レイブンの艦橋に入ると、正面モニターにはまだ研究艦の船体が大きく映っていた。いくつもの居住区画をつないだ白い構造物の脇を、作業艇がゆっくり横切っている。こちらの接舷設備はすでに格納を終え、あとは艦を離すだけだった。
「大佐、研究艦側の作業員は全員退避しています。接舷解除の許可も出ました」
「了解。レイアム大尉、お願いします」
「まず横方向へ距離を取ります。研究艦の外側には試験機がいますので、主推進器を使うのは十分に離れてからにします」
「その判断で。向こうの仕事の邪魔はしたくないですから」
ロックが外れる振動が足の裏に伝わった。レイアム大尉の指示でレイブンがわずかに動き、研究艦の外壁が視界の端へ流れていく。連絡回線から先方の管制官が離脱を確認する声が聞こえた。俺は短く礼を返し、正面の表示を航路図へ切り替えた。
「ノエルさん、アーガマの位置は更新できました?」
「最新の連絡では、ラーディッシュ、アルビオンと行動を続けています。ただ、こちらが研究艦に接舷している間に二度進路を変えています。いま送っている照会の返答を待った方が、無駄に追いかけずに済みます」
「それなら先に合流可能な範囲まで出ましょう。最短距離だけで突っ込んでも、向こうが動けば意味がないですし」
ノエルさんがいくつかの候補を表示し、レイアム大尉がそれぞれの航行条件を確認していく。研究艦の周囲を抜けたところで推進器の出力を上げた。揺れらしい揺れもなく、白い船体が後方映像の中で小さくなった。
キョウもあの中にいる。別れる前にはちゃんと顔を見て話したし、本人が選んだ場所だ。なのに、離れていくのを見ていると何か忘れ物をしたような気分になる。あの部屋に積んだ本の重さまで、妙にはっきり覚えている。
「レン。進路はそれでいいのかい?」
シーマ中佐の声で顔を上げた。彼女は航路図を見たまま、こちらへ視線を寄越している。
「はい。返信が来たら最終的に合わせます。何か気になるところが?」
「いいや。後部映像を何度も見てるからさ。気になるなら通信すりゃいい。今さら引き返すわけでもないんだろう?」
「戻りませんよ。……通信は、落ち着いたらします」
「なら仕事だ。向こうは向こうで、もう動いてるんだろう?」
そう言ってシーマ中佐は、遠方の警戒情報を指した。見ればノエルさんが連邦側の公開情報とアルビオンから受けた報告を分けて表示していた。心配されるより、そのくらいの方がありがたかった。
◇
合流先から返答が届いたのは、研究艦の周辺航路を抜けてからだった。アーガマはまだ移動中で、受信した座標へそのまま向かっても会えない。ノエルさんが先方の予定を確認し、レイアム大尉と合流位置を詰めた。
「アルビオンからも連絡が来ています。シナプス少佐はアーガマ側と同じ宙域にいますが、外周の警戒を継続するとのことです。こちらが到着するまでは現在の任務を優先するそうです」
「それでいいです。アルビオンまでこっちを迎えに動かす必要はないから。合流予定だけ伝えてください」
「了解しました。あと、アーガマから戦況の概要が届いています」
ノエルさんが別の画面を開いた。旧ジオン軍艦の残骸付近でアレキサンドリアが撃沈されたという。エマ中尉の射撃が艦橋を直撃し、ヤザン・ゲーブルのギャプランは離脱していた。アレキサンドリアが墜ちたなら、ジャマイカンはヤザンに謀殺されたと見ていいだろう。
「それと、クワトロ大尉が地球から帰還しました」
「そうですか。無事でよかった。……ブライトさんには、先に連絡を入れてもらえます?」
「すでに送っています。次の通信可能時間帯で直接話せる見込みです」
マウアーが俺の席の横へ来た。手には、研究艦を離れるまでに処理した案件の控えと、これからの連絡予定がまとめられている。
「大佐、研究艦との窓口は通常回線へ移しました。緊急連絡も艦を追いかける必要はありません。今後はこちらから予定に合わせて照会できます」
「ありがとう。じゃあ、次はアルビオンとの事務連絡を……」
「そちらも済ませました。シナプス少佐の要求した補給資料は先に送っています。今はアーガマ側との面会時刻を決めていただければ十分です」
「仕事が早いな」
「艦が航行を始めてから、ようやく決裁待ちの書類を増やされても困りますから」
そう言われると返す言葉がない。俺は示された予定を確認し、面会可能な時間に印を付けた。
その夜、食堂では誰もキョウの本を片づける必要がなかった。いつも彼女が座っていた席に別の乗員が座り、普通に夕食を取っている。俺も空いた場所で食事を済ませ、早めに自室へ戻った。
◇
何度か交信を挟みながら航行を続け、レイブンはアーガマ側が指定した宙域へ近づいた。途中でラーディッシュの航路が変わり、合流点も修正されたが、レイアム大尉が余裕を持って調整してくれた。
最初に見えたのはアルビオンだった。離れていた間も働き続けていた艦の姿が、光学画面の中ではっきりしてくる。まだ距離はある。だが、識別信号が一致したところで、自然と肩の力が抜けた。
『こちらアルビオン、シナプスです。レイブン、航路上に異常はありませんか』
「ありません。シナプス少佐、長い間そちらを任せてしまいました」
『任務ですから。それより、アーガマは予定位置へ移動中です。本艦はしばらくこちらの監視を続けます。合流後に必要なものがあれば知らせてください』
「ありがとうございます。こっちも戻りましたから、必要な分担は改めて相談しましょう」
シナプス少佐は短く了承し、通信を終えた。レイブンもそのままアルビオンの前を横切るわけにはいかない。相手が確保している監視方向を避け、少し距離を取って進む。
やがてアーガマとラーディッシュの姿が正面に入った。どちらも見覚えのある形なのに、並んでいると昔とはずいぶん違う顔ぶれになったと感じる。互いに別の任務を抱えていても、こうして連絡を取り合える距離まで来たのは久しぶりだ。
『こちらアーガマ、ブライトだ。レイブン、聞こえるか』
「聞こえます、ブライトさん。こちらは予定どおり到着しました。そちらの航行の邪魔にならない位置で待機します」
『助かる。こっちもMSの収容が終わったところだ。しばらく大きな移動はしない。顔を合わせて話せるか?』
「もちろん。移動方法を調整して、そっちへ行きます」
通信が切れると、マウアーがすぐに連絡要員へ指示を回した。レイアム大尉はレイブンを周辺航路の邪魔にならない位置に落ち着かせ、シーマ中佐がその間の艦橋を引き受ける。俺がアーガマへ向かうころには、必要な手配は整っていた。
◇
アーガマの通路で、先に出てきたのはアムロだった。宇宙で顔を合わせるのは久しぶりだ。
「レン、やっと来たか。研究艦の方は一段落した?」
「一段落したよ。そっちも大変だったみたいだな。無事でよかった」
「俺は無事さ。あのギャプランは逃がしたけどね。ずいぶんしつこくレンを探してたぞ」
「こっちは歓迎する気はないんだけどな」
「それでも、出てきたら相手をするしかないさ」
アムロは苦笑してから、表情を少し変えた。
「エマ中尉の射撃が敵艦に当たった件は報告にあるだろう。でも、どうも気になる。ギャプランがわざわざ敵艦を背にするように動いて、撃たれる瞬間だけ避けた。あの男が何を考えてたかまでは分からないけど、偶然と片づけるには妙だった」
「俺も記録を見て気になった。ただ、敵の中で何があったかは分からないし、そこは報告以上のことを決めつけない方がいい」
「そうだな。ブライトには見た動きだけ伝えたよ」
アムロが歩きだし、俺も並んで艦長室へ向かった。そこではブライトさんが通信記録を閉じたところだった。以前と変わらない顔だが、短い休息でも取れたのか、少しだけ目元が和らいでいた。
「戻ってきたな、レン。研究艦の方は大丈夫なのか?」
「はい。向こうは向こうでやっていけます。こっちも戦力を分けたままでは動きづらくなってきましたから、合流しておきたかったんです」
「アルビオンには助けられた。シナプス少佐にも伝えておいてくれ。お前たちが来たからといって、すぐに何かをやってもらう話ではないが、顔が見える距離にいてくれるのはありがたい」
「分かりました。協力できることがあれば、その都度相談してください。俺たちも独自の任務はありますけど、同じ敵を警戒してるんですから」
ブライトさんは頷き、机の端に置いていた通信記録を寄せた。クワトロ大尉が戻ったことで地球側との窓口は多少整理されるだろうが、ブレックス准将の後任やAEUGの方針がそれですぐ決まるわけではないらしい。今ここで俺が口を出すことでもない。
話を切り上げようとした時、扉が開き、クワトロ大尉が顔を出した。
「レン大佐、合流したと聞いたよ」
「クワトロ大尉。そちらこそ無事で何よりです。宇宙へ戻るのも楽じゃなかったそうですね」
「君のところのアルビオンにも助けられた。礼はきちんと伝えておきたい。それにしても、また賑やかになりそうだ」
「そうですね。できれば、しばらくは静かにしていたいところですが」
クワトロ大尉は肩をすくめた。ブライトさんが地球側からの連絡について何か尋ねると、すぐにそちらへ向き直る。俺はアムロと顔を見合わせ、ひとまず廊下へ出ることにした。
アーガマの窓からは、少し離れたところにレイブンが見えた。アルビオンはそのさらに外側で警戒を続けている。レイブンへ戻れば次の航行予定を決めなければならないが、その前にアムロへ聞いておきたいことがまだあった。
「アムロ、少し時間あるか? 久しぶりに直接話せるんだし」
「あるよ。ブライトの仕事が終わるまでなら、しばらく暇だ」
俺はレイブンへの帰投時刻を確かめ、アムロと並んで食堂へ向かった。