね」
「お互いにな」
ブライトさんはそう言って、自分の書類を机へ置いた。
「階級が上がったからといって、やることが急に変わるわけじゃない。艦の修理が終われば通常任務へ戻る。それだけだ」
「ですよね」
「だから少佐になった初仕事だ。整備中の自分の機体に余計な手を出すな」
「ジョブさんから聞いたんですか?」
「さっき廊下で会った」
早い。俺が何か言う前に、ブライトさんは別の書類を一枚抜いた。
「それと、人事は昇進だけじゃない」
そこにあった名前はリリス・エイデンだった。中尉への昇進。同時に、教導・訓練部門への異動。読み終えて顔を上げる。
「これ、本人は?」
「もう知っている。正式通知も出ている」
「そうですか」
意外ではあった。でも、意味が分からない人事でもなかった。
リリスは上手い。それも、ただ機体を動かせるという意味じゃない。実戦を経験して、高性能機を扱って、それでも生き残ってきた。キャバルリーの評価運用も続けてきた。そういう人間を前線だけに置いておくより、教える側へ回したいという判断は分かる。
問題は、こっちが一人減ることだった。
「戦力的には痛いですね」
「痛くないとは言わん。ただ、正式な人事だ。それに本人の能力を評価しての異動でもある」
「止める理由もないか」
「ああ」
その日のうちに格納庫へ行くと、リリスはもうキャバルリーの移管準備に付き合っていた。機体の足元には輸送用の固定具と、まとめられた評価記録。クリスさんとジョブさんもいて、残す資料と一緒に送るものを確認している。
「早いですね」
「軍の異動なんて決まったらこんなものですよ」
リリスが振り返った。少尉ではなく、もう中尉だ。
「おめでとうございます、でいいんですかね」
「昇進だけならそう言われてもいいんですけどね。まさかそのまま教える側に回されるとは思ってませんでした」
「嫌です?」
「嫌というより……向いてると思います?」
少し困った顔で聞かれた。俺はすぐに答えられなかった。
「戦い方を教えるなら、かなり」
「それ、褒めてます?」
「褒めてますよ」
「レン少佐にそう言われると微妙ですね」
「その呼び方やめません?」
「正式な階級ですけど?」
リリスが笑う。その横でクリスさんまで笑っていた。
「慣れた方がいいわよ。これから増えるんだから」
「クリスさんまで」
「私も大尉になったから、そのうち呼び間違えないでね」
「はい、クリス大尉」
「急に他人行儀ね」
結局そこは変わらないらしい。リリスはキャバルリーを見上げた。
「前線を離れるのが惜しくないって言ったら嘘になります。でも、命令として納得できないわけじゃありません。こういう機体を扱った経験が欲しいんでしょうし、実戦を知らない子に教えられることもあるでしょうから」
「教える時、無茶させないでくださいね」
「それをあなたに言われるとは思いませんでした」
「俺はちゃんと安全第一ですよ」
「その台詞、クリス大尉の前でも言えます?」
「……やめときます」
クリスさんが何も言わずこっちを見た。リリスの異動は、それで終わった。送別会を大げさにやったわけでもないし、誰かが長い挨拶をしたわけでもない。引き継ぎが終わり、キャバルリーが先に移送され、そのあと本人もレイブンを降りた。
「じゃあ、お世話になりました。そっちも死なないでくださいね」
「リリスさんも。教え子に嫌われない程度に」
「余計なお世話です」
最後までそんな調子だった。
それから何度か通常の警戒任務へ出て、俺たちは五機で動いた。できないわけじゃない。
アムロ、ララァ、クリスさん、クスコさん、それに俺。シーマ中佐たちが同行する任務なら戦力そのものはもっと増える。それでも、今まで六機を前提に組んでいたところから一人抜ければ、誰かが埋めていた位置がなくなったのは分かる。
だから補充の話が出た。最初は軍側から候補資料を送ってもらうだけでもいいと思っていたけど、紙だけ眺めて決めるのも違う。結局、俺自身が連邦軍の教練施設まで行くことになった。
そこで予想していなかった顔を見つけた。
「……リュウさん?」
訓練区画の端で教官と話していた大柄な男が、こっちを向いた。一瞬、向こうも止まった。
「レンじゃないか!」
声を聞いたら余計に懐かしかった。
「お久しぶりです」
「ああ。こうして直接会うのは本当に久しぶりだな」
リュウさんは一年戦争の途中でホワイトベースを降りた。負傷の治療が理由だったから、生きていること自体は知っている。その後も軍に残ったことまでは聞いていたけど、ここにいるとは思わなかった。
「教官になったんですか?」
「教官そのものっていうより、今は補佐だ。訓練の手伝いをしたり、実機に乗る連中を見たりな。前線より今の俺にはこっちの方が合ってる」
そう言って、リュウさんは俺の肩を軽く叩いた。
「しかし、お前はまた随分と上がったな」
「言わないでください」
「特務少佐だったか?」
「ほんとに言わないでください」
「ははっ。偉くなったもんだ」
昔と変わらない笑い方だった。俺がここへ来た理由を話すと、リュウさんは少し考えてから訓練区画の方を見た。
「黒鴉隊の補充か。そりゃ簡単じゃないな」
「やっぱり?」
「腕のいい奴ならいる。これから伸びそうなのもな。ただ、お前のところは普通の部隊じゃないだろ」
その言葉を否定する材料がなかった。俺たちはそのまま訓練を見た。基礎機動、射撃、編隊行動。シミュレーターの記録も何人か確認した。成績だけなら悪くない。むしろ、普通の部隊なら十分に期待されそうな人もいた。
けれど、黒鴉隊へ連れていくとなると話が変わった。
「この人、上手いですね」
「ああ。ただ、今は艦隊配属を希望してる。本人もそっちを目指して訓練してる」
「じゃあ引っ張るほどじゃないな」
別の記録を開く。
「こっちは?」
「操縦は悪くない。ただ、まだ実機で崩れた時に立て直す経験が足りん。お前のところへ放り込むには早い」
何人か見ても、似たようなものだった。
能力がないわけじゃない。本人の希望が合わなかったり、今の進路を変えさせるほどの理由がなかったり、まだ時間をかけた方がいいと思えたりする。そもそも黒鴉隊に入れば、普通の残党掃討だけをしていればいいわけじゃない。次に何をやらされるのか、俺だって分からない時がある。
「空いてるから一人、ってわけにはいかないか」
「そういうところほど、やめた方がいいぞ」
リュウさんが横から言った。
「人数を揃えるだけならどうにでもなる。でも、一度連れていったらそいつの面倒を見るのはお前たちだ。向こうだって配属先を選べるなら、考える権利はある」
「ですよね」
最後の資料を閉じた。
悪い人材はいなかった。でも、今ここから連れて帰りたいと思う人もいなかった。
「今回はなしにします」
「それでいいんじゃないか。必要だから探すのと、必要だから誰でも連れていくのは別だ」
「五人で回せないわけじゃないですし」
「なら焦ることもないさ」
立ち上がって、訓練区画をもう一度見る。候補を探しに来たのに、結局一人も増えなかった。まあ、そういうこともある。
「じゃあ、俺は戻ります」
「ああ。また近くへ来たら顔くらい出せ」
「はい。今度は仕事抜きで来ます」
「それが一番信用できんな」
「ブライトさんと同じこと言わないでくださいよ」
リュウさんが笑った。俺も少し笑って、そのまま教練施設を後にした。
空いた席は、しばらく空いたままでいい。今いる五人で回せるなら、それでやる。必要なのは数を揃えることじゃなかった。
リュウさん元気にやってます。
リリスの移動ですがゴップ大将からの正式異動要請です
教導に送り込まれた形ですね。南無