沈黙の日から数えて十五年。
俺が虚狩りとなってから早くも十年が経過しようとしていた。
レイエス准将ーーいや、今では中将となった彼は、昇進を重ねる一方で、長年に渡るホロウとの接触によって侵食関連の病を併発。完全なデスクワークへの転向も提案されていたようだが、本人曰く、体が動く内に余生を謳歌するのだと。今日をもって杖の軍を退く事を決めたらしい。
そんな彼から、最後にと呼び出しを受けた俺はここ十年ですっかり勝手知ったるものとなった執務室の扉を叩いた。
「レイエス中将、入りますよ」
「ああ、君か。入りたまえ」
扉を開けると、見慣れた執務室がそこにあった。いつもと違うのは部屋の隅に幾つかの段ボールが積まれていることと、窓際の棚がすっかり空になっていることくらい。元々私物の少ない部屋だったが、何だか寂しい気持ちになる。
「もう中将では無いぞ」
「この基地から出るまでは中将、でしょう?」
いつものように、机の向かいにある椅子へ腰を落とすと、レイエス中将はどこか名残惜しそうに部屋を見渡した。
「最後になるからな、思い出話をしておこうと思ってな」
「何だか人が変わったようですね」
「私とて軍服を脱げば、ただの還暦を迎えた高齢者だ。世間話の一つや二つするさ」
そう言って笑う姿には、かつて部下達に鉄面皮と呼ばれた面影はない。
何よりも規律を重んじ、命令には一切の私情を挟まず、常に冷静沈着だった男が今は穏やかな老人のような顔をしている。
「この十年で、虚狩りとしての君の看板はしっかり板についたな……自分の出血で血だるまになった君を見た衛生兵が悲鳴をあげていた頃が懐かしい」
「やめて下さいよ、あの頃は…なんて言うか、余裕が無かったんです」
「余裕が無かった、で済ませるには随分と無茶をしたものだ」
呆れたように笑いながら、レイエス中将は俺を見る。
「君は、簡単には死なないからと言って自身を蔑ろにし過ぎだ。もう少し休んでもバチは当たるまい」
「今はそんなことしてませんよ……あんまり」
「そうだな、今でこそ多少はマシになったが沈黙の日以来、君は死に急ぐように任務をこなして来たが、断漄を手にして以降、それにさらに磨きがかかっているように思える」
「犠牲をなるべく減らす方法を、模索し続けた結果です」
「分かっている。だからこそ、何も言えなかったのだ」
そう言ってレイエス中将は一度言葉を止めた。机の上に置かれた書類に目を落とし、何かを考えるように指先で机を軽く叩いている。
「ハァ…不壊の力にも限度はあるということは分かっているだろうに、どうしてそう危ない橋を渡ろうとする……仕方がない」
「…?」
諦めたように大きく溜息を吐いたレイエス中将は椅子から立ち上がった。
そして、執務机の横にある鍵付き棚へと向かうと、懐から取り出した鍵を差し込む。小さな金属音と共に開放された棚から一つの質素なファイルを取り出した。
「私は軍人の家系に産まれ、幼少より法や規律を守る事こそが肝要であると教えられて生きて来た。規律こそが人を軍人たらしめ、法こそが軍人を人たらしめるのだ、と。無論今でもそれを信じているし、今後も軽んじることは無いだろう。」
「…急に何の話です?」
「何、自分への言い訳のようなものだ」
中将はファイルを手にしたまま、俺の前へ戻ってくる。
「私は君とヴァイク大佐、そしてダン中佐の上官ではあったが、君達に何かしてやれた事など何も無かった」
「……中将」
「だが、私の軍人としての生活も今日で終わりなのでな」
そう言って彼は微かに苦笑した。
「最後に一度だけ、規律違反をしてみたくなった」
それだけ言うと、手に持っていたファイルを俺へと差し出した。
タイトルも付けられていない表紙をめくり、中に目を通す。そして最初の数行を読んで息が止まったかのような錯覚を受ける。
「これは……!」
「沈黙の日の概要レポート、中将になってから知ることができたものだ。機密指定は未だに解除されておらず、君に見せたことが公になれば、私もタダでは済まないのでね。今この瞬間まであっためておいたのだよ」
淡々と語るレイエス中将をよそに、俺は震える指で文字をなぞりながらゆっくりと読み進める。そして文書の最後の頁にてある記述を見つける。
結使化…業核との融合……。
ベリオラ・ヴァイクーーーー結使化の後、レミエール・ダンによって殺害。
レミエール・ダンーーーー
「ーーーー生きている…?」
見間違いではない。何度読み返してもその文字が消えることはなかった。
「そうだ」
中将が静かに答えた。
「彼女は生きている。実験の結果結使となったヴァイク大佐を殺害した後、自らをタウミエルの力によって封じ込め、一種のコールドスリープのような状態になっているそうだ」
「彼女は今どこに!?」
机を回り込み、レイエス中将に詰め寄るも、彼はただ目を伏せて首を横に張るだけだった。
「それ以上は私の知ることの出来る範囲には無かった」
「そう、ですか」
「済まないな」
「いえ……探すだけです。時間なら、無限にありますから」
当然の事だ。何年掛かろうとも関係ない。百年だろうが、千年だろうが、断漄がある限り俺は生きて行ける。なればこそ、いつか彼女を見つける事もできる。
「とにかく、だ。彼女は現在も休眠状態にあり、いつか目を覚ます時が来るはずだ」
レイエス中将は俺を見つめたまま、ゆっくりと言葉を続ける。
「それは明日かもしれないし、一年後か、十年後か、或いは百年後かもしれない」
先程までの穏やかさは消え、その声はどこか俺を咎めるように力強いものだった。
「いずれにしても、彼女が眠りから覚めた時、例え何年経過していようとも変わらぬ姿で居られるのは君しか居ない……分かったら無茶な真似を繰り返すのは止めるんだ」
「…はい」
「よろしい」
頷く俺を見て、彼はようやく安心したように小さく息を吐いた。
「ゴホッゴホッ…」
「大丈夫ですか?」
「あぁ全く、この歳になると長話も出来んくなるとは」
口元を押さえて咳き込む姿を見て、俺は改めて、目の前の男がもう軍人ではなく、一人の老いた男なのだと思い知らされる。
「私が君達に最低限報いてやれるのは、これくらいだ」
彼はそう言って、寂しそうに笑う。
「少しは前向きに生きる希望が湧いて来ただろう」
「……」
「本当は、こんな未来に託すような真似はしたく無かったのだがな」
「ありがとう、ございます」
十五年前、俺は
そして十年前、空いた穴を埋めるために虚狩りとなった。
それからずっと、過去に置いて来たものを追うように戦い続けてきた。
「では、私の身支度も終わった。そろそろ行かなくては」
「中将はこれからどうするんです?」
「妻と共に、田舎に引っ越して牧場をな。夢だったんだ、実は」
「ふっ…全く想像がつきませんね」
「案外楽しいぞ。人生何があるかわからんものだ」
そう言って最後に部屋を一瞥し、空になった棚へと目を向ける。
「過去を忘れろとは言わん。いつか来たる未来の事も大事だ。だがな」
そして再び俺を見る。
「君は今を生きているということを、忘れるなよ」
「……」
「そして、いつか目を覚ましたレミエール・ダンに、君自身が教えてやれ」
レイエス中将は託すように俺の胸へ軽く拳を当てる。
「その時代のことをな」
「……はい」
「よし、今度こそ本当にさよならだ」
そして、机の上に残っていた最後の荷物を手に取り、扉へ向かって歩き出したところで、ふと思い出すように振り返る。
「あぁ、そのファイルは読み終えたら必ず燃やすんだぞ」
「ええ、了解です」
「うむ、ではな。オキタ・リンドウ」
その声には、最早軍人として部下に命令する時のような響きは欠片も無かった。
ただ、一人の老人が長い付き合いのある友人へ向ける最後の言葉。
「君の行く末が、最期に笑えるものであることを願っている」
レイエス中将が去って、静かになった部屋で俺はしばらくファイルを見つめ続けた。
十五年前に完全に失ったはずの可能性。
レミエールは生きている。
いつか目を覚ます。
少なくともその日まで、
俺は生きていかなくてはならない。
百年ちょっと先の何処かで。
「もう、またティーミルク?」
「あぁ、新作だ。案外美味いぞ、二人も飲むか?」
「あはは、ついこの間もご馳走になったし、今日は遠慮しておくよ」
「そうか」
「何度見ても慣れないな。百年前から生きている英雄が、かなりのミーハーだったなんて」
「この間も、お兄ちゃんとゲーセンで一日中遊んでたもんね……私をお店にほったらかして」
「限定プリンを差し出したと言うのにまだ足りなかったのかい?」
「へぇーいいもんね、今日はお兄ちゃんに店番してもらうから!行こ、リンドウさん!」
「あ、こらリン!」
「…む?」
過去の話はもうちょっと続きます。