研究艦に来て二日目、アルコルの追加シールドは実際に動かして具合を見る段階へ入った。艦から少し離れたところで補助推進と姿勢変更を試し、戻ってからクリスさんと記録を見比べる。機体を振ったあとの収まり方に少し癖があったが、操作の設定を直せば済みそうだった。
「これなら次は通常武装も持たせていいわね。ビーム砲はそのあと。今はシールドとしてちゃんと扱えるかを見たいから」
「了解です。午後も乗ります?」
「今日はもういいわ。こっちで調整しておく。あんた、研究艦に来てから格納庫にいる時間も長いんだから、ほかも見てきたら?」
そこまで言われたら遠慮する理由もない。整備班へアルコルを任せ、ハンガーを出る。研究艦の外では護衛と初期試験を兼ねるMSの交代が進み、奥の整備区画では別の機体から外した部品が検査台に並んでいた。
居住区へ向かう通路にも人が多かった。研究員と医療スタッフだけでなく、授業を終えたらしい子供が二人、何か言い合いながら食堂の方へ急いでいく。途中の掲示板には面談と授業の予定が入り交じって貼られていた。レイブンではまず見ない光景だ。
共用室の前で、医療スタッフと話しているリタを見かけた。
「昨日は途中で気分が悪くなったんでしょう。今日の確認は午後にずらせるけど、どうする?」
「午後なら大丈夫。だけど、また途中で休みたくなるかもしれません」
「その時は言って。診察の内容も始める前に説明するから」
「分かりました。ありがとうございます」
リタは俺に気づくと、少しだけ笑って会釈した。挨拶を返して中を見ると、ヨナとミシェルが机に広げた用紙を眺めている。学校の時間割に似ているが、希望科目の欄がやたら多い。
「こんにちは。ちょっといい?」
「いいですけど、ちょうど聞きたいことがあるの」
ミシェルが先に顔を上げた。ヨナは俺が立っているのを見て、空いている椅子を引く。
「これ、いつまでの予定なんですか。今日の授業は分かるんですけど、先の分まで選ぶように言われて」
「どの科目を取るか決めてほしいんだって。でも、俺たちがここにずっといるかも決まってないのに、選べって言われてもな」
「そう。先に何か決めさせて、あとから『自分で選んだでしょう』って言われたら困るのよ」
ミシェルは用紙の端を指で叩いた。単に授業が面倒だと言いたいわけではないらしい。
「これに書いたから研究艦に住み続けなきゃいけない、という話じゃないよ。担当には俺からも確認しておく。ただ、ここにいる間に勉強を続けるのは別の話だ。嫌いな科目があっても、全部なしにはならないと思う」
「それくらい分かってるわ。私は先のことを勝手に決められたくないだけ」
「……俺も、そこは同じです」
ヨナの返事は短かったが、用紙から目は離さなかった。本人たちにとっては、予定表の一枚でも軽い話じゃないのだろう。
リタが戻ってきて、空いている席へ座った。
「私は、絵を描く時間があるなら取ってみたいな。ヨナはどうするの?」
「まだ決めてない。ミシェルが先に怒り始めたから、選ぶところまで行ってないんだ」
「あたしが怒ったんじゃなくて、確認してるの。ヨナだってさっき同じこと言ったでしょ」
「……言ったけどさ」
リタが笑うと、ヨナも仕方なさそうに口元を緩めた。俺が下手に口を挟む必要はなさそうだった。
「それより、ひとつ聞きたいんだけど」
ミシェルが声を落とした。
「ここも研究する場所なのよね。前とはやり方が違うって聞いた。でも、結局また私たちを調べるつもりなんじゃないの?」
「研究する場所なのは本当だよ。ただ、治療のための診察と、研究に協力してもらうことは分けてる。研究の方は説明を聞いて、本人の意思と医療担当の安全確認があってから進める。断ったからって、ここで暮らせなくなることもない」
「大佐がそう言っても、先生たちがずっと守ってくれるとは限らないでしょう」
「そこはそうだ。俺が約束しただけで済ませていい話じゃないから、記録も残すし、医療担当と保護担当を分けている。納得できないことを頼まれたら、その場で返事をしないで相談してほしい。必要な治療を断るかどうかは、医師と話した上で決めることになるけど」
ミシェルはすぐには返事をしなかった。研究所にいた人間に、今度は信じろと言ったところで簡単に信じられるものじゃない。
「……何かあったら、大佐にも言える?」
「もちろん。ただ、俺がいつもここにいるわけじゃない。まず担当に言って、それでも話が進まなければレイブンにも連絡を回してもらっていいよ」
「分かった。そういう窓口があるなら覚えておく」
そこでリタが、先ほどの医療スタッフとの話を思い出したように言った。
「昨日、途中で気分が悪くなって部屋に戻ったの。前だったら、何か言われると思った。でも、あとで先生が具合を聞きに来ただけだったんだよ」
「戻る時に俺も一緒にいたけど、今日はやめようって言ってくれた。なのにリタの方が気にしてたんです」
「だって、途中でやめていいって言われても、最初は本当かなって思うでしょ」
ヨナは頷き、ミシェルもそれには反論しなかった。
「……じゃあ、ここ以外に住みたいって言ったらどうなる?」
今度はヨナが聞いた。さっきまでの授業の話とは違い、俺の顔をまっすぐ見ている。
「希望は聞いてもらえる。保護担当が安全な行き先を探す必要はあるから、すぐどこへでもとは言えないけどね」
「三人でいたいって言ったら?」
「それも伝えていい。必ず同じ場所にできるとは約束できないけど、話を聞かずに離すようなことはしないでほしいと思ってる」
「それなら、ちゃんとそう言っておきます」
ヨナが答えると、ミシェルは机の端のメモ用紙を引き寄せた。
「じゃあ、忘れないうちに書いておく。あとで三人で話しに行けばいいでしょ」
「そうだね。それと、授業の方も決めないと」
「分かってるわよ。リタ、絵の授業を取りたいんだったわね」
話題が元へ戻ったところで、俺は立ち上がった。今すぐ安心させる言葉を増やすより、実際に希望を聞いてもらえることの方が大事だ。
「じゃあ、俺はそろそろ行く。時間割の件は担当に聞いておくよ。何かあったら遠慮しないで」
「お願いします。……あと、授業を減らせって頼んだわけじゃないからね」
「分かってる。そう伝えておく」
扉を出る時、リタがヨナへ絵の授業を勧める声が聞こえた。ヨナは気乗りしない返事をしていたが、ミシェルに「一緒に選んであげようか」と言われると、さすがに文句を言っていた。
俺は授業の担当者を訪ね、希望科目の記入と今後の居住先については別の手続きだと、三人にも分かるよう説明してほしいと伝えた。
◇
夕食のあと、レイブンとの連絡を済ませて研究艦の通路を歩いていると、キョウが壁際に立っていた。俺を見るなり手を上げる。
「お兄ちゃん、今ちょっといい? この前の返事、決めたから」
「いいよ。どこか座る?」
「ここでいい。長くかかる話でもないし」
窓の外にはレイブンの船体が見えていた。キョウはそちらへ目を向け、しばらくしてから口を開いた。
「私、ここに残ろうと思う。レイブンが嫌になったわけじゃないよ。お兄ちゃんと一緒にいたい気持ちもある。でも、それだけで戻るのを選ぶのは違うと思った」
「……そっか。どうしてここにしようと思った?」
「同じくらいの年の子もいるし、勉強も続けられる。それに、ナナイさんと話して、私の感覚について調べられるかもしれないって分かったから。もちろん、今すぐ何か分かるわけじゃないだろうけど」
キョウの口から研究の話が出るとは思っていた。それでも、自分から言われると少し身構えてしまう。以前の施設のことがどうしても頭をよぎった。
「人が集まると、誰が何を言ってるわけでもないのに疲れる時があるでしょ。あれが何なのか、自分でもずっと気になってる。昔は私がおかしいんだと思ってたけど、今はそうじゃないって分かる。だったら、ちゃんと知りたいの。調べれば、少しは付き合い方が分かるかもしれないし」
「自分のことを知りたい、ってことか」
「それが一番。でも、何か分かれば私と同じように困ってる人にも役立つかもしれない。お兄ちゃんたちの仕事にだって、いつか何か返せるかもしれないでしょ。すぐに役に立てるなんて思ってないけど、見てるだけよりはいいと思う」
俺はすぐに答えられなかった。研究艦で暮らす選択肢を出したのは俺なのに、本人から研究に協力したいと言われると、まず危険がないかを考えてしまう。
「キョウ、ひとつだけ確認させて。能力を無理に強くするようなことまで頼まれたら、断っていいんだからな。ここで暮らすこととは別の話だし、研究しなくても出ていけなんて言われない」
「分かってる。ナナイさんにも聞いたよ。検査に協力するかどうかは、その都度相談して決めるんだって。私だって、何でもやりますって言ったつもりはないよ」
少しだけ機嫌を損ねたらしく、キョウが眉を寄せる。確かに、俺は本人が調べて決めたことに、最初から注意ばかり重ねている。
「ごめん。心配になった」
「心配してくれるのはいいけど、それで何もさせてもらえないのは困る。お兄ちゃんが忙しいのも分かってるし、ずっとレイブンにいたら私もあそこから動けないでしょ。ここで暮らしてみたいのは、私がそう思ったからだよ」
「分かった。残ろう。生活の手続きは俺も確認するけど、研究についてはナナイさんや医療担当と話して、一つずつ決めてくれ。俺一人で決められる話じゃないから」
「うん。それでいい。……あと、離れてても連絡は返してね。忙しいからって何日も返事なしは嫌だから」
「努力します」
「そういう言い方、返事が遅れる時のやつでしょ」
「……返せる時にはちゃんと返すよ」
キョウはようやく笑った。少し間を置いて、今度はレイブンの方を指さす。
「そうと決まったら荷物を持ってこなきゃ。私の本、まだあっちに結構あるんだよね」
「全部運ぶつもり?」
「必要なのだけ選ぶよ。お兄ちゃん、手伝ってくれるでしょ?」
「もちろん。重いのは俺に回して」
「じゃあ遠慮なく」
◇
翌日、研究艦の医療・保護担当と居住先の引継ぎを確認した。軍人の配属変更とは違う。キョウが安心して暮らせる部屋、医療記録の扱い、レイブンとの連絡方法について担当者から説明を受ける。キョウ本人も同席し、希望を聞かれれば自分で答えた。
ナナイさんには研究協力の希望も伝えたが、その場で検査予定を決めたりはしなかった。
「まず本人と医療担当を交えて、何を調べるか相談します。測定をする場合も内容を説明し、無理のない方法を選びます。本人が望まなければ、研究の方は進めません」
「お願いします。生活とは切り離して考えてください」
「もちろんです。研究に協力しないから生活上の扱いが変わる、ということはありません」
キョウはナナイさんの方へ向き直った。
「途中で嫌になったら、その時に言ってもいいんですよね。理由は話しますけど、何度も説得されるのは嫌です」
「ええ。理由を聞ければ助かりますが、無理に続けさせることはしません。分からないことも、その場で聞いてください」
「分かりました。それならお願いします」
昼過ぎ、キョウの荷物をレイブンから運んだ。本人が部屋で分けた箱は思った以上に多く、特に本をまとめた箱は抱えるとずしりと重い。俺が持ち直していると、横を歩くキョウが笑った。
「本、捨てろとは言わないでよ。あとでちゃんと読むから」
「別に言わないよ。次に乗せる時は小分けにしてくれたら助かるけど」
「じゃあ今度からそうする。今日はお願い」
新しい居住区へ荷物を届けると、キョウは受付で渡された案内を確かめ、俺に手を振った。
「それじゃ、また連絡する。お兄ちゃんも気をつけてね」
「キョウも。困った時は遠慮するなよ」
「うん。知ってる」
キョウが部屋へ向かうのを見届け、俺はレイブンへ戻った。接舷解除の準備はすでに進んでいた。マウアーからキョウの生活上の引継ぎが終わったと報告が届いたので確認を返し、艦橋へ向かった。