査察文書を送ってから、返答が来るまでに思ったより時間はかからなかった。オーガスタ管制から返ってきたのは、文書を受領し、認証も通ったという返答と指定された進入経路だった。想定通りだ基地側はティターンズで染まってない。
「基地側、査察文書の認証を確認しました。研究所側にも通知を回すそうです」
「分かりました。基地の通常運用には触らないことも、もう一度返しておいてください」
「了解です」
ノエルさんが返答を送り、レイアム大尉が指示された経路へ艦を乗せる。正面表示の中で地表が近づき、基地の施設がはっきり見えるようになった。
砲台がこちらを追っているわけでも、MSが発進してくるわけでもない。緊張しているのはこちらだけじゃないだろうが、少なくとも今は普通の軍施設へ普通に入っている。
レイブンが指定位置へ降りると、俺は席を立った。
「シーマ中佐、艦をお願いします。何か変な動きがあったらすぐに」
「分かってるよ。あんたらが中に入ってる間に、外で話が変わらないか見ておく」
「お願いします」
研究所へ向かうのは俺とマウアー、ノエルさん、クリスさん、それに必要な情報・医療要員だけに絞った。全員で押しかける意味はないし、武装した人数を増やせば、それだけで相手の態度も変わる。
基地側から案内についた軍人も、こちらへ敵意を向けているというより、何をしに来たのか測りかねている顔をしていた。基地にはムラサメ研の話がきてないのか? 途中で研究所への連絡を何度か入れていたが、それを止める理由はない。研究所の前には、白衣姿の職員と警備要員、それから軍服の男が待っていた。
「BLACK RAVEN隊隊長、イズミ大佐です」
「オーガスタ研究所施設長、エスコラ・ゲッダ大佐だ」
声色からして歓迎していないのは分かる。でも、声を荒げるわけでもなかった。
「文書は確認した。しかし、これはあまりにも急だ。ここで扱っているものには最高機密に属する研究もある。査察を拒否するつもりはないが、関係部署との調整が終わるまで立入範囲を限定してもらいたい」
「調整は続けてもらって構いません。ただ、こちらの査察はもう承認されています。記録保全と保護対象の確認まで含めて、今から始めます」
「研究内容を理解せずに手を入れれば、継続中の研究そのものを壊す可能性がある」
「記録保全と保護対象の確認をしに来ました。研究を壊すとは何をすればそうなるのでしょう?」
エスコラ大佐の視線がクリスさんへ移ったところで、マウアーが端末を差し出した。
「大佐、こちらが認証済みの査察許可と委任文書です。研究所内の記録保全、保護対象確認、必要な移送、それらに必要な人員の一時同行まで含まれています。追加照会を行う場合も、現時点でこの命令を停止する文書は確認されていません」
「……中央へ再確認する」
「どうぞ。ただし、その確認が終わるまで査察を止める根拠にはなりません」
エスコラ大佐は数秒黙った。
「基地司令部への指揮権まで主張するつもりではないな?」
「ありませんよ。対象は研究所だけです。基地の通常運用に口を出すつもりもない。その代わり、研究所の人員移動と記録の変更は、こちらが確認するまで止めてもらいます」
「全職員を拘束するのか」
「しませんよ。今回の査察に関係ない人まで連れていく気はないです」
そこでようやく、入口の警備が通路を空けた。中へ入った瞬間から、予定通り全員が別れた。
「ノエルさん、最初に人員名簿と記録管理。消させないのが先です」
「了解。複製を始める前にアクセス状態と更新履歴も保全します」
「クリスさんは研究区画をお願いします。保護人員と担当者をセットで確認してください」
「分かった」
俺とマウアーはエスコラ大佐と一緒に記録管理側へ向かった。勝手にどこかへ行かれて後から探す時間は惜しいし、責任者として聞かなければならないこともある。
研究所の中は、ムラサメと似ているところもあれば、まるで違うところもあった。廊下を行き交う職員の数は多い。俺たちを見ると足を止める者もいたが、全員が逃げ出すような騒ぎにはなっていない。
記録管理区画へ着くと、ノエルさんは職員を端末から完全に追い出すのではなく、操作履歴を残したまま作業を止めさせていた。
「今から削除、上書き、外部への記録移送は止めてください。通常閲覧まで禁止するわけではありませんが、変更操作はこちらで記録します」
「機密データを外部部隊に複製させる権限は――」
「あります。原本はここで保全します。複製先も記録します。異議は文書で受けますが、作業は止めませんよ」
ノエルさんが淡々と返し、別の端末で現在の接続状態を調べていく。大げさに回線を切ることはせず、まず何がどこへ繋がっているのかを押さえる。
「隊長、一括削除や大量転送は現時点では見当たりません。外部接続はいくつかありますが、通常業務との切り分けはまだです」
「じゃあ全部止めるのはなしで。変更だけ押さえて、内容を見てください」
「了解です」
エスコラ大佐がこちらを見る。
「随分と手慣れているな」
「最近、似たことをやる羽目になったので」
嫌な経験でも、役に立つなら使うしかない。マウアーは研究所側が持ってきた異議文書とこちらの命令書を照合していた。
「大佐、研究所側から出ているのは査察範囲の再確認要求です。停止命令ではありません」
「なら続けます」
「了解です」
「エスコラ大佐には、ここから先はこちらの確認なしで人員配置や資料移動の指示を出さないようお願いします」
「私を拘束するのか」
「研究所責任者として身柄を保全します。話も聞かないといけない。手錠をかけて黙らせるつもりはありませんが、自由に指示を出せる状態にはしません」
「……ずいぶんな査察だ」
「普通にやってたら間に合わないと思ってるので」
それ以上は言わなかった。ほどなくして、クリスさんから連絡が入った。
『レン、研究区画に未成年もいるわ。投薬記録と担当者は一緒に押さえたい』
「新しい処置は?」
『続行予定になっているものがある。でも全部止めていいかは内容を見ないと判断できない。戦闘用の調整らしい項目も混ざってる』
「そこは前回と同じで。新しい処置は止める方向、必要な薬は医療判断が出るまで切らないでください」
『分かってる。担当してる医療スタッフにも残ってもらってる。こっちで一人ずつ見ていくね』
「エスコラ大佐。研究区画にいる未成年は、どういう扱いです?」
「研究協力者、適性観察対象、治療対象。個人ごとに違う。一括りにする話ではない」
「なら、その違いも記録ごと見ます。少なくとも、今から勝手に別施設へ動かさないでください」
「そのつもりはない」
「今はそれで十分です」
ノエルさんが別の表示を開いた。
「隊長、人員名簿と研究担当表を照合できました。研究系は大きく分かれています。詳細な責任範囲はまだ追っている途中ですが、サイコミュとNT関連で中心になっている名前があります」
「見せてください」
端末の表示がこちらへ回る。上の方にあった名前を見て、思わず息を止めた。
ローレン・ナカモト。
いた。今、この研究所の正式な人員記録に名前がある。
「現在地は?」
「研究区画内に入った記録があります。退所記録はありません。ただし、今どこにいるかまではまだ分かりません」
「十分です。移動させないで。本人を押さえたら、研究内容と医療への関与を分けて見てください」
「了解」
同じ系統の担当表には、もう一つ見覚えのある名前があった。
ナナイ・ミゲル。
こっちもいる。声に出して説明する理由はない。俺がその名前を知っている理由なんて、今ここでは誰にも話せない。
「この人も同じで。所在確認を先にお願いします」
「ナナイ・ミゲル。了解です」
ノエルさんは余計なことを聞かなかった。重要研究者として扱うだけなら、現在の担当表だけで十分に理由が立つ。
俺は次の一覧へ目を移したが、そこで全部の名前を探し始めるのはやめた。端末の前で俺一人が記憶合わせをしている時間はない。
「研究者の確認は続けてください。重要度は担当と記録で分ける。名前だけで拘束はしません」
「分かりました」
そのまま研究区画へ向かう。途中の廊下では、職員が壁際へ寄って俺たちを見ていた。警備員もいるが、武器を構えてはいない。ただ周囲を見ている。
研究区画へ入ると、雰囲気が変わった。軍の研究施設というより、病院に近い。診察用の設備、薬品保管庫、個室。けれど、扉の横に並ぶ管理番号や検査項目を見ると、普通の病院とは違う。研究所だから当然ではあるが。
クリスさんは医療スタッフと一緒に見ていた。
「この人は次の投薬が近い。これは急に止めると危ない可能性があるから継続候補。こっちは処置目的が曖昧だから、外部医師の判断が出るまで新規投与は保留。記録は全部コピーして」
「分かりました」
「本人にも、移送するなら説明して。物みたいに扱わないように」
研究所側の医療スタッフが一瞬こちらを見たが、反論はしなかった。
「クリスさん、連れていく人はどれくらいいます?」
「結構いる。でも人数はまだ出せない。状態だけじゃなくて、スタッフも何人か一緒に動いてもらう必要があると思う」
「任せます。できるだけ急いでください」
「うん。あと、研究対象員の記録が別管理になってる。保護対象として先に見た方がいい」
「場所は?」
「今、照合してもらってる。勝手に探し回るより早いわ」
そこへマウアーから連絡が入る。
『大佐、中央から新しい差し止めはありません。基地側からも、現時点では研究所査察への追加制限なし。ただし研究所側から複数の照会が上がっています』
「通るまで止まれ、って内容です?」
『いいえ。現状は確認要求です』
「じゃあ続けます。正式な変更が来たらすぐ教えてください」
『了解です』
思った以上に順調だ。ホンコンが大変なことになってるのか?順調なのはうれしいが少し不安になってきた。ノエルさんからも続けて連絡が来た。
『隊長、主要記録の複製を開始しました。原本側の更新も監視中です。人員名簿、医療記録、被験者登録、研究担当表を優先しています』
「外への大きな転送は?」
『今のところありません。ただ、研究所内で人員の所在を確認する動きがあります。こちらの要請に応じたものか、別目的なのかはまだ判定できません』
「止めなくていいです。移動指示が出たら内容を見てください」
『了解』
何でも止めれば安全というわけじゃない。こっちが職員の所在を聞いている以上、それを調べる連絡まで妨害したら仕事にならない。
研究区画の奥で、クリスさんが職員から新しい一覧を受け取った。
「レン。保護対象になりそうな人の確認、始められるわ」
「お願いします。搬送が必要ならレイブン側へ連絡を。職員も一緒に」
「分かった」
俺は一度、研究所の廊下を振り返った。エスコラ大佐も不満は隠していないが、文書を無視して暴れるようなことはしていない。その間に記録の複製は始まり、人員名簿も押さえた。研究区画では担当者の確認が進み、探していた研究者がここにいることも分かった。順調だ。
ここから先は、見つけた人間を本当に動かす段階になる。
「クリスさん。動かせる人、動かさない方がいい人、必要な医療スタッフを分けてください」
「了解」
「ノエルさんには研究者の所在確認を続けてもらいます。マウアーはエスコラ大佐と文書関係を。俺は両方を見ます」
『了解です』
『分かりました、大佐』
廊下の向こうで、医療要員が搬送の準備を始める。端末では記録の複製が進み、ノエルさんから研究者の所在照合が次々に上がってくる。
ローレン博士はここにいました。
若きナナイ・ミゲルオーガスタにいます。