side~第三者~
宏壱が麻帆良に足を踏み入れた頃、とあるログハウスで『赤鬼』の来訪を感じ取った少女がいた。
「――っ!?……なん、だ?」
戸惑いの声を上げるブロンドの髪をストレートに下ろした少女。このコテージの家主だ。
「ドウシタ、御主人?」
その少女に声を掛ける不気味な人形。口許はニヒルに口角を上げていて、見ようによっては残虐な笑みを浮かべているように見える。
「何か、入り込んだぞ」
男勝りな口調で話す少女の声は震えているようにも聞こえるが、それは恐怖や畏怖の類いではない。整った顔に童女のような笑みを浮かべ、歓喜に打ち震えているのだ。
「ケケケ、嬉シソウダナ」
ケタケタケタと笑う人形は不気味さを更に際立たせる。
「退屈していたところだ。どんなバカがこの麻帆良に足を踏み入れたか見てやる」
酷薄な笑みを浮かべ、玄関へと足を進める少女の名はエヴァンジェリン・A・K・マクダウェル。真祖の吸血鬼、裏界隈に於いて有名すぎる賞金首である。
十年ほど前から、ここ麻帆良に登校地獄なる呪いで縛られている、自他共に認める悪の魔法使いである。
しかし、その力は呪いの影響で極限までに下げられているのが現状だ。
「ケケケ、御主人ニ目ヲ付ケラレルナンザ不幸ナ奴ダゼ」
またもケタケタケタと笑う人形、名はチャチャゼロ。
そのチャチャゼロの声を背にエヴァンジェリンは扉を潜り、屋外に足を踏み出した。
「ふむ……あんな小僧が、これ程までの魔力を内包しているとは」
ストレートに下ろしたブロンドの髪と羽織ったマントを靡かせエヴァンジェリンは件の少年、山口宏壱を見下ろしていた。
見下ろすと言っても、別に宏壱の近くにある建物の屋上からではない。
彼女は真祖の吸血鬼、1km離れた位置からでも双眼鏡無しに、肉眼で宏壱を捉えることは可能なのだ。
「しかし、何だこの気配は……」
宏壱は自らが持つ魔力、気迫、存在感、それらを抑えることはしていない。
それは彼自身が世に存在する猛者、怪異に対して、興味を持ち、惹かれているからに他ならない。力は力を呼ぶ。それを理解している彼は自身の本質、『鬼』を隠すことはしない。
だが、その『鬼』が見える存在は彼に恐れを抱くか、畏怖の念を持った者のみであり、弱者であろうと、強者であろうと、彼をただの『人』として見る者には見えない『鬼』。
実力を見抜いても見抜いていなくても見ることはできないし、知ることもできない。彼を畏れた者だけが触れることのできる『赤鬼』の一端。
その一端に触れた者の先に待つものは死か生か……。
だが、エヴァンジェリンには僅ながらに見えていた。少年の背後に赤い靄のように揺らめく巨躯の存在が。
「とんでもない奴が入り込んだぞ、ジジイ」
この場にいない、しかし、宏壱を監視する第三者に向けて放たれた言葉は風で掻き消される。
エヴァンジェリンが口にしたジジイとは、近衛近右衛門……ここ、麻帆良学園学園長を務め、兼任して関東魔法協会理事も務める老人である。
実力はかなりのもの。伊達に関東魔法協会理事を務めてはいない。それこそ『赤鬼』の来訪を感じ取るほどの実力は有しているし、彼の危険性は把握できているだろう。
手を出さないのは、近衛木乃香、孫娘や、近衛詠春、義理の息子から話を聞いたことがあるからだろう。
故に、監視目的で数人の魔法関係者、魔法先生を付けているだけに止めているのだ。
「……隠す気などないな、あれは。ふむ、世界には英雄の生まれ変わりがいると聞く。魂を、意志を、記憶を引き継いだ存在、か」
エヴァンジェリンは幾度かそんな話を聞いたことがあるようで、宏壱を自分の知る英雄と整合させていく。
六百年の時を生きる彼女は、世界を旅してきた経験がある。自らの足で歩き、見て、聞いて、触れて、匂いを嗅いでいる。賞金首である彼女は情報を軽んじることはない。
慢心はあるだろう。油断もするだろう。だが、危機的状況に陥ってもどうにかする実力が、経験が彼女にはあった。
……しかし、それも中学校に永遠に通わなければならないという、間の抜けた呪いを掛けられていては説得力の欠片もありはしないが……。
だからこそ、山口宏壱という存在が異質であり、異常であると認識できた。
「赤い靄……あれは力の化身か。その身から溢れ出る闘気の塊といったところか……もしも、あの小僧が何らかの英雄の生まれ変わりだとすれば……思い当たるのは」
多くの書物を所持し、あらゆる文献をコレクトしている彼女はこの現象に心当たりがあった。実際に見たことはないし(そもそも、彼女が生まれる前の事で、それが当然なのだが)、それを生で見たことがあるという者達は既にこの世にいない。
よって、彼女の知識は文献頼りになってしまう上に諸説あるもので、確かな情報とは言えない。
だがそれでも、彼女が思い至ったのは『赤鬼・
文献では、猫のようなスリットの黒い瞳に白目は部分は黄色、口は耳近くまで大きく裂け、噛み合うように生えた牙はノコギリのようにギザギザだ、と記されていて、記載された姿絵は凶悪な鬼そのものだ。
エヴァンジェリンにそこまではっきりと見えている訳ではないが、ぼんやりとだけでも見えているのなら、彼女は宏壱の
「……『赤鬼・
ゆっくりと口の中で転がした「転生者か」と呟くエヴァンジェリンの声に迷いはなく、後者であると半ば確信していた。
子孫であったとしても、十歳前後の年齢で『赤鬼』を顕現させられるとは思えないし、その方法が現代まで語り継がれている可能性は低い。そもそも、
実の子であれ弟子であれ、それに成功した者はいないのだ。
例外として『天の御遣い』が一対の白く輝く翼を持ち白き衣を纏った美丈夫、『天使』を顕現させたことも文献に記されていたが、『天の御遣い』以外がそれを可能にした、という記述もない。
「生涯現役で享年八十歳。その最後は何処からともなく現れた十万の軍勢を、たった一人で食い止めて皆殺しにした」
エヴァンジェリンが呟いたのは、『
何処からともなく現れた十万の軍勢。それは妖術の類いか、別の何かか……。その軍勢は先遣隊に過ぎず、後に五十万の雑兵が加えられ三国(この時期は既に統合され一国となっていて、国号は郷とされていた)との戦争に発展した。
戦争を知らない世代が多くなった郷軍だが、
しかし、敵軍がどの国の差し金か、目的は? 意図は? 全てが謎のままである。
「……本当にあの小僧がそうだとすれば――っ!?」
思い至った事に戦慄して、頬から冷や汗が伝い顎先から一滴落ちて床を濡らした。
その音が聞こえたかのように、空を仰いだ宏壱と視線が合ったのだ。偶々ではない。1km離れた距離で確りとエヴァンジェリンの位置を完璧に把握しているのだ。
数秒間、視線をそらすことができない。よく見れば赤の混じった黒い瞳に射竦められ身動ぎ出来ない。
――鬱陶しくなってきたな。
宏壱が放った言葉だ。エヴァンジェリンは読唇術を身に付けている。だからこそ、その唇の動きで宏壱が言った言葉を理解できた。
しかし声でも掛けられたのか、直ぐに顔を空から横を歩く少女に移す。
「あれは……」
宏壱にばかり向いていたエヴァンジェリンの意識が、傍を歩く少女達に向く。
近衛木乃香と桜咲刹那……どちらも小学四年生で若いが、将来性のある魔法生徒だ。と言っても刹那は魔法を扱えないが……。
だが、二人と接点があるのだとすれば、宏壱が魔法関係者、或は裏事情に精通した人物であることは疑う余地もない。
「――っ!?」
エヴァンジェリンは驚愕して目を見開いた。
一瞬だ。木乃香達に意識を向けたのは二、三秒ほどだけ……。その一瞬で宏壱の姿が消えたのだ。
監視していた魔法先生もそこにはいない。宏壱を追ったのだ。その気配を辿れば……。
その事に瞬時に思い至ったエヴァンジェリンは流石と言える。だが、その時には既に魔法先生は宏壱の姿を見失い、右往左往していた。
「ちっ……役立たず共め」
悪態を吐くエヴァンジェリン。しかし、彼らを責めることは出来ないだろう。なにせ、宏壱は剃と月歩を駆使して彼らを突き離したのだから。
「何処に行った……まさかっ」
何処に意識を向けても宏壱の姿が見えない。そこでエヴァンジェリンは気が付く。彼は何を見てその場を離れた?
そこに至れば答えは簡単だった。
「覗きとは、趣味が悪いね。お嬢ちゃん」
「――っ!?」
突如音もなく背後に出現した強大な気配。声を掛けられるまで接近されていたことに気付けなかった。
エヴァンジェリンが宏壱を見失って一分も経っていないのだ。そんな短時間でこれだけの距離を潰しされた。
(これは
正真正銘の化け物。悪魔や天使、堕天使、妖怪、吸血鬼、獣人、神、魔王……あらゆる存在がいる中で、知る者には彼の英雄こそが真の化け物だと囁かれる存在。
それが、振り返ったエヴァンジェリンの前に何の気負いもなく立っていた。
悔やまれるのは好奇心でこの場に来たことだが、それは既に考えても詮なき事である。
だが、宏壱は宏壱で、エヴァンジェリンの顔を見て、どこか惚けた表情をしていた事は思考を巡らす彼女には気付けないことであったが。
side out
宏壱の恋姫時代はこんな感じで小出ししていきます。
郷を襲った謎の軍勢もかなり後に、進行してきた理由が出てきます。今は語れませんが……。
では、また次回お会いしましょう。