「さて、2ヶ月間で卍解しなきゃならないんだけど……そう簡単にはさせてくれないよね?」
『当たり前であろう?』
「やっぱり……」
家に帰った私は早速天魁星に問うが、つれない返事が帰ってきた。
卍解に必要なのは、斬魄刀の本体の具象化と屈服だ。こいつを力でねじ伏せ自らのコントロール下に置かねば、強力な技は使えないのである。
「せめて具象化はしてくれない? お願いだから」
『……』
「ですよね……」
予想通りの返答に、私は畳へ仰向けに倒れ込んだ。
開け放った障子から風が吹き込み、腰まで伸びた髪が畳の上をさらさらと滑る。庭では風に揺られた竹の葉が擦れ合い、時折、鹿威しの乾いた音が響いていた。
こんなに穏やかな夕方だというのに、私の心中は穏やかとは程遠い。
「あと二ヶ月なんだよ」
『知ったことか』
「つめてー」
私は身体を起こし、膝の上へ黒塗りの鞘の天魁星を置く。いつもなら手に馴染む、何度も握ってきた柄。それが、今日は妙に遠いものに感じられた。
『雨緒紀』
「ん?」
『卍解とは、妾から授けられるものではないぞ。妾を此方へ引き摺り出し、妾を屈服させる。そうして初めて、其方は妾の全てを使える——会いたければ、其方から来い』
私は少し考えてから、鞘から天魁星を抜いた。夕陽を受けた刀身が、橙色の光を細長く反射する。胡座をかき、膝の上に抜き身の天魁星を乗せて目を閉じる。
視界から光が消えると聞こえるのは、木々の葉擦れと、自分の呼吸。
そして、身体の奥を絶えず流れ続ける膨大な霊圧。それを少しずつ辿っていく。深く、より深くと意識を沈めていくと、やがて、自分と刀の境界が曖昧になった。
その時、こいつを振るった時や、刀に血がつく瞬間、手入れをした時の記憶が湯水の如く溢れ出てきた。
そういえば、最初にお前を振るった相手は齋藤不老不死だったな。もう1回戦いたい? ふふ、そうか……
「……?」
ふと気がつくと、ぽちゃんと水音がしたので閉じていた目を開く。そこには畳の上に、一滴の水が落ちていた。
やがて滴る水の量は多くなっていき、その水でなにかが形作られていく。その中には無数の光が瞬き始め、輝きに思わず目を細めようとしてしまうが、何故かいけない気がして目を開き続ける。
ここは私の部屋だ。障子も、庭も、風もそのまま。しかし、私の周囲だけに、あの世界が滲み出している。
その時、しゃらん、と簪が鳴った気がした。
『……出来るではないか』
天魁星の声が、今度は頭の中ではなく耳に届き顔をあげる。先程の水は彼女を形作り、物質あるものとしてそこに君臨していた。
私と同じく長い髪に、幾重にも重なる衣。揺蕩う羽衣。
私は思わず口元を吊り上げた。
「おはよう」
すると、天魁星は手に持っている羽扇を私に振りかざした。
「——っ!?」
反射的に刀を構えた次の瞬間。ゴウッッと、凄まじい風が部屋の中を駆け抜けた。
「うわっ!?」
風、なんて生易しいものじゃない。見えない巨大な手で殴りつけられたような衝撃に身体が浮き、そのまま障子を突き破って庭へ放り出される。
背中から地面へ落ちる寸前、空中で身体を捻って片手を地面へ突き、勢いを殺しながら着地した。
「いきなり何するんだよ!?」
「私を屈服させる、意味は分かっておろう?」
天魁星は、しゃらん、と簪を揺らしながら羽扇を再び構える。
「……っ、ここからが本番ってことだろ?」
「左様。——来い、雨緒紀!!」
その一言を合図に、私は地面を蹴った。一瞬で間合いを詰め、天魁星の肩口目掛けて刀を振り下ろす。しかし——
カァンッ!!
「なっ!?」
白い羽根のみで作られた、いかにも柔らかそうな羽扇だけで、刀が止められていた。
「嘘だろ、それ羽だぞ!」
「妾を何だと思っておる!!」
羽扇が翻り刀身を撫でるように滑った直後、凄まじい力で横へ逸らされた。そして、身体が流れたそこへ、天魁星が羽扇を突き出す。
「っ!」
まずい!!!
瞬歩を使って本能で避けた直後、先程まで私の顔があった場所を何かが通過した。いや、正確には避けきれておらず、頬が一線赤く染まる。
そして、この騒ぎに気づいた使用人達が顔を出し始めた。
「………本気だね。ここじゃあ場所が悪い。少し移動しようか」
私と彼女は瞬歩を使い、家の裏にある空き地へと場所を移動する。ここなら人気もないし、間違って誰かが入ってこない限り邪魔されることは無いはずだ。
「さぁ、始めようか!」
私は刀を構え、再び地面を蹴る。天魁星が羽扇を横薙ぎすると、瞬く間に豪傑達が形作られていく。
「そんなのアリ!?」
「煩い! これは妾の力じゃ、妾が使えない筈がなかろうて!!」
それもそうか、なら仕方ない。
背後に現れた槍使いを振り向きざまに刀を薙ぐことで真っ二つにし、続いて放たれた矢も叩き切る。私の脇腹に差し込まれた薙刀を霊圧で強化した右手で粉砕し、首を刈り取らんと向けられた刃を自らの刀で受け止めた後、跳ね返してその豪傑を袈裟斬りする。
「ほう」
更に踏み込んで天魁星に刃を振りかざすと、切っ先が鼻先を掠め、長い髪を数本斬り飛ばした。そのまま上段から振り下ろし、取った、と思ったが羽扇にて受け止められる。
刀と羽扇が衝突した直後、甲高い音と共にお互いが跳ね飛ばされ、距離が離れた。
「中々やるではないか」
「お前こそ!」
軽口を交わしながらも、互いに構えを解くことはない。頬を伝った血が顎先へ集まり、ぽたりと地面へ落ちる。
山中を吹き抜ける風が木々の梢を揺らし、ざわざわと葉の擦れる音が辺りを満たしていた。
動物というのは賢い。先程まで聞こえていた鳥の声は、いつの間にか一つも聞こえなくなっている。ここにいたら死ぬと、本能で理解したのだろう。
「して、どうする?」
「何が?」
「このままでは妾を屈服させるどころか、傷一つ付けられぬぞ」
言ってくれるね……。
確かに髪を数本斬っただけで、傷とは到底言えない。実際私の方が傷ついている。
「じゃあ、これならどうかな?」
刀を片手で持ち、空いた左手を天魁星へ向けて指先へ霊力を集中させる。
「破道の六十三——
天魁星の表情が変わった瞬間、黄金の雷光が弾けた。轟音と共に放たれた雷が地面を抉り、一直線に天魁星へ襲い掛かる。
「ふん!」
だが天魁星は退かない。羽扇を大きく振り抜くと、吹き荒れた風が雷光と正面から衝突し、周囲へ無数の雷を撒き散らした。
しかし、これが私の本命ではない。雷の光を目眩しとして瞬歩で回り込み、背後から刀を振るう。
「甘い!」
まるで予知していたかのように私の刀を跳ね返し、羽扇が首目掛けて振るわれる。
咄嗟に刀で受け止め、火花が散った。その時、背後から悪寒がしたので羽扇から刀を逸らし、その勢いのまま身体を捻ると私のいた場所に矢が3本突き刺さった。
だが、そちらに意識を向けた時には、天魁星が消えていた。
上か!!!
見上げると、太陽を背負って天魁星が宙に浮いていた。幾重もの衣と羽衣が風を孕み、その背後では何十人もの豪傑が武器を構えている。
「10、20、30…? あれ、少ないね」
「先程までのは始解よ、して、これが妾の本来の力! 卍解じゃ!!!」
羽扇が振り下ろされるのを合図に、豪傑達が一斉に降ってきた。
「っ……!」
私目掛けて突かれた槍を半身になって穂先を躱し、その柄を左手で掴む。そして、強引に引き寄せて腹へ蹴りを入れ、身体がくの字に折れたところへ刀を振り抜き、霊子へ還す。
次は右からだ。刀を合わせて受け流し跳ね飛ばす。背後に気配を感じたのでしゃがむと頭上を薙刀が通過する。
「破道の三十一——
振り返りざまに、後ろの豪傑へ掌を向けると赤い炎が豪傑を包み、その身体を吹き飛ばしたつもりだったが……。
「っ……!一体一体が強い!!」
身体は吹き飛んですらなく、その豪傑は太刀を手に突進してきた。何とか刀で受けるが、力が強すぎて押し返せもしない。
「そう、始解の72人は言わば雑兵。こちらの36人はのう、それぞれが其方の一能力において同等以上よ」
そんなのアリかよ!?
一番最初に倒したはずの奴でさえ、気付けば何事もなかったかのように復活している。まるで無間地獄だ。倒しても倒しても湧いてくる連中を片付け、その上で本命まで仕留めなければならないときた。
先の見えない戦いを想像して、私は軽い目眩を覚えた。
足元へ迫った刃を跳び越え、そのまま一人の肩を踏み台にして宙へ。
「破道の七十三——
蒼い炎が眼下へ落ちて豪傑達がまとめて吹き飛ばされ、爆風に木々が大きくしなる。
「はっ……はっ……!」
息も絶え絶えになりながらも、すぐに天魁星を探す。
「どこ——」
「遅い」
「っ!」
いつの間にかに真横に移動ており、羽扇が腹へ叩き込まれる。
「がっ……! 縛道の三十七——
吹き飛んだ身体を、鬼道にてハンモックを作り上げ衝撃を和らげ、跳ね返る反動を利用して再び天魁星に向かう。
「縛道の六十一——
「む?」
帯状の霊圧と九つの黒い霊圧が天魁星を取り囲む。九曜縛の方は不完全だが六杖光牢は私の一番得意な縛道。こちらは詠唱破棄でもかなりの硬度のものが出来る。
「捕まえた」
「この程度で妾を…!」
「思ってないよ。だから——」
——ここから、全力をぶつけるしかない。
「滲み出す混濁の紋章、不遜なる狂気の器、湧き上がり・否定し・痺れ・瞬き・眠りを妨げる。産み出されるは一本の糸、吐き出し、凍結、湯掻き手繰り寄せる数多の命、純白の下に破れその真紅を晒したまえ。爬行する鉄の王女、絶えず自壊する泥の人形、結合せよ、反発せよ、地に満ち己の無力を知れ——」
破道の八十六——
私を取り囲み今にも殺さんとする周囲の豪傑の頸を、霊圧で出来た鋼鉄の生糸で跳ね飛ばし、本命の天魁星に黒棺をぶつける。
完全詠唱の黒棺は彼女を完全に取り囲み、重力の奔流で
一瞬で身体を粉砕せんとする。漆黒の壁が天魁星を呑み込んだ瞬間、先程まで吹き荒れていた風がぴたりと止んだ。
「……っ」
静かだ。
あれだけ騒がしかった豪傑達も、木々の葉擦れも、何も聞こえない。ただ、目の前に聳え立つ巨大な黒棺だけが、周囲の光さえ吸い込むようにそこに存在している。
その直後、黒棺の内側から、無数の刃が一斉に突き出した。
ドドドドドドドッッ!!!
内部で天魁星が豪傑を召喚したのだろう。四方八方へ豪傑達の刃が棺を貫き、主をこの場から解放せんとする。数えることすら馬鹿らしくなるほどの刃が、黒棺を貫く度にそのものが大きく震え、壁面に蜘蛛の巣状の亀裂が走った。
「ぐ……っ!」
私の身体から、恐ろしい勢いで霊圧が抜けていく。
流石に、これを維持させるのは負担も重い。膝が笑い始めるが、それでも術を解く訳にはいかない。
「まだ……だ!」
刀を地面へ突き立て、それを支えにしてどうにか立ち続ける。更に霊圧を注ぎ込むと黒棺が一段と深い闇へ染まる。
周囲の地面が耐え切れず沈み込み、近くに生えていた木々が根元から軋みを上げた。枝葉が黒棺へ引き寄せられ、触れた瞬間、原形すら残さず押し潰される。
天魁星の霊圧は——まだ消えていない。
「っ……しぶとい、なぁ……!」
額から流れた汗が目に入る。肺は焼けるように熱いし、視界の端が黒く染まり始め、握っている刀の感覚さえ曖昧になっていく。
それでも。
「これで……終わりだ!!」
残っていた霊圧を、一息に黒棺へ叩き込むと、黒棺が、脈打ったような錯覚を覚えた。
ズンッッ——!!
巨大な圧力に耐え切れず大地が更に陥没し、私の足元まで亀裂が走る。
そうして、全てが止まった。
「……っ、は……っ、は……」
術を維持する必要がなくなった途端、身体から力が抜ける。私は地面へ刀を突き立てたまま、その場に膝をついた。
「不味い……霊圧、使いすぎたな……」
指一本動かすのも億劫だし、呼吸をするだけで胸が痛む。
黒棺越しでは、彼女が今どうなっているのか察知出来ない。しかし、ただ一つ分かるのは——もう私には、何も残っていないということ。これで駄目なら。完膚なきまでに私の負けだ。これだけやって勝てないのならば悔いは無い。というか、斬魄刀との戦いって鬼道で勝っても屈服判定になるのだろうか。
やがて、目の前の黒棺に一本の亀裂が入った。
「…………」
ピシ、ピシッ、と乾いた音を立てながら漆黒の壁に亀裂が増え、やがて崩れ始め、黒い霊子となって宙へ溶けていく。
そして、その奥に、何かが立っていた。
「……嘘、だろ」
だが衣も、羽衣も、白い肌もないし、もはや人ですらない。少なくとも、一目見ただけでは天魁星だとは分からなかった。そこに残っていたのは、人の輪郭を辛うじて保っているだけの、星明かりを閉じ込めたような霊圧の塊。
「天魁……星?」
私が名を呼ぶ。すると、その輪郭の中で一つ、また一つと星が瞬いた。流れ出した霊圧がの輪郭を形作り、少しずつ彼女の身体を覆っていく。水面へ墨を垂らしたように長い髪が広がり、最後に幾重もの衣と羽衣がその身を覆っていく。
あぁ、復活されてしまった。ここまでしても駄目なら、もう私の負けだ。傷がが治ったらまた、卍解習得のチャンスをくれるだろうか。
「雨緒紀」
天魁星は完全に元通りの姿になって、汚れなど知らぬような羽衣を身にまとい、真紅の口の端を上げた。
「……其方の、勝ちじゃ。妾の全ては、もう其方のものよ」
そう言うと、天魁星は力を使い果たしたとばかりに倒れる。
「天魁星!?」
私は身体に鞭を打って動かない身体をなんとか1歩ずつ動かし、彼女に駆け寄る。
「天魁星、大丈夫なのか!?」
「……妾に回道は効かぬぞ。妾の美しさを取り戻すことに力を割いてしもうての。なに、斬魄刀の中に戻っておればすぐ全開するわ」
「……っふふ、そうか、はは、っはぁ〜っ」
天魁星の言葉に安心した私も脱力してしまい、天魁星を抱いたまま地面に倒れてしまった。
「……勝ッッたぁ!!」
サクサク行きます。スピード感!
天魁星の羽扇は鋼皮とかなのかな?
オリ鬼道
破道の八十六、頸斬絹糸
詠唱:産み出されるは一本の糸、吐き出し、凍結、湯掻き手繰り寄せる数多の命、純白の下に破れその真紅を晒したまえ
効果:術者の指を起点として鋼鉄の糸が多方面に展開され、敵の触れた部分を切り裂くことができる。指を動かして糸を操作することが必要。