レイブンへ戻っても、すぐに格納庫へ入れるわけではなかった。
輸送船の残骸から有毒物質の反応が出ている以上、機体に何が付着しているか分からない。帰投した各機は通常の収容位置へそのまま入れず、まず隔離された区画へ回された。機体表面と推進器周辺、それにシールドや脚部まで外部から検知され、反応が出ないことを確認しながら除染処理が進められる。
俺たちもコックピットから降りて終わりではない。パイロットスーツのまま用意していた専用区画へ入り、外装を洗浄された後でもう一度検知を受ける。スーツを脱いでからも身体と携行品を確認され、検知器が何も拾わなくなるまで艦内の通常区画には入れなかった。
回収した試料は最初から別だった。密閉容器ごと隔離されたまま専用の保管区画へ運ばれ、俺たちが持ち込んだ他の装備とは経路も分けられている。採取に使った器材や、付着物ごと封じた小片も同じ扱いだ。整備班も、機体側の安全確認が終わるまでは通常の整備作業へ入らない。
最後にもう一度、俺のスーツと身体、それに通過した区画で反応が出ていないことを確認して、ようやく通常区画へ出る許可が下りた。
そこまで済ませてから艦橋へ上がった時には、輸送船が消えてからかなり時間が経っていた。それでも仕事はほとんど終わっていない。各機の標準記録はすでに艦側の記録との照合が始まり、独立記録の方はそこへ混ぜず、別の手順で保全に回されていた。
俺が席へ着くと、ノエルさんは中央へ送る第一報をまとめながら、別に開いていた表示をこちらへ回した。
「30バンチ側の状況が更新されています。その後ティターンズがMSを投入してデモの鎮圧に入っています。発砲も複数確認。死傷者数はまだ確定していませんが、少なくないようです」
「デモは?」
「ほぼ散っています。逃走した人と拘束された人が多く、現地の報告では鎮圧は終わった扱いです。上位の鎮圧命令にはバスク・オム大佐の名前が出ています」
間に合った。それは間違いない。30バンチの中へ毒ガスは入らなかったし、あの輸送船も止めた。ただ、そこで全部が終わったわけじゃなかった。人の集まりへMSを出して、実際に撃った。元の流れとは比べものにならないとしても、それで死んだ人間がいる事実は変わらない。
「現地の記録も取れる範囲で残してください。ただし、今から30バンチへ突っ込むのはなしです。もう鎮圧が終わってるところへこっちまで入ったら、今度こそ連邦軍同士で戦争になります」
「分かりました。現地情報の収集だけ継続します」
ノエルさんが表示を戻したところで、中央司令部からの正式通信が入った。内容は思っていたより普通だった。今回の行動について詳細報告を提出すること。戦闘記録と回収試料を保全すること。関係者は事情聴取に応じること。それと同時に、ティターンズ側にも該当任務の記録提出と事情説明を求める、とある。
「少なくとも、最初から俺たちだけ捕まえる気ではないみたいですね」
「この記録量でそれをやったら、逆に何を隠したいのか聞かれると思います」
ノエルさんはそう答えながら、提出対象を確認していく。標準記録、通信、IFF、センサー、戦闘ログ、輸送船の進路、採取位置。アルビオン側でもシナプス少佐が艦側の記録と報告を別にまとめている。独立記録の項目だけは、その一覧にはいれなかった。
「独立側は予定通りで?」
「はい。正式提出は標準側だけ。独立側は別に保管してください」
「了解です。提出分との時刻照合だけ済ませて、媒体そのものは分けます」
最初からそのために用意したものだった。何も起きなければ使わなくて済む保険で、できれば最後までそのまま倉庫に置いておきたい代物だ。
翌日以降、回収した試料は中央の指示で連邦軍側の分析系統へ回された。こちらから渡して終わりにはせず、封印番号と採取位置、採取時刻、輸送経路を一つずつ記録へつなぐ。分析室の軍標準記録が動き始めるのと同時に、こちらが用意した独立記録も回した。
結果が出た時、分析担当者は何度か表示を見直した。
「同定結果が出ました。G3ガスです。再確認も同じ結果です」
「間違いないですか?」
「はい。提出された試料から検出された成分はG3ガスと一致しています」
予想していた名前だった。それでも、実際に連邦の分析結果として表示された文字を見ると、胸の奥が重くなった。俺が覚えていたものと、現実に採取したものが一致した。
「結果と分析工程は、そのまま正式記録へ残してください」
「もちろんです」
軍標準側の記録時刻を確認し、独立側でも同じ結果が撮れていることを確かめる。これで少なくとも、俺が何もない輸送船を勝手に止めたという話にはできないはずだ。
正式報告には余計な推測を入れなかった。非人道兵器が搭載されている可能性があるとの情報を受け、検分を要求した。拒否された後も輸送船の進行を阻止し、ティターンズ護衛部隊から発砲を受けて応戦した。輸送船の航行能力を無力化し、拿捕へ移る直前に船体が爆発。現場から回収した試料を正式分析した結果、G3ガスが確認された。
書いたのはそこまでだ。あれを30バンチへ流し込むつもりだったかも等の推測は報告書には書かなかった。俺はそうなる流れを知っている。でも、それを証明する命令書はないし、輸送船の中身も大半が消えている。
その代わり、自分がやったことも削らなかった。検分権限を持っていないまま進路を妨害したことも、輸送船の推進系を故意に撃ったことも、そのまま書いた。俺の判断を調べるなら調べればいい。ただし、その場合はあの船もとことん調べてもらう。
さらに数日して、爆発についての調査結果も回ってきた。外から受けた攻撃で積荷や機関が誘爆したとある。最終的な判定は、こちらが撃破したことになっていた。乗員は全員死亡しているし、命令記録も船と一緒に失われている。
おかしくなり始めたな。本当に連邦は腐りだしている。
「隊長、G3の分析記録ですが、参照区分が変更されています」
レイブンへ戻った俺へ、ノエルさんが端末を見せた。昨日までこちらから確認できていた正式分析結果に、新しい機密指定が掛かっている。
「提出したこちら側でも見られない?」
「少なくとも今の権限では開けません。分析済み試料も上位部署へ移管する通知が来ています。船についての調査記録も、同じように参照範囲が狭くなっています」
「消えたわけでは?」
「今のところ、そこまではわかりません。存在は確認できます。ただ、中身を見られる人が減っています」
事実と推測を分けた答えだった。軍の中で危険な化学兵器を扱えば、機密指定が上がること自体はあり得る。ただ、同じ頃に出た30バンチについての公式発表には、輸送船のこともG3のことも一行もなかった。
反連邦デモが過激化し、治安部隊との衝突によって死傷者が発生した。治安回復のため必要な措置を実施し、現在は秩序を回復している。
公表されたのは、それだけだった。
「ずいぶん綺麗に片付いたじゃないか」
報告を見たシーマ中佐が、笑っていない声で言った。
「ガスが出た記録は上にしまい込む。船が吹き飛んだのはあたしらが撃ったせい。30バンチで起きたことは、暴れた連中を治安部隊が鎮圧しただけ、と」
「少なくとも、記録そのものは残ってます」
「残ってりゃ安心ってわけでもないさ。誰にも見せなきゃ、外から見れば無いのと同じだろう?」
まぁその通りだ。誰にも見せずに済めば一番よかったんだけどな。G3を検出した正式な分析記録は存在する。採取から分析までの記録も残っている。けれど、その全部に鍵を掛けてしまえば、事情を知らない人間が辿れるのは表に出された発表だけだ。
「それで、表に出てるのはあんたらが輸送船を止めて、撃って、爆発させたって記録か」
「そうなってますね」
「よく出来てるよ」
シーマ中佐は端末を返してきた。
「嘘を書かなくたっていいんだ。都合の悪いところだけ見えなくして、残った事実を並べりゃ、それらしい話になる。だが嘘はだめだ」
その言い方だけは、妙に実感がこもっていた。
「あたしは一回、そういうのを見てるんでね。あんたも、自分の記録だけは手放さないことだ」
「そのつもりですよ」
独立記録はすでに複製してある。採取時の映像も、分析結果が表示された時点までの記録も、レイブン側に残していた。それでも、軍の正式記録の方が閉じられていく流れまでは止められない。そして、その意味を考える時間はあまり長くなかった。
それから少しして、ジャブローへの出頭命令が届いた。
査問そのものは、最初から敵意むき出しというわけではなかった。中央側の高官と監察担当者が並び、提出済みの記録を前に、まず俺が何を判断して何を命じたのかを確認していく。
「イズミ少佐。貴官が輸送船の航行能力を意図的に奪うよう命じたことに間違いはないか」
「間違いありません。私が判断して撃ちました。ただし狙ったのは外部から確認できる推進部と姿勢制御です。乗員区画や艦橋、積荷がある可能性のある船体中央は避けています。目的は破壊ではなく停止でした」
「だが輸送船は爆発した。そして貴官には、当該輸送船を強制検分する権限がなかった」
「権限がなかった部分のみは認めます。だから最初に検分を要請しました。拒否された後も進路を空けなかったのは私の判断です。そこについて査問されることに異議はありません」
高官の一人が手元の資料を閉じず、そのまま次を続けた。
「では、その判断の根拠となった情報について聞く。貴官は接触時、『非人道兵器が搭載されているとの情報が入っている』と発言している。情報源は?」
「匿名の通報です。非人道兵器が搭載されている可能性がある、とだけ。詳しい内容は聞いていませんし、俺も接触時には非人道兵器しか言っていません」
「匿名情報だけで、連邦軍の正式任務を妨害したと?」
「何も積まれていなければ、確認して終わる話でした。結果として止めた船の残骸から採取した試料は分析でG3と同定されています。俺の判断が適切だったかは調べてください。ただ、その調査から輸送船と積荷だけを外すのは道理ではないでしょう」
「その分析結果だが、分析した研究所が事故で爆破して証拠資料やデータがすべて焼失してしまっている。だからこの査問では真偽不明という形で進める」
部屋が少し静かになった。
いま、なんて言った?
「ティターンズ側は、G3ガスを輸送した事実そのものを否定している。また輸送船の喪失については、BLACK RAVENの攻撃による誘爆だったとの報告が提出されている」
「こちらの提出した映像からは自爆装置が作動したという分析結果も出ています」
「その資料は現在、再検証中だ」
「なら、検証結果をだしてからにしていただきたい。俺の攻撃記録も全部出してあります。輸送船が航行不能になってから爆発するまでの標準記録もあります。どちらが正しいか調べがついてからでしょう」
最初の査問は、そこで決着しなかった。当然だと思う。俺が権限を越えて船を止めた事実は消えないし、向こうもG3ガスを認めない。それを証明するデータは焼失したらしい。だが映像データがある簡単に片方だけ正しいと決められる話ではなかった。
ただ、その後に届いた追加査問の通知は少し違っていた。匿名情報そのものの実在性。採取試料の管理過程。BLACK RAVEN側が提出した記録の信頼性。輸送船停止後の爆発と、こちらの攻撃との因果関係。論点が少しずつ輸送船から俺たちの方へ寄っている。
通知を読み終えて、俺はレイブンへ連絡を入れた。
「ノエルさん、いくつか用意しておいてください」
『分かりました。回収はできませんよ』
「全て分かっています」
事前に決めてた内容だから詳しくは省いて話した。これなら盗聴されてても問題ない。
その後、事前に近くに来てもらっていたカイさんに連絡を取って会った。NTというのは便利なもので本気で動けば監視を巻くこともできた。いやたぶん違うんだろうけど出来たから今はいい。
久しぶりの顔を見せた途端、向こうは嫌そうに眉を寄せた。
「お前、軍を離れた奴に持ってくる話って顔じゃないな」
「すみません。たぶん面倒なやつです」
「そこは否定しろよ。で、何をやらかした?」
軽口はそこまでだった。記録の内容を説明して、渡す範囲を伝える。正式分析の結果は含めない。輸送船へ検分を要求したところから、ティターンズ側の先制発砲、輸送船の停止、自爆、現場で有毒物質の反応を確認して試料を採るところまで。カイは途中から口を挟まなかった。
「……これ、本物なんだな」
「独立した直撮り記録です。軍へ提出した標準記録とは別に撮っていたものです」
「なるほどね。で、俺にどうしろって?」
「さぁ、おまかせしますよ」
「簡単に言ってくれるよな。これを出したら、軍の中だけの話じゃなくなるぞ」
「それでも構わないと思っています」
少しの間、カイは黙っていた。
「分かった。昔から、お前がこういう顔で頼む時は大抵ろくなことにならないんだよ」
「ミハルさんにもよろしく言っておいてください」
「うるせえよ。ほんととお前は」
最後に文句を一つだけ残して、引き受けてくれた。
映像が広がるのに、それほど時間は掛からなかった。ティターンズの護衛を受けた輸送船が30バンチ方面へ進んでいること。BLACK RAVENが非人道兵器の疑いを理由に検分を求めたこと。拒否された後、ティターンズ側が先に発砲したこと。停止した輸送船が拿捕直前に爆発し、その残骸から有毒物質への反応が出たこと。軍の発表にはなかった映像が、複数の報道から一斉に流れた。
特に問題になったのは、やはり最後だった。なぜ30バンチへ向かうティターンズの護衛がついた輸送船の残骸から毒性物質が検出されたのか。
ティターンズは否定した。流出映像は編集された可能性があり、毒性物質の存在にも信頼できる根拠はない。連邦側の発表も、G3ガスの存在には触れなかった。
その状態で、追加の査問が始まった。
「民間へ流出した映像についても確認が必要になった。あれは貴隊が保有していた記録と酷似しているとの指摘がある」
「その件を正式な査問事項に加えるなら、映像が本物かどうかも正式に確認することになりますね」
向かいの高官が表情を変えた。
「貴官は質問に答えろ」
「私への査問を続けることにも異議はありません。ただし、証拠の捏造まで正式に疑うなら、その映像の検証の為同じ事件の記録を全て合わせて調べる必要があると思っています」
手元に置かれた資料へ目を落とす。
「私が提出した標準記録と流出映像を照合する。回収試料の採取位置と封印記録を確認する。輸送船の爆発について、自爆装置が作動したという調査結果も確認する。それから輸送船の所属、30バンチへ向かった理由、輸送命令、護衛部隊への命令系統まで調べるべきではありませんか?」
「それは今回の貴官の行動に対する査問とは――」
「同じ事件です。私が何もない船を勝手に撃ったと言うなら、その船に何が積まれていたのかは一番先に確認することが必要でしょう」
「匿名情報が嘘だったかどうかも調べましょう。でも、それを理由に私を処分するなら、実際に出た映像の分析結果を無視するわけにはいかないでしょう。輸送船が私たちの攻撃で爆発したと言うなら、その調査もやり直せばいいでしょう記録は全て提出してあります。それでも私たちの捏造だと正式に扱うなら、本気で全部調査する必要があるのではないでしょうか」
向かい側の三人はすぐには答えなかった。やがて中央側の高官が資料を閉じる。
「本日の査問はここまでとする。扱いについては持ち帰って判断する」
「分かりました」
席を立つ前に、もう一度だけ言った。
「処分が必要なら受けます。ただ、双方同等に調べるべきでしょう」
返事はなかった。
数日後、レイブンへ戻った俺のところへ中央から通知が届いた。今回の査問は終結。俺への懲戒処分はなし。BLACK RAVENへの任務制限もなし。ティターンズ側についても、公表された処分は何もなかった。
「終わった、でいいんでしょうか」
通知を読み終えたノエルさんが、少し迷ってから聞いた。
「査問は終わったみたいですね」
隣でシーマ中佐が鼻を鳴らす。
「こっちは不問、向こうも不問。毒ガスなんて最初からありませんでした。ずいぶん都合のいい決着じゃないか」
「少なくとも、俺たちを消すのには失敗したみたいです」
「代わりに、向こうはあんたの顔を忘れないだろうね」
「それはお互い様ですよ」
端末の別画面では、ティターンズが流出映像を改めて事実無根だと否定していた。俺は中央から届いた通知と、その声明を順に閉じてから次の任務予定を開く。
BLACK RAVENの欄は消えていなかった。昨日までと同じ位置に、その先の予定が並んでいた。
急に終わった査問。狸の影