昼下がりの穏やかな光が差し込む厨房で、俺――文月 律は、次の仕込みをしながら、パチパチと爆ぜる薪の音を聞いていた。
「ちょっと魔理沙、引っ張らないでよ。律が店を開いたのは知ってるけど、私は今お腹が空いてるの。里に来たなら、普通にお茶と団子でいいじゃない」
「まあそう言うなよ霊夢。律のやつ、開店してから苦戦してたみたいだけど、昨日私が食った麺料理はマジで絶品だったんだからさ!」
ガラガラと暖簾がくぐられ、人間の里には少し不釣り合いなにぎやかな二人の声が店内に響き渡る。入ってきたのは、紅白の鮮やかな巫女服を身に纏った博麗の巫女――霊夢と、昨日に引き続きやってきた黒いミニハットを被った魔理沙だった。
「いらっしゃい、霊夢さん。魔理沙さんも連日ありがとうございます」
「おう! 律、約束通り霊夢を連れてきてやったぜ!」
「はいはい、お邪魔するわね律。……ふーん、本当にいい匂いがするじゃない」
霊夢はいつもの気怠げな調子でカウンター席に腰掛け、厨房の俺に小さく手を振った。昔から博麗神社や里で顔を合わせている気安い仲だ。だからこそ、彼女の「出汁を使った和食が好きで、油っこいものが苦手」という好みを、俺は最初からよく知っている。
「霊夢さん、お腹空いてるんですよね。霊夢さんの好みに合わせて、特別な和風のパスタを作りますよ」
「へえ、私の好みを分かっているじゃない。楽しみにしてるわ」
そう言って少しだけ期待の眼差しを向けてくる霊夢さん。俺は冷蔵庫から、昨日の夜から丁寧に塩漬けしてほぐしておいた特製の「たらこ」を取り出した。
厨房で火が熾り、小気味良い調理の音が響き出す。
大きな鍋でパスタの麺を茹で上げている間に、ボウルの中でたっぷりのたらこと、室温に戻した濃厚なバター、そして隠し味として『昆布と鰹の濃縮出汁』をほんの数滴加えて素早く混ぜ合わせていく。出汁の香りがバターのコクと混ざり合い、厨房に極上の香りが立ち込めた。
茹で上がった熱々の麺をボウルに投入し、余熱でバターを溶かしながら、たらこと出汁を麺の一本一本に完璧に絡ませていく。仕上げに、細かく刻んだ風味豊かな海苔と、爽やかな香りを放つ大葉(シソ)を天盛りにした。
「はい、お待ち遠様。特製『たらこと大葉の和風パスタ』です」
霊夢の前に置かれたのは、美しい桃色のソースを纏った美しい麺だった。緑の大葉と黒い海苔のコントラストが、見た目にも鮮やかだ。
「なによこの黄色い紐、うどんとも蕎麦とも違って箸で持ち上げにくいわね。だいたい、この桃色のソースも本当に美味しいのかしら……」
霊夢はあからさまに眉をひそめ、器の中の麺をツンツンと箸で突きながら文句を言った。だが、そこからちゅるりと一口、麺を口に含んだ瞬間――彼女の身体がビクッと跳ね、動きがピタリと止まる。
「――ッ!?」
噛んだ瞬間、プチプチとしたたらこの心地よい食感が弾け、濃厚なバターのコクと、日本人の遺伝子に刻まれた出汁の旨味が口いっぱいに広がったのだ。
「美味しい」と素直に認めたくないのか、霊夢は「ふ、ふん……まぁ、一応博麗の巫女の舌を満足させるくらいには、合格点をあげてもいいわよ」と、ツンとした態度を崩さない。
しかし、その言葉とは裏腹に、彼女の箸は信じられないほどの猛スピードで器と口を往復し始めていた。
「もぐ……んむ、食べにくいって言ったでしょ、だから早く口に運んでるだけよ……!」顔を少し赤くしながら、一心不乱にたらこパスタを啜る霊夢。その食べっぷりの良さに、作っている俺の胸も熱くなる。
「だろ!? 律の料理は凄いんだぜ!」魔理沙が自分のトマトパスタを頬張りながら、まるで自分のことのように胸を張る。ものの数分で、霊夢の前の皿は一滴のソースも残さず綺麗に空になった。
「ぷはぁ……ごちそうさま。こんなに美味しい麺料理、生まれて初めて食べたわ」満足そうに息を吐き、お茶をすする霊夢。だが、次の瞬間、彼女はハッと我に返って青ざめた。
「……あ。待って、私、いま手持ちのお財布にお賽銭くらいしか入ってないんだったわ。どうしましょう、博麗の巫女としての信用に関わるわね……」
そわそわと懐を探る霊夢を見て、魔理沙がニカッと笑って自分の懐から何かを取り出した。
「安心しろ霊夢! 今日は私が連れてきたんだから、私の奢りだぜ。ほら、律。これで会計してくれ!」
魔理沙がカウンターにドン、と置いたのは、魔法の森で採れたという、不思議な光を放つ希少な乾燥キノコだった。
「これは……かなり珍しい食材ですね。うん、代金としてはお釣りが来るくらいです。ありがとうございます、魔理沙さん」「へへ、気にするな! 律の美味い料理が食えるなら安いもんだぜ」
魔理沙が満足げに鼻を鳴らす。霊夢はホッとしたように小さく息を吐き出すと、座席から腰を上げ、出口の暖簾へと向かって歩き出した。
しかし、引き戸に手をかけたところでその足がピタリと止まる。
霊夢は少しだけ躊躇するように肩をすくめた後、観念したように振り返り、ほんのりと頬を桜色に染めながら俺に視線を送ってきた。
「律、本当に美味しかったわ。……べ、別に、あなたの料理を気に入ったわけじゃないんだからね。ただ、その、ちょっとだけ、また食べてもいいかなって思っただけよ」
ふいっと視線を逸らし、霊夢は自身の巫女服の袖をぎゅっと握りしめる。
「だから……今度、博麗神社で宴会をやる時は、この『桃色の麺』をたくさん届けて(出前して)頂戴ね。次はちゃんとお金を用意しておくから、絶対に来なさいよ」
言い終えるや否や、霊夢は恥ずかしさを隠すように「行くわよ、魔理沙!」と叫び、ガラガラと小気味良い音を立てて引き戸を開けた。
「おう、またな律!」
「ええ、またね」
二人の賑やかな声と足音が、人間の里の夕暮れの街並みへと溶けていく。
夕日のオレンジ色が、誰もいない静かになったカウンター席を優しく照らしていた。博麗の巫女からの、最高にツンデレな出前の約束は、俺の胸に確かな自信を灯してくれる。「神社での宴会か……。よし、全員を驚かせる最高のパスタを用意しないとな」ふっと笑みをこぼしながら、俺は次の挑戦へ向けてエプロンの紐を小さく締め直した。料理人・文月 律の厨房に、心地よい達成感の風が吹き抜けた。