メジロマックイーンの華麗なる現実ライフ。甘味を添えて。 作:灯火011
翌朝、JRA競走馬総合研究所の地下にある厳重な医療ブロックにて、マックイーンの本格的な身体検査が開始された。
簡単な身体検査、そして血液検査と口腔内の細胞接種が行われたのち、最新鋭のMRIとX線撮影装置から出力された画像データを前に、近藤理事をはじめとする獣医やスポーツ科学の研究員たちは、信じられないものを見るようにモニターを食い入るように見つめていた。
「驚いたな……。頭頂部の耳の構造と、尾骶骨から伸びる尾の骨格を除けば、基礎的な骨格構造は『普通の人間』とほぼ完全に一致している」
近藤の呟きに、周囲の研究員たちも無言で頷く。二足歩行をする以上、骨盤の広さや関節の作りが人間に近くなるのは理にかなっている。しかし、彼らを真に驚愕させたのは、その「骨」を覆う「肉」の異常性だった。
「ですが理事、この筋肉の密度を見てください。筋繊維の重さと硬さが……明らかに人間のそれではありません」
女性研究員が、マックイーンのふくらはぎや太ももに超音波エコーを当てながら、震える声で報告する。触診した感触は、一見すると滑らかで柔らかい少女の肌そのものだ。しかし、少しでも力を入れると、その奥には鋼のワイヤーを幾重にも束ねたような、人間にはあり得ない圧倒的な質量の筋肉が隠されていることがわかる。
「体重も、見た目のスレンダーな体型から推測される数値より遥かに重い。まるで、競走馬のエンジンを無理やり人間の少女のサイズに圧縮して詰め込んだような……途方もない肉体です」
「骨格は人間、筋肉は未知の超密度繊維。このアンバランス極まりない身体で、本当にあの細い二本の脚で「走る」ことができるのだろうか?」
研究者たちは頭を悩ませる。常識外の事が、今、目の前で起きている。
■
研究員たちの疑問を解消するため、マックイーンは次に、巨大な運動能力測定室へと案内された。
部屋の中央に鎮座しているのは、体重500キロを超えるサラブレッドが全速力で走るために設計された、巨大で頑丈な馬用ランニングマシーン(トレッドミル)だった。
「……本当に、走らせるんですか? 彼女、どう見ても華奢な女の子ですよ」
「もし時速40キロなんて速度で転倒でもしたら、大事故どころじゃ済みません!」
分厚い安全ガラスの向こう側で、研究員たちが青ざめた顔で口々に反対する。無理もない。彼らの目には、マックイーンは『特殊な筋肉を持った、ただの美しいお嬢様』にしか見えていないのだ。
しかし、当のマックイーンは全く意に介していなかった。
異世界に迷い込んだあの日、彼女は夕方の自主練中だったため、足元にはトレセン学園指定の「蹄鉄付きの練習靴」を履いていた。それをしっかりと紐結びし、トレッドミルの巨大なベルトの上にスッと立つ。
「皆様、ご心配には及びませんわ。わたくしはメジロのウマ娘。これしきのベルトの上で転ぶような無様な真似はいたしません。……さあ、ベルトを回してくださいな」
凛とした声で促され、近藤理事が意を決してオペレーターに合図を送る。
ウィーン、という重低音とともに、巨大なベルトがゆっくりと回り始めた。
時速10キロ。20キロ。30キロ。マックイーンは涼しい顔で、その速度に合わせてステップを踏み始める。
カツッ、カツッ、カツッ!
硬質な蹄鉄がゴムベルトを叩く音が、規則正しいリズムを刻む。
速度設定が時速40キロを超えたあたりで、研究員たちのどよめきは最高潮に達した。普通の人間の陸上記録などとうに超えているというのに、彼女のフォームには一切のブレがない。それどころか、背筋をピンと伸ばしたまま、まるで優雅なダンスを踊っているかのような圧倒的な安定感を保っている。
「信じられん……! あの速度で二足歩行をしていて、なぜ軸がブレないんだ!?」
「心拍数、未だに正常値の範囲内です! まだ全然本気じゃありません!」
「速度を上げろ!」
近藤の指示で、機械が唸りを上げる。
カカカカカカッ!!
激しい蹄鉄の音が室内に響き渡る。
マックイーンの芦毛の髪がふわりと宙に舞い、しっぽがバランスを取るために美しく弧を描く。
そして、最終的に。マックイーンの走る速度は、サラブレッドのトップスピードに迫る『時速約60キロ』に到達した。目の前で、人間の少女の姿をした生物が、車と同じ速度で走っている。
そのあまりにも美しく、そして常軌を逸した光景に、研究員たちは誰一人として言葉を発することができず、ただ口を開けてモニターと彼女を交互に見比べることしかできなかった。
やがて、マックイーンが軽く手を上げ、機械が徐々に減速して停止する。
「ふぅ……」
一つ、小さく息を吐いたマックイーン。大粒の汗すらかいていない彼女を見て、近藤理事が慌ててマイクのスイッチを入れた。
「す、素晴らしい……! 時速60キロ近い速度だ どこか痛むところはないかね!? 疲労は!?」
称賛と興奮の入り混じった近藤の声に対し。
マックイーンは額に少しだけ滲んだ汗を手の甲で拭いながら、どこか不満げに、ぷくっと頬を膨らませた。
「……痛むところなどありませんが。なんですか、この重たい服は」
彼女は、自分が今着ているグレーのスウェット――シャワーの後に佐藤から渡された、少しサイズの大きいゆったりとした衣服――を軽く引っ張って見せた。
「それに、この機械……足元の感覚がどうにも人工的で、本来の踏み込みができませんわ」
「え……? あ、いや、それは……」
「こんな野暮ったい服ではなく、わたくしの誇りである『勝負服』を着て、本物のターフ(芝)を走ることができていれば……」
マックイーンはウマ耳をペタリと伏せ、心底不服そうに唇を尖らせた。
「あの程度の速度、もっと軽く引き出せましたのに。……本当に、苛立たしいですわ」
時速60キロで走り抜けた直後に、「服が重い」「本気を出せなかった」と堂々とブー垂れる少女。ガラスの向こう側の大人たちは、己の常識が音を立てて粉々に砕け散っていくのを、ただ呆然と受け入れるしかなかった。