→棚を調べる
あなたはベッドからゆっくりと身体を起こす。
昨日とは違う。足に力が入る。
床に足をつき、まだちらつく視界に顔をしかめながら棚まで歩く。
何枚かの紙を引き出してみると――どうやら患者の名簿らしい。
名前の横に、妙な項目が二つ並んでいる。
名前 適性率① 適性率②
―――― 94% 13%
○○ ○○ 13% 05%
○○ ○○ 15% 96%
○○ ○○ 33% 24%
○○ ○○ 67% 38%
○○ ○○ 12% 03%
○○ ○○ 40% 62%
○○ ○○ 09% 11%
○○ ○○ 31% 42%
何に対する「適性」なのかは書かれていない。
ただ――その数字には見覚えがある。
昨日、あなたの身体には接続されていなかったベッドサイドモニター。
そこには、
97 98
と表示されていた。
さらに資料を詳しく調べるなら、〈目星〉70で判定できます。
振る?
1D100 → 34
〈目星〉70:成功。
あなたは資料を一枚ずつめくっていく。
そして、欄外に小さく書き込まれた走り書きを見つける。
「両方の適性を持った人間が見つからない。
引き続き患者から、高い適性率を持った人間を探す。」
……患者から探す。
偶然集計したデータ、という書き方ではない。
誰かが明確な目的を持って、「両方とも高い人間」を探している。
そして昨日のモニターに表示されていた数字は――
97 98
この名簿の中には、片方だけなら90%台の人間がいる。
だが、両方が90%を超えている者は一人もいない。
もしあのモニターの数字が、この「適性率」と同じものなら。
あなたは――探していた条件に、ほぼ完璧に当てはまる。
そのとき、隣の部屋から昨日の声がする。
「おーい」
「今日の調子はどう?」
「ほんと?」
隣から、ほっとしたような声が返ってくる。
「よかった。昨日より元気そうだね」
少し間があってから、少年は尋ねる。
「目は? ちゃんと見えてる?」
あなたがまだ視界の異常について話すと、彼は不思議そうにする。
「目の調子が悪くなる人は初めてだな……」
「今までそこにいた人たちはね、最初の日は普通なんだけど、次の日になると頭がぼーっとしてたり、話があんまり通じなくなったりすることが多かったんだ」
声が少し小さくなる。
「だから、君もそうなっちゃうんじゃないかって怖かった」
そして、ぽつりと言う。
「……僕はね、目が見えないんだ」
「事故のあとから。身体も動かせない」
それでも口調は妙に明るい。
「だから君の目も悪くなったって聞いたら、ちょっと心配でさ」
しばらくして、
「ねえ」
「君の記憶、まだ戻ってない?」
→「先生から囚人のジレンマやテセウスの船など、小難しい話をされるか?」
隣の部屋が、しばらく静かになる。
「……囚人のジレンマ?」
明らかに聞き覚えがなさそうな声だ。
「テセウス……? なにそれ。船?」
少し考えてから、
「僕はされたことないよ。普通に診察とか治療の話くらい」
「やっぱり変じゃん」
「そもそも病院で記憶喪失なのに小難しい話をされても困る、庭に出て記憶を取り戻す手伝いとかリハビリが先だろ」
「変だよな、あの先生。変わってる」
そして、あなたの後半の言葉には困ったように笑う。
「変わってる……のかなあ。僕にとってはずっとお父さんだから、よく分かんないや」
父親を悪く言われて腹を立てる様子はない。ただ、評価しかねているようだ。
「でも……言われてみれば、記憶を戻すのに囚人の話をするって、何なんだろうね」
「庭は……僕、ずっと動けないから分かんないんだ。外にも出てないし」
少し寂しそうな声になる。
「君はもう歩けるんだよね? いいなあ」
そして、ふと思い出したように続ける。
「そうだ。君が元気になって、僕も元気になったら――」
「会ってくれる?」
「僕、君の顔も見てみたい」
→「約束する」
声が少し弾む。
「……約束してくれる?」
「ほんと?」
ぱっと声が明るくなる。
「じゃあ約束だよ」
「僕が元気になったら、ちゃんと会おうね」
その声を聞きながら、あなたは先ほど見つけた資料に目を落とす。
「両方の適性を持った人間が見つからない」
97、98。
そして、これまでこの部屋に入った患者たちは皆、記憶を失っていたという。
……少年自身は何も知らないように聞こえる。
やがて、また猛烈な眠気が押し寄せてきた。
「……あれ、眠い?」
返事をするのも億劫なほど、急速に意識が沈んでいく。
「じゃあ、また明日」
「おやすみ」
――暗転。
次に目を覚ましたとき。
視界は――正常に戻っていた。
昨日までのちらつきも、白黒になる症状もない。
身体もずいぶん軽い。
そして扉が開く。
例の医者が入ってくる。
「おはよう。目の具合はどうだい?」
あなたの顔を見ると、満足そうに頷いた。
「寝ている間に検査と治療をしておいた。もう問題ないだろう」
「後は、記憶を戻すだけだ」
……そして当然のように椅子を持ってくる。
「さて。今日も少し話をしよう」
またか。
「今日は――**『臓器くじ』**という思考実験についてだ」
この医者、本当にまた小難しい話を始めた。
医者は頷く。
「では説明しよう」
「仮に、臓器移植を待っている患者が何人もいるとする。心臓、肺、肝臓……それぞれ別の臓器が必要で、このままでは助からない」
「そこで、健康な人々に公平なくじを引いてもらう」
「当たりを引いた一人を殺し、その人の臓器を取り出して、移植を必要としている人たちに分けるんだ」
医者は条件を付け加えていく。
「くじに不正はない。移植は必ず成功する。そして、人を殺す以外に臓器を手に入れる方法はないものとする」
つまり――
健康な一人を意図的に犠牲にすれば、複数の人間を確実に救える。
医者はあなたを見る。
「一人を殺して、それより多くの人間を救う」
「君は、この仕組みをどう思う?」
健康な人間にとって大事な人間で、なおかつ同意が取れていればの話で成り立つが、そもそもそんな自己犠牲は滅びるべきだ
善意の搾取と何も変わりはしない
トロッコ問題とも似ている
医者は、あなたの言葉を聞いていた。
特に――
「自己犠牲は滅びるべきだ」
その部分で、わずかに表情が動いたように見えた。
「……善意の搾取、か」
「確かに、トロッコ問題とも似ている。犠牲になる人数と救われる人数を比較して、『多く助かる方が正しい』と考える点ではね」
医者は腕を組む。
「だが君は、人数だけでは決めない」
「犠牲になる本人の同意。そして、その人と救われる人間との関係。それがあって、ようやく本人が自分を差し出すという選択は成立する」
そこで、あなたの言葉を確かめるように続ける。
「それでも君は、そんな自己犠牲そのものを好ましく思わない」
「……なら」
医者の声音が、少しだけ真剣になる。
「本人が心から『自分を犠牲にして、この人を助けたい』と望んでいたとしても?」
「誰にも強制されず、罪悪感を植え付けられたわけでもなく、事情をすべて理解したうえで選んだとしても――」
「その選択は、尊重するべきではないと思うかい?」
→「尊重するべきではない」
「……尊重するべきではない」
医者は静かに復唱する。
「本人が望んだとしても、か」
しばらく考え込んでから、あなたを見る。
「それは――なぜだい?」
「本人が事情を理解して、自分の意思で選択したとしても、その自己犠牲を尊重すべきではないと考える理由を聞かせてほしい」
自己満足だし、助けられた側に立ってみろ
そんな犠牲何も嬉しくはない、悲しい
医者は黙った。
今までのようにすぐ次の問いを重ねてこない。
「……悲しい、か」
ぽつりと呟く。
「助ける側から見れば、『大切な人を救うために自分を差し出した』という美しい話になるかもしれない」
「だが、助けられた側は――その人を失って生きていくことになる」
医者は目を伏せる。
「『君のために死んだんだ』と言われても……それを贈り物のように受け取れるとは限らない」
少し長い沈黙。
「…………そうだな」
それはあなたへの相槌というより、自分自身に言い聞かせたようにも聞こえた。
やがて医者は立ち上がる。
「ありがとう。今日の話は……これで終わりにしよう」
「私は外来の患者を診てくる」
扉の前で立ち止まり、
「明日には退院だ」
振り返る。
「記憶も、きっと戻るだろう」
そう言って、部屋を出ていった。
手術室に静けさが戻る。
今日は身体の調子がかなりいい。
そして――まだ調べていないものが一つある。
昨日見かけた、温風で患者の体温を維持するための装置だ。