お腹を空かせて、まったりとお楽しみください!
人間の里の端っこに、新しく掲げられた『ひだまり庵』の看板。 その厨房で、俺――文月 律(ふみづき りつ)は、一人黙々と大きな鍋で湯を沸かしていた。
「よし、今日の仕込みはこんなもんか」
自分で焙煎した珈琲豆の香りと、じっくり煮込んだ特製トマトソースの匂いが店内に満ちていく。 里で生まれ育った俺は、小さい頃は慧音先生の寺子屋に通い、今はこうして念願だった自分の店を開いた。だが、お茶と団子が主流のこの里で、大蒜(にんにく)やハーブを使った俺のパスタ料理は「変な形の紐」と怪しまれ、オープンして数日は閑古鳥が鳴いていた。
昨日も慧音先生が心配して「律、客付きはどうだ?」と様子を見に来てくれたくらいだ。先生、心配かけさせてごめん。
そんなことを考えていると、ガラガラ、と小気味良い音を立てて店の暖簾がくぐられた。
「律さーん! 遊びにきましたよ!」
入ってきたのは、見慣れた着物姿の少女。近所で貸本屋『鈴奈庵』を営む、昔からの友達である小鈴だった。
その隣には、大きな三角帽子を被り、早くも美味そうな匂いの源を探して厨房をキョロキョロと見つめている金髪の魔法使い――霧雨魔理沙の姿があった。
「お邪魔するぜ! おい小鈴、本当にこの店からめちゃくちゃ良い匂いがするな!」
「でしょう? 律さんは昔から料理が凄く上手なんですよ。魔理沙さん、お腹空いてるなら是非食べていってください!」
どうやら小鈴が、魔法の森から里へやってきた魔理沙を、俺の店へ案内してくれたらしい。魔理沙のお腹の虫がぐー、と盛大に鳴り響く。
「いらっしゃい、小鈴。それに魔理沙さんも。……小鈴、助かったよ」
「ふふ、友達のピンチですからね! 律さん、魔理沙さんに自慢の麺料理、作ってあげてください!」
カウンター席に勢いよく腰掛けた魔理沙を見て、律は嬉しさを噛み締めながらフライパンを握り直した。
「すぐ作るから待ってて。……魔理沙さん、うどんとも蕎麦とも違う、最高のパスタを出すよ」
「お、期待して待ってるぜ、律!」
シュバッと強火で炒められるベーコンの弾ける音
「はい、お待ち遠様。うちの看板メニュー、『完熟トマトと厚切りベーコンのパスタ』だ」
目の前に置かれたのは、鮮やかな赤色の皿だった。
蕎麦より細く、うどんより黄色い艶やかな麺。それが、濃厚なトマトのソースと、たっぷりのチーズ、そして香ばしく炒められた豚の塩漬け肉に絡み合っている。
「……なんだこれ、麺なのか? うどんとも蕎麦とも違うな。赤い汁が服に飛びそうだぜ」
「こうやって、フォークでくるくると巻き付けて食べるんだよ。ほら、やってみな」
魔理沙は言われた通りに麺を巻き付け、ふーふーと息を吹きかけてから、一気に口に放り込んだ。
次の瞬間、彼女の大きな瞳がさらに丸くなる。
「――ッ!? 旨っ……なんだこれ!? 律、これ本当に麺なのか!?」
噛んだ瞬間に弾けるトマトの濃厚な甘みと酸味。そして、口いっぱいに広がるニンニクの暴力的なまでの香りと、肉の旨味。里の優しい出汁文化にはない、ガツンと脳を揺さぶるような美味さだった。
「モチモチしてて、歯ごたえも最高だぜ! おい店主、これ美味すぎるぞ!」
「はは、気に入ってくれてよかった。食後の珈琲もあるから、ゆっくり食べてくれ」
フォークを不器用に使いながら、ものすごい勢いで皿を空にしていく魔理沙を見て、俺は小さくガッツポーズをした。 小鈴のファインプレーから、料理人・文月 律の、美味しくて温かい日常が幕を開けたのだった。
第1話をここまで読んでいただき、ありがとうございました!
これから文月律のパスタが幻想郷にどんな風に広がっていくのか、まったり書いていきます。