しんしんと降り続いていた雨が上がり、人間の里に青空が広がった翌朝。
『ひだまり庵』の周辺は、開店直後からこれまでにない異様な熱気に包まれていた。
原因は、里中に配られた文々。新聞の一面トップ記事だった。
『人間の里の端っこに驚異の新名所! 外の世界の人間をも胃袋で手懐ける、未知の紐料理店「ひだまり庵」!』
大げさな見出しと共に、律の作ったペペロンチーノが挿絵付きで大々的に紹介されていたのだ。
「おい、あの新聞に載ってたパスタってやつをくれ!」
「外の世界の女の子が看板娘をやってるって本当かい?」
朝から押し寄せる里の人間たちで、店内は満席の大繁盛。
「はい! ただいま『完熟トマトと厚切りベーコンのパスタ』一丁入りました!」
新しく貸してもらったエプロンをきゅっと締めた水瀬るいも、看板娘として慣れない手つきながらも笑顔で元気に店内を駆け回っていた。
律が戦場のような厨房で猛烈にフライパンを振るっていた、その時だった。
ガラガラッ!!と、引き戸がこれまでで一番激しい音を立てて開け放たれた。
「律! 無事か、律!!」
息を切らせて飛び込んできたのは、見慣れた緑の帽子と服に身を包んだ女性――律の幼い頃の恩師であり、里の寺子屋の先生である上白沢慧音だった。
慧音の右手には、くしゃくしゃに握りしめられた文々。新聞が握られている。
「け、慧音先生!? どうしたんですか、そんなに慌てて」
律が手を止めて驚くと、慧音は物凄い剣幕でカウンターに詰め寄った。
「どうした、ではない! 新聞を見たぞ! 『外の世界の人間を監禁し、暴力的な大蒜の紐料理で手懐けている』などと書かれていたから、お前が妖怪の仕掛けた怪しい事件に巻き込まれたのではないかと、生きた心地がしなかったぞ!」
「あの天狗……なんて書き方してやがるんだ」
律は思わず額を押さえて苦笑いした。あの射命丸文、るいの存在を秘密にする代わりに、お店の宣伝を限界まで大げさに煽って記事にしたらしい。
「あの、慧音先生……ですよね? 私、監禁なんてされていません!」
そこへ、お盆を持たるいがトコトコと駆け寄ってきた。
「私は水瀬るいです。妖怪に襲われそうになっていたところをアリスさんと律さんに助けていただいて、今はここでアルバイトとしてお世話になっているんです。律さんのパスタは、とってもあたたかくて美味しいんですよ!」
るいが満面の笑顔で事情を説明すると、慧音は呆然とるいを見つめ、それからようやく状況を理解して、はぁぁ……と深く大きなため息をついた。
「なんだ……あの天狗の誇大妄修記事だったのか……。本当に心配させおって」
頭を押さえる慧音に、律はふっと優しい笑みを浮かべ、カウンターの特等席を指差した。
「先生、心配かけてごめんなさい。でも、様子を見に来てくれて嬉しいよ。お詫びと言っちゃなんだけど、先生のために特別なパスタを作るから、そこに座って待っててよ」
「……あ、ああ。お前がそこまで言うなら、いただこうか」
慧音がおずおずと席に着くのを見届けて、律はすぐに厨房の火力を上げた。
里の人間であり、実直な性格の慧音先生の口に合う料理――。律が選んだのは、濃厚なチーズと卵のコク、(濃厚カルボナーラ)だった。
ジューシーに炒めた厚切りベーコンの旨味をパスタに移し、火を止めてから特製の卵液とたっぷりのチーズを絡める。絶妙な手際で仕上げられた黄金色のパスタが、湯気を立てて慧音の前に置かれた。
「はい、お待ち遠様。先生のために作った『濃厚カルボナーラ』だ。温かいうちに食べて」
「これが、パスタ……。うどんとも蕎麦とも違う、不思議な黄金色の麺だな」
慧音はフォークの使いに少し戸惑いながらも、麺を巻き付けて口へと運んだ。
次の瞬間、慧音の瞳がじわりと潤んだ。
「――っ。……美味しい、な。すごく濃厚なのに、優しくてホッとする味だ」
口いっぱいに広がる卵とチーズのまろやかなコク、(ベーコンの塩気)。里の素朴な出汁文化に慣れた慧音にとっても、そのあたたかい美味しさは芯まで染み渡るものだった。
「……大きくなったな、律。寺子屋で私の授業を受けていたあの小さな少年が、こんなに人を笑顔にする立派な料理人になるなんてな……」
慧音はパスタを大切そうに味わいながら、嬉しそうにしみじみと涙ぐんだ。その言葉に、律の胸の奥にも確かな熱いものが込み上げる。
そんな温かい空気が流れる店内に、ガラガラ、と今度は静かに引き戸が開く音が響いた。
「おい慧音、寺子屋を休んでどこへ行ったかと思えば……こんな里の端っこで泣きながら変な紐を食ってるのか?」
入ってきたのは、白い髪をなびかせ、ポケットに手を突っ込んだボーイッシュな少女――藤原妹紅だった。
「も、妹紅!? なぜここに!」
慧音があわてて涙を拭う。妹紅はくしゃくしゃになった文々。新聞をカウンターに放り出した。
「お前が机の上にその物騒な新聞を置きっぱなしにして血相を変えて飛び出していくからさ。気になって追ってきたんだよ。……で、そこにあるのが噂の『パスタ』ってやつかい?」
妹紅はジロリと律の厨房、(ストーブの横で固まっているるいを見つめる)。るいは不死の少女が放つ独特のオーラに少し圧倒されていた。
「いらっしゃい、妹紅。先生は俺を心配して来てくれたんだよ。せっかくだから妹紅も何か食べていくか?」
律が声をかけると、妹紅はフンと鼻を鳴らして席に座った。
「そうだな。じゃあ、その新聞に載ってた、文の口を塞いだっていう辛い料理を一丁もらおうか。私は熱さにも辛さにも強いからね」
「よし、任せて。すぐ作るよ」
律が作ったのは、文に出したのよりもさらに唐辛子を効かせた、真っ赤な『怒りん坊のトマトパスタ(アラビアータ)』。
ニンニクの香ばしい匂いと、炒められた唐辛子の強烈な辛みが店内に広がる。目の前に置かれた真っ赤な一皿を、妹紅はフォークを器用に使いながら、豪快に口へと運んだ。
「――っ! ……ほう、いい辛さじゃないか」
一瞬だけ目を見開いた妹紅だったが、すぐにニヤリと満足げな笑みを浮かべた。
トマトの濃厚な酸味の奥にある、ガツンとくる激辛の刺激。不死の身体を持つ妹紅の退屈な日常をパッと吹き飛ばすような、鮮烈な美味さだった。
「美味いよ、律。竹林で焼く鳥もいいが、この刺激はクセになりそうだ」
妹紅はハホハホと息を吐きながら、ものすごい勢いで皿を空にしていく。
食後に律が差し出した熱いブラック珈琲を一口飲むと、妹紅はふぅ、と深く息を吐き出した。
「苦いな……。だけど、私の心のモヤモヤまで一緒に燃やしてくれるような、いい苦味だ」
「るいさんと言ったか。里のことで分からないことがあれば、いつでも私の寺子屋に来なさい」
慧音先生が優しい笑顔でるいに語りかけると、妹紅も珈琲カップを置いかるいを見つめる。
「ふん……。外の世界からこんな場所に迷い込んじまうなんて、災難だったな。まぁ、里にいるうちは慧音が守ってくれるさ。もし竹林の近くで怖い妖怪に絡まれたら、私の名前を出しな。焼き尽くしてやるからさ」
「は、はい! ありがとうございます、妹紅さん、慧音先生!」
るいが嬉しそうに頭を下げる。
恩師に料理を認めてもらい、さらに竹林の強力な用心棒(?)まで味方につけた。文々。新聞がもたらした嵐のような大繁盛の中で、ひだまり庵の絆はまた一歩、優しく熱く深まっていくのだった。
第6話をお読みいただきありがとうございました!
新聞を見て駆けつけてくれた慧音先生と、それを追ってきた妹紅を自慢のパスタでおもてなしするお話でした。るいちゃんの里での生活も一安心です!
次回の第7話もどうぞお楽しみに!