査問が終わったからといって、その日のうちにジャブローを離れられるわけではなかった。中央へ出した書類の受領確認や、基地側との出港調整、それに補給の残りがある。俺がレイブンへ戻った翌日も、艦橋ではレイアム中尉が基地側の予定表とこちらの作業状況を突き合わせていた。
「補給作業は今日中に終わります。基地側の出航枠はそれ以降で押さえていますので、少佐が午前中に艦を離れても支障はありません。クスコ軍曹の当直もこちらで調整済みです」
「午前中?」
「先ほど、ジャブローのニュータイプ研究部門から協力依頼が届きました。対象は少佐とクスコ軍曹。危険な処置はなく、短時間の測定と聞いています。詳細は先方で説明を受けてください」
端末へ回された依頼書を確認する。研究名や測定項目はいくつか並んでいたが、少なくとも薬物投与や長時間拘束のようなものはない。実戦経験のあるニュータイプ二名から比較用のデータを取りたい、という話らしい。レイアム中尉が確認して大丈夫だというなら信頼できる。ティターンズの影響下にない研究所なんだろう。
「分かりました。クスコさんにも内容を見てもらって、問題なければ行ってきます。艦の方はお願いします」
「了解しました。戻りが予定より遅れる場合だけ連絡をください。出航準備はこちらで進めます」
レイアム中尉が俺の雑な部分を拾ってくれるようになってから、外へ出るたびに細かい艦務まで気にする必要はかなり減っていた。優秀な人は本当にありがたい。
クスコさんは依頼書を最後まで読んでから、特に嫌そうな顔もせず端末を返してきた。
「この内容ならいいわよ。ただ、測定の目的と中止条件くらいは向こうで確認させてもらわ。私たちを同じものとして比べられても、同じ感じ方をしているとは限りませんから」
「そこは俺も聞きます。嫌な内容が出たら断りましょう」
「ええ。そうしましょう」
研究部門へ着くと、受付を通ったところで担当者から検査内容をもう一度説明された。視覚刺激への反応、複数の対象を追う時の変化、簡単な生体計測。こちらが止めたいと言えばそこで中止する。それを確認してから、俺とクスコさんは別々に測定を受けた。
検査そのものは長くなかった。同じ課題をやっているのに、俺とクスコさんでは反応が出る場所もタイミングも揃わないらしく、担当者は途中から何度も記録を見直していた。
「同じニュータイプという分類でも、ずいぶん違うものですね」
「最初から一種類だと思わない方がいいですよ。ニュータイプという呼び方も便宜上そうというだけでしょう。俺だってクスコさんが何を感じてるか分かりませんし」
「私も少佐が何を拾ったのかは分かりません。結果が違うなら、その方がデータとしては意味があるでしょう」
「もちろんです。こちらも一つの指標で能力を決めるつもりはありません。本当に助かります」
少なくとも今日のところは問題なさそうだった。予定していた測定を終え、担当者が次の利用者と部屋の割り振りを確認するため端末を開いた。俺たちにも終了時刻を確認してもらうため表示がこちらへ向けられる。今日この区画へ出入りする人員の名前が何人か並んでいて、その中の一つで目が止まった。
マウアー・ファラオ。見間違える名前じゃない。
頭の中で昔覚え直した記憶がすぐにつながった。そうかこの時期はジャブローのNT研にいたのか!ただ従うのではなく必要な時には止める。操縦の腕も高かった。そして最後には、戦場で死んだ。俺が覚えている流れでは、いずれティターンズ側へ行く人間でもある。
「すみません。このマウアー・ファラオという人、今日ここにいるんですか?」
「はい。今日は来ていますが……お知り合いですか?」
「いえ、直接は知りません。少し話をしたいんですが、本人の都合がつくならお願いできますか。人事の相談です」
担当者は怪訝そうな顔をしたものの、無理に理由を聞いてはこなかった。こちらも権限を振り回して呼びつけるつもりはない。本人が断るなら、それで終わりだ。担当者が離れると、隣にいたクスコさんがこちらを見る。
「名前を見ただけにしては、ずいぶん早かったですね」
「……気になります?」
「少しはね。さっきまで検査を早く終わらせて帰る顔をしていた人が、その名前をみて顔を変えれば気になるわ」
「そこはなんか、すみません。ただ、ちょっとこの人は外せないんですよね」
「ならいいわ。レンが何を知っているのかまでは聞きませんけど」
「はい」
しばらくして案内された部屋へ入ってきた女性は緊張していた。
「マウアー・ファラオ訓練生です。イズミ少佐がお話をしたいと伺いました」
「急に呼び出してすみません。BLACK RAVENのレン・イズミ特務少佐です。こちらはクスコ・アル軍曹」
「クスコ・アルです」
「それで、人事の相談というのは?」
余計な前置きを待たず、マウアーはそのまま本題を求めてきた。記憶にある人物像と、目の前の本人が少しだけ重なる。
「単刀直入に聞きます。BLACK RAVENへの異動に興味はありませんか?」
一瞬だけ、マウアーの目が動いた。
「……すみません。それだけでは何とも言えません。そもそも私はまだ訓練生です。どうして私なんでしょうか?」
「当然そうなりますよね」
肩書だけ見て頷かれるより、ずっといい。
「うちでは今、俺の補佐を専任で置こうと考えてます。作戦や情報には担当がいますし、艦務も副長が見てくれてる。ただ、俺が部隊長と艦長を兼任したまま出撃することも多い。その間にも中央との連絡、人事、文書、面会予定は止まらない」
「隊長付の補佐官、ということですか?」
「近いです。予定と文書の整理、各部署との連絡、それから俺が不在の間に何を保留して、何をすぐ上げるかの判断まで任せたい」
「かなり裁量がありますね」
「ある程度は。そのために置く役ですから」
マウアーは少し考え、それから俺を真っ直ぐ見た。
「それなら、なおさら分かりません。そういう役なら、もっと経験のある人を選ぶのが普通じゃないでしょうか? 私はまだ訓練課程の途中ですし、少佐とは今日初めてお会いしました」
当然そこは聞くか。前世で知っているからとは言えない。将来ティターンズへ入り、優秀なパイロットになり、その先で死ぬことも。
「事前に見られる範囲で、訓練成績と勤務評価は確認してます」
「それだけですか?」
「それだけなら、今日ここには呼んでません」
マウアーの眉がわずかに動いた。
「訓練生だから候補から外すつもりはありません。欲しいのは今の階級や経験年数じゃなくて、ちゃんと考えて判断できる人です。それに今の受け答えもそうです。俺の階級や部隊名だけで話を進めず、仕事内容を確認した。それから、どうして自分なのかも聞いた」
「普通のことだと思いますが」
そこで少しだけ意識を向けた。目の前にいるマウアーの気配へ触れるように感覚を伸ばす。強いわけじゃない。それでも、何もない相手とは違う。こちらが意識を向けた瞬間、わずかに返ってくるものがあった。
マウアーも何かを感じたのか、ほんの少しだけ目を細める。
「……これも、理由の一つです」
「今のが?」
「たぶん、そっちでも何か感じたでしょう」
「少しだけ。何をされたのかまでは分かりませんが」
「それで十分です」
感覚だけで人事を決めるつもりはない。普通なら気づけないものに気づける人間が近くにいる意味は大きい。ということにしておきたい。
「もちろん、これだけで選んだわけじゃありません。さっき言ったことも含めてです」
「なるほど……」
マウアーは納得したというより、一つ判断材料が増えたような顔をした。
「その普通が欲しいんです。俺の言ったことをそのまま通す人間はいりません。おかしいと思ったら聞き返す。止める必要があるなら止める。そういう人に側にいてもらいたい」
「少佐の指示に異議を唱えるところまで仕事に含む、と?」
「必要なら」
「自分で言うんですね」
「最近、その必要性を嫌というほど分かりましたから」
「BLACK RAVENが正式な連邦軍部隊なのは承知しています。ただ、私は現在この研究所の所属ですし、研究対象でもあります。通常の人事異動より手続きは複雑になると思います」
「そこはこっちで確認します」
「それと、仮に異動したとしても、隊長付だからといって少佐個人だけに従う立場になるつもりはありません」
「それで構いません。俺の私兵が欲しいわけじゃないですから」
そう答えると、マウアーは少しだけ表情を緩めた。
「うちは最初に本人の意思を確認する方針です。人事や研究所との調整は、その後に正式にやります。だから今は、興味があるかどうかだけ聞かせてください。嫌なら断ってもらって構いません」
「……異動そのものに抵抗はありません」
そこで一度、言葉を切る。
「条件と立場を確認した上で問題がなければ、前向きに考えます」
「それで十分です」
即答ではない。むしろ、その返事の方が彼女らしかった。部屋を出たところで、隣を歩いていたクスコさんが小さく息を吐いた。
「なるほど。レンが横に置きたいと言った理由は、話してみれば少し分かるわね」
「でしょう?」
「でも、最初からそこまで分かっていた理由は別よ?」
「そこは……今は勘弁してください」
「無理には聞かないわ。ただし、本人の今を見て決めるって言ったことは守ってくれるわね?」
「もちろんです」
マウアーがMSパイロットとして優秀だったことも分かっている。そのままティターンズ側へ渡るはずの人材をこちらへ移せるなら、後々の差も小さくない。関わってきてわかったがティターンズなんて削れるだけ削ったほうがいい。
でも、それは今の彼女へ出す人事理由じゃない。今必要なのは俺の横で仕事を整理してくれる人間だった。MSの話はこちらへ来てからでも遅くない。こじつけで考えた理由ではあったが秘書はかなりありだと思っている。正直隊長は忙しい。
その日のうちに、人事側へ照会を出した。閲覧できる範囲の経歴と現在の配置を確認し、BLACK RAVENからは隊長付要員として正式な異動希望を出す。研究部門にも、今回の検査協力やニュータイプ研究とは切り離した通常の人事希望だと説明した。餌としてこちらの今まで取ってきたデータの提供を提案した。出せる範囲だけにはなるがそれでもかなりいい反応があった。
マウアー本人にも、こちらの指揮系統と求める仕事をまとめた資料を渡した。翌日、もう一度会った時には、彼女の方から先に答えを出した。
「昨日の話ですが、異動を希望します。仕事についても確認しました。少佐の判断を代わりにする役ではなく、判断に必要なものを整理して、必要なら意見を返す。飾りではないのであればそれなら引き受けられます」
「ありがとうございます。ただ、実際にやってみて合わないところがあれば言ってください。こっちも最初から全部任せるつもりはありません」
「私もまだBLACK RAVENの中を知りませんから」
本人の意思が固まったところで、人事側へ正式な希望を重ねた。必要な確認だけこちらへ返され、定型の処理は人事側で進む。数日後には異動の承認が下りた。着任手続きを終えたマウアーがレイブン側へ来た時、レイアム中尉が基地側の予定表と艦内で必要になる連絡先だけを先に渡していた。
「艦務と基地との発着調整はこちらで処理します。少佐個人の予定や外部からの連絡は、扱える範囲を確認しながら引き継いでください。分からないものを自己判断で流す必要はありません」
「了解しました」
そこまで聞いてから、俺は二人のところへ近づいた。
「改めて、よろしくお願いします。最初は部隊の中を見てもらって、その後に仕事を――」
「少佐、その前に確認していいですか」
「はい?」
「今週の予定表に、少佐本人の確認待ちになっている項目がいくつかあります。どこまで私が先に整理していいのか、最初に線を引いてください。隊長付なのに、毎回全部を少佐へ戻していたら意味がありません」
いきなり処理を始めたわけではない。何を任されているのか、最初に確認しているだけだ。俺は途中まで言いかけた説明をやめ、マウアーが持っていた予定表へ目を落とした。
「分かりました。じゃあ最初に、そこから決めましょう」
ニタ研職員「NTというのは本当に急でわけわからないな」