年が変わって最初に増えた仕事は、特別な任務でもA.E.からの試験依頼でもなかった。定期整備を終えたレイブンで午前の報告を確認していると、マウアーが人事局から届いた文書を俺の端末へ回してきた。いつもの異動照会や勤務記録だと思って開き、最初に表示された自分の名前の横で手が止まる。
「……大佐?」
「はい。発令は正式です」
「一階級飛んでません?」
「飛んでいます。ですから先に確認しました。誤送信でも表記ミスでもありません」
そこまで言われて、もう一度見直した。レン・イズミ、大佐。特務少佐から中佐を挟まず、そのまま大佐になっている。
「理由は?」
「正式な人事評価には、部隊指揮実績と中央直轄部隊の運用責任が挙げられています。ただ、それだけでこの昇進幅になったわけではないようです」
「それだけだと早すぎる特に歳と合ってなさすぎる、いや歳はいまさらか?」
「人事局へ照会した範囲では、議会側からもBLACK RAVENの現在の運用体制を維持する方向で働きかけがあった、とだけ。個人名や具体的な経緯までは出ていません」
思わず椅子へ深く座り直した。中央直轄のまま残っているBLACK RAVENを都合よく思う人間も、邪魔に思う人間もいる。そのうち誰がどこまで動いたのかは分からないが、少なくとも今回の発令には純粋な勤務年数だけでは説明できないものが混ざっていた。
それでも、発令書の所属欄は中央直轄のままだった。議会側から手が入ったからといって、俺が誰かの私兵になったわけでもない。ある程度予想はできる、というよりは十中八九ティターンズ対策だろう。
「断れる類のものでもないですよね」
「正式な辞令です。理由なく拒否すれば、そちらの方が説明は必要になると思います」
「ですよね。じゃあ受けます。使えるものは使いましょう」
「その返事も記録しておきます」
「そこまで?」
「大佐になった初日に、人事発令へ何と答えたか残しておくのは悪くないと思います」
もう大佐扱いだった。ただ、発令は俺一人ではなかった。クリスさんは少佐、ユウ中尉とライラ中尉、レイアム中尉は大尉へ。ノエルさんは准尉から少尉、クスコさんも軍曹から少尉へ上がっている。
一方で、シーマ中佐、シナプス少佐、バニング大尉、コウ少尉、キース少尉、マウアー少尉、ジョブ准尉は据え置きだった。一覧を見ていると、マウアーが次の書類を送ってくる。
「階級変更に伴う登録更新はこちらで進めます。部隊内の職務について変更命令はありません。少佐……ではなく、大佐の承認が必要なのは、この三件です」
「今、言い直しましたね」
「必要なので慣れてください」
俺も慣れるしかないらしい。艦橋へ上がると、それはもっと早かった。
「大佐、定期整備後の航法確認は完了しています。試験航行の範囲なら予定どおり出せます」
レイアム大尉がいつもと変わらない調子で報告してくる。ノエル少尉も情報端末から顔を上げた。
「こちらも通信系の確認は終了です。アルビオン側も準備完了と返っています」
「了解です」
ノエル少尉に即答され、隣からシーマ中佐が笑った。
「やっと階級まで部隊長らしくなったじゃないか。今まであたしより下の階級で二隻まとめてた方が妙だったんだよ」
「そう言われると否定しづらいですけど、いきなり大佐はちょっと……」
「今さらそこを気にするのかい。肩書きが増えたくらいで、あんたが急に偉そうになるとも思ってないさ」
大佐になったところで、レイアム大尉より航路計算が上手くなるわけでもないし、ノエル少尉より情報整理が速くなるわけでもない。シーマ中佐の経験まで階級章一つで手に入るわけでもなかった。
試験航行を終えて格納庫へ降りると、こっちでも人事の話はすでに回っていた。クリス少佐がA.E.から戻ってきた部材の再試験記録を持ってくる。
「大佐、ちょうどよかった。これ、次の評価に回す前に見て」
差し出された記録を見ると、前回より温度上昇は抑えられているものの、高負荷を続けた後の復帰時間が少し伸びていた。
「了解です。少佐になった初日から仕事が変わらないですね」
「レンもね」
返す言葉がなかった。
少し離れたところでは、バニング大尉が訓練予定を確認していた。ユウ大尉とライラ大尉の階級は上がったが、今回の訓練指揮は予定どおりバニング大尉のままだ。ライラ大尉が割り当てを一度確認しただけで、ユウ大尉もそのまま自分の欄へ目を通している。階級が同じになったからといって、積み上げてきた役割まで一日で組み替える理由はない。バニング大尉は変わらずアルビオン隊のMS隊長だ。確か今年42歳くらいだけど頑張ってもらっている。
「今日の編成はこのままでいいんですね?」
「そうだ。階級が変わったからって、昨日までの訓練をやり直す気はない。ユウもそれでいいな」
「問題ありません」
それで話は終わった。近くではクスコ少尉が、自分の新しい登録証を見ながら少しだけ困ったように笑っていた。
「軍曹が長かったから、少尉と言われても自分のことだと気付くまで少しかかりそうですね」
「俺も大佐で同じことになってます」
「レンは一つ飛ばしてますから、私より重症でしょう?」
「それはそうかもしれません」
人事資料に並んでいたのは、これまでの実戦勤務とBLACK RAVENでの評価だった。軍曹のまま長く実戦へ出続けてきた経歴を考えれば、むしろ今までの方が歪だったのかもしれない。
ノエル少尉も、准尉から少尉になったところで艦橋でやることは変わっていない。俺とシーマ中佐が出れば艦長代理を任せ、その時の操艦と航法はレイアム大尉が支える。人事発令が来たからといって、昨日までできていた分担を壊す必要はなかった。
ジョブは自分の欄が准尉のままだと知っても気にした様子はなく、「肩書きより先に返却部品の確認してくれ」と言ってきた。いかにもジョブらしかった。
昼を過ぎたところで、俺はマウアーにシナプス少佐とバニング大尉の予定を押さえてもらった。
「人事の件ですか?」
「はい。二人には俺から話しておきたいと思いまして」
「分かりました。アルビオン側と調整します」
夕方、二人がレイブンの会議室へ来た。シナプス少佐はいつもどおり姿勢を崩さず、バニング大尉は座るなり腕を組んだ。
シナプス少佐が先に聞いた。
「それで大佐、話というのは今回の人事か?」
「はい。旧アルビオン側は今回、昇進者なしです。個々の経緯まで同じという話ではありませんが、0083後の処分や人事記録がまだ影響している。二人とコウ少尉キース少尉については、俺から確認した範囲でもそうでした」
「それは承知している。軍事裁判で処分を受けた事実まで消えたわけではない。私が今もアルビオンを預かっていることと、昇進審査でその記録が考慮されることは別だ」
「俺も同じだ。今さら階級が上がらなかったくらいで驚きはせん。ウラキも、自分がどういう立場で軍に戻ったかは分かってる」
バニング大尉も不満を隠しているようには見えなかった。だからこそ、こっちも変に慰める言い方はしたくない。
「次は必ず上げるなんて約束もできません。ただ、今の二人の働きが低く見られてるから据え置きになった、とは思ってほしくなかったんです」
二人は黙って聞いていたので、そのまま続ける。
「シナプス少佐にはアルビオンを任せています。バニング大尉にはMS隊の現場をかなり任せています。コウ少尉も、もう新人扱いでは見てません。部隊として、0083後の処分を理由にあなたたちを端へ置くつもりはないです。できれば、これからも一緒に戦ってほしいと思ってます」
言ってから、少しだけ言葉が重かったかと思った。でも、シナプス少佐はすぐには返さず、一度だけ考えるように視線を落とした。
「大佐。少なくとも私は、昇進するためにアルビオンへ戻ったわけではない。艦を預かる責任をもう一度与えられ、その艦が正式にBLACK RAVENの一員として動いている。それは現在の評価として十分に受け取っている。過去の処分を無かったことにしてほしいとも思わん。それを理由に現在の任務まで奪われるのであれば話は別だが、そうではないのだろう?」
「はい。そこは変えません」
「なら、私から言うことはない。艦長として、これまでどおり任務を果たす」
バニング大尉は少し遅れて鼻を鳴らした。
「俺も似たようなもんだ。大尉のままじゃ仕事ができないって話でもないしな。むしろ階級だけ上げられる方が困る」
「外すつもりはないですよ」
「そのことなんだが、MS小隊長としては降りたいと考えている」
「……小隊長を?」
「ああ。正直に言えば、もうMSに乗り続けるのがかなりきつくなってきた。乗れば動かせるし、戦えないわけでもない。だが昔みたいにはいかん。出撃が続けば疲労が抜けるまで時間もかかるし、反応が鈍ってるのを自分でも感じる」
バニングはそこで一度息を吐いた。
「そんな状態で小隊長の席に居座って、若い連中を率いていく方がまずい。俺が一瞬遅れれば、後ろの連中まで巻き込むからな」
「そこまで感じてたんですか」
「自分の身体のことくらい分かる。まだ乗れるからって、乗り続けていいとは限らん。それに、いつまでも俺が先頭に立ってちゃ下も育たんだろう」
レンは少し考えてから頷いた。
「軍から離れるつもりですか?」
「いや。そこはまだやれることがあると思ってる。訓練計画には口を出すし、終わった後に悪かったところも言う。ただ、始まった後の指揮は小隊長に任せる。俺が横からあれこれ指示してたら、そいつを隊長にする意味がないからな」
「それは助かります。経験は何よりも貴重ですから」
「現場で何が見えて、どう判断するかは実際に率いる奴の仕事だ。俺は艦から全体を見て、戻ってきた連中に次を教える。その方が今の俺には向いてる」
レンは少し考え、ふと思いついたように口を開いた。
「それなら、シナプス少佐について艦長職を学んでみませんか?」
「……俺が?」
「はい」
「待て。俺が艦隊運用を覚えるのか?」
珍しく面食らった様子のバニングに、レンは頷いた。
「いきなり艦隊を任せるって話じゃありません。まずはアルビオンで、艦長が何を見て、どう判断しているのかを覚えるところからです。大尉はずっとMS隊を率いてきた。MS側が何を必要として、艦の支援がどこで欲しくなるのかも分かってる。その経験は艦を指揮する側でも使えると思います」
「MS隊を動かすのと艦を動かすのじゃ、話が違うぞ」
「だからシナプス少佐から教わるんですよ。操艦も艦内の人間の動かし方も、知らないなら今から覚えればいい。すぐ艦長になってくれとは言いません。シナプス艦長にもまだまだ頑張ってもらう予定ですしね」
「簡単に言ってくれるな……」
バニングは腕を組み、しばらく考え込んだ。
「だが……艦からMS隊を見る立場を覚えておくのは悪くないか。俺が乗れなくなっても、そっちならまだ戦える」
「そういうことです。MS戦術の方はこれまで通り見てもらいます。その上で、少佐のところで艦長職も覚えてください」
「まったく、仕事を減らす話をしてたはずなんだがな」
「MSで毎回出撃するよりは身体に優しいですよ」
「そこだけは否定できんな」
小さく息を吐いてから、バニングは表情を改めた。
「今のこの部隊の方針には納得してるし、共感もしている。よほど道理と外れた行いをしないかぎり、俺は一緒に戦い続ける。ただ、そろそろ戦い方を変える時期が来たってだけだ」
「そこは変わらないんですね」
「当たり前だ」
思わず笑った。少なくとも、今回の人事で三人との間に妙な線が引かれることはなさそうだった。人事記録は残っている。それを俺が消せるわけでもない。でも、今ここで何を任せるかまで過去だけで決める必要はない。
「一つだけ。今後の評価は、今までどおり正式に上へ返します。四人が何をやってきたか、どう働いてるかも含めて。そこから先を決めるのは俺じゃないですけど」
「それで十分だ」
「余計な手回しまでしなくていい。やった仕事をそのまま出せ」
「はい」
面談はそれで終わり、翌日からも予定表は特に遠慮してくれなかった。アルビオン側のMS小隊長にはライラ大尉が選ばれた。ユウ大尉は腕はあるが口数が少なすぎるし隊長したくないという気持ちも感じ取れた。
ノエル少尉からは次の航路に関する情報確認が上がり、レイアム大尉からは補給地変更時の所要時間が送られてくる。A.E.からは前に返した計測ユニットの修正版を再提出したいという連絡が入り、ジョブは受け入れ前に配線位置の図面を寄越せと返していた。
俺の机に積まれる承認も減っていない。マウアーは何事もなかったように期限を並べてくる。
「大佐、こちらは今日中です。こっちは明日の午前まで。A.E.の件はジョブ准尉の確認待ちなので、まだ見なくて構いません」
「大佐になったら書類が減るとかないですか?」
「増える可能性のほうが高いですね」
「聞かなかったことにします」
マウアーは容赦がなかった。それでも、階級が変わったこと以外は驚くほど同じだった。俺が艦橋にいなければシーマ中佐やノエル少尉が必要な判断を引き継ぎ、レイアム大尉が艦を動かす。アルビオンはシナプス少佐が預かり、MS隊は任務に応じてライラ大尉がまとめる。大佐の肩書きで全部を自分の手へ戻したら、せっかくここまで作った部隊を弱くするだけだ。
午後の報告を一通り片付けたところで、マウアーが少しだけ声の調子を変えた。
「大佐、軍務ではない連絡が一件あります」
「誰から?」
「アムロ・レイさんです。私用回線で、急ぎではないそうです。ただ、ララァさんと一緒に話しておきたいことがある、と」
その二人の名前が並んだところで手を止めた。
「今日なら何時が空いてます?」
「二〇〇〇以降なら入れられます。あちらでは二一〇〇になりますが先方へ返しますか?」
「お願いします。少し遅い時間になるが許してくれるだろう」
マウアーが予定を一つ追加する。人事発令を受け取った朝から、結局やっていることはほとんど変わらなかった。その日の最後に増えた予定だけが、久しぶりに軍務とは関係のないものだった。