マウアーの着任から二日後。ジャブローを離れる朝、人事から回ってきた最終の任官条件を二人で確認していた。
「条件付き少尉、ですか」
「はい。研究部門にいた間の訓練記録を確認した結果、修了扱いにできる項目が多かったそうです。残っている分は転属先で消化して、評価記録を提出すればいいと」
マウアーが自分の端末に表示した命令書をこちらへ向ける。早期卒業相当として少尉任官を認める代わりに、指定された残りの訓練をBLACK RAVENで済ませること。それだけだった。
「一からやり直しにならなくてよかったですね」
「そこは助かりました。ただ、任官した以上は仕事と並行です。少佐、訓練時間を予定に入れますので、急な仕事を全部こちらへ回すのはやめてください」
「まだ何も回してませんよ」
「昨日だけで三件ありました」
「……気をつけます」
横で出航手順を確認していたレイアム中尉が、一度だけこちらを見てから端末へ視線を戻した。
「少佐、そちらが終わったなら艦橋へお願いします。アルビオンとの出航時刻は変更ありません。基地側との最終確認はこちらで済ませています」
「了解です。マウアー少尉も行きましょう」
「はい」
ジャブローを出た後、マウアーの仕事が特別なものに見えたのは最初の数日だけだった。
俺に回ってくる文書のうち、内容を読む前に返せるもの、期限だけ押さえればいいもの、俺自身の判断が必要なものが分けられるようになった。面会予定も、同じ日に似た内容が重ならないよう先に整理される。艦の航行や補給に関する話はレイアム中尉へ、作戦情報ならノエルさんへ。どこへ回すべきか分からないものだけが俺のところへ来た。
もちろん、最初から全部が上手くいったわけじゃない。BLACK RAVEN独自の手順を知らずに確認が戻ってくることもあれば、俺が先に口頭で話を進めてしまい、後からマウアーに「記録が残っていません」と差し戻されることもあった。それでも一か月も経つ頃には、隊長付の席に彼女がいることを誰も珍しく見なくなっていた。
残っていた訓練も、通常勤務の合間に順番に消化された。内容を一つずつ見に行く必要はない。指定項目が終わるたびに担当者の評価がまとめられ、最後の記録を人事へ送ったのは秋に入ってからだった。
「これで条件は全部終わりです」
「お疲れさまでした」
「ありがとうございます。これで予定表の『訓練』を消せます」
「そこが一番嬉しそうですね」
「空いた時間に別の仕事を入れられますから」
「俺のですか?」
「少佐のです」
そんなやり取りをしながら、俺たちは通常任務を続けた。
30バンチの件も、軍からBLACK RAVENへ新しい処分が来ることはなかった。ティターンズ側と同じ宙域に入る任務も何度かあったが、互いに余計な接触は避けた。あちらから見れば俺たちは目の上のたんこぶで、こちらから見れば独裁制の害悪組織だ。表面上何も起きなくても、以前と同じ関係には戻らない。
それでも軍の仕事は回ってくる。残党警戒、航路護衛、機体評価、基地間の移動。そうした仕事を続けているうちに、夏だった日付は秋を越え、年末が近づいていた。
その頃、マウアーが一通の通信予定を俺の端末へ回してきた。
「少佐、民間回線経由で面会希望です。相手はセイラ・マスさん。以前の所属記録との照合は取れています」
「セイラさん?」
「旧ホワイトベースの方ですね。予定はどうしますか」
「すぐなら空いてますよね?繋いでください」
「分かりました。十分後にこちらへ回します。個人的な通信でしたら、接続だけ確認して席を外します」
「お願いします」
時間になって執務室の端末を開くと、しばらく会っていなかったセイラさんの顔が映った。接続を確認したマウアーは予定どおり部屋を出ている。軍服ではないセイラさんの姿を見るだけで、ホワイトベースにいた頃から随分遠くへ来た気がした。
『久しぶりね、レン』
「お久しぶりです。急にどうしたんですか?」
『連絡しようか迷っていたのだけど…その、あの映像を見たわ』
予想していた名前が出て、少しだけ背筋を伸ばした。
「ああ、あの映像ですか」
『ええ。あなたが何をしたのか全部分かる映像ではなかったけれど、十分だったわ。正面から揉めたのでしょう』
「結果的にはそうなりましたね。幸い今のところ、こっちに処分は出てません」
『今のところ、でしょう?』
相変わらず、その辺りはよく見ている。
『軍の中で処分されなかったから終わり、とは思わない方がいいわ。あなたたちは軍人だから、補給も人事も情報も軍の中で回る。でも相手がそこへ手を入れてこない保証はないでしょう』
「それは考えてます。ただ、だからって部隊を軍の外へ出す気はありません」
『そんなことを勧めるつもりはないわ。BLACK RAVENは連邦軍の部隊なのでしょう』
そこでセイラさんは少し言葉を切った。
『ただ、軍の外にいる人間だからできることもあるわ。困った時に連絡くらいはして。何も知らないまま後から聞かされるのは嫌よ』
「……ありがとうございます」
『礼を言うのは、何かした後にしてちょうだい。それと、無茶をするなとは言わないわ。あなたに言っても仕方がないもの』
「ひどいなあ」
『否定できる?』
「できませんね」
少し笑ったセイラさんと、それから昔の仲間の近況を二、三ほど話した。長い通信にはならなかった。切れる前に、こちらから連絡できる経路だけを確認する。それと暗号形式で秘匿通信の連絡先も一つ。
回線が閉じてからマウアーを呼び戻し、連絡先だけを部隊側でも使えるようにしてもらう。
「軍外の連絡先として登録しておきます。優先度は?」
「緊急時に直接繋げれる相手くらいで」
「分かりました。その扱いで整理します」
30バンチで分かったのは、戦場で止めればそれで終わるわけじゃないということだった。証拠を残しても、軍の中だけなら消されることがある。カイさんへ記録を渡した時もそうだったし、セイラさんからの連絡も同じ延長にある。使うかどうかは別として、手を伸ばせる先は一つより二つあった方がいい。
もう一つ、前から繋いでいた相手がある。
「マウアー少尉、アナハイムとの次の定期連絡っていつです?」
「ガーベラ関係なら来週です。部品供給と整備支援の確認があります」
「その窓口へ、その前に一本入れてもらえますか。俺から話があるって」
「内容は?」
「向こうが食いつくか分からないので、最初は短くていいです」
マウアーが入力待ちのままこちらを見る。
「今までのMSとは違う新しい機体構造案が進んでいるらしい。興味があるなら、そちらから改めて連絡してほしい――そんな感じでお願いします」
さすがにそのまま打ち込まず、マウアーは一度こちらを見た。
「現行の軍機密を横流しする話ではありませんよね?」
「そんなまさか。俺がそんな事知ってるわけないじゃないですが研究のことなんて。ただの交渉の為の売り文句ですよ」
「まぁそれでしたら。ただ相手が何を確認してくるか分からないので、こちらから余計な説明もしない方がいいでしょう」
「お願いします」
A.E.とは今のままでは取引先の一つでしかない。これから先、俺が知っている通りにMSが変わっていくなら、こちらの機体もいつか追いつかなくなる。使える時間があるうちに、先へ繋がる道だけは作っておきたかった。どうせ後で分かることなら俺が売っても良いだろうという打算も込みである。
マウアーが文章を整え、送信前の確認をこちらへ回した。俺は一度読み直して承認した。
「送ります」
「お願いします」
送信表示が消えると、マウアーはすぐ次の予定を開いた。
「返事が来るまでは通常業務です。次ですが、明日の機体評価会議の資料がノエル准尉から上がっています」
「分かりました。先にそっちを見ます」
A.E.がどこまで本気にするかは、向こうが調べてから決めればいい。こちらも、まだ何一つ売ってはいなかった。
返事が来たのは、それから十日ほど経ってからだった。その間にA.E.から普段どおりガーベラの部品確認が一度入り、こちらもいつもどおり返した。新構造の話には触れてこなかったので、食いつかなかったのかと思い始めた頃、マウアーが俺の執務室へ一件の通信予定を持ってきた。
「アナハイムからです。先日の件について、改めて話をしたいそうです。通常の整備窓口ではなく、技術担当も同席させたいとのことです」
「確認は取れたみたいですね」
「そこまでは書いてありません。ただ、先方指定で秘匿回線を使いたいと」
「受けましょう。話は俺一人で受けます」
「分かりました。先方には参加者を通知しておきます」
指定された時間、執務室の大型端末にはいつもの取引担当と、その隣に見覚えのない技術担当が映った。こちらは俺だけ。交渉内容を必要以上に残すつもりはないので、記録する範囲だけは開始前に双方で確認した。
『先日のお話ですが、こちらでも確認を取りました。情報源についてはお答えできませんが、連邦側で従来機とは異なる骨格構造の研究が進んでいることまでは掴んでいます』
「そこまで分かっているなら話は早いですね」
『単刀直入にお聞きします、少佐が売りたいというのは何でしょう』
「その構造がどこへ向かうかと、最初にどこで困るかです。正式な図面も試験データもありませんし口頭のみになりますが。最初に少しだけ話します。それで価値がないと思えば、ここで終わりで構いません」
向こうの技術担当が頷いたので、用意していた簡単な機体図を表示した。既存MSの外形へ、大雑把な骨格線を重ねただけのものだ。
「外装や装甲を、機体を支える構造から切り離します。中に人間の骨みたいな骨格を通して、荷重や関節、駆動系をそっちへ寄せる。外装や武装は、その骨格へ取り付ける側にする」
『外装側に持たせていた構造強度を、内部の骨格へ移すということですか』
「たぶん、そういう言い方になります。俺は技術屋じゃないので。ただ、腕や脚を別々に支えるんじゃなくて、全身が繋がった骨格で受ける形です」
技術担当が意見を入れる。
「これは面白いな。外装を外しても主要構造が残るなら、交換や改修の自由度はかなり上がりますね」
「だが問題は確実に出てくると思ってますし。私はそこまでの予想とある程度の解決策を進言する用意がある」
『具体的にその説明ができると?』
「はい。少なくとも、そこを後から直す羽目になることはないと思っています」
技術担当の目が変わった。手元で何かを入力した後、今度は向こうから質問が続く。
『なぜそこまで言えるのです』
「そこから先も含めて聞きたいなら、ここからは取引です。俺が今出したのは、構造の方向と、最初に踏みやすい穴があるってところまでです」
しばらく間があった。取引担当が技術担当と何か短く確認してから、こちらへ向き直る。
『分かりました。少なくとも、単なる噂を売ろうとしているわけではなさそうです。そちらの希望条件を伺いましょう』
「現金が欲しいわけじゃありません。今やっているガーベラ関係の支援は継続。その上で、そちらの新しいフレームでの試作機、推進器、制御系なんかが出せる段階になった時、BLACK RAVENを評価先の候補に入れてほしい。こっちも正式に出せる範囲の資金と運用データは返します」
そこで一度切り、マウアーが事前に整理していた条件を確認する。
「もう一つ。次世代の技術が実用段階へ入った時、うちの既存機をどう更新するか、早い段階から相談できる窓口が欲しいというのもあります。優先供給を保証しろって話じゃありません。連邦の調達も使いますし、そちら一本にする気もない。ただ、必要になってから初めて話を持ち込む関係ではなくしておきたい」
『評価に供した機材について、使用記録と不具合情報を返していただくことは』
「軍の許可が出る範囲なら。出せない情報まで約束はできません」
『我々の研究成果を全面的にBLACK RAVENへ開示することもできません』
「それも要りません。使える段階になった時に相談できればいいです」
向こうも利益がなければ動かない。実戦部隊から評価を返せることはA.E.側にも価値があるが、こちらの都合だけで試作品や技術を引き出せる契約にする気はないらしい。細かな条件を幾つか詰めた末、既存の取引に技術評価と将来改修の協議枠を追加する方向で進めることになった。
『では、その前提で続きを伺えますか』
「分かりました。俺の知ってる呼び方だと、ムーバブル・フレームです」
『その名称も、どこかで使われているのですか』
「名前に値段を付けたつもりはないので、そこは気にしないでください。重要なのは、骨格を作れば完成じゃないって方です」
俺はさっきの図へ、脚から胴体、反対側の脚まで繋がる線を追加した。
「関節だけ太くして終わりにしないこと。そこだけ頑丈にすると、次に弱い場所へ負担が移る。大きな力が掛かった時に、骨格全体へ逃がせる経路を最初から考えた方がいい。それと、骨格そのものを軽くしながら剛性を確保できる材料。この二つを別々に考えない方がいいです」
『材料について具体案は?』
「それはもうそちらが確保しているでしょう?新しい合金ですよ」
『どこからその話を』
「まぁそれはいいではないですか。問題が起きる場所がわかっていて解決できる手段がある。話を続けますが、このフレーム構造は可動域だけが目的じゃないからです。外装と骨格が分かれていれば、外側を変えても中の基本構造を残せる。整備もしやすくなるし、装備の換装もしやすい。もっと先で機体そのものを大きく変形させるようになった時にも、この考え方は使えるはずです」
そこまで言うと、技術担当が再び手元へ視線を落とした。今度は長かった。
『理屈としては理解できます。しかし、全身の負荷経路を成立させながら軽量化するとなれば、材料だけでなく関節配置や制御まで見直す必要がある。すぐ形になる話ではありません』
「もちろんそうでしょう。その部分はそちらの開発が解決するはなしであって。今すぐ完成させてくれとは言ってません」
『少佐の言う剛性不足が本当に初期試作で出るかも、こちらで検証が必要です』
「もちろん。外れてたら、その時は俺の情報の価値がそこまでだったってことで」
画面の向こうの技術担当は考え込んでいた。それでも、話を切り上げる様子はなかった。
最終的には、今日の内容をA.E.側で検討し、正式な契約追加は双方の契約担当とBLACK RAVEN側の手続きを通すことになった。こちらから提供するのは、A.E.から回された評価品について正式に開示できる運用・不具合情報まで。未公開の軍務資料やニュータイプ関係のデータまで混ぜる話にはしない。A.E.側も、無償供給やBLACK RAVEN専用開発を約束するわけではない。
通信が切れると、俺は交渉中にまとめていたメモを見直した。話した技術内容まで残す必要はない。今後の手続きに必要なのは、A.E.側と何を約束し、何をまだ約束していないかだけだ。
執務室を出ていたマウアーを呼び戻し、端末を渡す。
「話はまとまりました。まだ正式契約じゃないですけど、今の取引に試作機や試験部品の評価、それと将来の機体改修を相談できる枠を追加する方向です」
「こちら側から出すものは?」
「案件ごとの費用と、出せる範囲の運用データ。向こうの技術を全部見せてもらうわけでもないし、無償で何か作ってもらう話でもない」
「分かりました。では、先方から正式な条件が届いた段階で確認します。評価案件ごとに費用、情報の公開範囲、機材の扱いを個別に整理する形でいいですね」
「それでお願いします」
マウアーは俺のメモから必要なところだけを拾っていく。何を売ったのかまでは聞かなかったし、俺も説明しなかった。彼女の仕事は交渉の中身を全部知ることではなく、その結果として発生した仕事を取りこぼさないことだ。
「それと、既存機の将来改修についても相談窓口を作る、とありますけど」
「はい。今すぐどうこうする話じゃないです。ジーラインカスタムもガーベラもまだ使えますから」
「でも、いつかは替えるつもりなんですね」
「そりゃそうですよ。MSの世代が変わっていくのに、こっちだけ何年も同じ機体で戦うわけにはいかないでしょう」
マウアーはそれ以上聞かず、手続き用の項目を一つずつ整理していった。
その後もA.E.との話は一度で決まったわけではなかった。向こうでの検討があり、こちらも提示された条件を確認する。どの案件でどこまで情報を返せるのか、試験品を破損した場合の扱いをどうするのか、費用をどちらがどこまで持つのか。そういう実際に必要な部分を詰めているうちに、年が変わった。
U.C.0086に入る頃には、ガーベラの部品や整備を扱うこれまでの窓口とは別に、試作機や試験部品の評価、将来の改修相談を扱う連絡線が一本増えていた。
もちろん、それだけで新型機が送られてくるわけじゃない。A.E.も慈善事業をしているわけではないし、こちらも向こうだけを頼るつもりはない。それでも、新しい技術を実機へ載せる段階になればBLACK RAVENへ評価の話を持ち込める。こちらも機体更新が必要になった時、完成品が出てから初めて相談するのではなく、もっと早い段階から話ができる。
まだ何かが変わったようには見えない。
ただ、次にMSの世代が動き始めた時、その流れへ乗るための道だけは作れた。
一年ほど早めに答えを提示。すまんなフランクリン。
そして合金はかまかけです。この答え聞いてグラサン帰還を確信。隠す理由もないので感想欄ではすでに言ってましたけど